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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第2章 フリーダム
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フリーダム39

 リョウはニコラスの机の前で立ち止まった。リョウを中に呼び入れたニコラスは机の前のディスプレイに映る資料を読んでいるところだ。机の上がすっきりと片づいているのは、必要な書類は紙ではなく、すべて電子化されているからだ。ここではグラントゥールのように責任者の机が紙の山になることはない。

 ニコラスが顔を上げた。ここでニコラスに敬礼をすべきだろうか? 一瞬そんな考えが浮かんだ。彼が上官なら間違いなくそうしただろう。だが参謀としての立場を与えられてはいるが、彼は参謀ではない。友人としてなら、敬礼をすることはない。本当に曖昧で都合のいい立場だ。これがグラントゥールなら、とリョウは考えた。彼らは形式を重んじるが、同時に形式を無視する。特に人に関してはたとえそれがどれほど高い身分にあろうと、それに値しなければ敬礼など決してすることはない。だがここはグラントゥールではない。

「ジュリアとおまえが提出した報告書を読んだ」

 ニコラスは指を組むとリョウを見上げるようにして言った。どうやら立たせたまま話をするつもりらしい。

「矛盾でもあったのか?」

「いや。ちゃんと話の整合性はとれていた」

「だったら、何が問題なんだ?」

 二つの報告書が矛盾しているわけでもないのにあえて呼び出した理由がリョウには推測がつかなかった。

「レオス・フェルデヴァルトのことだ」


「レオス卿?」

 リョウはニコラスに真剣な眼差しを向ける。

「彼の何が知りたいんだ? 彼のことなら報告書にも書いておいたはずだ」

 リョウは自分でも気がつかないうちに警戒態勢に入っていた。ニコラスに対してこういう気持ちになったのは今までになかった。そのことにリョウは心の中で驚いた。そしてその理由に思い至って、小さく息を吐いた。

「いったい何が知りたいんだ?」

「レオス・フェルデヴァルトはグラントゥールの筆頭公爵とあるが、それはどういうことなんだ?」

 そこから始めるということは、かなり長い説明をしなければならない。ニコラスは自分の報告書を信頼していないらしい。

 リョウは互いが互いに変わってしまったことにいやでも気づいた。

 そんな思いを抱きながら、リョウはレオスがグラントゥールの指導者であること、彼がサイラート帝の親友であること、またグラントゥールは帝国の組織下にはないことなどを説明した。それらはすべて報告書にも書いてあることだ。

 だがリョウは言葉を続けながら、ふとニコラスの顔を見た。彼はリョウの話を聞いているようで聞いていない。しかもその顔には迷いが浮かんでいる。言おうか言わないか、そんな逡巡している様子が見て取れた。

「俺の報告書の何が気になるんだ?」

 リョウは不意に説明するのをやめた。ニコラスはっととして顔を上げる。しばらくリョウの目を見つめた後、彼は少し顔を背けた。

「気になるのは、報告書の中身じゃない。おまえの行動だ」

「俺の行動?」

 リョウにとっては不意打ちを受けたような気分だった。ニコラスに疑念を抱くような行動をとったと言いたいのか? リョウはニコラスを見つめなおした。

「レオス卿と接触したことが問題なのなら、あれは俺が望んだことじゃない。彼らが勝手に近づいてきたんだ。ジュリアたちを人質にされていたから、俺は逆らえなかった。ただそれだけの話だ。それが問題なのか?」

 ニコラスの表情を読む限りそうではないようだ。

「だがおまえなら、その窮地を抜け出すことはできたんじゃないのか?」

「馬鹿なことを言うな。そこにいたのはジュリアだけじゃないんだぞ。アリシアーナに万が一のことが大変だろう」

 リョウは言葉を切って、ニコラスを見る。内心小さくため息をついて

「俺が前からレオス卿を知っていたのではないかと思っているのなら、それは思い違いだ。俺たちに面識はなかったんだ。だからかえって俺に会いたがったんだ。しかも普通に会いたいといっても、俺が任務を投げ出すような真似はしないことを知っていた。向こうは俺に会いたかっただろうが、俺は特に会いたいとは思っていなかったからな。だから連中はああいう手段を使ったんだ」

「何を話した?」

「何って、帝国に対する俺の考え方だな。後は単なる世間話だよ。いちいち披露することもない程度のものだ」

 レオスとはマーシアのことも話題にしていた。だが今ここでそのことをニコラスに言う必要はない。

 ニコラスはしばらく考えた後、

「本当にそれだけなのか?」

 リョウは顎を上げた。

「ほかに何があるんだ?」

 さすがにリョウも相手がニコラスでも、苛立ってくるのをこらえきれなかった。

 ニコラスは無言だった。そしてリョウがしびれを切らして促そうとしたとき、ようやく口を開いた。

「おまえが帝国と通じているという話がある」


 リョウが呆然とこちらを見ていた。今の彼に銃口を向けても彼は対処できないだろう。こんなリョウは初めてだ。彼は常に戦士であり、部下たちを守るために命を捧げるようなすばらしい指揮官だった。だが三年間過酷な状況下の中で、人は変わらずにいられるものだろうか。しかも彼のいた惑星ヒューロンの収容所は脱出不可能と言われている収容所だ。看守の人数はほかの収容所よりも少ないが、たびたび起きる大規模な脱走はその都度見事に制圧されている。今まで脱走に成功したのはリョウだけだ。なぜ彼だけが成功したのか? そしてどうしてすぐにフリーダムの居場所を見つけだすことができたのか? いくらウィロードル商船団の情報網を利用したとしても、なぜ彼らがリョウを送り届けるような真似をしたのか?

