アーニャ様は魔法師団へ行く
アーニャには一つ趣味がある。それは紅茶だ。
様々な国の紅茶を収集し、それらの中からその日の気分ごとに選んで飲むのは、王城の外をまともに出れないアーニャにとって数少ない楽しみの一つだ。
特にテラスから城下の街並みを眺めながら飲む紅茶は格別だ。更に贅沢を言うのであれば、護衛の騎士であるアルテマと二人きりなら完璧だ。
「…………」
「何ですかアーニャ様? 私の顔に何か付いてますか?」
「目と鼻と口が付いてるわ」
「でしょうね。むしろなかったら驚きです」
レインは淡々と言葉を並べた。
現在アーニャはメイドのレインと護衛騎士であるアルテマの三人でテラスにいる。
「……ねえ、レイン。少し休憩がほしくない?」
「休憩ですか? つい先程取ったばかりなので別に――」
「ほしいわよね? いいえ、むしろほしくないなんてあり得ないわよね? せっかくだから休憩していいわよ」
ジっとアーニャはレインを見つめる。
レインはアーニャの瞳から「空気読みなさいよ?」という意思がヒシヒシと伝わってくるのを感じた。
レインはもう十年以上もメイドをやっている。なので、メイドという仕事には少なからずプライドを持っている。
必要以上の休憩をもらうことは、レインが持つメイドのプライドが容認できない。なのでもう一度しっかりと断ろうと口を開きかけて――やめた。
レインは唐突に気付いてしまったのだ。もしここでアーニャの思い通りに動かなければ、永遠の休憩をもらうことになると。
そこまで考えてレインは、自分に最初から選択肢がないことを理解した。
「……ではお言葉に甘えて」
主の命令では仕方ない。一度溜息を吐いてから、レインはテラスを後にした。
そしてテラスはアーニャとアルテマの二人きりとなった。
アーニャは二人きりになれたことに、アルテマには見えないよう意識しつつも、したり顔を浮かべる。
(ふふふ、これでアルテマと二人きり。何をしようかしら? できれば普段はしないようなことをしたいわね。だって二人きりだもの! ……ふ、二人きりって意識すると、何か照れるわね)
嬉しいやら恥ずかしいやら。アーニャは両頬に手を当てて、プシューと湯気が出そうなほど赤面する。
そんなアーニャとは対照的に、無言のまま傍らに控えていたアルテマ。
一見すると冷静に騎士としての仕事を果たさんと佇んでいるように見える。しかし実際のところは、
(よっしゃああああああああ! これで二人きり! 感謝します、レインさん!)
最高にハイになっていた。普段から二人きりになる機会を作れない彼からすれば、今の状況は千載一遇のチャンス。舞い上がるのも仕方ない。
さてこの状況をどう利用しようかと、思考を巡らせようとしたところで、部屋のドアから数回コンコンとノック音が聞こえた。
「チ……ッ」
何とタイミングの悪いことだろう。思わず舌打ちをしてしまう。
本当は無視してしまいたいが、緊急の用件だった場合を考えると、そういうわけにもいかない。
レインがいないので、アーニャに一言断ってから、アルテマが代わりに部屋のドアの方まで向かう。そしてドアの前まで着いたところで、ゆっくりとドアを開く。
するとそこには、アルテマと同じ騎士団に所属する騎士がいた。
「……何の用だ?」
「ひ……ッ!?」
不機嫌な声音のアルテマに、騎士が短い悲鳴を上げた。
しかし自分の役目を思い出し落ち着きを取り戻すと、用件を口にする。
「実は副団長に、魔法師団団長から呼び出しがかかっています。何でも、試作品ができたから研究所まで来てほしいとのことです」
「魔法師団団長から……?」
アルテマは眉をひそめる。
この国には騎士団とは別に魔法師団と呼ばれるものが存在する。魔法師団の仕事は魔法と呼ばれる特殊な技術の研究がメインとなっている。
魔法は、あらゆる生物の体内を巡る魔力と呼ばれる力を用いて行使される奇跡にも等しい技術。
古来より人類は、魔法と共に発展してきた。魔法の発展が人類の発展と言っても過言ではない。
そのため、どの国においても名称こそ違うが、魔法を研究する機関は存在する。テルフォシア王国においては、魔法師団がそれに該当する。
「試作品というと……私が以前頼んでいたものか?」
「恐らくは」
「分かった、すぐに向かおう。伝令ご苦労だった」
