公爵家侍女アマリア・フラントの尊崇 1
嘘は一つもつかなかった
ただ、言うべきことを制限しただけ
「あんな嘘をついてよろしかったのですか?」
アマリアが、敬愛する主にそう尋ねると、美しい公爵令嬢はにこりと微笑んだ。
「あら、事実しか言ってなくてよ」と言って、にこやかに笑う主を見て、アマリアは茶の瞳を伏せる。
この世に神がいるのなら、どうか主を救ってほしいと祈りたかった。
けれど、祈るわけにはいかないとアマリアは一人ごちる。
この美しい主を、永久に奪ってしまおうとしているのは、祈るべき神だったのだから。
アマリア・フラントは公爵家に代々仕える男爵家の四女だった。
一族の女性は、慣習として公爵家に行儀見習いとして侍女として仕え、2番目の姉は公爵家の次女に気に入られたことをきっかけに、隣国に嫁いだ主について行った。
そのままそこで高位の騎士に見初められて、嫁いでいった立派な姉だったというのがアマリアの誇りであった。
アマリアが12歳の時、行儀見習いに公爵家に上がった彼女の主になったのが、当時7歳だったシルベチカだった。
淡く青い、ふわふわとした髪に、真白に輝く瞳をしたシルベチカを見て、アマリアは天使に仕えるのだと本能的に思った。
「よろしくね! アマリア!」と、元気よく笑った公爵家の姫が、アマリアの最愛の主となるのにそう時間はかからなかった。
公爵家の末の姫、未来の王太子妃に歳の近い侍女をと望まれて仕えたアマリアだったが、シルベチカはその天使のような見た目に反して、お転婆で、悪戯好きな公爵令嬢で、アマリアは先輩侍女や乳母といつも頭を悩ませながら、この可愛らしい主のお世話をしていた。
シルベチカは、いつだって窮屈なことが苦手で、かといって逃げ出すことなく、どちらかと言えば窮屈なことを楽しむような令嬢だった。
成長して王太子妃教育を受け、身も心も美しい淑女の手本のように振舞うことができるようになっても、その本質は変わらず、むしろ王太子妃と言う器の中でどれだけ自由であれるか楽しむような令嬢だった。
変わった令嬢だとアマリアは思った。
だが、その変わった所を敬遠するよりも先に、歳の離れた幼い妹のような彼女に実の姉のように慕われ、男爵家の末っ子であったアマリアはその生涯をかけて、シルベチカを優しい姉のように支えようと決意するのは自然だった。
シルベチカと王太子の仲睦まじい様子を見守りながら数年経ち、シルベチカが15歳の誕生日を迎えてすぐ、事件は起きた。
いつもの王妃教育の途中、どうしてだかシルベチカは国王陛下に呼び出された。
国王陛下の願いを断るわけも行かず、謁見の間ではなく執務室へと促され、アマリアはシルベチカの身だしなみを最低限整えると、シルベチカを送り出してから控えの間で主を待っていた。
程なくして帰ってきたシルベチカは、父である公爵に付き添われ青い顔をしていた。
何かがあったのかは一目瞭然だったが、それを聞いていいのかどうかは分からず、アマリアは公爵の手前口を噤むしかなかった。
帰りの馬車は公爵と一緒だった。
明るく快活なシルベチカは、いつも馬車の中では楽しくおしゃべりしていたのに、その帰り道シルベチカは無言だった。
ただ、ぼんやりとした顔で馬車の窓から、王宮を赤く照らす夕焼けを眺めていたのが、アマリアには印象的だった。
屋敷に帰宅すると、シルベチカは「食事はいらない」とだけ言って、足早に自室へと戻っていってしまった。その後を追おうとするアマリアを、公爵が沈痛な面持ちで呼び止める。
「……アマリア」
「はい、旦那様」
「お前に負担をかけるのは本意ではない。ないんだが……、どうかあの子を最後まで支えてやってくれないか」
公爵は、アマリアの雇い主である。
貴族であるが、使用人を優しく扱い、シルベチカに仕えるアマリアにも、一定の信頼を寄せてくれる尊敬すべき雇い主である。
その公爵に、命令ではなく願われるとは思わなかった。
ただ、悲痛そうに顔を歪ませながら、男爵家の出であるだけの侍女に願う公爵を見て、アマリアは姿勢を正して低く礼をした。
「もちろんです、旦那様。私の身でできうる限り、シルベチカ様をお支えさせてください」
その言葉を聞いて公爵が満足そうに微笑むのを見て、アマリアは改めてシルベチカの部屋に足を向けた。
ノックをして部屋に入ると、シルベチカはテラスから外を眺めていた。
王宮を出た時夕焼け空だった空はすっかり暮れ、空には星が瞬いているのが見えた。
「冷えますよ、シルベチカ様」
そう声をかけるが、シルベチカはぼんやりと空を眺めたまま動かなかった。
アマリアは少しだけ逡巡すると、ショールを持ってシルベチカの側に行き、肩にそっとショールを羽織らせる。
「……お着換えを致しましょう、お手伝いさせてください」
そう願えば、シルベチカはアマリアを見上げ切なげに頷いた。
こんなに力なく落ち込んでしまったシルベチカはいつぶりだろう。
5年ほど前に愛犬であるジェフが、精霊の御許に逝ってしまった時以来かもしれないと思い、アマリアはシルベチカの肩をぎゅっと抱きしめる。
シルベチカは少しだけびくりと震えたあと、真白の瞳でどこかを見つめたままぽそりと言った。
「アマリア……、アマリア聞いて……全部、全部なくなっちゃうの……私、ユリウス様のお嫁さんになれないんだって……」
真白の瞳に涙をためて、シルベチカは堪えるように言った。
声をあげて泣いたっていいはずなのに、全てを押し殺して泣くシルベチカを、アマリアはぎゅっと抱きしめて慰める事しかできなかった。




