Ⅰ
『フール』の本拠地は、南の国境の街ガルダにある。首都から車で移動すること半日、ガルダの北区にある五階建ての建物が本部だった。
カイルに案内されながら建物内に足を踏み入れたハヅキは、物珍し気に周囲を見渡した。建物は古いがきちんと整備されてあるようだ。だが決して狭くはないそこに人の姿は見えない。簡素なエレベーターに乗り込みながら、ハヅキは訊いた。
「ここにはどれくらいの人がいるんですか」
「さぁ、どうでしょう」
カイルはニコリと笑う。誤魔化されたと感じ、ハヅキはムッと口を噤んだ。
長い車での移動中でも、カイルとはほとんど話はしなかった。ハヅキとしては訊きたいことが山ほどあった。そもそも、これから自分が身を置くことになった『フール』がどういう集団なのか、それすらもよくわからないのだ。調べてみてもフールについてはほとんど何も掴めなかった。だから、カイルにあれこれと質問をぶつけたのだが「それについてはおいおい」と躱され続け、結局質問することを諦めた。
大いに胡散臭い。決断を早まったかもしれないと思ったが、もう後戻りはできないのだ。帰る場所はもはやない。
覚悟を決めて前を見る。エレベータのドアが開き、カイルがハヅキを促した。
「どうぞ」
降りたフロアは建物の最上階。いくつかのドアの前を素通りし、奥の部屋に案内された。
「ただいま戻りました」
カイルは部屋の中に声をかけながらドアを開ける。その後に続いて入室したハヅキは、一歩入ったところでギクリと身を強張らせた。
室内には三人の男がいた。正面のデスクにいるのはレノ・フォレスト。彼がいることは当然予想がついていたが、ほかにも人がいるとは思っていなかったのだ。ローテーブルをはさんだ二つのソファーの右側には二人、左には一際大きな体躯の男が座っている。
「遅いよ、カイル」
一番最初に口を開いたのは、右側のソファーに座った男の一人だった。くりっとした大きな目と明るい表情で快活な印象を受ける。
「ほら、レノさん待ちくたびれて寝ちまったよ」
「レノが寝てるのはいつものことだけどな」
もう一人の男が薄ら笑いで言った。お洒落に緩く束ねられた長髪は見事な金髪。少し垂れた目が優し気な美青年だ。
「お疲れさん、カイル。そちらのお嬢さんも」
「!?」
寄越されたウインクに面食らう。ましてや「お嬢さん」?
呆れたようにカイルが息を吐き、ハヅキを向いた。
「早速ではありますが紹介しましょう。彼らは今後あなたと組んでいただくチームのメンバーです。奥の彼はエリック・グレイ」
最初に口を開いた男が立ち上がり、軽く手を上げる。さっきまでの明るい表情は一転、どこか不機嫌そうな顔をしてハヅキと目も合わせない。
「そして隣の金髪優男はニール・グリフィン」
「よろしくね。――カイル、優男はひどくない?」
苦笑するニールを無視して、カイルはこれまでまだ一言も声を発していない大男を示した。
「そして彼はナオイ・ヨウ」
大男が立ち上がり丁寧に頭を下げる。この中では一番礼儀正しいようだ。
「そしてあと一人……いないですね。エリック、シジマは?」
「さあ、知らね。ちゃんと召集は伝えたぜ」
「あの子自由すぎるからねぇ」
ニールが顔に垂れた遊び毛をくるくると指に絡めながら笑み交じりに言った。カイルは小さく息を吐いた。
「仕方ないですね。では……あれはまあ紹介するまでもないでしょうが、フールの代表兼、このチームのリーダーでもあるレノ・フォレスト。――レノ、いい加減に起きたらどうです」
カイルの声が微かに凄みを帯びる。ニールの肩がピクリと反応した。
「ん……」
「おお、さすが。鬼女房の声には反応するんだ」
エリックがけらけらと笑う。
「誰が鬼女房ですか。こんな亭主は願い下げです」
「お似合いだけど」
「レノパパとカイルママ」
「……ニール坊や。ママがその長ったらしい髪を綺麗に刈って差し上げましょうか?」
「うわ、やめてくれ! そんなことしたら俺のファンの子たちが嘆き悲しむじゃないか!」
「それってニールは実は髪がないとモテないってこと?」
「おい、そうじゃなくてだな」
