Ep-2 公安部保安1課第5395小隊 #1
公安部保安1課第5方面第3地方第9地区第5小隊、通称"5395保安小隊"。エミリナの仕事場だ。保安1課は主に地下世界の警察を担当する部署。しかし、軍が警察権を持っている、というのは長すぎる名前と同じくらいの突っ込みどころであるとエミリナは常日頃から思っていた。まあ長すぎる部隊名はある程度救いがあって、行政区と保安課の管轄、小隊番号と管轄の街区番号が共通のもの。ちなみに5395街区は、そのモデルとなった街に因み「市ヶ谷」と呼ばれている。
仮眠室のベッドにごろんと転がり、枕元の拳銃を手にとる。コルトM1911A1「ガバメント」、エミリナの父によるデチューン品。思い出すのは、45口径なんて年頃の娘が使うもんじゃない、と言った時の母親の苦笑い、俺が売った銃で怪我した奴はいない、安心して使えと鼻高々な父の表情。まあ、その後通った士官学校には50口径弾を片手で撃ち放す化物少女もいたのだが。
抜弾を確認し、時計の文字盤に照準を合わせる。現在午前6時半。あと1時間半で宿直業務が終わり、2日後からは3日間の帰省休暇である。
よかった、今晩も無事に終わってくれる。そう思った矢先。
「5番通で強盗発生、刑1に出動命令。第一種装備でハンガーへ集合せよ。繰り返すーー」
刑1に、のあたりでロッカーを開け、素早く防弾チョッキとヘルメットを装備する。ホルスターにガバメントとスタンスティックをしまい、バイクのキーを取って格納庫へダッシュ。モデルの地域と対象的に治安の悪いこの市ヶ谷で刑事班に所属するエミリナにとっては、防弾装備などする方が当たり前、「第2種装備」と聞いてなんだ今日は被疑者銃持ってないんだと驚くほどだ。
以下、刑事1班長ローの手早い現状解説と今回の作戦。
「被疑者は5番通を赤い自動車で北へと逃走中だ。俺とジュン、ミコは北から頭を押さえる。エミリーとカマは退路を塞げ。以上、状況開始!」
隊舎から5台の白い二輪車が出て行く。外から見たら壮観かもしれない。しかしエミリナは、事件に集中しながらも同時に違うことも考えていた。
なんでみんな、本名で呼んでくれないのだろう?
『前の赤い車、左に寄って止まりなさい。止ーまーりーなーさーい』
逃走車両はスピードを緩める様子は無い。
「ですよねー……」
カマは大きく溜息をついた。隣をちらりと見ると、エミリナは表情一つ変えないでいる。バイクに乗ると複数の物事を同時に考え始め、見た目やたらと冷静というか無感情になる、という変な癖を持った1つ年上の保安官は、どうやら始めから止まるとは思っていなかったようだ。
"後輪を撃ってバーストさせろ、機動力を奪う"
班長の指示通り、カマが支給品のS&W M19でタイヤを狙う。ぱぁん、ぱぁん。しかし自動車の動きに変化は無い。
「あー、ダメですね、あれ。昔、日本で製造されてた『一度パンクしても走り続けられる』っていう触れ込みのタイヤですよ」
初めてエミリナが口を開く。そんな便利なものがなぜ地下で普及していないのか気になったが、今はそれどころではない。
"何とかしてスピードを落としてくれ、このまま突っ込まれたらバリケードが保たん"
「だ、そうです、エミさん」
正直自分がなんとかできるという自信は全く無い。
「……多少物的損害が出るかもしれませんが」
"始末書3通までならカバーしてやる"
班長の言葉を聞き、エミリナが今まで無表情だった顔に笑みを浮かべる。カマは何故か本能的な恐怖を覚えた。
「カマちゃん、バックアップよろしくね〜」
そんなことを言いながらぐんぐんスピードを上げ、やがて被疑者車両と並走していた。
左手でスタンスティックを引き抜きーー保安官はバイクに乗りながら左手だけで作業するため、ホルスターは全て左利き用だ。左手で拳銃や警棒を扱う訓練はそれはそれは過酷、しかもそれができないと保安官になれないため教育部の保安官課程は裏で「左利き養成所」などと呼ばれているのだがそれはまた別の話ーー、驚くことに右側を走る車のボンネットに飛び移った。
ライダーを失った単車がバランスを崩し、倒れて止まる。「ちょっと、エミさんーー」そんなカマの声が聞こえるが、構わずスタンスティックを展開し、逆手に握る。
運転手、すなわち被疑者の顔が恐怖で歪むのが見える。その恐怖は先ほどカマが抱いたものとほとんど同じだったのだがエミリナはそんなことは知らない。大丈夫よー、殺したりしないから。胸中で呟いて、左手のスタンスティックを振り上げた。
保安1課が制式警棒としてエルノ社が製造するスタンスティックを採用した理由は大きく二つある。
ひとつ、人間を死亡させず、かつ確実に失神させる適正電圧を得られるような、微細な調節が効くため。
ふたつ、車のボディくらいなら貫通してもへこたれない、頑丈な素材で作られているため。
今正に、その理由が両方とも正しかったことが証明された。
