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この戦いが終わったら、やっと――

作者: 端から泥沼

「ねえ、勇者様。被害を出来るだけ少なく戦争を終わらして、平和に導くためにはなにが必要だと思う?」


 皆が寝静まったある日の夜のこと、勇者とその旅のお供のお姫様は宿の裏庭で佇んでいた。

 魔王軍との激しい戦闘のために、ほかの仲間である女剣士と魔法使いは宿に着いたと思うとベッドにダイブして眠り込んでしまった。

 よほど疲れていたのだろう。夕食も食べずに未だに目を覚まそうとしない彼らがそうだと考えるのは簡単だった。


「なんだよ勇者様って。いつもはそんなに畏まったりしないじゃないか」


 普段は馴れ馴れしいスキンシップまでとってくるお姫様だっただけに、そのギャップについつい勇者は笑ってしまった。

 ちょっとお話をしましょう。

 そうお姫様から言われて裏庭まで着いてきてどんな話をされるのかと緊張していたところにこれだ。

 勇者が笑ってしまうのも自然なことだった。


「も、もう! 私は真面目な話をしようと思っていたのに……ちゃかさないでよ!」

「ほら、もう化けの皮がはがれてるぞ」

「むぅ」


 勇者に指摘されてお姫様は顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。

 そんなお姫様に勇者は苦笑いを浮かべ、お姫様から視線をそらし頬をかいた。


 心地よい風のざわめきが二人の間をかける。

 綺麗なお姫様の髪の毛がそれに合わせて宙を舞った。

 そして、風が止むと同時にお姫様の髪の毛も定位置へと戻っていく。

 それを合図としたか、お姫様は先ほどの中断した話を再開する。


「それじゃあ、ハント。被害を少なく平和にするために、重要なことだとは何だと思いますか?」


 勇者であるハントはその言葉をじっくりと考えることにする。

 お姫様はこのように議題を提示してから様々な人と論じあることを好んで行っていた。

 被害者といってしまうのはお姫様に失礼になってしまうかもしれないが、お姫様のその趣味に巻き込まれてしまった人は多数に上る。

 そして、ハントは当然として勇者メンバーである、女剣士や魔法使いは幾度となくお姫様につき合わされてきた。

 今回もそれだろう。

 しかし、お姫様は相手が気を抜いて適当に語っていると思うと、それは不機嫌になってしまう。

 だから、ハントは普段使わない頭を目一杯働かせるのだが、


(壮大すぎて想像もつかないな)


