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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第2章 フリーダム
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フリーダム40

 リョウが服を脱ぎだしたとき、ニコラスは唖然としたが、肌に刻み込まれた傷跡に今度は息をのんだ。リョウの体は最高級の戦士らしく見事に鍛えられているが、その鋼のような筋肉を覆っている皮膚はひどい状態だった。ある部分はひきつれ、また別の場所はやけどの跡なのだろうかケロイドになっていた。細い幾条のも筋が体一面に刻み込まれている。左腕以外はまともな皮膚科はない。その左腕もほかと比べて色が白い。

 無実の罪を着せられたリョウを助け出したニコラスは三年前の彼の体の状態を知っている。もちろん兵士である以上傷はつきものだ。彼の体にも怪我の跡はいくつもあったが、ここまでひどくはなかった。リョウがこのようにひどい傷を受けたのは間違いなく自分と別れてからだ。


「ヒューロンで何があったんだ?」

 リョウはその顔に冷たい笑みを浮かべた。彼がそんな表情をするなんて……

「一度しか言わない」

 リョウはまずそう言った。

「俺は虐待されていたんだ。ヒューロンでは囚人は消耗品だ。そして同時に看守たちの遊び道具なんだ。特に俺は彼らから嫌われていてね。目の敵にされていた」

 リョウの視線がまっすぐ自分をとらえる。

「看守たちは俺をひざまずかせて泣きながら命乞いをさせようとした。連中は誰が、俺を屈服させることができるか、賭けていたんだ。だが俺はそうすることを拒んだ。その結果がこれだ」

 リョウは両手を広げてぐるりと回って見せた。背中は前以上にひどい状態になっている。

「あと少し長く、虐待を受けていたら俺はおそらく彼らの足下にひざまずいていただろう。彼らの望むとおりにな」

「リョウ、まさかおまえが……」

 ニコラスは思わず本当の自分をさらけ出した。艦長でもなく、リョウに対する疑念を持った組織人の一人でもなく、それらの仮面が剥がれ落ちたあとのただのニコラスだ。

「おまえはたびたび大きな脱走が起きたと言ったが、俺が脱走に成功したあのときまで、自らの意思で逃げ出そうとしたものはいない。なぜなら、豚の餌の方がましだと言うほどの食べ物を朝と夜に与えられ、あとは体が凍り付くような寒さの中、夜遅くまでセレイド鉱石を掘り出していたんだ。寝る頃には疲れはてて何一つ考えることもできなくなっていた。体を横たえればすぐに深く眠ってしまうような状態だからな。その日を生き延びることで精一杯だったんだ。はじめは誰もが生きようと必死になる。だがそのうち諦めるんだ。何も考えなくなる。いや、考えるのは一つだけだ。早くに楽になること。すなわち死を望むようになるんだ」

「おまえもそうだったというのか? 死を望んでいたと? おまえは強かったじゃないか、誰よりも勇敢で高潔だ」

 リョウは皮肉っぽく唇の端を上げた。

「おまえが俺をどう見ていたかは知らないが、だが俺はただの人間だ。普通の男なんだ。欲望も抱けば絶望もする」

 リョウは服を着て、ニコラスの後ろの壁を見つめた。


「何度も考えた。プライドを捨てて看守たちの言いなりにさえなれば、少しは楽になれるのだと。一時恥を忍べばいいことだと」

 ニコラスが唖然とした顔を向ける。ニコラスが自分で考えていたリョウのイメージとの違いに驚いているのだろう。だがそう考えていたのは事実だ。鞭打つ看守に何度も「やめてくれ」と懇願しそうになったことか。だが結局言葉が喉から先には出て行かなかった。