「はッ! それでは失礼いたします!」
一度敬礼をした後、騎士は足早にその場を去った。
アルテマは部屋のドア閉め、テラスにいるアーニャの元へ戻る。
こうして二人きりの時間は呆気なく終わりを迎えた。悔しいが仕方ない。
「申し訳ございません、アーニャ様。用事ができてしまったので、少しこの場を離れさせていただきます。もちろん代わりの護衛はすぐに手配しますので――」
「その必要はないわ」
「え……?」
疑問の声を上げるアルテマ。しかし彼に構うことなく、アーニャは続ける。
「必要ないと言ったのよ。話は聞かせてもらったわ。私もあなたと一緒に魔法師団に付いて行ってあげる。それなら、わざわざ新しい護衛を用意することもないでしょう?」
「そ、それはそうですが……」
「それに私、魔法師団が普段どういうことをしてるのか見たことがないのよね。せっかくの機会だし見学させてもらうわ」
アルテマとしても、こんな時でもなければアーニャの申し出は決して悪いものではなかった。
普段なら「アーニャ様が私と一緒にいたがってくれている!?」と歓喜して同行を許すところだが、今回ばかりはそうもいかない事情がある。
「アーニャ様、申し訳ございませんが――」
「嫌よ。絶対に一緒に行くわ」
「アーニャ様……」
言わんとしていたことを先読みして答えたアーニャにアルテマは頭を痛める。
こういう時にレインがいてくれればと思わずにはいられないアルテマ。レインがここにいたなら、アーニャを諌めてくれたに違いない。
だがいない人間のことを考えても仕方ない。どうしたものかとアルテマは頭を悩ませる。
しかし今回ばかりはアーニャにも譲れない理由があった。魔法師団を見学したいと言ったが、そんなものは建前。
真の目的はアルテマを魔法師団団長と二人きりにしないことだ。アーニャは直接魔法師団団長と顔を会わせたことはないので、その人となりについては知らない。
だが何度か遠目に見たことはある。魔法師団団長はとても美人だった。
アルテマが自分以外の女、それもかなりの美人と二人きりなんて容認できるわけがない。
(絶対二人きりになんてさせてたまるものですか!)
実際のところ魔法師団の人間は団長一人ではないので、二人きりになる可能性は限りなく低いが、嫉妬に燃えるアーニャはそのことに気付かない。
「とにかく、あなたが何と言おうと私は付いて行くわ。これは命令よ。素直に従いなさい」
「……畏まりました」
命令と言われては逆らいようもない。
アルテマは渋々とではあるが、アーニャの同行を了承するのだった。
「……ねえ、アルテマ。本当にこんなところに魔法師団の研究所があるの?」
「ええ、ここで間違いありません」
階段を下りながらアルテマの後ろから訊ねたアーニャに、アルテマはハッキリと答えた。
現在二人がいる場所は、周囲が薄暗く、頼りになるのは一定の間隔で壁に備え付けられたロウソクの灯りのみ。
不気味な雰囲気の漂う場所ではあるが実はここ、王城の地下なのだ。
「どうしてこんなところに魔法師団の研究所があるのよ……」
「仕方ありません。魔法師団の仕事は主に魔法の研究です。地下に研究所があるのは、もし失敗したとしても被害を最小限に抑えるようにするためなんですよ」
「……魔法ってそんなに危険なものなの?」
「私は魔法にはあまり詳しくないので何とも言えませんが……その昔、魔法実験の失敗によって大国が一夜にして滅んだという話を聞いたことがあります」
「……この国は大丈夫よね?」
アーニャは不安に駆られ、少し魔法というものに恐怖を覚えた。
しかしそんなアーニャの方を、アルテマは歩を進めながら振り返り、穏やかな声音で語り出す。
「安心してください、アーニャ様。この国の魔法師団は、しっかりと安全性を確認した上で行っています。それに例えどんなことがあろうと、アーニャ様の身は私がお守りします」
「そ、そう……ならいいわ」
アルテマがどこまでもまっすぐな瞳でアーニャと視線を交わし、答える。
対するアーニャは、アルテマの視線と言葉を受けて、顔に熱が灯り真っ赤になったのを自覚した。
同時にバクバクといつも以上に激しい心臓の鼓動が耳朶を打つ。今の自分の顔を見られるのは恥ずかしいと思い俯く。
(こ、この男、何て恥ずかしいことを口走るのかしら! 羞恥心というものがないの!?)
