ヒューロン09
そこは何かの制御室のようだった。目の前は一面スクリーンが占めている。ハーヴィがわずかな明かりを頼りにスイッチを入れると、装置が起動する時のうなり声が聞こえ始めた。スクリーンが映しているのは暗い空間だ。その雰囲気は宇宙艦艇を修理するドックに似ている。
彼が帝国に反逆者として捕らえられたのは、ちょうどこういう場所だった。仲間たちか帝国の最新鋭艦を強奪し、自由の宇宙へ旅立つのを宇宙港のコントロールルームからから見送ったのだ。後ろでは憲兵たちが、原始的な方法でドアを焼き切る音が聞こえていた。あの音がやんだときが、リョウの終わりであった。リョウは対抗措置をとることもなく、ただそのときが来るまで仲間たちを見送っていた。抵抗したところで多勢に無勢なのだ。艦の係留をコントロールルームから解除しなければならないとわかった時点で、覚悟を決めていたことだった。そのコードを知っているのはかつて戦闘艦を指揮した彼だけだったのだ。
「見てください」
ハーヴィの言葉にリョウはハッと現実に戻った。彼がスクリーンに目を向けると暗闇に閉ざされていた空間は次第に明るくなり、そして驚くような光景が広がっていた。
「街……なのか?」
リョウはそれ以上言葉が出なかった。大小さまざまなビルが建ち並び、その間を大きな通りが貫いている。その先には山々が見える。太陽の位置から見て昼時なのだろう。ビルから出てきた人々が通り並べられているテーブルを前に、思い思いの食事を注文している。別の一角では風船売りが通りがかった子供に風船を渡している。小さな街ののどかな一日だ。ここはヒューロンではない。だがどこか懐かしい。通りにアイスクリーム売りの車が止まる。その車体に描かれているロゴを見て、彼はその街が自分の故郷マリダス、しかも彼が住んでいたところにもっとも近い街であることに気づいた。子供の頃、父と母は特別な日に彼をここに連れてきては、あの古めかしい宇宙船のマークのついた車のアイスクリーム売りからアイスクリームを買ってくれたのだ。決して裕福とはいえない両親にとって、これが彼のために出来る精一杯の贈り物だった。この光景を見るまですっかり忘れていた懐かしい思い出だ。だが、なぜ?
「いったいどういうことなんだ?」
彼は思わず声を荒げていた。なぜか心の中を暴かれたようでいい気分ではない。しかしハーヴィはそんな彼の思いには全く気づいておらず、
「これはみんな、立体映像なんです。より実践的に戦闘訓練を行うために我がグラントゥールが開発したものなんです。これは市街戦用です。これらのものは映像ですがほとんど実際のものと変わりません。建物を通り抜けることは出来ませんし、透視することも出来ません。建物の中に入りたければドアや窓からなら入ることも可能です。その場合はまた映像が変わりますし、人は撃たれれば倒れます。もちろん対応するのはコンピュータですけど」
ハーヴィの顔はグラントゥールの技術力の高さをまるで我がことのように喜んでいるようだ。ただ単純にそうなのだろう。ここに映し出されている映像はたまたまマリダスに似ているだけにすぎないのかもしれない。
「中に入ってみますか?」
ハーヴィがリョウを振り返った。
「食べ物は食べられないし、あそこの風船もあなたは手に出来ませんけど、ヒューロンではない別の街の雰囲気に浸るのも悪くはないでしょう? 設定されている季節は……」
彼はパネルの表示を見た。
「春ですね。雪と氷に覆われているヒューロンではあり得ない季節です。たまにはいいんじゃないですか?」
ハーヴィの言葉は甘い蜜のようにリョウの心に響いた。マリダスを出てから宇宙暮らしが長く、たまに惑星に降り立っても、ゆっくりと街を散策する時間はなかなかとれなかった。しかも最近は白一色のヒューロンでの採掘所と収容所の往復の生活しか知らない。
「ではこれをお持ちください」
街に降りると決めたリョウの前にハーヴィが差し出したものは銃だった。一瞬、なぜという思い彼によぎった。
