Ⅳ
前方に一人、左右にそれぞれ一人、そして、後ろからは背中に拳銃を押し付けた青髪の男ともう一人。5人の男に囲まれた状態で、ハヅキは連行されるように電車を降りた。
その駅には駅員らしき人の姿はおろか、人影一つ見えなかった。空調がろくに効いていないらしく、肌にじとりとまとわりつく湿気とつんとした独特な匂いに顔を顰めずにはいられない。ゴミが散乱し荒んだ様子からも、ここがまともに機能している駅ではないことは確かだ。「テオ」と書かれた駅の看板は、派手な落書きによってデフォルメされ、辛うじて読める有様。
すっかり破壊され役目を果たしていない改札を素通りし、男たちはハヅキを駅構内の隅に連れて行った。
人影のなかったホームとは一転、この構内には複数の人の気配がある。気配はあるのに姿を見せない――それは物陰からこちらに注意を向けている証拠だ。人数がわからない。厄介だった。
この場をどうやって凌ぐ?
男たちに囲まれ視界を遮られてほとんど周囲の様子はわからない。この構内がどのような構造をしていてどれくらいの広さなのかもわからない。この男たちをどうにか振り切ったとして、どの方向に向かえばいいだろう。
「お姉さん。何考えてるの?」
青髪の男がにやにや笑いながらハヅキの正面から詰め寄ってくる。もちろん、銃口はハヅキに向けたままだ。
「ここに来ても怯えた顔ひとつ見せないなんて、ホントにお姉さん何者よ?」
ハヅキは無言のまま男の視線を逸らすことなく見返した。
動揺するな、焦るな――考えろ。
「ふうん。マジに肝座ってやがる。何、警官? それとも……兵隊さんかな?」
探るように目を覗き込まれる。
「ま、どっちでもいーか。この街じゃどっちもカスだ。にしてもお姉さん、アンタ肝は座ってるけどバカだよな。あの電車ン中で居眠りするとか」
ハヅキは短く息を吐いた。この点については自分でも激しく同感だ。
「……あの電車は北区に行くんじゃなかったか」
「お、喋った! うん、確かに北区に行くねぇ。この中央区の駅4つ通ってからな」
「中央区……」
ハヅキはレノから聞いた話を懸命に思い出す。
この街では近年ギャングの抗争が激化している。そのギャングの一つは中央区を拠点としている――
「……『ギガス』か」
「当たり。なんだ、アンタてっきり他所者だろうと思ってたのに、ちゃんと知ってんじゃん」
ハヅキは内心で激しく舌打ちをした。男たちは単なるチンピラではなく、それなりの「組織」だった。
「ここは『ギガス』の縄張りか」
「そうさ。だから一般人はほとんど寄り付かない。電車の客もここ通る前にみんな降りちゃうからな」
「私をこんなところに連れてきてどうする気だ」
青髪はわざとらしく「んー?」と首を傾げた。
「さあ、どうしようか? 最初はさ、ちょっと脅かして遊ぼうと思ってただけなんだけど、お姉さんがあまりにも落ち着いてるから、ちょっと興味沸いちゃってね」
銃口が胸に押し付けられた。
「冷静ぶって澄ましたお姉さんの顔がどんどん恐怖に歪んでいく様、見てみたいなぁって」
鼻先が突くぐらいまで顔を寄せ、青髪が囁く。
「泣かせてみたい、って思っちゃってさ」
「ジャンは変態だからな」
別の男からの横やりに、青髪の男ジャンは「うるせぇ」と苦笑して毒づく。
「でも、おまえら。ちょっとよく見てみろよ。このお姉さん、化粧っけはないけどなかなかキレーな顔してるぜ? とんだ拾い物かもしれない」
男たちの不躾な視線がハヅキに注がれる。顔を背けたい気分になるが、ハヅキは俯かなかった。弱みなど見せたくない。
どこからかひゅうと口笛が吹かれた。
「化粧させて立たせときゃ、いい稼ぎになるんじゃね?」
「その前に、まず俺たちでやっちまおうぜ。な、ジャン」
「……そうだな、それも悪くないかな」
ジャンはニヤリと笑って、ハヅキの肩を片手で壁に押し付けた。そして、「おい、そっち押さえてろ」と右側の男に命じ、銃口を下ろしてハヅキから目を離した。
ハヅキはその一瞬を見逃さなかった。 ジャンが下ろした拳銃を足で蹴り上げる。
「なっ!」
ジャンが驚愕の声を上げてよろめいた。周囲の男たちは咄嗟のことで反応ができない。その隙に、ハヅキは続いて、驚きで手の離れた右側の男の腕を掴み取り、豪快に背負って投げた。
「うああっ!」
「おおお」
男は前方にいた男を巻き添えにして、地面に倒れる。
「おい、きさまっ」
