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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第2章 フリーダム
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フリーダム31

「食事をとるかね?」

 レオスはウェイターを呼んだ。

「いや、俺は遠慮する。ジュリアは今頃気をもんでいるだろうからな。彼女たちと一緒にとることにするよ」

 ウェイターが情報端末を片手に横に立った。

「だがコーヒーはもらおう」

 リョウを注視していたレオスの青い瞳がかすかに微笑んだ。

「ではわたしもだ」

 ウェイターが立ち去るのを待ってから

「まずはトーマスの態度を謝罪しよう」

 リョウはちらりと肩越しに振り返った。彼はこちらに目を向けながらも、ナイフとフォークを動かしている。

「あれはマーシアを変に意識しているところがあってね。それで君にも対抗心を燃やしているのだよ。何しろ君がマーシアに一番近い人間だからね」

「嫉妬されるほどの立場ではないんだが……第一俺とマーシアでは立場が違う。俺たちはあくまでも敵対者だ」

「今の段階ではな。だがいつまでもそうとは限らない」

 そこにコーヒーが届く。レオスはミルクを少し垂らした。

「ジュリアたちの件も謝罪を?」

 口元にカップを運んでいたレオスはニヤリと笑って、

「あれは正当な行為だよ。我がグラントゥールとしてはな。何しろ君の戦闘能力は我々の中でもトップクラスだ。あのダレスを倒したと言うだけで証明されていることだ。トーマスが危険を避けたのは当然の行為だよ――ブラックで飲むのかね?」

 リョウは手にしていたカップに目を落とした。

「なにも入れなければコーヒーそのものの味を味わえますから」

「だが苦いぞ」

「それを楽しむのがコーヒーですよ」

 リョウはそういうとカップを口に当てた。


「ところで君は帝国の未来についてどう思っているのだ?」

 その瞬間、店のざわめきが消えた。リョウの体に緊張が走る。いきなり核心的な質問だ。答え方によっては危険な事態を招く。だが嘘はつけない。リョウは手にしていたカップを受け皿に戻した。

「帝国は国家としての命数が尽きたように、俺には思える。あなたがいくらがんばったとしても、立て直すことは無理でしょう」

「無理かね?」

「ええ。無理です。帝国は限界です。後は形を変えて生き残ることしかできません」

 彼は目を伏せて、カップの中をスプーンでかき混ぜた。リョウの耳に再び周りのざわめきが聞こえてくる。

「君はずいぶんはっきりとものを言う。怖くはないのかね? どういう状況にいるのかわからぬ訳ではあるまい?」

「十分承知しています。あなたがその気になれば、ここにいるあなたの部下によって殺されるだろうと言うことも」

「君はわたしがサイラート帝とは無二の親友であることも知っているはずだ」

 リョウはうなずいた。彼がサイラート帝と親友であることがグラントゥールを帝国側につかせ、そしてそれが帝国を延命させている。

「わたしはあなたに嘘をつきたくはなかった。それともあなたは自分の耳に聞こえのいい言葉を聞きたかったのですか?」

 だが彼が反応したのは最後の言葉ではなかった。

「なぜわたしに嘘をつきたくはない、と思ったのだ?」

 リョウは戸惑った。彼が予想していた反応ではない。しかもなぜそこにレオスはこだわるのだ? それ以前に俺はなぜ嘘をつくのをよしとはしなかったのだろう。彼の聞きたい言葉を聞かせれば、身の危険も少なくなるし、なによりジュリアの元に戻れただろう。「おまえはバカか?」そんなマーシアの声が聞こえたような気がして、リョウは思わず口元に笑みを浮かべた。

「何かおかしいかね?」

 いささか機嫌を損ねたような声にリョウは首を振った。

「すみません。あなたのことを笑ったのではありません。マーシアが側にいたら、と思ったものですから」

「マーシアがいたら、どうなっていたと?」

「俺をバカな奴だと罵っていたでしょうね。もっと計算高くなれともいっていたかもしれません」

 彼女のことを思い出すように視線を遠くに向けていたリョウは、改めてレオスを見た。

「あなたのことを話すマーシアはとてもいい顔をしていました。無表情で、冷徹に非情な決断を下すマーシアではなくて、年相応の……いえ、もっと若い感じで優しくて穏やかなマーシアです」

 レオスの表情が動いた。


「君は彼女を知っているんだね」

「知っています。たぶんほんの一瞬だけ見せてくれたあのマーシアが、彼女本来のマーシアなんだと思います」

「そうか、君は本当にマーシアを知っているんだな」

 レオスの瞳に暖かい光が浮かんだ。

「それでわたしのことも調べたわけか。マーシアにそんな表情をさせる人物は何者か、その目で確かめたいと思った訳だな。イリス・システムにアクセスできるものならばそんなことはたやすいことだろう」

