とんてんかん
とんてんかん、とんてんかん。
深い深い森の奥。獣道さえない山の奥。
そこに一つの鍛冶場がありました。
そんな鍛冶場にある小さな小屋の中で一人の鍛治師が鉄を叩いています。
その音は木々の間に響きます。毎日休まず響きます。
「お前が何でも作れる鍛治師か?」
ある日、大男が鍛冶場を訪れました。荒くれ者と言ってもいい風体をしています。
しかし鍛治師は無表情のまま頷くと、いつものように鎚を振り上げて振り下ろしました。
男は鍛治師のことなどまったく気にせず言いました。
「俺はなんでも切れる刀が欲しい。作ってくれ」
鍛治師はその言葉通りの刀を作りました。この世に存在する全てのものを切ってしまう刀です。
男は刀を受け取ると満足げに笑いました。
そんな男に鍛治師は報酬を要求します。
鍛治師は『男の30年分の寿命』を願いました。
男は少し躊躇いましたが、不承不承頷いて同意しました。
男はその後、最強の名を名乗り、様々な武人たちを刀で一刀両断していきました。
しかしある時、道の上でばったりと倒れて死にました。
森の奥では相変わらず、鎚が鉄を叩く音が聞こえます。
とんてんかん、とんてんかん。
じゅわじゅわじゅわじゅわ。
火の熱で真っ赤になった鉄が水の中に入れられて、奇妙な音と煙をたてます。
その音がやめば鉄を引き抜き、形を整えてからまた炉の中に戻します。
何回も何回も続くそれ。
延々と繰り返されるものです。
「あなたが何でも作れる鍛治師ですか?」
鍛治師の元に現れたのは一人の少女でした。祖末な衣服を着ていて、その体はかなり痩せています。一歩間違えば、浮浪児と思われてしまうでしょう。
鍛治師が何かを答える前に少女は畳みかけました。
「お願いします!あの男を殺す力を私に下さい!」
少女は復讐を遂げる力を鍛治師に求めたのです。
鍛治師は何も聞きませんでした。ただ、掌ほどの長さがある針を少女に渡しました。
体のどこかにその針で傷をつければ、人は死ぬ。それがどんなに小さな傷でも。
それだけを説明して、鍛治師は少女の左目を対価として望みました。
少女はためらうことなく、それを差し出しました。
少女は道の上で仇の男に近づいて、その針で男の手にほんのわずかな傷をつけました。男は呆気なく死にました。
その後の少女の行方を知る者は一人もいません。
じゅわじゅわじゅわじゅわ。
ごうごうごうごう。
炉の火は決して絶えることなく、燃え続けます。それはまるで煉獄の炎のようです。
鍛治師の目は鏡のように火を映しています。
そこに感情の色は見えません。表情も変わりません。
それでも何かが変わります。
たった一瞬。その瞬間が終われば、いつも通りなのです。
炉の火は相変わらず、勢いよく燃え盛っています。
「貴様が鍛治師か?」
傲慢な口調で傲慢そうな老人は鍛冶場を訪れると、そう言いました。
そして鍛治師を睨みつけると、老人は鼻を鳴らしました。
「私の身を全てから守る鎧を作れ」
命令形でした。頼み事ですらありません。
鍛治師は何も言わずに鎧を作りました。
見た目は普通の服で、そしてとても軽い物です。しかし、それは外敵から身を守る為に作られた最高の鎧でした。
鍛治師は鎧と引き換えに老人の声を求めました。
老人は偉そうに「持っていけ」と言いました。
老人は王でした。
疑り深く陰険な性格でしたので、お世辞にも人望があるとは言えません。
王は声を失ってから更に暗く、そして誰も信用しなくなりました。
鎧で身を守られていた王は天寿を全うしました。しかし臨終の際に枕元に座る者も、その死に涙する者もいませんでした。
ごうごうごうごう。
しゅっしゅっしゅっしゅっ。
鉄が研がれていきます。小気味良い小さな音が静かな森に響きます。
全ての行程を終えれば、鍛治師の作品は出来上がりです。
鍛治師は自分の作品を観察します。上から下から右から左から。
そしてその辺に放り投げておきます。
鍛治師はかなり大雑把なのです。
「あなたが鍛治師の方ですか?」
鍛治師は目だけを動かして、声の主を見ました。
育ちの良さそうな青年です。どことなく高貴な印象を受ける顔立ちをしています。
「あなたが何でも作れる鍛治師なら、一つ作っていただきたいものがあります」
青年は真剣な表情で言いました。
「全てを守れる盾を下さい」