「ここは特別訓練室なんですよ。しかも市街戦を想定しています。だからこれは必需品です。敵はコンピュータが操作していますが、武器の威力は本物と遜色はないと思ってください。訓練者が死んだり怪我をするのは本意ではないので、敵の攻撃はしびれたり麻痺したりする程度です。怪我の重傷度によっては体がしばらく動かなくなる程度の麻痺が起きます。心臓は悪くないですよね?」
「その心配はないよ」
「ではこれをつけてください」
再びハーヴィが差し出したのはリストバンドだ。
「これは麻痺の具合を調整する装置です。またあなたの体になにか異常が起きたらすぐに訓練が中止されるための安全装置でもあります」
「わかった」
リョウは左手にリストバンドを取り付けると
「きみは来ないのか?」
とハーヴィを見た。
「わたしにはまだ早いです」
彼は笑って首を横に振った。
リョウが指示されたエレベーターに乗り込むとすぐにドアが閉まり、降下が始まる。思いのほか長い。しばらくして軽い衝撃があり、金属のドアが左右に割れた。そのとたん、懐かしい街並みが広がる。どこからともなく吹いてきた風が、ローゼンヌの香りを運んできた。ローゼンヌはマリダスではごく当たり前に咲いている小さな花だ。そのさわやかで甘い香りが、帝国では高級な香水の原料となるのを知ったのはマリダスを出てからだ。ほかのどの惑星にもないその香りに誘われるように、リョウは足を踏み出した。そのとたん、エレベーターのドアが閉まる。思わず振り返った。
「参ったなぁ」
エレベーターのあったところは、今や何の変哲もなビルの壁と化していたのだ。しかも同じようなビルがいくつも並んでいる。この場を離れてしまえば、どこにエレベーターの入り口があるのかわからない。辺りを見回したリョウは道ばたに石が転がっているのを見つける。それを目印にしよう、と手を伸ばす。だが、堅い感触はあるものの手が突き抜けてしまい採れない。これも映像なのだ。あまりにも本物そっくりなので脳が錯覚しているのだ。
「それにしてもグラントゥール人というのは……」
リョウは実戦訓練のためとはいえ、ここまで精巧な映像を作り出すグラントゥール人のやり方に驚くと同時に呆れた。ここまでする彼らの執念は並外れている。
リョウは改めて手にしている銃を確かめた。ハーヴィはあのコントロールルームでこれから起こる戦いの様子を見ているはずだ。彼は今、リョウからいろいろなことを吸収しようとしている。そんな彼の前で無様な姿は見せられない。
「ねぇ、ママ。あれはなあに?」
花屋の前に立っていた小さな女の子が彼の銃を指さしている。
「実によくできている」
リョウは軽く頭を振りながら、銃を背中のベルトに押し込み、上着で隠した。
「よくなじんでいますね。こちらからでは見分けがつきません」
花屋を通り過ぎ、パン屋の前に来たときだった。突然リストバンドからハーヴィの声が聞こえた。リョウは足を止める。
「驚かすな」
「すみません、この扱いになかなか慣れなくて……」
「こいつは通信機にもなるんだな」
「ええ、何かあれば連絡をください。もっともそうしょっちゅう連絡をもらったら訓練にはなりませんけどね」
「ああ、わかっている」
リョウはパン屋に入ろうとした客が不審そうに見たので、慌てて歩き出す。街中をそぞろ歩くリョウは、それがただの映像に過ぎないと思いながらも、自分がその世界に入り込んでいくのを止められなかった。
路地から駈けだしてきた子供たちがアイスクリーム売りの車の前に並ぶ。通りの向こうではカフェでくつろぐ老夫婦。のどかな何の変哲もない風景。
だが次の瞬間、上空に現れた強襲用シャトルによってそれは突然、終わりを告げた。街はシャトルから放たれるミサイルにがれきの山とかし、先ほどまでくつろいでいた人々は血を流し道ばたに倒れている。そしてシャトルからは次々と兵士たちが降りてきて、無差別に人々を撃ち殺している。リョウは心の奥底に怒りの炎が沸き上がるのを感じた。そして銃を引き抜くとその一人に向かって、引き金を引いた。青い閃光が兵士の頭を撃ち抜き、兵士はゆっくりと倒れる。
それを見届けることもなく、彼は次の標的を撃ち抜く。
それはもはや訓練ではなかった。彼の戦いが始まったのだ。