 完全にお手上げ状態だった。

 そもそもお姫様の望んでいる答えを出さないと、それはそれで酷いことになるので難度はとても高いのだ。


「分からない? これはハントにはすこし難しかったかな」

「くっ」


 屈辱的な物言いにハントがお姫様を見ると、お姫様はふんと鼻で笑っていた。

 声を上げそうになるハントだが、それを知ってか知らずかお姫様はハントの言葉を封じるように口早に言葉を紡いだ。


「それはね、人とのつながりだと思うの」


 ハントはその声が心まで浸透するような気分に陥った。

 どんな呪術師に呪いをかけられてもこんな感覚にはならなかった。

 ハントははっとしてお姫様の顔を見つめる。


 お姫様は穢れない順然な笑みを浮かべていた。

 その顔に悪意など欠片も感じられない真っ白な表情だ。

 しかし、その双眸には強い意志が宿っていた。勇者であるハントにも負けない強い意志が。


 お姫様はハントの反応を待たずに口を動かす。


「つながりって、とても不思議なの。とても暖かいの。……ハントはイザベル領主でのいざこざ覚えてる?」

「ああ」


 お姫様が言っているイザベル領主のいざこざ。

 それはそこの領で起こった領民と領主とのすれ違いによる諍いのことだ。

 領主は領主でイザベル領を愛していて、領民は領民でイザベル領を大切に思っていた。

 しかし、わずかなきっかけではあったがその間で仲たがいを起こしてしまったのだ。


 たまたまイザベル領を通りかかった勇者一行はその諍いに首を挟んだのだが、それにはお姫様が一番張り切っていたのだ。

 話し合うことを恐れなければ解決できない問題はない、というお姫様の信念の下に会合を設けて平和的な解決を導こうとした。

 そして、それは結果的に成功することとなった。


「あのときは領主さんが子供を助けていたことが解決の鍵となった。決して領主さんが領民さんたちのことを蔑ろにしていたわけじゃないという証明になった」

「……そんなこともあったな」

「うん。あれも、つながりだったんだよ」


 つながり。

 それは旅の途中でもお姫様がずっと口にしてきた言葉。

 その言葉に並々ならぬ思いがこめられていることは今までに会ってきた誰しもが理解していた。


 魔王を倒してもいないのに、舞おうがいなくなった後の世の中のことを語るお姫様は現実を直視していない子供のようにも見て取れる。

 しかし、それは現実を直視していないのではなく、先々のことに目を向けていたということだった。

 目の前のことに集中しなくてはいけないが、それと同時に未来のことも考えていないと失敗に繋がることもある。


 だから、お姫様はつながりについて常々語っていた。


「早く平和な世の中になったらいいね」


 ハントはにっこり顔でそう語るお姫様を横目に冷たい風を感じていた。

 あまりにも純粋なその顔を見るのは少しばかり恥ずかしかったのだ。


「ああ、そうだな。……サキ、俺頑張るから、もうちょっと待ってくれ」

「えっ? ごめん、なんて言ったの?」

「なんでもねえよ」

「えー、気になるー」


 普段からお姫様のことを名前であるサキと呼ばなかったので、小さな声でしか出せなかったが、ハントは確かにそれを実現することを誓った。

 そして、サキに抱いている思いもいつか伝えることが出来たらいいなとも思いつつ、そのまま二人で静かな夜空を見続けるのだった。


 そうして、ハントはやがて魔王に致命傷を与え、その誓いを実現することになった。

 世界は魔王軍の残党を狩ることに力を入れることになり、精鋭並みの実力を持った個人が集まっている勇者パーティは駆り出されることになる――。






「サキ! 回復を頼む!!」

「分かった!」


 ハントはすでに走り出していたサキの背中に言葉を投げかけた。

 サキが向かっている先にあるのは一人の男の姿だった。

 それはパーティメンバーである魔法使いで、敵から痛恨の一撃を受けてしまった結果だった。

 勇者であるハントとともに魔王を倒したメンバーである実力者だ。戦闘で油断していたわけではない。 相手が一瞬の隙をついたのだ。

 魔法使いはさきほど受けた攻撃のために壁際でぐったりと力なく横たわっている。背中に傷を負っているのか大量に流れている血が地面で溜まり始めていた。


「『ハイキュア』! どうか間に合って……!!」


 サキが上級の回復呪文を唱えると、魔法使いにかざしている手の指の先から光があふれ出して魔法使いの体を包み込んだ。

 細かい光の胞子が現れるたびに、少しずつ魔法使いの傷が治っていくが、魔法使いはぴくりとも動こうとしなかった。

 それほどの致命的な傷となっているのだろう。

 サキは顔を青くしながら、回復呪文に己の魔力を注ぎ込む。


 ハントは魔法使いの様子を確認しに行きたがったが、それは許されなかった。