「アーニャ様、しっかりと前を見ないと階段を踏み外しますよ?」
「うるさいわね! 分かってるわよ!」
「そ、そうですか。それならいいのですが……」
俯いたまま、急に怒鳴るようにして答えたアーニャに釈然としないものを感じながらも、アルテマは正面に向き直る。
しばらくすると、階段を下り終え、二人は一枚の扉の前に立ち止まった。この向こうが魔法師団の研究所だ。
アルテマは扉を数回ノックする。
「はあい? どちら様かしらあ?」
扉の向こうから、女性の声が聞こえてきた。アルテマはその言葉に応じて口を開く。
「私だ」
「私? 悪いけど、私々詐欺なら間に合っているわよお?」
「そんな詐欺があるか! 私だ、アルテマだ!」
苛立ちを滲ませたアルテマの声が地下に響き渡る。
そんな怒り心頭のアルテマを見たアーニャは、軽く目を見開いた。
(アルテマってこんな風に怒るのね……ふふふ)
一瞬驚いたものの、今まで見たことがないアルテマの一面に喜びを感じたアーニャだが、同時に自分には向けられたことがないという事実に、少し寂しさを覚える。
しかしアーニャのそんな心情など知ることもなく、アルテマは扉の向こうの相手と言い合いを続けている。
「今日は貴様が呼んだというから来たのだぞ! 早く開けろ!」
「もう、せっかちさんねえ。今開けてあげるから、そんな力任せに扉を叩かないでちょうだい。壊れてしまうでしょう?」
「…………」
色々と言ってやりたい衝動を抑え、アルテマは扉を殴り付けてた手を止める。それと同時に、扉が開かれた。
「ふふふ、ようこそ魔法師団へ。……あら? 珍しい方もいるわねえ」
扉の向こうから現れたのは、黒のローブで全身を覆った妙齢の女性。
ロウソクの光に照らされて怪しく光るパープルヘアーをサイドテールに整えて肩から垂らし、唯一ローブで隠されていない精緻な作りの顔は、どこか見透かしたような笑みを浮かべている。
「アーニャ様、ご存知かとは思いますが、この女は――」
「初めまして、アーニャ様。私が魔法師団団長、セリア=ペルトリスよお。よろしくねえ?」
「え、ええ、よろしく……」
アーニャは独特の喋り方をするセリアに戸惑いながらも、挨拶を返す。
「貴様、その口の利き方は何だ! アーニャ様に無礼だろう!」
戸惑っていたアーニャと違い、アルテマはセリアの態度に激昂する。王族の人間に失礼な態度を取ったのだからだから、当然の反応だ。
しかし当のセリアは気にした様子もない。それがまたアルテマをイラつかせる。
アルテマがアーニャを連れてきたくなかった理由がこれだ。セリアは礼儀というものを知らない。相手が王族であろうと容赦なしだ。
わざわざ自分の仕えている主を無礼を働くと分かってる者のところに連れていく従者はいない。
そもそも、本来ならセリアような無礼な人間が一師団の団長になどなれるはずもない。不敬罪に問われてもおかしくない。
それなのになぜセリアが罪に問われることなく団長をしているのかというと、ひとえに彼女が優秀だからだ。
セリアは魔法師団団長に就任して僅か三年しか経ってないが、その間に挙げた功績は数知れない。
彼女の手によって、テルフォシア王国の魔法文明はめざましい発展を遂げたと言っても過言ではない。
そのため、多少の無礼な発言は国王を始めとした王侯貴族も容認している。無論アーニャも噂には聞いていたので、多少面を食らいはしたが特に文句は言わない。
「酷いわあ。これでも私、団長よお? あなたより立場は上なのよお? あなたこそ、少しは敬意を払ってほしいものねえ」
「黙れ無礼者。そういうセリフは、自分の言動を省みてからにしろ」