「あ、そういえば、この前バーでニール見事に振られてたよな。口説いてる女が『アタシこの人の方がいい』つってカイルの腕にくっついてった」
「見る目のある女性でしたね」
「ハ。エリックなんてゴージャスグラマラス美女に狙われて泣きそうになってたくせに」
「あ、あれはな――」
突然始まった子どものけんかのようなやり取りを前に、ハヅキは思わず一人沈黙を保っている大男ナオイに目を向けるが、ナオイは目を閉じて無表情を貫いていた。この場を収めようという気はまるでないらしい。
「なんだ、随分にぎやかだな」
不毛に続いている言い合いに、酷くのんびりとした声が挟まれた。いつの間にかレノが目を覚まして大きく伸びをしていた。
「ああ、やっと起きましたか」
「ん。……あれ、カイル。いつ戻った」
「もうけっこう前ですよ。ではレノ、起きたところで彼女の紹介はあなたの方からお願いします」
「彼女?」
レノの目がそこで初めてハヅキを捉えた。射貫くような鋭い目つきは一瞬、すぐにその目は柔らかに細められる。
「――ああ、来たか」
くわっと欠伸をして、レノが立ち上がる。それだけで空気が変わった。さっきまでの騒々しさが嘘のような静けさに包まれる。
「では紹介しようか。彼女は新しいメンバーのハヅキ・ノーティス」
名を呼ばれ、ハヅキは改めて姿勢を正す。自分がどのように紹介されるのかと緊張の面持ちで待つ――が。
「今日からこのチームに加わることになった。皆よろしく頼む。以上、解散」
それだけを言うと、レノは腰を下ろした。一度引き締まったはずの空気が一気に緩む。拍子抜けするほどの簡潔さだ。
メンバーの面々がそれぞれ立ち上がり、退室しようとドアの方へと歩いて来る。ハヅキは戸惑いを残しながらもドアの前を開けた。
「改めてよろしくね、ハヅキ」
ニールがハヅキに向かって握手を求めてきた。ハヅキは戸惑いつつもその手を取る。優し気な外見からは意外なほど大きくてごつい手だ。
「よろしくお願いします」
「うん、わからないことは何でも聞いてくれ。力になるよ」
またもやウィンクを寄越し、ニールは退室した。その後ろにエリックが続く。エリックはすれ違いがてらハヅキを横目でちらりと見て「よろしく」とぼそりと言っただけで出て行った。さっき皆とふざけていた時のような朗らかさはない。ニールとは違い、エリックはあまりハヅキを歓迎していないようだった。
次にナオイがハヅキの前に立つ。立ち上がったナオイは巨体が際立った。2メートル近い長身の上に、身幅も常人よりもがっちりとしている。太っているようにはみえないのは鍛えられているからなのだろう。そのうえ強面なものだからひどく迫力がある。だが、ハヅキに握手を求めてきた彼は微笑んでおり、強面に浮かんだその表情は驚くほど優しげだった。
三人が退室してしまうと、残されたのはレノとカイルとハヅキだけになった。
「――あの」
ハヅキは思い切って口を開いた。
「紹介って、これだけですか?」
「不満か?」
レノが眠たげな目を向ける。
「いえ、不満、ということではないですが」
「なんだ、君は細かい経歴なども紹介してほしかったのか? 出生地はどこそこで出身校は何々、軍での所属はどこで階級は何々で――」
「そういうことではなく」
ハヅキはもどかしく遮った。
「私は何も知らないままにここに来ました。こんな状態で、彼らのこと名前だけ教えていただいても、何が何だかさっぱりです。説明が欲しいのです」
「……なるほど」
レノはフンと鼻を鳴らすように笑った。
「君の言っていることもわからなくはない。でも、今ここで何を説明したところで、君が何も知らない状態であることには変わらない」
「――は?」
「何事も体験しながら覚えていくのが早い。俺は無駄なことが嫌いでね」
レノは頬杖を付きハヅキを見据える。
「ハヅキ・ノーティス。君はもううちのメンバーだ。すべてはこちらのやり方に従ってもらう。――ああ、別に命令には絶対服従、決して逆らうなという意味ではない。ここは軍隊ではないからな」
ハヅキは「軍隊」という言葉に思わず身を固くした。知ってか知らずか、レノは薄く笑う。
