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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第2章 フリーダム
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フリーダム37

「あなたたちは私たちを見逃してくれるの?」

 不意にジュリアがレオスに尋ねた。レオスは自分が帝国側の人間だと言うことを明言したし、一方リョウはそんな彼の前で堂々と反帝国の立場を明らかにしている。しかも彼にはアリシアーナがどういう立場の人間かわかっているようだった。

 レオスは優しく笑うと、

「君たちがここで大変な思いをしたのは私たちのミスだ。君たちを守るとリョウに約束したのも関わらず、君たちを守れなかったのだから。だから今は君たちをどうこうする気はない。たとえ、君たちの中に取引になりそうな相手がいてもだ」

 その言葉が自分に向けられているとアリシアーナは気がついた。彼女は思わずリョウの陰に隠れるように入り込んだ。

「それにお嬢さん、君たちと私たちが戦うには、あまりにも君たちは小さい。何かしたところで経費と時間の無駄になる。そんな効率の悪いことは私たちはしないんだよ」

「何ですって?」

 にこやかな表情でレオスははっきりと相手にする価値などないのだと言い放ったのだ。ジュリアは思わず目をむいた。ジュリアとて自分たちが反帝国運動の中心的な組織だと思っていないが、さすがに面と向かって相手にされていないことを知らされるとショックは免れない。

「あなたはこのままでもかまわないと思っているの? 確かに帝国の力なんか関係ないほど特別なものがあるというのなら、宇宙がどうなろうとかまわないかもしれないけど。帝国の国家としての寿命は尽きようとしているわ、それは間違いないことよ。たとえ今ではなくてもいずれ帝国は終わるのよ。そのときもあなたたちは特別でいられるのかしら?」

「お嬢さん、帝国は滅びることはない。少なくともサイラートが皇帝である限りはね」

「どうして?」

 ジュリアは彼が何者であるかもすっかり忘れてただ純粋な意味で聞き返した。レオスがおもしろいものを見つけたとでも言うかのように目をきらめかせる。

「簡単なことだ。サイラートが皇帝である限り私が彼のために戦うからだ。たとえ宇宙のすべてがあの男の敵に回ろうとも彼が皇帝である限り私は彼とともにある。ただそれだけのことだ」

 さりげない言葉の中に込められた強い決意をリョウは感じ取った。ジュリアも同じ思いのようだ。彼女の場合はリョウよりも強く感じ取ったのだろう。彼女は驚いたように彼を見つめていた。

「一つだけ君たちが勝利する方法を教えて上げよう」

 思わせぶりな言い方だが聞き逃すことは出来ない。

「それは簡単なことだ。サイラート帝が死ぬか、もしくは私が死んだときだ。そのとき帝国は終わりを迎える。後は残骸の掃除をすればいい。ただし、私が先立った場合は少々苦労するだろう。サイラートは愚かな皇帝ではない。ヴァルラート帝国の長い歴史から見ても五本の指で数えられるほどの賢帝だ。それに彼には果たさなければならない思いもある。そちらの方が苦労することは確かだ。だが、自らの血を流さないで手に入れたものにどれほどの価値があろう。そうは思わないかね、リョウ・ハヤセ?」

 リョウは静かにレオスを見つめた。その言葉の真の意味に気づく。そして脳裏にはマーシアの言葉がよみがえる。

『私は逃げているのだ』

 あのときマーシアはただその一言だけつぶやいた。何から逃げているのかは告げていない。だが今リョウははっきりと理解し、改めてレオスに目を向けた。レオスは彼の考えを読みとっていた。

「この宇宙に正義など存在しないとは思わないかね?」

「そんなことはないわ」

 すかさず反応したのはジュリアだった。だが次の瞬間、リョウは彼女を視線で黙らせた。リョウのそんな態度は初めてだった。ジュリアは呆然としてリョウを見つめる。だがリョウはかまわずに、再びレオスに視線を戻すと、

「それは正確じゃないな。正義は存在する。だがそれは一つの立場の人間だけに存在するのではない。ありとあらゆる人の立場の人間にそれぞれの正義が存在するんだ。そうだろう、レオス卿? だから戦争になる」

 レオスはうなずいた。

「他人の考えを間違っていると指弾できるものはいないと言うことだ。だがそれではその場で足踏みしているほかはない。それを打ち破るためには思いが必要なのだよ。なによりもこれをなさなければならないと言う思いだ。この意味が分かるかね?」

 リョウは静かにうなずいた。何かを手に入れるためには自分の血を流さなければならない。それがグラントゥールなのだ。マーシアはグラントゥールの人間として生きている。そしてマーシアを暗殺しようとしたハーヴィもグラントゥールなのだ。マーシアはそれに応えた。敗北した彼に自らの手で死を与えることによって――