 ウィロードル商船団は反帝国組織にも物資や情報を運ぶが、同時に帝国側とも同じように取引をしているのだ。

 ヒューロンでの労働はひどく過酷だったという。その過酷さから逃れるために帝国と何らかの取引をしたのではないか。そんな思いがいつしか彼の心をむしばんでいたのだ。


 リョウは仲間たちの元にいるというのに、なぜかヒューロンの白い雪原で「白い女神の嘆き」と呼ばれる嵐の中をたった一人で立ち尽くしているような気分だった。体も心も凍り付くようなあの感じが蘇る。

「リチャードか……」

 ニコラスが顔を上げる。

「彼からそう吹き込まれたんだな? 俺が帝国と通謀しているのではないかと」

 ニコラスの顔に狼狽の色が浮かんだ。

「馬鹿な、彼に吹き込まれたせいじゃない。確かに情報はもらったが、おまえが脱出不可能な収容所から無事に逃げ出したのを不思議に思っていたのは事実だ。俺たちが居場所を掴もうとしても全く掴めなかったんだぞ。それが突然、姿を現した。その上今回の件は疑念を強めるのには十分だ」

 リョウは静かにニコラスを見下ろした。突然、このやりとりが自分のこととは思えなくなった。もう一人の自分が少し離れたところで観察している気分だ。

「レオス卿は俺を使って何をさせようとしているとリチャードはおまえに告げたんだ?」

「それは……」

「具体的なことは何も言っていないんだ?」

 リチャードが自分を毛嫌いしているのには気づいていた。だからこそニコラスに吹き込んだのだろう。リョウの信頼を失わせるために。現実にニコラスは彼に対する信頼をぐらつかせている。

「おまえが信じるかどうかは別だが、グラントゥールは俺を必要とはしていない。そんな価値は俺にはないんだ。彼らは帝国でさえ持っていないような巨大な情報網を持っている。知ろうと思えば帝国軍の最重要機密からおまえの小学校の成績まで知ることができる。それほどの連中なんだ。彼らに俺ができることなど全くない」

「だがこの艦にスパイを送り込んで、活動の妨害をすることも考えられるじゃないか」

 リョウは思わず笑った。

「それはあり得ない」

「何がおかしい!」

 ニコラスが苛立ちを露わにした。リョウは改めてニコラスを見つめ返す。そして静かな口調で告げた。

「グラントゥールにとって、俺たちにはそんな価値すらもない」

「なにっ?」


 自分の存在意義を否定されたことにニコラスは思わず立ち上がった。

「俺たちのやっていることは、彼らにとってみればただの犯罪だ。俺たちの行為が帝国に対して何かの圧力になっているわけではない。ほかの抵抗組織のように、帝国と渡り合うだけの力は俺たちにはない。せいぜいテロ行為をするだけだ。テロの撲滅はグラントゥールが戦う理由にはならない。その行為によって、グラントゥールや帝国そのものに被害がでたというのなら別だろうけどな。俺たちのやっていることはアルシオールの利益になっただけだ。そしてアルシオールは帝国の支配下にある惑星国家だ。アルシオールが利益を得たとしても、帝国に損がなければ彼らは何もしないだろう。俺たちの存在は彼らにとって目に留めることもない存在なんだ。俺にスパイ行為をさせる意味なんて彼らにはない。第一グラントゥールは戦いとなれば、真正面から戦うだろう。陰険な策略を巡らすよりも、主砲でこの艦を消滅させるのが彼らの主義だからな」

 無意識なのだろう。ニコラスは机の端を指でたたいていた。彼が思案しているときの癖だ。不意にその音がやんだ。彼は顔を上げて、

「おまえに何がわかる。この三年間、部下たちを養うために俺がどれほどの思いを抱いていたと思うんだ。おまえに俺の作戦の非難をする資格はないぞ。おまえはいなかったんだからな」

「確かにこの艦に俺はいなかった。だが、ニコラス、その作戦がおまえが必要にかられてどうしてもしなければならなかったのなら、俺は何も言わない。おまえ自身の決断なら、おまえはその結果を受け入れればすむことだからだ」

 だがリョウは、ニコラスの瞳の奥に忸怩たる思いがあるのを見て取った。グラントゥールがテロ行為を見なした活動は、彼にとっても本意ではないのだ。ニコラスの本質をリョウは誰よりも知っていた。


「おまえはこの艦での三年間を知らないと言ったな。だがおまえもヒューロンでの俺の三年間を想像できるか?」

 リョウは感情を殺した声で彼に尋ねた。ニコラスはハッと顔を上げる。リョウはおもむろに服を脱いだ。


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