鍛治師は言われた通りのものを作って、青年に渡しました。
そして、いつも通り対価を要求しました。
それは青年の『自由』でした。
青年は自由という言葉の意味がぴんとこないようでしたが、それでも迷わずに承諾しました。
青年は自らの国に盾を持ち帰りました。彼はその国の王子だったのです。
国王に盾を手渡すと、青年はすぐに国を出ました。
「自分は死んだことにして下さい」という言葉を残して。
しゅっしゅっしゅっしゅっ。
一人の鍛冶場は二人になりました。
死人になった青年は鍛冶場に住んで、鍛治師の世話を焼くようになりました。
鍛治師が放り投げた作品を整理し、食事を作り、掃除をします。まめまめしく、甲斐甲斐しく。
鍛治師はそれを黙って受け入れます。
青年には自由がありませんでした。それを鍛治師に対価として捧げたからです。
自由を失った青年は山奥の小さな鍛冶場でゆっくりと日々を過ごしています。
二人になった鍛冶場には、ぽつりぽつりと人が訪れます。
老若男女。その中には異形の者もたくさんいました。
ろくろっ首、体が透けている何か、人食い鬼、河童。
最初の頃、青年はそういうものを見る度に固まっていましたが、段々と慣れてしまい、笑顔でお茶を出すようになりました。
ある日、鍛冶場を訪ねてきたのは山姥でした。
しわくちゃな顔ににたにたと笑みを浮かべながら、山姥は鍛治師に言いました。
「もう少しであんたは終わるようじゃの。その時はそこの男をわしにくれんか?とても美味そうじゃ」
鍛治師は何も言わずに作った包丁を山姥に渡すと、山姥の左腕を引きちぎりました。
山姥はひっひっひっと笑いながら、何事もなかったかのように帰っていきました。
鍛治師はその左腕を炉の中に放り込んでから、作業を再開しました。
青年は血塗れの床を見て、ため息をつきました。
ある日、鍛冶場で一体の人形が作られました。
ついさっき完成した鍛治師の作品です。等身大のそれには、今にも動き出しそうなほどの生気がありました。
青年は鍛治師を見て、人形を見て、また鍛治師を見ました。
とても困惑しているようです。
鍛治師は人形を観察しています。
青年など知った事か、という感じで無視しています。
白いけれど、どこかくすんだ肌。ひび割れた唇。筋肉がついていない細い手足。
鍛治師はあまり美しいとは言えないそれの額に手を置きました。
それはほんの数秒のことでした。
青年は鍛治師と共に過ごしてきました。だから分かったのです。
鍛治師が何かを失ったことを。
人形が目を開けました。
しかし、それは既に人形とは言えません。
なぜなら、それは人だったからです。呼吸をし、行動し、血を流す人がそこにいました。
鍛治師とその人は見つめ合いました。
お互いの目をのぞくように見つめ合います。
先に動いたのは鍛治師です。
ぐるりと回れ右をして、人に背を向けます。そして、鍛冶場と外の境界である扉の前に立ちました。
呆然としていた青年は慌てて鍛治師の側に駆け寄ります。
鍛治師はゆっくりと扉を開けました。
青年は初めて鍛冶場の外にいる鍛治師を見ました。
そこにいるのは鍛治師ではなくなった人でした。
「あなたはあなたを作ったのですか?」
青年の問いに人は頷きました。
「あなたはこれからどうするのですか?」
鍛治師だった人は、ゆっくりと死んでいくのだと答えました。
細く頼りない声が森に響いて消えていきます。
それとは逆に青年の声はしっかりと響きました。
「では、私と死ぬまで共に生きてくれませんか?」
この物語はある国に伝わるおとぎ話です。
不思議な鍛治師のお話をその国に伝えたのは、一人の王妃でした。
その王妃は泣きもせず、笑いもせず、何かを話すことも稀でした。
彼女は王と一緒にいる時だけ、よく笑って話をしたそうです。
そんな王妃が唯一、他の人の前で饒舌に語ったと伝えられているお話が、この鍛治師の物語なのです。
ある山の奥深い所。その一番奥には不思議な不思議な鍛冶場があります。
対価を払えばどんなものでも作ってくれる鍛治師が、そこに住んでいます。
森の奥からはいつまでも鎚の音が響いてくるのです。
とんてんかん、とんてんかん。
私の初投稿作品をお読み頂き、ありがとうございました。
誤字脱字などがありましたら、教えてください。出来るだけ早く直します。
感想にも出来るだけ返信したいと思います。