「気が向いたらねえ」
セリアはアルテマの言葉をサラリと流す。
「それより、こんなところで立ち話も何だし、中に入りましょう? 温かい紅茶を淹れてあげるわあ」
「……分かった」
自分だけならともかく、今日はアーニャもいるのだから立ち話はあまりよくない。そう考えてアルテマはセリアの提案を受け入れた。
「アーニャ様、行きましょう」
「ええ」
セリアの後を付いて、二人は中に入る。
「ここが研究所……何か凄いわね」
それがアーニャの初見の感想だった。
室内はセリアと同じくローブを着た魔法師団団員が忙しなく駆け回っている。全員目元にくっきりとクマが出ており、寝不足なのは明らかだ。
それなのに一向に手を止めることがない彼らに、アーニャは鬼気迫るものを感じ取ったのだ。
そしてアルテマもアーニャと同じものを感じ、セリアに訊ねる。
「おいセリア。お前、ちゃんと部下は休ませているのか? 明らかに不眠不休で働いてるように見えるが……」
「もちろんよお。ただあなたも知っての通り、ここにいるのは魔法狂いの変態ばかり。三度の飯より魔法と言って憚らないおバカさんばかりよお。私が休みを出しても勝手に働いてるわあ」
「それは喜ぶべきなのかしら。それとも嘆くべきなのかしら……」
彼らの働きは国の発展に関わることなので、熱心に取り組んでくれるのはありがたいことだが、それで身体を酷使するというのはあまり気分が良くない。
話を聞いたアーニャは何とも言えない表情を作る。
そんな話をしていると、セリアが不意に足を止めた。
「着いたわあ。二人共、ここで少し待っててちょうだい。お茶を淹れてくるわ」
セリアの視線の先には来客用のテーブルとソファーがあった。二人はセリアの言う通りソファーに腰を下ろす。
そんな二人を尻目に、セリアはこの場を後にした。そして二人きりの時間が再び訪れる。
「「…………」」
念願の二人きりだが、二人は一切口を開かない。
なぜ何も喋らないのかと言えば、答えは単純。話題がないのだ。
アルテマは普段護衛の騎士として接しているため、アーニャとは仕事以外の話をしたことがない。だから、アーニャ相手に仕事以外で何を話せばいいのか分からないのだ。
アーニャの方は邪魔こそ入ったが、最初はメイドのレインを排除してまで二人きりになろうとしていた。今はその機会が再び巡ってきたのだから、本来は行動を起こすべき。
しかし残念なことにアーニャは二人きりになるところまでしか考えていなかったため、二人きりなった後のことは全く計算していなかったのだ。
結果としてこの沈黙。しかしこのままではいけないも思い、アーニャは口を動かす。
「ね、ねえアルテマ。あなたってセリアと随分親しげだったわよね? 普段からああなの?」
「ええ、まあそれなりには……」
「ふーん……」
どこか曖昧に答えるアルテマに、アーニャはうろんな眼差しを送る。
自分には決してすることがない態度でセリアに接するアルテマに、アーニャは何となく苛立ちを覚えていたのだ。
別にセリアに吐いたような乱暴な言葉をぶつけてほしいというわけではない。ただ、少しくらい自分にも気安く接してほしい。そんな願望が芽生えただけだ。
ささやかな、されど立場の違いから許されない願望。誇りある王族という立場も、今だけは憎い。
「ただいまあ」
鬱屈とした想いに苛まれているアーニャとアルテマの元に、トレイを持ったセリアが戻ってきた。
「お茶と一緒に美味しいクッキーも持ってきたわよお。食べるわよねえ?」
「……ええ、いただくわ」
トレイを置きながら訊ねてきたセリアに、アーニャは短い言葉と共に頷き、紅茶のカップに手を伸ばす。