 目の前に佇んでいる敵からの圧倒的なまでのプレッシャーによって、視線をそらすことが出来なかったのだ。

 敵を一瞬でも視界から外してしまったら最後、それを隙として強大な一撃を浴びせられることになるだろう。


 そして、隣には慣れ親しんだ気配を感じる。

 視線を通わせることは出来ないが、きっと仲間である女剣士のものだろう。

 今まで幾度も、気配だけを頼りに共闘を行ってきた。


「メア、まだいけるか?」


 ハントは緊張したままの心持ちでそう話しかけると、鈴が鳴るような高い笑い声が聞こえてきた。


「まだまだ余裕だよ。むしろ戦い足りないねえ」


 女剣士であるメアがこの場にふさわしくないほど陽気に笑うので、ハントもそれに合わせて口元を吊り上げようとしたができなかった。


 敵からの圧力によって体が緊張している。

 笑うことによって緊張の糸がほぐれて重い一撃をもらってしまうような錯覚を感じた。


 実際、メアもそうやって軽い調子でハントに対応したが、実際は強がりなのだろうとハントは内心で考える。

 自分よりもレベルが低いものと戦うときですら、無傷で切り抜けることは難しい。

 しからば、この戦闘において現在も無傷でいることは限りなく不可能に近いだろう。

 しかし、傷を受けたからといって弱音を吐いて負けてしまっては、誰がこの敵を倒すことが出来ようか。どれだけの儚い命が摘まれてしまうことだろうか。

 メアは自分にも負けないために、強い言葉を吐いて己を鼓舞してこの死闘に望んでいるのだろう。


 そうして、ハントが剣を握っている手の力を強めた時に、そのくぐもった低い声はハントとメアの耳の奥に響いてきた。


「貴様らはやはり強者だな」


 一気に場の雰囲気がぴりぴりと引き締まる。

 肌で感じる空気さえも痛みを帯びているような感覚。

 その圧倒的な力を持った敵は、ハントとメアが硬直していることのを目に写しながら言葉をつなげる。


「貴様らにだったら、魔王様が倒されるのも頷けるというものだ」


 そこでハントの足場が炸裂した。

 粉々になった岩があたりに散らばって、砂が宙に舞い上がる。

 舞い上がった砂によって視界が悪くなり、ハントはそれを利用して砂に紛れながら剣を思いっきり振り下ろす。


「しかし」


 砂が風によって運ばれて視界が明らかになりメアが視認したものは、敵の背中側に回って完全に視界から外れている位置にいるハントの攻撃を事も無げに受け止めている敵の姿。

 ハントは舌打ちをしてすぐさまその場を離脱する。

 そのまま敵の近くにいることは自殺行為に他ならない。

 現状、ハントとメアが敵を挟んでいる状態ではあるが、敵は眉一つ動かさずに動じておらず、


「それが私を殺す理由となることにはなるまい」


 それを合図に敵から魔力があふれ出す。

 純度が高く強大な魔力は魔法に携わっていない職の人でも見ることができる。

 ハントとメアの目には流れ出して固まった血のようにどす黒い魔力を身にまとった敵の姿が映っていた。

 その迫力はどんな敵と対峙した時よりも恐ろしいもので、これほどの魔力を現実にすることができるこの敵はやはり、


「それほどの実力、やはり竜王の血を引いていることだけあるんだな」


 ハントが敵に投げかけた言葉に、敵は口角を吊り上げることで反応した。

 そして返事の代わりだとでも言うように手のひらから火球を放出して、さらに魔力をコントロールしてある形へと変化させる。


 ハントとメアのもとに飛んできた火球は人間の世界で言うところの中級魔法くらいの威力をもっているようだ。

 二人ともが剣で軌道をそらすことで回避する。

 中級の魔法であるなら、単発がきたところでなんの脅威でもないので、まだ本番は始まっていないということだろう。

 反撃をしかけるために敵の下へと走り出して、その途中でその敵の姿が何を表しているかを理解して息を吐いた。

 嫌な汗も噴出してくるが、走りながら不安がっている心を励ますようにそれを振り落とす。


 そして敵を攻撃可能範囲にいれたハントは反対側からかけてくるメアと目で合図して同時に剣を打ち込む。

 敵は軽々しくそれを魔力の両羽で受け止めて、体を震わせて魔力の波を二人に向けて撃ちだした。


 魔力の波を近くで受けてしまうと脳が揺さぶられてしまう。

 ハントとメアはすばやく敵から距離をとる。

 先ほどの失敗をふいにしないために、今度は二人で同じ方向に跳ねる。

 今の二人の後ろには魔法使いと怪我を治しているサキがいるはずだ。


 ハントとメアが無事に回避したことを満足そうに確認した敵は地上から飛び立つように大きく羽を広げて、風を舞い起こす。


「竜神族の王子、ヒュウガだ。存分に死闘しあおう」


 魔力を体全体に張り巡らして鱗のような外見に構築、その背中には威圧感を与えるような刺々しい翼を二つ生やした竜神族は口の牙を強調するように恐ろしく嗤って赤い目を爛々と輝かせていた。

