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公爵家嫡男ウィステリア・アルペストリス・マスティアートの憎悪 3



 兄様、最愛の兄様


 我儘を言ってしまってごめんなさい

 傷つけてしまってごめんなさい


 たくさんの愛を、

 本当にありがとうございました


 おかげで私は、最後の時まで幸せでいられました


 もしも私が、もう一度兄様の元に戻ることができたら

 嘘でもいいから「よくやった」って褒めてくださったら嬉しいです


 それだけで、私は胸を張ることができるのですから





 最後にもう一度だけ会いたいという、心からの願いの書かれた手紙は、涙にぬれていた。

 今なお心苦しんでいるマーガレット嬢の事を思い、ウィステリアは息をつく。


 ウィステリアはマーガレット嬢の頼みを受諾した。

 シルベチカに会いたいと願っている人を、無碍にすることなどできなかった。


 再会の日は、よく晴れた青い空の日だった。

 ウィステリアは、夜明けと共に教会にやってきた。

 早すぎるのは自覚していたが、何かしていないと落ち着かなかった。


 シルベチカが帰ってきたのは、日が昇り始めてすぐの事だった。

 近衛騎士をやめたヘンリーと、聖騎士となったエドガーと、長期で近衛騎士を休職しているというマリと言う女騎士は、あの3ヶ月シルベチカを守ってくれた騎士達で、シルベチカを迎えに行ってくれた人達であった。

「約束でしたから」と力なく微笑む3人に、ウィステリアは感謝をこめて頭を下げる。


「おかえりシルベチカ」と、ウィステリアは優しく微笑んでシルベチカを迎え入れた。気を遣ってくれたのか、3人は席を外してくれる。

 両親は、もうしばらくしたら来るはずで、

 今この瞬間だけは、ウィステリアとシルベチカは2人きりだった。


 かけたい言葉はいくらでもあったが、そのどれもが口にすれば陳腐に聞こえた。

 ウィステリアは、シルベチカの頬を撫でながら最愛の妹を慈しむ。

 涙と嗚咽しかこぼれなかった。


 と、扉が開く音が聞こえて振り返れば、そこにいたのはマーガレットだった。

 泣き出しそうなのを耐えるその表情は、かつてのシルベチカを思い起こさせて、ウィステリアの胸が締め付けられる。


「……シルベチカ様の」

「兄です。公爵家嫡男ウィステリア・アルペストリス・マスティアートと申します。初めまして」

「マーガレット……ウェライアと申します。シルベチカ様には、本当にお世話になりました」

「今はカゼニー侯爵家の養女となったとお聞きしましたが」

「はい、シルベチカ様のご助力のおかげです。ですが、今この場では、あの頃と同じ姓を名乗りたいと思っております」


 とても美しい淑女の礼(カーテシー)をしたマーガレットを見て、ウィステリアはマーガレットの端々にシルベチカの面影を感じた。

 1年半かけて、シルベチカが教えた全てを体現しているマーガレットの姿に、どこまでもシルベチカを溺愛していたウィステリアが、愛しく思わないわけがなかった。


「……どうぞ、会ってやってください。シルベチカも、貴女に会えたことを喜びましょう」


 そう言ってやれば、マーガレットのエメラルドの瞳から、大粒の涙がこぼれた。

 よく見れば、その可愛らしい顔には隈が浮かんでいた。

 きっと、ずっと思い悩んでいたのだろう。

 ユリウスを許したくはないが、シルベチカを想えば、マーガレットには思い悩んでほしくなかった。


「マーガレット様、どうか、これでもう忘れてください。シルベチカも、そう願っています」

「はい、分かっているのです。分かっているのですが止められないのです。あんなによくしていただいたのに、……私は」


 両手で目を押さえ、涙をこぼすマーガレットを支える手を、ウィステリアは持っていない。

 その権利を持っているのは、ただ一人婚約者であるユリウスだけだ。


 けれど、ユリウスはその真実を知らない限り、一生慰めることができないのだと思うと、妹はなんてひどいことを、この目の前の少女にしたのだろうと今更ながらに苦しく思った。


 もしかしたら、妹は()()()()()()()()()()()()()()()()()

 こうしてみれば、妹は関わった誰もを傷つけて、たった一人でいってしまったのだから。


「シルベチカ様……」


 マーガレットがそう言って、シルベチカに近づこうとした瞬間。

 閉じられていた扉が大きな音を立てて開かれた。


 そこにいたのはユリウスだった。

 その姿を一目見て、ウィステリアの心に憎悪がともる。


 知っている。

 シルベチカがその憎悪を求めていないことを。


 知っている。

 シルベチカが、誰も憎んでいないことを。


 あの心優しい最愛の妹は、()()()()()()()()、誰かが傷つくことを望んでいるわけがない。


 けれど、ウィステリアはこの憎悪を捨てられない。

 捨てられるわけがない。

 何も知らずにいたこの王太子に、自分の思うままに憎悪をぶつける事が出来たらどんなにかと思ったが、シルベチカとの約束を破るわけにはいかないジレンマに、押しつぶされてしまいそうになる。


「殿下……」

「シルベチカ、シルベチカはどこにいる」


 憎々しげにユリウスが妹の名を呼ぶ。

 だからウィステリアは、そっと視線をシルベチカに向けた。

 ウィステリアがシルベチカと約束したのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という誓いだった。

 ユリウスが真実に気が付くその時まで、絶対に伝えないという誓いは今のウィステリアにとって全てである。


 だから、ウィステリアから真実を告げることは、これからもない。

 一生涯ない。


 けれど、視線を向けることは誓いに含まれていなかった。


 ただそれだけで、かつてウィステリアの親友だったはずのユリウスは気が付くはずだった。

 今までならいざ知らず、この状況で気が付かない愚か者を友人にもった記憶はなかった。


 ウィステリアが予想した通り、ユリウスはシルベチカの姿を認めたその瞬間に、驚愕の表情で絶句した。

 無理もない、ユリウスの中に今なお残るシルベチカと、今3人の目の前にいるシルベチカはまるで違うはずだ。


 ユリウスの中にいるシルベチカは、どんなシルベチカだろうか。

 幼い頃の天使のようなシルベチカだろうか?

 それとも、悪役令嬢となったシルベチカだろうか?


 ただ、どんなシルベチカであれ、今目の前にいるシルベチカとは決して違うだろう。


 ウィステリアだって、こんなシルベチカは初めてなのだ。

 青い小さな花に満たされたガラスの棺の中、眠るように息を止めた、少年のように髪が短いシルベチカなんて。






 シルベチカはもういない。

 あの婚約破棄から3か月後、運命の日に永遠になった。


 今ここにあるのは、


 つとめを終えて、

 空っぽになった、

 かつてシルベチカとして笑っていた最愛の妹の亡骸だった。





 よくやったなと、声をかけて頬を撫でる

 ついさっきまで生きていたのだろうと思うような感触に、心臓がどこまでも締め付けられた



 俺の最愛の妹は、

 15歳で余命を決められて、

 17歳で儚く散った



 国のために、誇りをもって贄になった


 だから俺は、今でもこの国を、何も知らなかった愚か者を許せずにいる



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