手にした紅茶の香りを楽しみつつ、カップを口元に持っていき、そのまま中の紅茶を口にする。
「……美味しい!」
アーニャが軽く目を見張りながら、飲んだ紅茶の感想を述べた。
アーニャは紅茶を趣味にしてるだけあって、紅茶に関してはかなりうるさい。そのアーニャが美味しいと言うのは、とても珍しいことだ。
「これどこの紅茶? 私、こんな紅茶飲んだことないわ!」
先程までの暗い気持ちも吹き飛び、アーニャはセリアに問いただす。
「ふふふ。その紅茶はね、この研究所で作った特別な茶葉を使用してるのよお」
セリアは自慢げに笑みを深めながら続ける。
「まだ未完成だけど、アーニャ様に魔法がどういうものかを知ってもらおうと思って特別に用意したの。その様子だと、気に入ってもらえたようねえ」
「ええ、本当に凄いわ! 魔法ってこんなに素晴らしいものだったのね!」
「ふふふ、お褒めに預り光栄だわあ。他にもいくつか作っているけど、飲むかしらあ?」
「ええ、是非!」
和気あいあいと語り出す二人。しかしそこに、アルテマが水を差すようにして割り込む。
「おい待て。未完成とはどういうことだ? まさかとは思うが貴様……アーニャ様で実験したのか?」
「当ったりい。どうして分かったのかしらあ?」
「貴様……」
アルテマが腰の剣に手をかける。
「まあまあ、落ち着きなさいよお。今日はそんなことをするために、ここまで来たわけじゃないんでしょう?」
「……ならさっさとしろ」
「ふふふ、せっかちさんねえ。……ねえ、そこのあなた」
不意に、セリアは忙しなく研究所内を走り回っている団員の一人を呼び止めた。
「はい? 何か用ですか、団長?」
「ちょっとそこの副団長に、この前依頼されてたあれのことを説明してあげてくれないかしら?」
「あれ? ……ああ、騎士団の方の依頼で作った防御魔法の付与された甲冑のことですか。私でよければ構いませんよ」
「そう。それじゃあお願いね」
セリアはアルテマの方に向き直る。
「そういうことだから、あなたは彼に付いて行きなさあい」
「おい待て、お前が説明するんじゃないのか?」
「面倒臭いわあ。ああ、アーニャ様の相手は私がしておくから安心しなさあい」
「それが一番心配なんだが……」
セリアがどういう人間か知ってるため、アルテマはセリアとアーニャを二人きりにすることを渋る。
「大丈夫よ、アルテマ。私はセリアと二人でお話してるから、あなたは自分の仕事をしてきなさい」
アーニャとしては、アルテマがセリアと二人きりになることを防げるので断る理由もない。
「……分かりました。もしそこの女に何かされそうになったら、大声で叫んでください。すぐに駆けつけます」
そう言い残して、アルテマは団員に付いていくのだった。
そしてこの場はアーニャとセリアの二人だけとなった。
「…………」
アーニャは無言で紅茶に口を付ける。やはりこの紅茶は美味しい。頬が緩んでしまう。
「ふふふ、本当に美味しそうに飲んでくれるわねえ。作った身としても嬉しいわあ」
「ええ、本当に美味しいわ。こんなにいいものを用意してくれてありがとう」
「アーニャ様にそう言っていただけるなんて光栄だわあ」
アルテマの時と違って会話が弾んでいる。紅茶という共通の話題があるおかげだ。しばらくは紅茶に関することで盛り上がっていたが、
「ところでアーニャ様。あなた、何か悩み事があるんじゃないかしらあ?」
何の前触れもなくセリアが話題を変えてきた。
「悩み事? ……別にないわよ」
「ふふふ、嘘ねえ。私には分かるわ。あなたは今、恋の悩みを抱えているわね?」
「…………ッ!」