 戦闘自体を己の生きがいにしているかのような、そんな心の高ぶりが体から溢れていた。

 それをハントは肌で感じてひと時も気を抜けないと再確認して、ヒュウガを完璧に捕捉し続けようとする。

 しかし、ヒュウガは今まで戦ってきた敵たちとは一味も二味も違った。

 ヒュウガは、一瞬、膝に力を入れたかと思うと、瞬きをする間に飛び上がっていて空中に浮いており、ハントとメアを始めたとしたパーティを見下ろして何かを唱え始めていた。

 距離があるために何を呟いているのかはハントたちには分からないが、魔力の高まりから予測するに呪文であるに違いない。


「サキ! 攻撃魔法がくるぞ! いったん、治療を中止して防御魔法を張っておいてくれ! 俺たちも援護する!」

「わたしたちに任しておいてっ!」


 ハントとメアがサキに力強く言葉をかけると同時にヒュウガから魔法が放たれる。

 紅く燃えている無数の岩が空からハントたちに降り注ぐ。

 凶暴な攻撃性をもった魔王にハントは舌打ちをしながら、魔力を剣に注ぐ。


「真の姿を我らに示せ! 『英雄王(エクスかリバー)解放(リバース)』ッ!!」


 それは、魔王を倒した一筋の輝き。

 いかなる敵をも屠ってきた自身の相棒。

 ハントが今までずっとその手で握り、剣を振り続けて、鍛錬してきた結果。


 ハントの手に収まった剣から遠くまでを照らす灯台を超える強い輝きが発生する。

 それはどんな魔法よりも輝度が強く、どんな魔法よりも白い、ハントの努力の結晶だ。


 ハントは降り注いでくる隕石にも似た岩の全てを捕捉する。

 左手でメアに合図をしてから地形を上手く利用しながら、空中へと駆けていく。

 後方でサキが防御魔法を唱えるのを背中で聞いた後に、その力を思い切り顕現させた。


「爆ぜろッ!! 『断罪(イノセンス)』ッ!!」


 その力は別次元からの輝きをこの世に召喚する。

 別次元からもたらせた力はこの世の物質と調和することはなく、反発しあい――塵をも残さず破壊する。


 降り注いでいた岩が全て消滅し、視界が晴れたハントの目に写っていたものは、不気味な笑みを浮かべているヒュウガの姿だった――。





 それからも、まさに死闘といった戦闘が続く。


 一瞬でも気を抜いたとしたら、それが致命的なミスとなって決着がつくのだ。

 ヒュウガは圧倒的に勇者パーティにとって格上の相手だった。

 魔王を倒した後となって、ここまで苦労する相手がいると思っていなかったのは、彼らの慢心だったのだろうか。

 一つ一つの魔法攻撃でさえも、極大級の威力を持っている。それが戦闘能力を持たない人々へと向けられることを考えるだけでぞっとする。


 そして、一瞬の油断――。


「メアぁぁああ!!」


 縦横無尽に飛び回り、ハントたちの狙いを定めさせない動きを保っていたヒュウガが、メアの後ろに回り込み頑丈な尻尾で力任せにメアを吹っ飛ばした。

 ハントはその場面をしっかりと目で見ていた。

 メアは飛ばされる前にハントと確かに目線を交差させていたのだ。そして、その顔は安らかで、全てが終わったかのような静かな顔で――。

 ハントの口から声にならない叫びが漏れているなか、メアが壁にぶつかって轟音が鳴り響く。

 壁の上方にひびが入ってがらがらと壁が崩れ落ち、メアは瓦礫の下に埋まってしまった。


「いやああああ!!」


 悲痛な声を上げながら、サキがメアがいたところへと駆け寄っていく。

 非力なサキに瓦礫の中からサキを引っ張り上げることはできないだろう。

 それでも、サキは今自分ができる精一杯のことをしようと、少しずつ瓦礫を取り除いていく。

 目に一杯の涙をためながら、感情を押し殺そうともせずに、ハントに平和を楽しそうに語っていた彼女は、目の前の現実に抗っている。


「あああああ!! 『断罪(イノセンス)』ッ!!」

「出任せで放った技は当たらんぞ」


 ハントが渾身の力で放つ『断罪(イノセンス)』をつまらなそうにヒュウガは体をずらしてよける。

 緊迫のかけらも感じさせない、ハントの心はぐちゃぐちゃに混乱してしまって正常な判断はできていなかった。


「こちらからも、いくぞ」


 ヒュウガはそう宣言して翼を大きく広げて地上を飛び立つ。爆風で舞い上がる砂が目に入らないように気をつけながら、ヒュウガの姿を目で追っていく。気を抜いてしまったら見失いそうになるほどの高速だ。

 そして、空中で旋回を止めたかと思うと、次の瞬間には急降下。

 ハントの頭上といってもいいほどの鋭い角度で落下してくるヒュウガを見上げることすら難しい。首を上げ続けることは傷ついているハントにとって苦痛だった。

 精一杯の力で後ろに跳ねて、その瞬間にあることを思いつく。

 これだけの急降下、相手がいくら竜神族の腕利きだからといって不可能な動きはあるはず。


 ハントは胸の前にかまえた剣を持つ力を少し緩めて、ヒュウガに気づかれないように口を小さく動かす。

 そして、そのあとに急降下の途中であるヒュウガに向かって嘲り笑う。


「どうした、竜神族の王子。貴様の攻撃はそれだけか? そてなら、次は俺の必殺を受けてみるんだな」


 仲間を傷つけられた怒りを抑えながら笑みを浮かべると、ヒュウガはそれにのっかってきた。


「そんなわけなかろう!? まだ私の追撃は終わらんぞ!!」


 それは身軽な鳥のように、空中を自在に動いていると錯覚するほどの滑らかさだった。

 ヒュウガは真っ直ぐに地面に落ちてきているような体制だったのを翼を上手く利用したのだろう、地面すれすれの航空に持ち直して、後ろへと跳ねていたハントに向かっていた。

 真っ直ぐ、真っ直ぐ――。

 ハントを突き刺すような鋭いつめを前方に、ハントへ真っ直ぐと伸ばし、そのままハントの体に風穴を作ろうとヒュウガは飛行する。


「うおおおお!!」


 ハントはにやりと笑みを作った。

 その顔をみて嫌な空気を感じ取ったのかヒュウガの目が細められる。ハントの出方を瞬間で見極めようとしているようだが、歴戦をくぐってきたハントに対してその対応は今さらであり、手遅れだ――。

 ハントは動体視力と反射神経に全てを任せて、襲い掛かってきているヒュウガの腕を払い、横にそらす。そして、体をぶつける形になったヒュウガに押されるがままに、自然な力の方向に身をゆだねて後ろに飛ばされる。

 ヒュウガとハントの体重差は種族的なさもあり、人間で言う赤子と大人ほどの違いが存在している。

 したがって、ハントとぴったりとくっつくようにヒュウガは前に飛んでいるのだが、ヒュウガはハントの意図が分からずに困惑しているようだ。


 さきほどの笑みの意味。

 それは果たしてなんだったのだろうか。

 とても嫌な予感がしたはずであるが、有効打になったものはない。

 まさか、攻撃を防ぐだけが目的だったのか。


「そんなわけないだろう」


そんな心の葛藤を顔から読み取って、ハントはヒュウガに声をかける。


「俺がこのままお前を殺してやるよ――っ! 前を見な、このまま突っ込んでもらおうか。まあ、おれの体も無事ではすまないだろうが、こちらには優秀な回復師がいるんでな」


 二人が進んでいる方向、それがヒュウガにとっての前であるが、そちらには刺々しい突起がまばらに見える岩石が転がっていた。

 それは、さきほどヒュウガが起こした隕石を降らせる魔法で生じたものだった。

 ハントはつまり、それに突き刺してやる――とそう言いたいのだろう。


 しかし。

 そんなことが、実現するわけがなかった。


「極限状態まで追い詰められておかしくなったのか? 我の羽があれば、あんなもの障害物でもなんでもない。……残念だな。貴様とはもっと楽しめると思っていたが、最後がここまであっけないとは」