 レオスがグイッと身を乗り出し、

「それはわたしに嫉妬してくれたと思ってもいいのかね?」

 瞳をのぞき込まれたリョウは思わず顔を背けた。当たらずとも遠からずだ。

 不意にレオスが大きな声で笑いだした。店内の視線が一斉に向けられる。リョウはその視線を背中で受け止めながら、

「いいですか、勘違いしないでください。俺はあなたに嫉妬なんかしていません」

「ではなぜわたしのことを調べたのだ?」

「それは……」

 リョウは言葉に詰まった。レオスの眉が答えを促すようも持ち上がった。

「少しだけ気になったからです。本当に少しだけです」

 リョウは半ばやけになった口調で答える。レオスが吹き出した。

「君はおもしろい。マーシアが興味を持つのもわかる気がする」

 まるで珍獣だな。リョウはむっとしながら、彼を睨んだ。

「だが、君がわたしをマーシアと同じように考えてくれたことには感謝しよう。君はマーシアには嘘はつかないのだろう?」

「必要がない限りは」

 レオスはうなずき、コーヒーを再び口に運んだ。


「ところで君はマーシアのことをどう見ているのかな?」

 何気ない問いかけだ。だがマーシアたちとつきあって気づいたことがある。彼らは些細な言葉に重大な意味を込めていることがあるのだ。それを理解するかしないかで、彼らは人を判断する。受け入れるべき人間かそれとも表面だけのつきあいですましてしまうか。後者の場合はひどく冷淡な扱いになる。

 レオスは試している。リョウは何事もなくコーヒーを味わっているレオスを見つめた。彼がその視線を楽しんでいるのはわかっている。そして帝国の将来の話よりも、なぜかこの質問の方が彼には重要なのだとリョウには感じられた。ここで彼の期待にそぐわない誤った答えを出せば、彼に見下され歯牙にもかけることのない存在になってしまうだろう。マーシアに信頼され、その思い出は彼女の表情を穏やかに優しくする男――この男とは立場や力が違っても気持ちだけは対等だ。この男に見下されたりはしない。

 リョウはひたと見据えて答えた。

「マーシアは無理をしている」

 レオスが顔を上げた。

「無理をしている、とは予想外だったな。マーシアがそう言ったのかね?」

「本気でそういっているんですか? だとしたら、あなたは彼女の性格を何もわかっていないことになる。彼女はどれほど苦しくても決して苦しいとは言わないでしょう。むしろ冷ややかに笑う。でも心の奥底が血を流していないわけではない」

 リョウはそういって、目を閉じた。

「それはハーヴィ・ストロナイのことを言っているのかね?」

 リョウは目を開ける。

「マーシアは自分の暗殺者を殺すのに、ためらいでもしたのか?」

「いえ、彼女は冷静そのものでしたよ。何の感情もなく引き金を引いた。敵対する者には容赦なく対応するという、まさにグラントゥール人の見本を見ているようでした」

「そうだな。それでこそグラントゥール人だ」

 リョウはじろりと彼を睨んだ。

「だが彼女は間違いなく傷ついていた。身近においていた者が、自分に銃口を向けたことに。敵と手を組んで自分を殺そうとしたことに。彼女は一見平静だった。だがその瞳に浮かんでいたのは、哀しみだ。自分を裏切った者への、そして一度は信頼した者をその手で殺さなければいけないと言う苦しみだ。それもこれも彼女がグラントゥール人として生きていかなければならないからだろう。もしそうでなければもっと……」

「穏やかに生きられる、というのかね」

 レオスはリョウの言葉を継ぐと、続けた。

「だがそれは無理だな。むしろグラントゥールであるということが彼女を守っているともいえる」

「グラントゥールはなにから彼女を守っていると?」

「それは君が直接彼女から聞くべきことだ。それに君は彼女から話すのを待つと言ったそうではないか」

 リョウはハッとした。マーシアが命を狙われながら、グラントゥールのやり方で排除しない理由と、グラントゥールという鎧をまとわなければならない理由は同じものなのだ。

「あなたはマーシアに盗聴器でもつけているんですか? 俺と彼女とのプライベートな会話が筒抜けだ」

「とんでもないことを言うね、君は。そんなことをしたらマーシアに何年も口を利いてもらえなくなるではないか」

 命を取られるよりもそちらの方が彼にとっては恐ろしいらしい。二人の個人的な関係が見えて、思わず微笑んでいた。

「君のことすぐに調べることができた。いつどこでどういうことをしたのかとかね。もちろんプライベートなこともだよ。君がどういう女性とどういうつきあい方をしたのかとか、君の初体験とかね」

 リョウは自分の顔が火照るのを感じた。怒りと恥ずかしさがこみ上げてくる。確かに彼らの情報収集能力はすごい。

「確か君が女性と初めて深い関係になったのは……」

「言わなくていい」

 リョウは思わず大声で制止した。なにもその情報収集能力の高さを見せつけるためだけに、過去のことをしかも女性とのことを探り出す必要があるんだ?

