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ディシャール国国王ディオール・ラヴァ・ランフォールドの悔恨  5



「……ヘマしちゃいました」


 卒業式の3か月前になって、幽霊はそう言って笑った。

 幽霊の予定では、卒業パーティーの場で断罪されるはずだったようだが、うっかり言い争ってるのを聞かれて、その場で息子に婚約を破棄されたらしい。


 息子は、ご丁寧にも幽霊がした非道な行いの証拠だというものを持ってきて、ディオールに直談判してきた。

 その証拠を一つ一つ確認して、よくもまぁこんなにも巧妙に証拠を捏造したものだと、幽霊に文句を言いたくなる。


 せめて後3ヶ月、息子に耐えてほしいと思ったが、息子は聞く耳を持たなかった。

 それどころか、幽霊でさえ「早く国外追放してください」と言い出す始末である。


「……月への門をくぐるの、ある意味国外追放ですね」

「馬鹿を言うんじゃない。馬鹿を」


 この2年に満たない間で随分と気やすい口調になった幽霊は、ディオールに窘められてくすくすと笑った。切望していたものが一つ、叶わなくなったというのにこの幽霊はどこまでも明るい。いや、明るく振舞っている。


「3ヶ月、何か望みはあるか?」

「……そうですね。あ、もし許していただけるなら、この国を見て回りたいです」

「……国を?」

「はい、王太子妃教育とかの兼ね合いで、私殿下と婚約してから王都を出たことがないんです。だからちょっとだけ見て回りたいなって……」


 ダメですよね? と、下から窺う幽霊にディオールはため息を一つついた。

 それから「よい、許す」と許可を与える。


「いいんですか?」

「ヘンリーの他に護衛をつける。あまり無茶はするなよ」

「……逃げるんじゃないかって、思わないんですか?」

「……おまえは逃げないだろう。シルベチカ」


 ディオールがそう言えば、幽霊は一瞬だけハッとして、それから耐えるように俯いた。

「信じてくれて、ありがとうございます」と小声でつぶやくのが聞こえて、ディオールは何と言っていいのか分からなくなる。


 ディオールは、保険だと言ってシルベチカに便せんを差し出した。


「……なんですかこれ」

「息子が真実を知った時の慰みに、遺言を残せ」

「必要ないでしょう。真実は隠されるのですから」

「……それでもだ」


 ジッと睨んで書くことを強要すれば、幽霊は真白の瞳を困らせてペンをとった。

 さらさらと丁寧な字で何事かかき、「これ以上はありません」とディオールに返す。


「……正気か」

「正気です。これが、私の今の気持ちなのですから」


 にこりと笑う幽霊を、ディオールは何とも言えない気持ちで見つめた。

 手紙を丁寧に畳んで、封筒に入れると国王の判を押す。

 なんともいえない気まずい雰囲気があたりに漂った。


 気まずい雰囲気を破ったのは、ディオールに呼びだされたマーガレット嬢だった。

 捕らえられたウサギのように震えながら、国王であるディオールに相対する子爵令嬢を見て、ディオールはアクアマリンの瞳を細める。


「おい、シルベチカ。これを王妃にするなど、本気か? まるで子ウサギのようではないか。こんな程度で、お前の代わりになれるとでも?」

「まぁ、馬鹿にしないでください陛下。マーガレット様は殿下が恋して、私が全てをお教えした方ですよ。あとは先生方に仕上げていただければばっちりです!」

「……無理です!」


 マーガレットは悲鳴のような声をあげて、そう意思表示する。

 そもそも、マーガレットはずっと拒絶していたとディオールは聞いている。

 当然だろう、身の丈を理解しているのなら子爵令嬢でしかないマーガレットには、王妃など到底無理だと自覚しているはずだ。


「陛下、恐れながらに申し上げます。こんな虐め、私は受けておりません! シルベチカ様は尊いお方です、噂は全部でたらめです! だからどうか、お願いします! 殿下との婚約を破棄しないでください!」


 マーガレットはそう言って、盛大に頭を下げた。

 本当に大丈夫かという目で、ディオールは幽霊を見た。幽霊は優しく微笑むと、そっとマーガレットに近づき、マーガレットをぎゅっと抱きしめる。


「いいえ、いいえマーガレット様。これでいいのです」

「よくありません、シルベチカ様。どうして諦めてしまわれるのですか。ご病気のせいなのですか? こんなに元気なのに……。お願いしますシルベチカ様、ご病気はきっと治ります。事情を説明すれば、殿下はきっと分かって下さいます! だからお願い、諦めないでください!!」


 マーガレットは泣いていた。

 幽霊は、マーガレットに真実を伝えていなかったようだ。

 可哀想なことをするものだと、ディオールは思う。

 期待することの愚かさを、ディオールはもう十二分に理解していた。


 王なんてものは無力だ。

 今目の前で真実を聞き、絶句して幽霊に縋りついて号泣する少女の涙を、拭ってやることもできない。


 王なんて無力だ。

 娘にしたいと望めたはずの幽霊を、国の為と言う理由で、永遠に手離すことしかできないのだから。


「さぁ、きっともうすぐ殿下が来ますから。陛下……よろしくお願いしますね」

「……シルベチカ」

「はい、なんでしょう」

「俺の馬鹿息子を、愛してくれてありがとう。お前を俺は、娘にしたかったよ」

「……ありがとうございます陛下。私も、陛下をお父様と、お呼びしたかったです」 


 最後の最後に、幽霊は泣きながら笑って、執務室を後にした。

 この2年あまり、泣き顔だけは一切見なかった幽霊の、とても美しい泣き顔だった。

 ほどなくして、血相を変えて駆け付けた馬鹿息子の的外れな言葉を聞いて、ディオールはぽつりと呟く。



 そうして幽霊は二度と執務室に現れなかった。

 ディシャール国国王ディオール・ラヴァ・ランフォールドは、この日幽霊の呪縛から解放されたのだった。





 仕方のない犠牲だった

 そう何度も言い聞かせて、執務室を眺める


 ふとした瞬間に、幽霊の残像が微笑んだような気がして、

 結局何もしてやれなかった悔恨に沈んでばかりいる。



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