 ヒュウガがもはや呆れた声でそんなことを口にする。

 失望と落胆で、その視線はすでに戦闘しているもののそれではなくなっていた。

 道端に落ちている石ころ、放置している間に伸びてきてしまう名前も知らぬ雑草。

 そんなものを見る目と、今のヒュウガの目は同じだった。


 そんなヒュウガに向けて、ハントは。


「俺も残念だよ」

「なに……?」


 訝しげな声を漏らすヒュウガにハントは腰から抜いていた剣の切っ先をヒュウガの腹に触れさす。伝わってくる感覚は、さすが竜神族というような硬く頑丈なものだった。

 ハントは鋭い目線でヒュウガを射さす。

 今まで誰にも負けてきたことのない自信をまとった強い視線に、ヒュウガの体が少し震える。


「羽があるから大丈夫? 俺が知らないわけないじゃないか。見えているのだから。そんなことも分からないほどに奢ってしまったんだったら、それがお前の敗因だよ」

「なにが言いたい」

「つまり、お前は負けるということだよ」


 これ以上付き合ってられないと思ったのか、ヒュウガは前方の岩に衝突しないように旋回を試みるが、そこで体に違和感を感じ取った。

 いや、これは違和感というより、はっきりとした異常だ――。


「束縛魔法だよ。今まで犯罪者に対してしか使ってこなかったが、お前にもちゃんと聞いているみたいで安心したよ。効果をその両翼だけに限定したのが、良かったのだろうな」


 そして、ハントは少し後ろを向いた後、目をつぶって優しい声で喉を震わす。


「その腹に大きな穴を開けてやるよ」


 ハントが目を開けたときに写っていたのは、戦闘が始まってから一度も浮かべてこなかった表情を見せたヒュウガだった。

 ヒュウガに恐怖が張り付いているのを確認した瞬間に、ハントは強大な衝撃に体を打たれて、意識を飛ばした――。






 体中が痛い。


「――……っ」

「……―――あ……――」


 誰かの話し声が聞こえてきた。


 今は何をしていたのだっけ。


 なんでこんなに体が痛いのだっけ。


 俺はどうしてここまで体を酷使したのだっけ。


「ねえ、私の勇者様」


 そうだ――。


「早く平和な世の中になったらいいね」


 俺はこんなところで足踏みしている暇はないんだ。

 早く、起き上がって、ヒュウガの撃破を確認しないと、決して安心はできない。






 そうして、ハントは薄く目を開けた。

 そこに写っていたのは、誰かと話を交わしているヒュウガの姿。

 ヒュウガの腹にはハントの剣が深々と突き刺さっていて、それが命にかかわっている大怪我で間違いなさそうだ。

 現にハントの耳に届いてくるヒュウガの息遣いは荒いもので、手で体を支えながら辛そうに腰を下ろしている。


 己の武器はヒュウガに刺さったままだったが、それでも倒す方法はほかにもあるだろう。

 重い体をなんとかして持ち上げようとした時、鈴のような高い声が耳に届く。


「無様な穴が開いちゃったねえ、ヒュウガ」

「言うな。やつは強敵だった。そして、それは貴様のほうが分かっているだろう? なあ、メアよ」


 どうしてだ――?


「はは、それはそうかもね。ずっと一緒に旅をしてきた仲間なんだもんね。そりゃあ、私のほうが知ってるか」


 なぜ、仲間であるはずのメアが、敵であるヒュウガと親しげに言葉を交わしているのか――?