「そうだな。これだけはついでに言っておこう。ここは軍隊ではない――よって、階級なども一切ない。つまり、俺にも誰にも敬称を付ける必要はないし、畏まった敬語を使う必要もない。まあ、これも自由だがな。誰に対しても敬語使うような変人もいるし。――な、カイル」
「そうですね」
変人と呼ばれた本人は涼しい顔をしている。
「ま、そういうことだから。もっと気楽に考えるといい。そのうち嫌でもいろいろと知ることになる」
「レノ。話はそれぐらいにして、そろそろ彼女を休ませてやりたいのですが」
「ああ、そうしろ。――あ、そうだ」
レノは思いついたように、目を瞬かせた。
「ハヅキ、明日朝もう一度ここに来い。俺が街を案内してやるよ」
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ハヅキに用意された部屋は、フールの本部ビルのすぐ隣にあるアパートの一室だった。セキュリティなど何もない古びたアパートだ。だが、部屋はきれいに改装され、古さは感じられない。
家電もそろっている。生活に当面必要なものは持ってきたし、不自由はなさそうだった。食事はフール本部に食堂があり、困ることはない。
「とはいえ、飲み物ぐらい置いときたいな」
買いに行こうと思い立ち、外に出た。が、すぐに足を止めることになる。
「――あれ、ナオイさん?」
二つ隣の部屋に入ろうとしていた大きな影に、ハヅキは思わず声をかけた。振り向いた男はやはりナオイだ。
「ナオイさん、お部屋、ここなんですね」
「ああ」
フールのメンバーはほぼ全員が本部近くに住んでいると聞いた。ナオイが同じアパートにいても驚きはない。
「……外へ出るのか」
「あ、私ですか? 飲み物でも買いに行こうかと。せっかく冷蔵庫もあるし」
ナオイの表情が明らかに曇った。
「……それはだめだ」
「え?」
「ガルダの夜は危険だ」
「夜って。まだ20時ですよ」
「ここは首都ではない」
厳しい声にハヅキはハッと口を噤む。
黙りこんだハヅキの前に、不意にビニール袋が差し出された。
「?」
「ビールだ」
「え? でもこれ、ナオイさんの」
「いい、まだある」
ナオイは手を下げない。ハヅキは遠慮がちにその袋を受け取った。
「で、では……ありがたく頂戴します」
「じゃあ」
「あ、待って」
部屋に入ろうとしたナオイを、ハヅキは慌てて引き留めた。ナオイが怪訝そうに首を傾げる。
「ごめんなさい、ちょっと聞きたくて」
「何を」
「あの……あなたたちは私のことをどういうふうに聞いているのかと」
「どういうふう、とは」
「私がどこから来たのかとか、どうして来たのかとか……経歴、とか……ご存知なのかと」
カイルは調べた、と言っていた。現にハヅキが軍人だったことをカイルは知っていたのだ。当然代表であるレノも知っているのだろう。では、その情報はどこまで、誰に知られているのか、ハヅキとしては気になっていた。
「……無意味なことだ」
「え?」
「ここに来るまでのあんたがどういう立場だったのか、それは我々が知る必要のない情報だ」
「でも」
「あんたが何を気にしているのかわからないが、誰も互いの過去を詮索したりはしない。無意味だからだ」
そう言ってから、ナオイは少しバツが悪そうに頭を掻いた。
「だが、正直に言っておく。俺は情報を扱う立場だから、俺自身はあんたの経歴を知っている。あんたのことを調べて上に上げたのは俺だ。その情報を元にレノがカイルを遣ってあんたの勧誘に動いた。だがそれだけで、その情報を他に口外することはない。聞きたがるやつもいない。必要以上の情報は求めない、それはもう暗黙の了解のようなものだ」
ナオイは小さく咳払いをする。
「……話し過ぎた」
「ナオイさん」
「さん、はいい。敬語も不要だ」
確かレノもそんなことを言っていたと思い出しながら、ハヅキはナオイを見上げた。
「では、ナオイ。……ありがとう」
「なぜ礼を?」
「過去を詮索しない――それを聞いて楽になったから」
ナオイは意外そうに眉を上げ、次には表情を和らげた。
「それはよかった」
部屋に戻ったハヅキは、ナオイから貰ったビールを飲みながら、これから始まる『FOOL』での生活に思いを巡らせた。