エミリナがボンネット上部、フロントガラスのすぐ前に突き立てたスティックはボディと制御コンピュータの外装を貫通。基盤に軽く触れると、回路をショートさせるに十分な、かつエンジンやガソリンタンクを爆発させない絶妙な電気量をスパークする。アクセルもブレーキも効かなくなった自動車はそのまま直進し続けーー、しかし、急制動した。ガラスを破ったエミリナが被疑者に銃を突きつけると同時に、この車種唯一の機械ブレーキであるサイドブレーキを引いたのだ。
「はいはーい、一丁上がりっと。困るよねー最近の機械は、みんな電子制御で。まあこっちはキミが機械ブレーキが付いた車に乗っててくれて助かったよ。……あ、そうだ、強盗容疑で現行犯逮捕です」
被疑者の方もまくし立てられて抵抗する気力を無くしたようだ。しばらくして、ローとジュンの二人に挟まれて連行されていった。
「……なんか、すごかったです」
カマが恐る恐るエミリナに声をかける。
「んー、どしたのー?」
「いや、エミさん、だいぶ慣れた感じだったじゃないですか」
先輩保安官は遠い目をして笑った。
「いろいろあったのさ、君の来る前の1年に」
そう言いながら銃のセイフティをかちかち動かしているあたり、あまり良い思い出ではないらしい。
「世の中にはいろーんな人間がいるんだなー、これが。私やカマちゃんは保安官だし、私の友人には偵察兵もいるよー。私の父は商人だし、母方の祖父は職人。お隣さんは農家だし、向かいのおじさんは運転士をしてたかなー。私は学がないから学者なんかには到底なれなかっただろうし、今大学にいる工学部生は軍に入るつもりなんて到底ないだろうねー。」
あ、入ろうと思っても体力検査で弾かれるか。でもね、と言ってエミリナは続ける。恐ろしく寂しい笑顔だ。
「全ての人間がなれる、なってしまうかもしれないものが一つだけある。なんだと思う?」
笑顔に込められたものが寂しさを超えてきた気がして、カマは空恐ろしく感じ始めた。
もちろんカマは答えを知っている。保安官課程の教科書の前の方に載っている有名な言葉だ。どんなに金持ちでも貧乏でも、いかに高貴でも下賤でも、全ての人間は犯罪者たり得る。だからこそ、保安官は全てを信じつつ、全てを疑わなければならない。分かってはいるけれど。
「入隊1年目にして、私はそれを思い知ってしまったわけだ。……そんなことがあったなら、君、自分の技術を磨かざるを得ないよねぇ」
今年入隊したカマには、何があったのかわからない。でも、きっと、この先輩はその事件で、とても辛く、悲しく、そして寂しい思いをしたのだろう。
不意に、エミリナの顔から寂しさが抜け落ち、ただの明るい笑顔になった。
「いっけない、思わず先輩風吹かせちゃった。さっ、シケたのはおわりにしよ。あったかいお風呂とおいしい朝ごはんが我々を待っている!帰るぞカマちゃんっ」
倒れた大型バイクを立て直した彼女は朝日を模した光を背に受け、ぱちんと片目を瞑った。
「……ああ、3通じゃ足りなかったんですね」
ローがエミリナのオフィスデスクの上に置いていったという、2枚の紙。たぶん、というかどう見ても、『始末書』の原稿用紙だ。
『済まんエミリー、地区中隊長と整備班長だけで済むと思ってたんだが、地方連隊の方がネチネチ言ってきやがった…連隊の方は俺がどうにかしとくから、中隊長と整備班長の方は自分で片付けてくれ』
まあ2通で済むのが奇跡だろう。官給品の大型二輪車の破損、被疑者の乗車した車両のボンネットと制御回路、フロントガラスを破壊、その上被疑者に拳銃を突きつけて確保などしたのだから、もし班長の許可がなかったらそれこそ20通ではきかなかったほどの暴れようだ。小隊長には感謝せねばならない。
「でも始末書2通かあ……こりゃ、帰省の電車ギリギリまで仕事かなぁ」
一つ、大きな伸びをすると、ペンを執って上官への謝罪文をさらさらと書き始めた。
「じゃあ、あとはよろしく頼むよ」
始末書も書き終わり翌日。正午から帰省休暇だが、時刻はすでに13時を回っている。隊長室への申告は省略せよという旨の通告を受けているので、同僚への引き継ぎが終わり次第リニアトレインの駅へ直行するつもりでいた。
「はい、了解です、エミリナ三等保安官」
敬礼を返すのは後輩のカマ。現在は四等保安官だが、来月の昇格試験を受けるという。やれやれ、追いつかれてしまうな。エミリナはある意味、この優秀な後輩に大きな期待をしていた。もしかしたら、この男は大物かもしれない。少なくとも私よりは出世街道に近い場所にいるだろう。そこでふと、エミリナは思い出した。
「そういえば、昨日から思ってるんだけど」
言われたカマの方はきょとんとしている。
「……なんで誰も私を本名で呼んでくれないんだろうねぇ?」
「ま・さ・か、昨日出動した時、そんなこと考えてたんじゃないでしょうね」
図星をさされて言葉がつまる。同時に笑いがこみ上げてきた。全く、こいつにはかなわないな。
そんなことないよー、といいつつ、隊舎のドアに手をかける。
「いってらっしゃい」
カマの見送りに、肩越しで手を上げ。
13時半のトレインに乗るため、通勤用のバイクを全速力で駅へと飛ばした。