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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第2章 フリーダム
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フリーダム47

 ジュリアは呆然としてリョウを見つめた。男から葡萄酒の壜を差し出され、耳元で何かささやかれた彼は突然顔色を変えたのだ。まるで思いも寄らぬことを知らされたときのように。

 ジュリアは感情をそのまま表に出しているリョウを見て、改めて彼は今まで自分の感情をそのまま外に表していなかったことに気づく。確かに笑ったり怒ったりはするが、それは一つクッションをおいてのことだったのかもしれない。こんな風に動揺した感情をそのまま外に出すということは、それだけその衝撃が大きいということだ。

 さすがにアリシアーナもリョウの変化に気づいたようだ。なにが起こったのか分からない様子で、こちらに視線を向ける。一方エディは興味深そうにリョウを見つめていた。

 男が差し出した壜を受け取ったリョウの手が震えている。そのこと自体ジュリアには信じられない光景だ。リョウは何かに迷っているようだ。そしてその答えを見つけようとするかのように手にした壜を見つめている。いったいなにがあるというのだろう。たかだか一本の葡萄酒なのに……。男は再びリョウの耳元でささやいた。不思議なことにそれほど大きなテーブルではないのに、男の声はジュリアには聞こえなかった。しかしリョウにははっきり聞こえているらしい。リョウは何かを決心して、手にしていた壜をテーブルに奥と、男を見上げ

「確かに君のいうとおりだ。彼女は意味のないことはしない。会わせもらえるか?」

 男は大きくうなずいた。

「向こうにいらっしゃいます。あなたなら自由に入ることができます」

 立ち上がったリョウはジュリアたちに、

「ワインの礼を言ってくるよ。俺のことは気にしないで料理を注文して腹ごしらえをしておくといい。ダグラスがきたらすぐに動くことになるかもしれないからな」

「えっ? ……ええ」

 と応たものの、ジュリアはまだ驚きから抜け切れていなかった。リョウが向かっていこうとする暗がりに目を走らせる。かなり神経質になっていたのに、葡萄酒が届いた最初の驚きが去った後のリョウは、すっかり落ち着きを取り戻していた。

「銃を預けよう」

 リョウが腰から銃を抜き取るのを見てジュリアははっとした。このアルテアは帝国に占領されている惑星だ。いつ襲撃されるかわからない。しかもリョウにとってこの店は来たこともない場所で、彼を案内している男も面識はないはずだ。知っている人物なら警戒はしなかっただろう。でも彼はあの葡萄酒の一件以来、完全に警戒を解いている。銃を預けるほど信頼できるというのだろうか。だが男はその銃を受け取らなかった。

「銃はお持ちください。あなたの資格はまだ取り消されていませんから」

 リョウが驚いたように男の顔を見た。

「なぜ、まだ残っているんだ? 俺は敵に回った男だぞ」

 男は肩をすくめた。

「あの方がなにを考えているか、私には知りようがありませんが、しかし最初からあなたは自分の立場を明確にされていたのではありませんか? それでもなお、あなたは銃を手にしている。要はそういうことだと思います」

 不思議な会話だった。ジュリアはリョウが再び銃を自分の腰に収めるのを確かめた。自分の知らないリョウの世界をかいま見たような気がした。それはジュリアには立ち入っていくことのできない世界だ。


「ジュリアさん、何か食べませんか? リョウの言葉じゃないけど、食べられるときに食べておかないと、次の行動に支障を来すかもしれませんよ。見てください」

 エディがまるで何事もなかったかのように、ジュリアの目の前にメニュー表を広げた。紙一枚の簡単なものには、サンドイッチが数種類と飲み物しか書いていない。

「エディは気にならないの?」

 ジュリアはまずアリシアーナにそのメニュー表を渡した。

「なにがですか?」

「リョウのことに決まっているでしょう。彼、銃を預けようとしたのよ」

 エディはアリシアーナのところにあるメニューをのぞきながら、

「それだけ安全だと判断したのではないですか? もっとも別の理由があるのかもしれませんが……」

 アリシアーナが二人の会話を聞きながら、メニューを決めると、エディはジュリアに再びメニュー表を渡して

「このクラブサンドはおいしそうですよ」

 と勧める。ジュリアはリョウのことなど全く気にもとめていない様子のエディに向かってわざとらしく大きくため息をついて見せてから、勧められたサンドイッチを注文することに決める。

 エディは早速、暗がりからでてきた男を呼んで、サンドイッチの注文をする。ジュリアとエディは鶏肉の入ったサンドをアリシアーナはハムとチーズのサンドを選んだ。

「お飲物はなにになさいますか?」

 注文を書き留めていた男が顔を上げて尋ねる。アリシアーナはオレンジのフレッシュジュース、ジュリアはコーヒーを頼む。

 男の目がエディに向けられた。エディはゆっくりとメニュー表から目を離し、男の視線を受け止めてから、

「ディアパール産の紅茶はある?」

「申し訳ありません。ディアパール産の紅茶は取り扱っておりません。ですが、カインツァ産とケルロス産の紅茶でしたらご用意できます」

 エディは少し考えてから、

「ケルロス産の紅茶にする」

「かしこまりました。ところでミルクかレモンはご入り用ですか?」

「いや、ミルクもレモンもいらないよ。ありがとう」

「ミルクもレモンもなしということで、承りました」

 カウンターに戻っていく男の背中に視線を向けていたジュリアがエディを見た。

「どうしたんですか?」

 エディが怪訝な顔でジュリアを見返す。

「あなたがそんなに食べ物にこだわるなんて今まで思いもしなかったわ」

 エディは肩をすくめて

「フリーダムの食事ではこだわりようがないじゃないですか」

 その言葉にはジュリアも反論できない。おいしいとはお世辞にも言えない食事だが、ニコラスが苦労してくれているおかけで、何とか乗組員のおなかを満たすことはできた。ニコラスが補給のことで四苦八苦しているのを知っているから、誰も文句を言わないのだ。

 ジュリアは水を飲みながら、アリシアーナを密かに見た。王女でとても大切に育ってきただろう彼女も、気まぐれに乗り込んだのだろうけど、その割にはあまり弱音を吐かずに同じ生活をしようとしている。その彼女はリョウが消えた暗がりを気にしている。アリシアーナにとってリョウのことはなによりも気にかかるのだ。彼女があえて不自由な生活を送っているのは、そうすることでリョウの側にいられるからだ。彼女は間違いなくリョウに恋をしている。リョウは彼女の身近にいる男性、リチャードとはまるで違う。なにより彼女を特別扱いしない彼の態度にアリシアーナは惹かれた

「なに、考えているんですか? サンドイッチがきましたよ」

 エディの声に思考が中断されたジュリアに香ばしいコーヒーの香りが届く。おなかが急に空いてきた。

「ありがとう」

 持ってきてくれた男に笑顔を向けたそのときだった。

 突然、あの暗がりからリョウの屈託のない笑い声が聞こえてきた。

 サンドイッチに手を伸ばしかけていたジュリアは、その手を思わず暗がりを見た。その顔には驚きがそのままでている。アリシアーナもエディもはっきりとわかるほど驚いて振り返っている。なぜか料理を運んできた男までびっくりした顔で振り返っていた。

 笑い転げているようなリョウの声をジュリアは初めて聞いた。静かな微笑みを浮かべてるか声を立てるにしても静かに笑うリョウが、こんな風に笑うことなど今まで一度もなかった。

 いったい、あそこにいるのは誰なのだろう? リョウを心の底から笑わせることができるのは……。


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