「看守たちにとって最大の楽しみはわかるか?」

 ニコラスは首を振った。見当もつかないのだろう。

「狩りだよ」

「狩り? ヒューロンは雪と氷の惑星だと聞いたが、動物はいるのか」

 リョウは再びニコラスを見つめるとにっこりと笑って言った。

「いるよ。囚人という名の人間がね」

 ニコラスの目が大きく見開いた。


「俺は狩りの獲物に選ばれたとき、正直に言うとうれしかった。囚人の足にはみんな発信器がついている。どこに誰がいるのか、看守たちはすべて把握できる。連中は時放つ囚人たちにこう言うんだ。『シャトル発着場までたどり着くことができたら、自由にしてやる』と。誰もがそんなことはあり得ないと思いつつも、一筋の希望にかけて一斉に向かうんだ。看守たちは脱走者と言うことで、全員を殺していく。発信器で居場所はつかめるからな。そんなことは簡単だ。何度も大規模な脱走が起きているにも関わらず、必ず制圧されるのはそうことだ」

「だが、それならなぜおまえは生きている?」

「俺が脱走したのは、一度じゃない。二度だ。二度目の脱走で俺は宇宙に帰ったんだ。一度目の時は俺も死ぬはずだった。だがどうせ死ぬのなら、少しばかり嫌がらせをしてやろうと思って、シャトルの発着場とは反対の方に逃げた。看守たちは獲物の数を競っていたからな。俺を追いかけるよりも大勢を殺した方がいいと思っていた。もっともそれで俺も逃げきれるとは思わなかった。実際、看守たちは俺を最後に追いかけてきたが……」

「だがおまえはその時点でも助かったんだな」

 リョウはうなずいた。

「だがそれは看守たちが俺を生かそうとしたからじゃない。グラントゥールの人間が俺を救ってくれたんだ」

 リョウはマーシアを思い出して心が和むのを感じた。あの絶望した中、死ぬことだけを望んでいた彼に、マーシアは手を差し伸べ告げたのだ。

『生きたいのなら、この手を取れ』と。


 その寸前まで、死ぬことだけを望んでいたリョウは、本能でその手を取っていたのだ。その瞬間からすべてが変わった。

「俺がグラントゥール人を知ったのはそれが最初だ」

「グラントゥール人は帝国側なんだろう? それなのに政治犯扱いのおまえを助けたのか?」

「それだけじゃない。彼らは俺を守るために、看守を何人も殺している」

「信じられない……彼らは正気なのか? 彼に何か制裁はなかったのか? 惑星国家が勝手に帝国間政府の人間に危害を加えたら無事ではすまないだろう」

「普通ならな。だが彼らは平然としていたし、帝国からも何も言ってこなかったはずだ。看守たちは俺を引き渡せと何度か訴えていたらしいが、俺は三ヶ月間、体が癒えるまで彼らに守られていたんだ」

 リョウはニコラスを静かに見下ろして

「三ヶ月も一緒に暮らしているとな、彼らがどういうものの考え方をするのか理解できるようになる。シドラスで彼らが俺に接触してきたのにも他意はないと言うこともな。レオス卿は単純な好奇心で俺に会いたかっただけなんだ。そしてセレイド触媒や宝石をジュリアに贈ったのも、彼らからしてみれば大したことではないんだ。ジュリアに迷惑をかけたと同時に彼女の率直な物言いが気に入ったからだ。彼らは気に入った者には過剰な好意を寄せるんだよ」

 ニコラスの表情が微妙に歪んだのは、ことの発端がグラントゥールから贈られたセレイド触媒と宝石にあるのだろう。そのことがニコラスの自尊心をひどく傷つけたのだ。

「二度目の脱走はグラントゥールからなのか?」

 そう考えるのが自然だろう。しかしリョウは笑って首を横に振った。

「俺は収容所に戻ったんだ」

 爆弾発言だった。ニコラスは言葉を失う。しばらくリョウを見つめて、そしてようやく

「グラントゥールは看守たちの要求に屈したのか? けがをした動物を慰みにかわいがるように飽きたからおまえを追い出したのか?」

 予想していたとおりの反応にリョウは思わず微笑む。誰もがそう考えるだろう。

「俺は真剣なんだぞ」

 ニコラスが声を荒げた。

「すまん。グラントゥールは皇帝の要請でも俺を引き渡したりはしなかっただろう。そんな言い方は彼らの前でしない方がいい。侮辱だと受け取るからな。彼らは名誉を何よりも大切にする」