「マーシアは知っているのか?」

「もちろん」

 その瞬間、リョウはテーブルにひじを突き頭を抱えた。レオスがくっくっと笑う。

「俺をからかったのか?」

「とんでもない。勘違いをしたのは君の方だ。君の女性関係をマーシアに報告したとは言っていないはずだが」

 文句を言おうとしたリョウは言葉を詰まらせた。

「わたしが君を調べているのはもちろんマーシアも知っていると、そういうつもりだったんだが……」

 やはりからかわれている。それはきっといい傾向なのだろう。

「いくらイリス・システムが優秀とはいえ、調べることにも限界はある。君がマーシアのことをどう思っているかは調査しきれない部分だ、何しろあれは人工知能とはいえ、人間ではない」

 レオスはそう言うと、

「だからマーシアに直接聞いたんだ。なぜ、君を助けたのか、とね」

 リョウは背筋を伸ばした。

「マーシアは口が堅い。しかもこの件に関してはわたしがどう言おうが、何もいってはくれない。よほどの思いがあるのだと推測したが……君は聞いているかね」

 リョウは首を横に振った。残念な気もする。なぜ彼女が自分を助けてくれたのか、彼自身が一番知りたいのだ。だが同時に、他人から聞かされるよりは、なにも知らない方がいいとも思う。

「折りがあれば、彼女に直接聞いてみます」

 レオスの瞳からからかいの色が消えた。

「そうだな。その方が君らしい選択だ」

 そういうとレオスはコーヒーを飲み干した。かたりとカップが受け皿に置かれる。コーヒーポットを手にしたウェイターにもう一杯勧められるが、レオスは軽く手を振って断った。どうやら用は終わったらしい。リョウにしてみれば、世間話しかしていないような感じがするのだが。リョウは立ち上がる彼を目で追う。

「楽しいひとときだったよ。そのお礼とは何だが、君にグラントゥールの根幹に関わる秘密を教えてやろう」

「えっ?」

「君はマリダス人だな?」

 リョウはうなずいた。

「君がマリダス人というのなら、我々はグラントゥール人と言うことになるが……」

 レオスは一度言葉を切って、そして続ける。

「だがグラントゥール人というものは存在しないんだよ」

 それはまるで爆弾のような発言だった。リョウは混乱する。

「でもあなたたちはグラントゥール人ではありませんか」

 レオスはうなずく。

「そういっていた方が便利だからだ。私たちは常にグラントゥール人であろうとしているだけなんだ。グラントゥール人とは何なのか。どういう生き方をすべきなのか、常にそれを追い求めているものたちが私たちということなんだ」

「マーシアもそうだと?」

「もちろんそうだ」

「ではあなたも?」

 レオスははっきりとうなずいた。

「私たちは拠って立つ場所を喪失したものの集まりであり、それを欲しているものの集まりだともいえるのだよ」

 リョウは最後の最後でとても重たいものを渡されたような気がした。


 レオスが立ち上がった。

 ちょうどそのとき、リョウの携帯通信機が二度鳴り、そして切れた。リョウは情報端末を開くと、かけてきた相手を確かめ、掛け直す。

「何かの合図かな」

「ええ。こちらの状況がわからないときに使う手です」

 通話先の相手はすぐにでた。少し息が上がっているようだ。

「大丈夫か、ジュリア? いったい、どうしたんだ?」

 そこにレオスの部下がいささか青い顔でレオスの元にやってくる。耳元で何かを報告しているようだ。

「私たち何とか逃げ出したの。あなたもすぐにそこから脱出して……」

 不意にジュリアの声が途切れた。その向こうからアリシアーナの悲鳴が聞こえる。その音も不意にやんだ。そして何かが倒れるような音。

「いいか、傷つけるなよ、大事な商品なんだからな」

 下卑た男の声。

「ジュリアっ」

 リョウは情報端末に向かって叫んだ。次の瞬間、それが破壊された音が響いた。事態を把握できず、呆然と情報端末を見つめたリョウはハッと我に返った。リョウは端末を握りしめた手を震わせながら

「これはどういうことなんだ」

 掴みかからんばかりの勢いでレオスに迫った。


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