子爵令嬢マーガレット・ウェライアの追憶 1
恋に落ちる音をはじめて聞いた
きっとこれが運命なのだと思った
「……マーガレット様。正直に教えてください。あなたは、ユリウス殿下を愛していらっしゃいますか?」
高慢で傲慢だと有名な公爵令嬢が、ただの子爵令嬢であるマーガレットに、救いを求めるような、縋るような声音でそう尋ねるのを聞いて、マーガレットはどうしていいか分からずに困惑する。
この出会いが、自らの運命を変えるなんて、この時のマーガレットは夢にも思わなかった。
*
マーガレット・ウェライア子爵令嬢は子爵令嬢としてはごくごく普通の、どちらかといえば平凡な子爵令嬢だった。
兄弟は幼い弟妹が1人ずつ。
父も母も優しかったが、マナーに厳しかったせいか貴族としてのマナーの基礎はしっかり身についていたし、身分の差だってもちろん理解していた。
聡明であることが評価されて、王立学院に通うことが許された彼女は、この国の王太子を遠くから眺めることができればいいなぁと思っていたくらいで、決してその隣に自分が並ぶことを夢見るような令嬢ではなかったのだ。
王立学院に通って、マーガレットには普通に友達ができた。
元々社交的で明るい少女であるマーガレットは、ごくごく普通に同じくらいの爵位の令嬢たちと知り合い、ごくごく普通に友情を深めていった。
自分達より爵位の高い貴族の方々の中で、随分と高慢な振る舞いをしている令嬢が噂になったのは。王立学院に入学して間もなくのことだった。
緩やかでふわふわとした柔らかな青い髪に、真白の瞳を持った公爵令嬢。
王太子の婚約者として名高い、シルベチカ・ミオソティス・マスティアート公爵令嬢が件の噂の主だった。
けれどマーガレットは、その隣に立つ青年に心奪われた。
この国の王太子、ユリウスだ。
それはおそらく一目惚れだ。
明確なまでに、マーガレットがその時に得た感情は恋だった。
だからと言って、マーガレットは王太子と恋仲になれるとは思わない。
自分はあくまで子爵令嬢でしかないし、王太子には公爵令嬢の婚約者がいる。
王立学院に王太子が通っている間だけ、姿を見ることができる淡い初恋であると、彼女ははっきり自覚していた。
故に、王太子の婚約者として傲慢な振る舞いをするシルベチカを、マーガレットは最初苦しい思いで見つめていた。
マーガレットが、シルベチカの前で粗相してしまったのは、マーガレットが王太子に一目惚れしてしまってから、本当にすぐのことだった。
ただ単純に、マーガレットはうっかり転んでしまっただけだったけれど、それが、シルベチカの気に障ったのだろう。こんなことは今の王立学院では、よくあることだった。
甲高い声で怒鳴りつけられ、叩かれそうになったマーガレットをかばったのは王太子だった。
身分違いの、叶うことのない片思いの相手に庇ってもらえたという事実が、マーガレットは正直嬉しかった。
王太子のサファイアの瞳と、マーガレットのエメラルドの瞳が交わった時、この思い出を初恋の思い出として、生涯生きてゆけると思ったくらいだ。
それほどまでに、美しい初恋の出来事だったと、マーガレットは今でも思う。
だがその時、マーガレットは何とも言えない視線を感じた。
見れば、シルベチカが何とも言えない視線をマーガレットと王太子に向けていた。
その視線は、すぐに真っ赤な憎しみの炎へと変わり、庇った王太子もろともマーガレットは非難されることになったのだけれど、あの一瞬垣間見えたシルベチカの視線をマーガレットは何度も反芻することになった。
最初は、王太子に庇われたという事実に対する、怒りや嫉妬のような感情かと思った。
政略結婚とは言え、男女の色恋にはよくある話であり、まだ若いマーガレットにもその感情なら理解できるものがある。
けれど、マーガレットがシルベチカから感じたのは、そう言った負の感情とはまた別の感情だった。
怒りや憎しみ、嫉妬のような燃える負の感情ではない。
強いて言うなら、寂しさ、悲しさといった諦めに凍った負の感情だ。
その感情の正体を知りたいと思うものの、ただの子爵令嬢でしかない自分が高位貴族の……王太子の婚約者と言う、令嬢の中で最も高い地位にあるシルベチカの心を知ることなどできるはずないのだと思い、マーガレットはそれ以上考えることをやめてしまった。
それから数日、マーガレットは日常に戻った。
王太子はやはり優しさに溢れた人なのか、たったあれだけの接点しかなかったのに、マーガレットの姿を見かけると「大丈夫かい?」と声をかけてくれるようになった。
もちろん二人きりになったことはない。
王太子は、必ず護衛騎士と一緒だったし、マーガレットに話しかける時も人目のある場所で、一定の距離を開けていたので、はしたない噂が流れるようなこともなかった。
それでも、王太子という尊い方直々に声をかけていただけるという事実は、マーガレットの心を少しだけ特別にした。
その特別に浸っていたマーガレットが蒼褪めたのは、それからすぐの事だった。
シルベチカから、お茶会の招待状が届いたのだ。




