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「暗いしだいぶ荒れているからね。怪我の無いように気を付けるんやで」
「はい。ご無理を聞いていただいてありがとうございます」
俺は頭を下げた。
夜中に裏野ドリームランド跡に入りたい。
そんな無茶なお願いを叶えてもらったのだ。
俺はどうしてもその噂話を確かめたかった。
チヨコに頼んで叔父さんに会わせて貰ったのだ。
俺は全部話した。そしてチヨコと俺が理由を説明すると、叔父さんはうーむと唸っていたが、自分が夜勤をする日にこっそり園内に入れてくれることになった。
「あくまでそういう噂話なんやで。巡回してる僕らも誰も見たことが無い」
巡回している警備員さんが見てないという。
それでもいい。
「叔父さんありがとう。行ってきます」
チヨコが懐中電灯を灯す。
そして俺達二人は裏野ドリームランドを歩いた。
「ねえ、怖くないん」
「そうやな。少しこわいな」
チヨコの言葉に俺は頷く。
灯の無い夜の遊園地は静かだ。
ライトに照らされるのは荒れた歩道。
崩れかけた売店。
落書きだらけの建物。
朽ちて読めない看板。
夜空に浮かぶ巨大アトラクションの影達だった。
「まさか、もういちどここでデートするとは思わんかった」
「うん。そうやね。不思議」
転ばないように手をつないでいた。
小さな声がどこまでも響くような気がして、俺たちはさらに声を潜めて歩いた。
巡回するためか、歩道にはゴミも障害物も無い。
それに俺とチヨコは廃墟になったアトラクションの中に入るわけではない。
星明りだけの暗闇に目が慣れてくれば、ライトを消しても歩けるようになっていた。
目的の場所に近づく。
メリーゴーランドは無残な姿を晒していた。
天蓋は朽ち果てて錆付いている。
首が落ちて砕けた木馬もいた。
止まってもう二度と動かない残骸だ。
噂とはこんなものかもしれない。
小さな花を手向けて帰ろうとした時、俺はあることに気が付いた。
暗い遊園地を歩くために園内のマップを軽く覚えていたのだが、昔と少し違っていた。入ったことのないアトラクションがあった。
たしか立て直しのために新しいアトラクションを作ったが、それも振るわず閉園が決まった筈だ。その建設のため、既設のアトラクションをいくつか移動させたのだ。
「こっちだ」
「どうしたん?」
俺はチヨコの手を引いて歩き出した。
西部の町風の建物が並んでいた場所の向こうだ。
廃墟となった西部の町「ゴーストタウン」を抜ける。
そこは何もない広場になっていた。
新設だったためアトラクションは売却したのだろうか。
跡地には何も――
音も無く流れる音楽を聞いた気がした。
夜の闇に浮かび上がるメリーゴーランド。
軽快な音楽に合わせるように、木馬がゆったりと上下に揺れながら走っている。
色とりどりの鬼火が装飾光になって着いて回る。
回転木馬の背にはぼんやりと光る幽霊たち。
朧げな幽霊。
小さな子供の幽霊もいるのが微かに見えた。
音も無く楽し気に騒いでいるゴーストたち。
それを少し離れたところから一人見つめる背中がぼんやりと見えた。
何も怖くなかった。
「きれいやな」
近づいて話しかける。
振り返った顔はぼんやりと笑っていた。
「リョウジ、チヨコモ。ウン。キレイヤ。タノシソウデエエヤロ」
「そうやな。遊園地はこうでないとな」
「ウン。ウン」
なんども頷いている。
俺たち三人は、夏の夜の綺麗な怪異談を眺めていた。
やがて満足したらしいゴースト達は消えていった。
母親らしき人にひっぱられて消えた小さな子供のゴーストは、少しぐずっていたようにも見えた。
けれど、誰も居なくなった。
鬼火も木馬も止まって消えた。
「モット。オキャクヲ。アツメルンヤ」
コウタはいつまでも消えたメリーゴーランドの方を見ている。
「それは」
「ダレモイナイユウエンチハ。サミシイ」
「そうやけど、コウタ。もうお客集めせんでええんや」
「デモ。モットヒトガキテホシイ」
俺が言葉を詰まらせていると、ずっと黙っていたチヨコが口を開いた。
「これからも人は来るよ。記憶の中で。思い出の中で。たくさんの人が、これからも大勢、何度も何度も訪れるよ」
「アア……デモ。イツカワスレラレテシマウ」
これほど寂しい声を俺は今まで聞いたことが無かった。
どうしたらいい。
俺は。
俺なら。
「コウタ。俺が書く。この裏野ドリームランドの話を書く。怖い話も楽しい話ももっと書く。だから、
来たことのない人も想像で来る。お話の世界で、この遊園地にこれからも人が大勢来るんや。だから……」
もういつまでもここに居なくてええんや。
「……ソウカ。タクサンノヒトガ、キテクレルンヤナ」
「そうやで。たくさん人が来る。ここは最高の遊園地や。遊園地は楽しい場所。楽しむために行くところ、そうやろ」
「ソウヤ。タノシイトコロ。ソウヤ」
コウタの亡霊は俺とチヨコに微かに笑顔を見せた。
「アリガトウ。リョウジ。チヨコ。オレ、イクワ」
俺は空を見上げる。
夜空に光が登って行く。
そうして俺の友は去っていった。
「楽しかったで。さよならコウタ」
俺は消えゆく輝跡に手を振った。
「寂しいね」
赤みがかった長い髪が、夜の中に輝き揺れる。
「なにゆうてんねん。ここは遊園地やで。楽しい場所や。いつまでも楽しい場所や」
もうコウタの輝きは、星々の中に消えて見えない。
「そうやね。そうやね」
「裏野ドリームランドの話はずっと続くんや」
ふいに夏の空気よりも暖かく俺を包む柔らかさ。
「そうやね、そうやね」
俺を抱きしめる彼女の声は震えていた。
「……ありがとうな」
夏の大気よりも熱い彼女の体を抱きしめながら、俺は何度もつぶやく。
裏野ドリームランドは最高の遊園地だ。
廃園になった一つの遊園地の長い物語が終わり、今俺の中で新しく始まろうとしていた。
「ジェットコースターに乗りたいの!」
少し赤みがかった髪をしたうちの幼い娘は、残念ながら安全規程の身長に足りていない。
「もうちょっと大人になってからにしよね」
ベンチに座らされ泣きわめく娘を妻があやす。
どこ遊園地にも有るような、ありふれて特別な出来事だ。
アトラクションから響いてくる歓声。
明るい音楽。
人々の笑顔。
流行り廃りは仕方がないが、この世から遊園地が無くなることは無い。
遊園地は楽しいところやな。
俺は心の中で呟いた。