「いずれあれの思いがいつか私に対する思いを越えるときがくるかもしれない。そうなればまた新たな戦いが始まることだろう」

 その口調はまるでそうなることを待ちわびているかのようでもあった。

 リョウはたまらずマーシアに思いを馳せた。冷静で沈着、敵を前にしても決して動じない彼女を氷の戦女神と呼ぶものもいる。またはヒューロンの白き女神の申し子とも。だがリョウはそんな彼女の別の一面を思い出す。花びらの渦の中で無邪気な笑い声を上げるマーシア。繊細な心を守るために、彼女はいくつもの鎧と仮面を付けているのをリョウは知っていた。


「ところで、そろそろ指揮権を私に返してもらえるかな?」

 レオスの言葉にリョウは現実に戻った。

「返したくないと言うのなら、私は君と戦って君を殺さなければならなくなるのだが……」

 リョウは思わず深く息を吐いた。

「彼らはあなたの部下でしょう? 確かに指揮権は一時的とはいえ今は私の元にありますが……正式な手続きが必要なんですね? たとえ形式的でも」

 レオスは大げさにうなずく。グラントゥール人は時々形式を重要視する。これがその一例だ。

「彼らはどうなるんです?」

 リョウはレオスの肩越しに視線を投げて、捕らえている男たちを指した。ちらりとレオスが振り返り、

「殺してしまうのが一番手間がないのだがな。それはいやなんだろう。だとしたら、ここの政府に渡すしかないな」

「また同じことを繰り返すじゃないか」

 そう叫んだのはアンナだ。レオスは彼女の方を見て、

「心配はいらない。政府よりも力のある奴に見張らせる。もし同じことをしたら命がなくなると連中に警告しておくよ」

 彼はそう言うと、つかつかと男たちに歩み寄り、リーダーの男を立たせると、

「聞いたとおりだ。君たちはここの政府に引き渡すことになった。だがこれで罪を逃れられたとは思わぬことだな。この星域を仕切っているのは、『黒の死神』と呼ばれているヘンバーだろう。違うかな?」

 男たちは戸惑いながらレオスの顔を見つめていた。

「ヘンバーって有名なマフィアのボスの一人だわ」

 ジュリアが小さくつぶやいた。男たちもその名前を知っているようだった。

「それとも君たちは知らないのかね? だとしたらこの世界では生きていけないはずだが……」

「知っている。だがそれがどうした。彼は帝国や帝国軍は大嫌いなんだ。だから連中を狙っているんだ」

「よろしい。君たちが潜りだったらどうしようかと思ったよ。でも君たちは彼がなぜ帝国軍を嫌うか知らないだろう? だが私は知っている。何しろその場に居合わせたんだ。旧知の仲だといってもいいだろう。途中で袂をわかったけどね。その彼が帝国軍に次いで嫌いなものの中に女性に対する犯罪行為というのがあるんだよ。君たちが彼のテリトリーで大々的にそう言うことをやっていたと知れば、君たちの命はいくつあっても足りないだろう。そのことをよく考えて今後生活していくといい。彼には一言告げておくから、このあたりのその手の組織はたちまちきれいになるだろう。ではこれでお別れするよ。私も忙しいのでね」

 彼は静かにそう告げると、リョウの前に戻ってきた。

「いろいろな知り合いがいるんですね?」

「わたしにだって若い頃はあったのさ」

 リョウは改めてこの白髪の紳士を見つめた。そしておもむろに威儀を正す。

 その瞬間、彼の指揮下にあったものが、同じように姿勢を正した。リョウはちらりと腕時計に目を走らせ、

「小官は17時18分を持ってグラントゥールのこの部隊指揮権をフェルデヴァルト公爵にお返しする」

「指揮権の返上を確認した。リョウ・ハヤセ。君の指揮は見事だった」

 レオスがそう言うと、ついさっきまで彼らの部下だった男たちは、一斉にリョウに敬礼し、後処理のために残る人員をのぞいて皆レオスを囲むように歩いていった。その背をリョウは静かに見送った。