セリアに指摘に、アーニャの顔が分かりやすいほど朱色に染まった。
「な、何のことかしら?」
しかし他人に指摘された程度で認めるほど、アーニャは素直な人間ではない。強気な態度でしらばっくれる。
「ふふふ、しらばっくれちゃって……可愛いわあ。それで相手は誰なのかしら? 秘密にしてあげるから、教えてちょうだあい?」
「わ、私は王族よ! そんな相手いるわけないじゃない!」
「身分なんて関係ないわあ。恋っていうのは、誰でもできるものなのよお? それに私、こう見えても恋愛相談はよくされるから、結構役に立つアドバイスもできるわよお?」
「…………!」
恋愛相談。それは文字通り他者に自身の恋愛に関して相談すること。それは思春期の女の子にとっては少し勇気のいる行い。
普段は王族の人間として振る舞っているが、アーニャもお年頃。恋というものに対してそれなりの関心を持っている。
けれど生来の無駄に高いプライドが邪魔して、そういった話を誰かに振ったことはない。
だが恋愛相談はしてみたい。アルテマを上手いこと惚れさせる手練手管を教わりたい。ならばいったいどうすればいいのか?
アーニャは考える。どうすれば自分のことだとバレないで相談できるのかを。
そしてたっぷりと考えた末に、
「……そ、そういえば、知り合いに異性との関係に悩んでる子がいたわね。その子のためにアドバイスをもらえないかしら?」
「知り合いの子ねえ……そんな子、本当にいるのかしらあ?」
疑わしげな眼差しがアーニャに向けられる。
「な、何よその目は!? 私が嘘を吐いてるとでも言うつもりなの!?」
「別にそうは言ってないわよお」
「なら文句を言わないで、黙って私――知り合いの相談に乗りなさい! これは命令よ!」
「はいはい。もう、ワガママな王女様ねえ……それで、その知り合いは相手との関係について具体的にどういう感じで悩んでいるのかしら?」
呆れた様子ながらもセリアは具体的な内容を訊ねる。
「ええとその……私の知り合いは貴族の令嬢なのよ。その子に最近好きな人ができたんだけど、相手はその子の家に雇われた人間で、身分の違いのせいで想いを伝えられずにいるのよ」
「身分違いの恋……ロマンチックねえ」
「そうかしら? 身分違いの恋なんて言えば聞こえはいいかもしれないけど、実際のところは大したものじゃないわ。必要以上の地位なんてのは鎖と一緒よ。がんじがらめになって、上手く身動きが取れなくなるわ……」
他ならぬ第二王女の言葉。それは実感の籠ったとても重みのある言葉として吐き出された。
「そんなものなのかしらあ? 恋というのは障害が大きいほど燃え上がるものだと私は思うのだけれど」
「確かに多少の困難は必要かもしれないけど、あまりにも困難がすぎると恋も実らないわ。私もこの立場を時折疎ましく思うわ。もっと普通だったらアルテマとも……」
そこから先に続く言葉は、あまりにもか細くセリアに届く前に消え去った。
仮に聞こえていたところで、何か変化があるわけでもない。アーニャは特に言い直すようなことはしなかった。
「王族も楽じゃないのねえ。……ところでアーニャ様――の知り合いは、その相手とどうなりたいのかしらあ?」
「どうなりたい?」
「最終的にどんな関係になりたいのかしら、という意味よお。それによってアドバイスの仕方も違ってくるわあ」
「どんな関係に……」
そこまで呟いて、アーニャ頬が朱に染まる。見る者が見れば、どんなことを考えたのか丸分かりだ。
「あらあら、エッチな王女様ね」
「だ、誰がエッチよ! 私は別に変なことなんて考えてないわ!」
「本当にい?」
「本当よ! 私が嘘を吐くとでも思っているの!?」
