この世界はどこか
言葉がわかる。
秋山はずきずきと痛む頭に手をあてて、はあと息を吐く。マイも同じように「あぅぅ」と妙な声を出しながら両手で頭を抱えている。
「あの、私の言葉はわかりますか?」
マイは再度聞いた。秋山は驚きと痛みで声を出すではなく、頷いた。原理はわからないがこの腕輪がマイの言葉を理解させてくれているのだろうか、秋山はそこまで思って、
「これは、魔術……ですか?」
そんなものが現実にあるはずがないという冗談を含めて言った。しかし、そのマイは淡々とした口調で「はい」と答えた。ただ、秋山と同じように頭痛は続ているらしい。
「この腕輪は特殊な魔石でできたものでお互いの精神を仮想的につなげることができます。無理やり頭の中に手を入れられている、あ! あぅう」
「!!? だ、大丈夫ですか」
「き、気にしないでください。無理に話すことができるように繋がるふ、副作用でこのような頭痛がするだけです。お互いに知らないことや近しい知識がないほど、痛みが激しくなります……まあ、慣れですね。暫くすると痛みは消えていきます」
マイは余裕をみせるためか軽く微笑む。秋山は少なくとも彼女に敵意を感じることはできないと感じる。多少の警戒はしていたが、彼女からならば情報を得ることができると彼は思う。
だが、本当に「魔術」というものが存在していたことに秋山は驚く。荒唐無稽と普段なら切って捨てるだろうが、話すことのできなかった人間と意思疎通ができることを思えば、否定は難しい。
「それにしてもこの腕輪はすごい……叩けば文明開化の音でもしそうですね」
「え? 叩かないでください……」
下手な冗談にまじめに返される。秋山失敗したと思いつつも、後ろのベッドに腰を下ろした。マイを見上げると彼女はじっと彼を見ている。長いまつ毛に整った顔立ちがどことなく冷たさを感じさせるが、秋山は彼女の「笑顔」を先ほど見たからか、あまりそれは気にならない。
「失礼しました。……ところでマイさんは私に何か聞きたいことがあったからここに来られたのではないですか? 私にこたえられる範囲であれはお答えいたします」
「……そうですか。話が早く助かります。では―」
秋山は自らが質問に受け答えるように話を誘導する。あからさまに聞くよりも話の流れの中から情報をくみ取り、後で不明点を簡単に質問した方が探っている自分の行動をカモフラージュできる。
秋山に促されたマイはいくつかのことを質問した。秋山が何者でどこから来たのか、話している言葉はどこの言葉なのか。何を目的にしているのかなどである。
それに秋山は自らの所属する国家や組織。また、海上から転落して気が付いた時にこの近くの山にいたと話をする。そこで出会った天真爛漫な少女の話は意図的に消した。マイは秋山の言葉に眉をひそめたり、考え込むようなしぐさをしたが特に遮るようなことをせず黙って聞いた。
彼女は手を額にあてて「んー」と一人呟く。痛むのだろう。それから秋山を見る。
「貴方の言う国はどれも聞いたことがありません。無論貴方の言う帝国海軍というものも……」
「……なるほど」
秋山は短く感想を言う。内心では落胆を禁じえなかったが表には出さない。覚悟はしていたが、マイのような女性に「知らない」と告げられると現実に向き合わされる気持ちになる。マイは続ける。
「私は海を見たことがありません」
「……では、なぜ私はあそこにいたのでしょうか?」
「さあ……? 高位の魔術師の中には転移魔法を使えるものもいますが……それほどの遠距離は聞いたことはありません」
この街はどうやら内陸にあるらしい。マイはそのことを端的に伝えてくれた。しかし、それならば海に落ちた彼がここにいる整合性がまるで取れない。秋山は顔をあげる、天井を見れば黒い。
「最初は自分は死んで、死後の世界に来たかと思いましたから」
マイはその言葉を聞いていう。
「……少なくとも私は幽霊ではありませんし……」
「ああ、幽霊にしてはかわいすぎますからね」
「……」
秋山は軽口を言ってしまった。油断があったのだろう、あっと気が付いてマイを見ると、彼女はそっぽを向いている。その銀髪を指でつまんで指と指の間でこすっている。特に意味はないのだろう。
「こ、の場合は寧ろあなたの方が幽霊なのではないですか?」
上ずった声で冗談で返してくる。秋山はくすりとして、マイも横顔が少しほころんだように見えた。秋山は一度目を閉じる。
(どうやら完全に俺の知っている世界ではないらしい。ただ、来られたのだから帰ることもできるはず……さて、どうしたものか)
マイからどの程度情報を引き出せるだろうか? 心の奥底にある軍人としての部分が冷たくささやく。
「ところでマイさんはどのような立場の方なのですか?」
「……私はファロム公国所属の魔術師です。この街には魔物の調査で立ち寄っていました……。たまたま言葉の分からないものがいるということで来たのですが……」
「魔物?」
「そうです。……魔物を知らないのですか?」
「ええ、狼も見たことがありません。野生動物と違うのですか?」
「厳密には違いますね。魔力を帯びて凶暴化した動物や、もともとそういう生き物の総称です」
「……この近くにそんなものが」
アーエは大丈夫だろうか。秋山は純粋に心配した。
「この街の周辺では目撃情報があるグリフォンという魔物を調査することになっています」
「グリフォン……どんな生物なのですか」
「どんな魔物……私も絵で見たことがあるだけなので、こう大きなクチバシがあって、こんな毛の逆立った鳥のような、こうこけーと鳴くとか」
などと言いながらマイは頭に手をあてて、口を開けている。「グリフォン」の真似なのだろう。誰も真似をしろなどと言っていないのに行ったマイの行動に秋山は笑いをこらえたが、無理だった。
「くっ」
「……」
マイは唇を噛んで目を背ける。どうやら恥ずかしい時にはこのようなしぐさをすると秋山にはわかった。
「いや、失礼マイさん。しかし、わからないのはこの国、いやファロム公国? には軍隊はないのですか?失礼だがいたいけな女性が危険なことをするのはあまり感心できない」
「……今、私の所属するファロム公国以外の諸国は北方の魔王との戦争状態にあります。このような後方に回す兵力はないのです」
(今度は魔王か)
シューベルトを思い浮かべてすぐ頭を振って秋山は振り払う。魔王について聞こうとするとその前にマイが言う。
「この街の領主とはしては正直貴方の扱いには困っているようです。釈放していいものか、どうかも含めて……そこで提案なのですが、私の調査に同行しますか? 唐突かもしれませんが」
「調査に同行?」
「はい。聞けばあなたは軍人ということですし、その実力は変な話ではあるけど騒動で証明している。傭兵をつけてくれるという話ですが、傭兵と言うものはあまり信用できません」
「私を信用してくれるのですか?」
「……私は貴方にこの国や世界の情報を与えることができます。あなたがそう求めているように」
見抜いていたか、秋山は表情に出さず思う。要するに自分の立場を考えればマイから離れれば言葉のわからない世界で情報もないままさまようことになるだろう。いや、そもそも牢屋から出られないかもしれない。つまり利害の面からみても秋山を「信用するに足る」のであろう。
「……わかりました。どちらにせよ私には今行くところがない。お供しましょう」
その時、銀髪の少女はただ目をぱちぱちさせてほんの少し嬉しそうにして、すぐ目を背ける。
「そうですか。それでは明日迎えに来ます。武器は用意して貰いましょう」
声が少し、ほんの少し明るい。秋山はこの少女が不器用なのだなと図らずも純粋に可愛らしく思う。意外と魔物とやらの調査が不安だったのかもしれない。