 ハントの頬を風が撫でた気がした。

 髪の毛が視界をさえぎっていて、うっとうしい。

 まともな思考が出来ないままに髪を払おうと腕を上げると、ハントの体が被っていた岩の破片が多数零れ落ちた。

 そして、それによって響いた音で、ヒュウガはハントを視界に入れた。


「まだ息があったのか」


 そう語りかけてくるヒュウガに構わず、ハントの意識を閉めているのは彼女のことだけだった。

 先ほどのヒュウガとの会話をかんがみるに、彼女はハントたちを騙し続けて一緒に旅をしてきたということ。

 はっきりと確認しておきたかった。メアがハントたち、勇者パーティのなんなのか。


「……メア、お前……は」

「ああ、そうだよ。勇者の敵だよ」


 そう何事でもなさげに、簡単に言い切ってしまうのだった。

 絶句しているハントをよそにヒュウガはかっかっと愉快そうに笑い声を上げた。

 そして、したり顔を浮かべてハントを声をかける。


「メアは我ら、魔族の仲間だということだ」

「く、くそ……がっ!!」


 握りこぶしを握るハントの力はさきほど負った負傷のために弱弱しかった。

 今まで騙してきたメアのことを考えると怒りが沸いてくるが、それよりもどうしてといった驚愕が大きく、そしてハントの心を占める最大の気持ちは悲しみだった。

 笑いあったこともあった。冗談を言い合ったこともあった。どんな困難も一緒に越えてきた――そう思っていた。

 ハントの片方の眼からは涙が零れ出た。

 これまで経験して感じてきたメアの全てがまやかしとなって泡のようにはじけて消えるような気がした。

 ハントはたまらなくなってメアに向かって手を伸ばした。

 メアはそれに反応するように、にっこりと笑みを浮かべながら手を横に振るった。


 ――――シュッ。


 熟練の戦士が思い切り素振りをしたときになるような音がハントの耳に入る。

 あれは確か、剣が風を切裂いたために起こる音だったが、なぜ今起こったのだろうか?

 そう考えた瞬間に、ハントの視界の景色は一変した。


「な……なぜ………?」


 ゆっくりと崩れ落ちていくヒュウガの大きな体。

 ハントは顔に何か温い流体がかかったような感覚を受ける。伸ばしていた手で顔に触れると、今までに何度も感じてきた、しかし決して慣れはしないぬめっとした嫌な感覚が伝わった。

 たまらなくなって息を吸い込むと、その香りが鼻に入り込んでくる。

 それは、錆びた鉄のような匂いだった――。


 ヒュウガは後ろを振り向いて、メアに問いをぶつけようとしたがそれが叶うことはなかった。

 ヒュウガの上半身に下半身がついていくことが出来ず体勢を崩してしまい、そのまま上半身は地面へと流れるように落ちていく。

 ――下半身は、ハントが始めに見た位置からかすかにも動いていなかった。


「ヒュウガ、それは違うね。私は、魔族の仲間でもないよ」


 体が二つに分断されてしまったヒュウガを一瞥してから、メアは動けないでいるハントへゆっくりと近づいてくる。

 ハントは何がなんだか分からずに、メアにかける言葉を選びかねていた。

 そもそも、勇者の仲間でもなく、魔族の仲間でもないといった彼女に、ハントの言葉は届くのだろうか――。


「ねえ、ハント。被害を少なく平和にするために、重要なことってわかる?」

「なっ……!?」


 メアが発したその台詞にハントは首筋に根畏怖をあてがられているような、そんな寒気が襲ってきた。


(その台詞は、あいつの――!?)


 いつのことだったか、姫様のサキがハントに語った夢物語。そのときの会話にあったサキの言葉の一つだった。

 しかも、メアが口に出した言葉はハントの記憶が正しいとするならば、完全に一致している。


「お前、聞いていたのか……?」

「まあ、それに応える気はないかなあ。……それでも、ヒントを上げよう。さっきヒュウガを倒したときに、私はなんの魔法を使ったでしょうか」


 そんなことをいうメアにハントは目の前が真っ暗になるような感覚がこみ上げる。

 相手が魔族とはいえ、自分が殺した相手のことをこんなにあっさりと話題にするなんて、しかもそれをこんなクイズみたいに冒涜した形で躊躇なく話すなんて以前の彼女からは想像もできない。

 今までのメアは幻影だったのだ。悪い夢を見ているような気持ちを抑えながら、メアの問いにハントは答える。


「風、だろう。すばやく剣を振るった時に出る音と同じような音がなっていた。あれは風を切る音だ。だから、風を操ることができる風魔法だと思う」

「あたりー! さすが勇者様だね」

「………………」


 ハントが反応しないでおしだまっているのを少し確認してから、メアは版図のすぐ側で腰を下ろす。


「疲れてそうだから、視線を合わせてみたよ。そう、それで風って言うのはね、音を運んでくれるんだ」


 メアは手のひらの上に小さな竜巻を起こしながら説明をする。

 ごぉぉと小さく音を立てていることから、触れるものを軽く削ってしまうほどには威力があるようだ。

 しばらくしないうちにメアはその魔法を霧散させて、説明を続ける。


「まあ、実践しないと分かりづらいよね。『デリバリー』。風よ、音を運んできておくれ」


 メアが起こす風に合わせてハントの髪がゆれた。


(旅を始めてから風を感じることが多くなったのは、周りに注意をはれているからだと思っていたのは間違いだったんだな……)


 無邪気に外で遊びまわるだけでよかった幼少期に風なんて意識することはなかった。これは誰もがそうだったのではなかろうか。

 そして、勇者としての力を覚醒してから敵に襲われることもあって、周囲にアンテナを張っているゆえに自然のちょっとした動きも感受していたのかと思っていたがそれは思い違いだったようだ。