ギャンギャンと犬のように吠えるアーニャ。顔全体がトマトのように赤くなってしまっている。
そんな彼女を見ながら、底意地の悪い笑みを浮かべるセリア。
「ふふふ、からかい甲斐のある王女様だわあ。まあ冗談はここまでにしておくとして……もし恋人や夫婦になりたいのなら、やっぱりアプローチを続けることが重要ね。継続は力なり、なんて言葉が世の中にはあるけど、これは恋愛においてもっとも大切なことよお。諦めてしまったら、恋はそこで終了なのよお」
「諦めてしまったら……」
常日頃アルテマを惚れさせようとアプローチを続けているアーニャは、今更言われるようなことでもない。
「…………」
「何だか浮かない顔をしてるわねえ。何か他にも悩みがあるのかしらあ?」
アーニャの表情から何かを感じ取ったのか、セリアがそんなことを訊ねてきた。
アーニャは一瞬言葉に詰まり迷ってしまう。
セリアの指摘した通り悩みがあるのだが、それはあまりにもくだらなくて幼稚なワガママだ。とてもではないが、人に話すのは恥ずかしくてできない。
「安心して、アーニャ様。私は相談相手の秘密を漏らすような口の軽い女じゃないわあ」
口を閉じしたアーニャの心情を察してか、優しい声音で語りかける。
「……本当に?」
「ええ、本当よお。魔法師団団長の名をかけてもいいわあ」
魔法師団団長の名は決して軽いものではない。それをあっさりとかけると宣言したセリアに、アーニャは思わず呆れてしまう。
しかし同時に、彼女になら話してもいいかもしれない、そんな風にも感じていた。きっと彼女の独特の雰囲気がそうさせたのかもしれない。
「……実は私――の知り合いが最近、好きな人との間に距離を感じてるみたいなの」
「その設定まだ続けるのねえ……別にいいけど」
セリアが何事か呟いたが特に追及せず、アーニャは話を続ける。
「それでね、他の人には普通に接してくれてるのに自分にだけは一歩引いたような態度取ってくるから、少し寂しく感じるの」
「距離を感じるのは、立場が原因ではないかしらあ?」
「違うわ。家族と比べても扱いが違うのよ。何だかガラス細工でも扱うみたいな感覚で対応されてるように感じるわ。別に雑な扱いをしてほしいというわけではないけど、せめてもう少し気安い態度で接してほしい。ちゃんと私個人を見てほしい――って知り合いが言ってたわ」
「なるほどねえ……」
セリアは顎に手を当てて考えるような仕草をする。しかしそれも短い時間。
セリアは顎に置いてた手を退けると、満面の笑みを携えてアーニャに向き直る。
「アーニャ様。きっとあなた――の知り合いは、とても好かれているのよ」
「……あなた、ちゃんと私の話を聞いてたのかしら? 私の知り合いは相手によそよそしい態度で接されてるのよ? 嫌われてるならまだしも、好かれてるわけがないじゃない」
「そんなことはないわあ。あくまで私の予想だけど、きっと相手の男の子は怖いのよ。変なことを言って嫌われたらどうしようってね」
セリアは軽い調子で続ける。
「あなたにはない? 嫌われたくない、けどどう接していいか分からなくなるような時は」
「それは……」
ないと言えば嘘になる。アーニャも時折、アルテマが自分をどう思っているのか分からないのが怖くなることがある。益体もないことだと分かっているのに、考えずにはいられないのだ。
「ふふふ……」
けれど、それが自分だけではないことを考えると、自然と笑みが溢れた。
「……ありがとう、セリア。おかげでいい話ができたわ」
「ふふふ、そう言ってもらえたなら光栄だわあ」
その後二人はアルテマが戻ってくるまで、楽しい恋バナを続けるのだった。