「ではおまえは飽きられたということか?」

「それは俺と彼女に対する侮辱だ」

 リョウは軽くニコラスをにらんだ。

「リョウ……」

「彼女は二つの選択肢をくれた。一つは収容所に戻り再び囚人として暮らすこと。もう一つは彼女たちとともにヒューロンを離れ、自由を得ること。俺が望めば、反帝国組織のリーダーにも会わせるとのことだった」

「そんなにいい話があったのか? なのになぜ収容所に戻ったんだ?」

 あきれた口調だった。

「条件が付いていたからさ。今後一切フリーダムとそれに関わる人間とは接触しないと言う条件がな。だがその条件だけはのめなかった。だから収容所に戻ったんだ。ほかに選択肢はなかったからな」


 ニコラスはまるで自分のことのように顔を歪めた。少しは理解してくれただろうか?

「そんな顔をするな。グラントゥールの人間と知り合えたおかげで、看守たちは必要以上に俺に関わろうとはしなかった。だから二度目の収容所暮らしは最初よりはずいぶんましだった」

「でも脱走したんだな? 狩りの対象としてではなく?」

 リョウはうなずいた。

「いつまでもいられないさ」

 リョウはそう言って微笑んだ。マーシアとの約束を果たすために、宇宙で会おうという約束のために、リョウは脱走をしたのだ。もちろんグラントゥールが彼の知らないうちにバックアップしてくれていたが、しかしそれらが動き出すためにはリョウが脱走しなければならなかったのだ。ある意味脱走したからこそ、彼らは手を差し伸べてくれた。グラントゥールは何もせずに助けを待っている者には決して振り向くことはない。


「すまなかった。おまえを疑ったりして」

 不意にニコラスが頭を下げた。

「ああ。頭を上げろよ。俺にもおまえの気持ちは理解できる」

 その言葉でニコラスはほっとした表情を浮かべた。

「俺は何があったとしても二度と帝国の人間として生きていくことはできない。それだけはおまえにもわかってもらいたい」

 ニコラスが彼の体に目をやった。服に覆われた体の傷がそれを裏付けているように思えたのだ。ニコラスは大きくうなずいた。


「それとあと一つ」

 リョウの言葉にニコラスが居住まいを正す。

「これだけは絶対に忘れるな。おまえはこのフリーダムのリーダーであり、この艦の艦長なんだ。しかも三年間彼らをまとめ上げてきたという実績がある。だからこそ、他人の言葉に左右されるな。おまえ自身で聞いて見たことで判断するんだ。おまえならそれができる」

「リョウ……」

 それは温かい励ましの言葉だった。だが、同時に別の響きも含まれていた。

「かつて俺はおまえの同僚であり、上官だった。だが今は違う。それを忘れるな。今はおまえが俺に命令を下す立場なんだ。わかるだろう?」

 その言葉の重みにニコラスは真剣な顔でうなずいた。彼も気づいた。三年前とはお互いに立場が違うのだと言うことに。この艦を仕切っているのはリョウではなく自分なのだ。その思いが今改めてニコラスの心に刻みつけられた。

 リョウは姿勢を正すと

「ほかに何か疑問はありますか?」

 と上官に対する態度をとる。一瞬、ぎょっとするニコラス。彼はしばらく考えて首を振った。

「やはりそう言うのは苦手だ。前にも言ったが、参謀として俺にアドバイスをしてくれ。だが敬称はいらない。おまえにそうされるとよけいに緊張する」

「わかった。じゃあ、俺はもう行ってもいいか?」

「ああ。すまなかったな、リョウ」

 リョウはうなずくと敬礼をして踵を返した。

 背中でブリッジがニコラスを呼びだしているのを聞きながら、ドアに向かう。

「ああ、わかった。こちらに回してくれ」

 ニコラスがブリッジに指示している。だが、リョウは立ち止まらずに通路に出た。


 ドアが閉まるとリョウはそのまま寄りかかる。

 三年の月日は長い。この艦もニコラスも仲間たちも、少しずつ変わっていた。そしてなによりも自分自身も大きく変わってしまったことにリョウは改めて気がついた。

 そしてもう二度と元に戻ることはない。リョウはようやくそのことを受け入れた。


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