 メアが幾度となく、ハントのまわりを探っていたということなんだろう。

 情報を集めていたのは、この瞬間の裏切りのために。

 性格や弱点などを性格に確認することが出来れば、それはハントを敵にしたときに優位に立てるのだから。


 思考の海をさまよっていたハントにメアはぱちんと指を鳴らすことで注意を呼びかけた。

 実践しないと分かりづらい、と言っていたが……。風に頬を殴られたような衝撃を受けて、ハントは集中すると遠くにいるはずの人物の声が聞こえてきた。

 それは今にも消えてしまいそうな痛みを堪えて漏れている喘ぎ声だったが、それでもハントにははっきりと誰のものか分かってしまう。


「サキッ!!」

「慌てない、慌てない」


 思わず叫んでしまうハントを暴れている動物をなだめているように背中をさすりながらメアはなだめにかかる。

 絶対的優位な立場から見下ろされている気がしてハントは頭に血が上る。

 背中に添えられているメアの手を乱暴に引き剥がし、重い体を起こしてメアに掴みかかる。


「サキになにをしたッ!?」

「何もしてないよ、死に至るようなことは何もね。ただ、ちょっとやそっとじゃ目覚めないように気絶してもらっているだけさ」

「だからって……いいわけあるか!」

「別に姫様は殺すつもりないから、そんなに荒ぶらないでよ。それに、ハントは今、そんなこと言ってもどうにかする元気なんてないでしょ」


 そういうとメアは蟲を追い払うように手を払い、ハントをはがしにかかった。

 剣士だと思っていたメアだったが、その魔法の力は絶大でハントは簡単に飛ばされてしまう。


 どうしてここまでの力を持っておきながら、こんな悲しいことになってしまったのだろうか。

 どうして……!


「ハントには一応教えてあげようかな。物欲しそうな顔をしていることだし。……私の目的ってやつを、私の答えを」


 メアが言っている答えに対する問題とは、サキが語っていた『被害を少なく平和にするために、重要なことってわかる?』のことだということがすんなりと分かった。

 ハントはもう力を使い果たしているし、力をまた振るうには時間が必要だ。

 メアが語る話を大人しく聞くことに決めて、少しでも体を休めるのに効率がいいように飛ばされたあとで寝転がったまま耳を向ける。

 すぐにメアの鈴のような声が耳に入ってきた。


「私の名前、メアっていうのはね……偽名なんだよ」


 メアはもともと名家のお嬢様だった。

 その家ははるか昔から続く家系を誇っていて、名家の中でも特に位が高く、周りからも恐れられて敬われていた。

 広大な領地には美しく木々が生い茂っていて、領民に圧制を強いることなく幸せな暮らしが続いていた。


「ただし、そんな暮らしも魔族が攻めてくる前までだった」


 魔王が現れて戦争状態に陥ってからは一瞬だった。

 激戦地から近かったメアの領地はすぐに戦火に飲まれて、そこにいた人たちは魔族たちに次々と殺されていく、まさに阿鼻叫喚の地獄のような惨状が訪れた。

 どこを向いても目を背けたくなるような凄惨な死体が転がっている。人間だけでなく、そこで育てられていた家畜や共生していた野生動物たち。全ての命が刈り取られていた。

 一握りの場所がそうなっているのではなく、ほぼ全ての場所でそうなっており、おおよそこの世に存在していることすらも疑問に思いたくなるような、現実離れしている風景。

 そこまでの命を散らそうとしていたものたにとって自然も例外ではなかったらしい。

 以前の面影は何も残っておらず、ただただ焼け野原が広がっているだけだ。同じ場所で地団太した時に地面が平らにされたのと同様で、遠くの景色まで見ることが出来るほどだ。

 美しかった木々も燃え尽きてしまい、笑顔が溢れていた領民もほとんどが死に絶えてしまって、メアの家族も敵の手にかかろうとしていた。

 しかし、人間なら仕方のないことだが、メアの両親は命を惜しんで重大な過ちを犯してしまう。

 魔族も高い知性を持っているので、そうなるように精神的に追い詰めたのかもしれないが、それでもメアの家族が行ったことは人間側を窮地に立たせるほどの反逆行為に値した。


「それは、人間側の戦力に関する機密事項を魔族に与えて命乞いをすること。うちの家はかなり中枢まで入り込んでいる人がいたから、人間の戦力や個人で強い人の情報みたいに重要だったことをぺらぺらと話しちゃったんだよね。まあ、隠れて見つからなかった私以外ほとんど死んじゃったんだけど」

「まさか、お前……ミスティル家の……」


 その名家をハントは知っていた。いや、ハントに限った話ではなく、人間であるならその名前を知らないものは射ないだろうといえるほどの知名度を持った名前。

 その名前が広がった理由は、メアの語るとおり人間という種族への反逆だった。

 彼らが漏らしてしまう情報によって人間は魔族に大きな遅れをとることになり、犠牲者も多数にだしてしまった。

 当時、負けることはないだろうといわれていた剣豪も、彼よりも知略が廻るものはいないといわれていた戦略家もあっけなく殺されてしまったと聞き、震撼の思いを抱いたのを思い出す。