ようやく状況を把握した男たちが色めきだった。ハヅキは構わず左手側の男の腹に肘鉄を食らわせ動きを封じると、やや離れたところに落ちたジャンの拳銃を遠くに蹴りやった。そのまま走って男たちから逃げる。
どこに行けばいいかはわからない。それでも、このまま大人しくしておくつもりはなかった。
――だが、その逃走劇もつかの間のものだった。
前方からどこからともなく現れた複数の男たちに、ハヅキは抵抗もむなしく羽交い絞めに囚われてしまった。
「いや、すごいな、お姉さん」
蹴り上げられた手をプラプラと振りながら、ジャンが近付いてくる。表情が嬉々と輝いているのがいっそ恐ろしく感じられた。
「マジで何者なのさ。――って、聞いてもきっと答えないよね」
ジャンはハヅキの顎を荒々しく掴むと、無理やり自分の方に向けた。
「やばいな、アンタ。ゾクゾクする。マジで好みだな……ぜひモノにしたいね」
そう言ってジャンが顔を近付けてくる。明らかな意図を持って寄せられてくる唇に、ハヅキは思わず声を上げた。
「やめろ」
「――あ!」
寸でのところでジャンは動きを止めて、距離を戻した。
「今怯えた顔した! 銃を突きつけられても表情一つ変えなかったお姉さんが、こんなこと怖がるなんて、かーわいー!」
男たちの口からも笑いが漏れる。
屈辱だった。ハヅキはギリと唇を噛み締めた。
「離せ……」
「やだよ。俺、お姉さんが欲しいし」
ジャンは今度はポケットからナイフを取り出して、刃先をハヅキの胸に突き付けた。
「銃怖がらないし、これもどうってことないかもしれないけど、こうしたらどうかな?」
刃先がハヅキのシャツの前立てに差し入れられる。プツリとボタンがとれた。もともと胸元の開いた開襟のシャツはそのボタンが取れただけで下着が覗いてしまった。
「いいね……もっと見せて」
二つ目のボタンに刃先がかかる。
「やめろ……」
「ん、いい顔。――ねえ、どうしようか」
ジャンはナイフをそのままに、首を傾げるようにしてハヅキの顔を覗き込んだ。
「このまま進めて、ギャラリーのいる前でヤッちゃってもいいんだけど、お姉さんはそれちょっと嫌だよな?」
「な、に……」
「一つ提案がある。お姉さんがもし、オレの女になってくれるんだったらこの場は収めてやってもいいぜ」
周りの男たちがざわめく。
「何言ってやがる、ジャン」
「やっちまえよ」
「勝手に一人で楽しもうとすんじゃねえよ!」
「黙れ!」
抗議の声をジャンが厳しく一蹴した。
「邪魔すんな。――ねえ、どうする? ここで公開えっちするか、オレの女になってどっか二人きりで愉しむか、どっちがいい?」
ハヅキはジャンの顔を睨み付けた。
「どちらも願い下げだ」
「……なるほど」
ジャンは口元を歪ませた。
「予想はしてたけど。でも賢くないね、お姉さん。残念だけど、これでお姉さんが助かる道はなくなった」
「!」
ジャンのナイフが二つ目のボタンを弾く。鳩尾の辺りまではだけたシャツからは、もはや下着は丸見えだった。
「ここにいるヤツら、オレ以外は女にもてない飢えてる野郎ばかりだから。かわいそう、お姉さん。きっとボロボロにされちゃうね」
刃先が覗いた下着のフロントの縁を捉えた。
「泣けば?」
ジャンが言いながらナイフに力を伝える。
「っ……誰が」
泣くか。
そう続けようとした瞬間、パスッと、小さな音がした。と同時に、頬に何か生暖かいものがかかる。
「うわああ!」
背後で上がる男の叫び声。羽交い絞めされていた腕が緩んでそのまま離れた。
「え……」
思わず振り返ったハヅキが見たのは、肩を押さえてのたうち回っている男の姿だった。周囲に赤い飛沫が散っている。
パスッ。
もう一度音がした。悲鳴と同時にハヅキを押さえていたもう一人の男が倒れる。
「銃撃っ?!」
男たちに狼狽が広がる。ハヅキも一瞬呆けたが、すぐに我を取り戻して、目の前のジャンを体当たりで押しのけた。その次の瞬間、周囲が完全な暗闇に包まれた。
「な!? 電気が――」
「どうなってるんだ!」
動揺した男たちの声は悲鳴のようだった。ハヅキのことなどもはや頭にない。だが、ハヅキ自身も、突然の暗闇に一歩も進めなくなった。何も見えない。だがその時。
「こっちだ」
密かな声がして、腕が力強く引かれた。
「走れ!」
まだ大人になりきれていない少年の声。それでも、ハヅキの腕をひくそれは力強く、導かれるままにハヅキは暗闇を走った。