「なんかすごい一日だったわ」

 軌道エレベーターから降りたジュリアはようやく安心したのか、そうつぶやいた。宇宙ステーションからはシドラスが夜に包まれようとしているのが見える。

 不意にリョウは背後に人の気配を感じて振り向いた。見慣れぬ男が何かを手にこちらに近づいてくる。

「14番ドック船に御乗船のジュリア様ですか?」

 近づいてきた男は軌道エレベーター職員の制服を着ていた。

「私がジュリアですが……」

 声をかけると男はほっとした顔で手にしていたものを差し出す。

「グラントゥールのフェルデヴァルト公爵から、あなた様に必ずお渡しするようにとのことでした」

 男はそう言うとまるで押しつけるように彼女に渡すと、一礼して急いで戻っていく。

「何かしら?」

 ジュリアはリョウを向いた。

「開けても大丈夫だ。彼らはこういうものに何か仕掛けをするような姑息な手段はとらない」

 リョウの言葉にジュリアは先に封筒をを開いた。中には一枚のカードとセレイド触媒の引換証がはいっていた。引換証にはフェルデヴァルト公爵家の紋章が刷り込まれている。

「この触媒、トリプルSランクのものよ。しかもこれだけあれば二年は自由に宇宙を航海できるわ。でもどうして……」

 ジュリアは感激しつつも戸惑う。

「メッセージにはなんて書いてあるの?」

 アリシアーナが訊く。

 メッセージはレオスからのもので、楽しい時間を自分たちの不注意で奪い取ってしまったことへの謝罪とお詫びの印を受け取って欲しいとのものだった。

 お詫びの印にしては額が大きい。しかも彼らがもっとも必要としているものを贈るというのは抜け目がない。これでは断ろうにも断ることはできないだろう。

 アリシアーナが小箱を開けた。その瞬間、

「なんてきれいなの?」

 思わず感嘆の声が挙がった。

 セレイド触媒の引換証を見つめていたジュリアが顔を上げる。アリシアーナは箱の中身を取り出して、彼女の前に差し出した。それはペンダントだった。細いチェーンの先には透明感のある深く青い宝石がシンプルなデザインの飾りに包まれていた。思わず吸い込まれるような青い色にジュリアだけではなくリョウも息をのんだ。

「これはエステベの宝石だわ」

 青い宝石を見つめて炊いたアリシアーナが二人を見上げてそう言った。

「エステベ……?」

 ジュリアはわからないようだったが、

「それがエステベの青か?」

 リョウは画家を志していただけあってその名に聞き覚えがあった。

 惑星エステベではいろいろな貴重な宝石がとれるのだが、その中でもエステベの青と呼ばれる宝石は、その深い青色とそのときの大気の状態によって、青の深さを変えていくことで有名な宝石なのだ。だがその鉱脈はエステベにしかなく、しかも出回っているものの多くは砂粒のような大きさだ。だから彼女が手にしている親指ほどの大きさの宝石は大変貴重なものなのだ。

「エステベの宝石がなかなか市場に出回らないのは、自由に採掘できないからだとお父様がいっていたわ。帝国政府も採掘には関与できないんですって」

 帝国ですら関与できないということは……リョウは納得した。惑星エステベはグラントゥールの惑星なのだろう。そして彼らの多くはあまり芸術に関心がない。ヒューロンでマーシアと話したときも、有名な抽象画ですら、なにがいいんだといっていたのだ。だがそのくせ、グラントゥールには有名な画家の若い頃のいい作品がいくつも収集されていた。理由を聞けば、画家たちが一生懸命一つのことに熱中しているからだと答えた。誠実で一生懸命な若い画家の行動を彼らは評価し、多額の資金を援助するのだ。誠実な彼らはそれを絵という形で彼らに返す。結局彼らの意思とは違って、有名な画家の初期の作品が集まることになるだ。

 リョウはジュリアの手の中にある青い宝石に目を向けた。おそらくこれもそのようなことだろう。グラントゥールにとって何よりも重要なのは宇宙を航行するためには絶対不可欠なセレイド触媒の元となるセレイド鉱石を得ることだ。その過程で見つかった宝石にはさほど関心がないのだ。

「もらっていいのかしら?」

 あまりの高額な宝石にジュリアは気が咎めるようだ。セレイド触媒は必要なものだから遠慮なく受け取ることができたが、これはさすがに違うらしい。

「受け取ればいい。レオス卿にとって大して負担にはなっていないよ」

「これは本当に非常に貴重なものなのに?」

「彼にとってはそうじゃないのさ。むしろセレイド触媒の方が貴重だろう。彼にとってこの宝石はただ単にきれいだからジュリアに渡そうと思っただけなんだ。高価だから渡そうと思ったんじゃない」

「そうなのですか?」

「そろそろシャトルに乗って艦に帰ろう」

 その言葉にジュリアがうなずき三人は歩きだした。

 二人の後ろを歩きながら、リョウは笑みを隠しきれなかった。マーシアとレオス・フェルデヴァルト。血のつながりはないというが、二人はよく似ていた。

 高価な宝石に戸惑っていたジュリアもそれが完全に自分のものだとわかった今、心なしかうきうきしているように見える。だがもしマーシアだったら、贈ってくれた人の思いはとても大切にするだろうが、宝石そのものに関心は持たないだろう。そう言う意味でもあの二人は似ていた。


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