 しばらくの間も開かないうちに、それの原因がミスティル家の情報漏洩だということが明らかにされて、ミスティル家の人間は世界中で指名手配をされる。

 ミスティル家の一族は魔族に大半を殺され、手配されたことにより残った人物も反逆罪で捕らえられて処刑されてしまったと聞いていたのだが……ハントは驚きが篭った視線をメアに向ける。

 ここにその生き残りがいようとは。


「それから名前を捨てた私は全てを憎んだ。破壊衝動が心のそこから湧き上がって、怒りに任せて何もかもを壊しにかかった。そうするうちにいつの間にか実力がついてしまってたんだろうね、傭兵団にスカウトされたよ。傭兵団で活躍して、そこそこの立場を獲得して好き勝手に過ごしてたときに、勇者たちと出会った」

「メア……」

「黙っててよ、勇者。私が勝手に喋りたいだけだし、それにメアっていうのは私の名前じゃないよ」


 大々的に処刑されてしまったミスティル家の一員である彼女の耳にはたくさんの憎悪の言葉が入ってきた。


 あいつらが大人しく殺されていれば私の夫は死ぬことはなかったのに……。

 今まで税金でのうのうと暮らしていた連中はこれだから心が弱いんだ。

 人間の恥さらしめ、魔族たちもきっと笑ってる。


 彼女は悪い悪夢だと思った。

 いい子でなかった彼女に罰を与えて、こんな苦しい思いをさせているのだと。

 しかし、時が経つにつれて、その感覚は薄れていくことになった。


「運が悪かっただけだと思う。魔族が何処から攻めてくるかなんて分からないし、一番初めに被害を受けたのはミスティル家の領地だった。覚悟も出来ていない状態で首筋に剣を添えられたら、心がくじけちゃっても別におかしいことはない。……命乞いをしたからといって一方的に責めるのは違うはずだ。だから、私は勝手ばかりいう人間の悪夢になってやろうと思った。私の見るこの世界を、現実を悪夢にしてしまった人間たちに対する復讐だよ」


 ハントは言葉が見つからなかった。

 メア――本人は違うといっているがハントにとってはメアでしかない彼女の言葉はハントの心に響いてくるが、本当に理解をすることができる存在はこの世界の何処を探してもいないだろう。


「まあ、魔族と関わったのは人間に悪夢を見せるためで、さっきヒュウガを殺したのは、魔族は私の悪夢だから。これで魔族はほぼ全滅することになって、私は夢から覚めたよ」

「……じゃあ、お前の復讐は終わったってことだよな」

「まだだよ」


 これで、終わりにしよう――また、旅をしていた頃みたいな関係に戻ろう、そんなハントの思いは一瞬で砕け散ることになる。


「ここまでは私の自己満足だよ。これから、私の復讐は幕を開ける」

「な、んで――?」

「だって魔族を倒したままだと、ハッピーエンドで終わっちゃうじゃない。私の復讐は……まあ、目的と言い換えてもいいかな。そして、それは、私自身が人間の悪夢となること。そのために勇者パーティに入ったんだから」


 口をぱくぱくとして肝心の言葉を話すことができないハントの頬を撫でながらメアは目をつぶる。


「やっとここまでこれた。私は大事な人を失ってしまった傷心の姫様を優しく包み込んで国を自由に動かす。そうして徐々に不幸を浸透させていける」

「しょ、傷心って……なんだよ」


 やっとの思いで疑問を投げかけたハントにメアは微笑んだだけで立ち上がってハントのもとを離れていってしまう。


「お、おい!」

「さよなら、勇者」


 背中にかけられた言葉に腕を振るうことで返事をして、後ろを見ることはせずにメアは歩みを進めた。

 一瞬だけ不快な音が耳に入っただけで、そのあとはなにかが聞こえてくることはなかった。

 聞こえてくるのは自身が操っている風の音だけで、とても静かだ。


 風の力を利用して、時間をかけずに気絶しているサキの側までよると、どのように現状を説明するかを考えながら、サキを目覚めさせることにする。


「勇者であるハントはともかく、魔法使いの……あいつ、名前なんだっけ? まあ、いいや。あいつが死んだ理由を考えるのが面倒だなあ」


 そんなことを夕飯の献立を決めるような気軽さで呟きながら、サキの隣に座り込む。

 自分でやったことだが、サキは体に受けたダメージのために、辛そうに息を吐いている。


「あっ、そういえば、答えてなかったなあ。あの、質問について。……けど、勇者死んじゃったから、仕方ない」


 そうして、もう心配事や忘れ事はないと確認したところで、メアはサキの体を揺らし始める。


「サキ、サキッ! 勇者が……勇者が、私たちを守るために……!!」


 さあ、ここからが本当の物語の始まりだ。

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