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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第2章 フリーダム
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フリーダム28

 たった10分の旅だった。

 それでもジュリアたちは物珍しそうに車内を見回し、窓の外を眺めていた。特にアリシアーナの様子は今まで本の中でしか知らなかった世界を体験している子供のように瞳を輝かせていた。この様子では一目で旅行者だとわかるだろう。

 リョウはぐるりと乗客たちに視線を向ける。この車両にいるものたちはどれもジュリアたちと同じような顔をしている。本を読んだり、電子ペーパーに目を通しているのはわずかだ。彼らは地元の者か、またはこの惑星に何度も訪れたことのある者たちなのだろう。


 セントラル・シティに着いた途端、ジュリアの目的地はすでに決まっていた。彼らは駅の構内に張り出されている地図の前で立ち止まる。

「こういうレトロな感じが好きだわ」

 ジュリアはどこにでもありがちなディスプレイに映し出される案内板ではないことにうれしさを感じているようだった。

「行くところはね。あそこよ」

 と地図の東側を示す。

「イーストビレッジ……」

 地図の脇にはそれぞれの地区の説明がある。ジュリアの目当ての場所にはセントラル・シティ一のショッピング街とある。

「さあ、行きましょう。アリシアーナ。私たちの出撃の時間よ」

「出撃ですか?」

「そうよ。女にとってショッピングを攻略することは戦いなのよ」

「特にバーゲン会場での様子は、まさに戦場だからな」

 以前、ジュリアのショッピングにつきあってことのあるリョウはそのときの様子を思い出した。

「それに運のいいことに、イーストビレッジではバーゲンシーズンなんですって」

「何だって?」

 リョウは思わず声を上げ、ジュリアを見た。にっこりと笑うジュリア。その笑顔は悪魔的だ。

「さあ、行きましょう」

 意気揚々とジュリアが先頭になって歩き出す後ろを肩を落としたリョウが続く。

「どうして落ち込んでいるのですか?」

 心配そうに顔を見上げるアリシアーナに、リョウは

「きみもわかるよ。一度経験すればね」

 と告げた。


 イーストビレッジはまさに人だかりができて、大変な賑わいだ。運の悪いことに休日とも重なっていたらしい。めぼしい店には入り口からあふれ出しそうなほど人が入っている。

 ジュリアはそんな中を巧みに人をかき分けて奥に進んでいく。しかもアリシアーナまで見事に連れて行くのだ。

 リョウはさして広くない通りを挟んだカフェテラスでコーヒーを注文して彼女たちの帰還を待っていた。周りをみれば、手持ちぶさたな男たちがあちらこちらの椅子に腰を下ろし、向かいの建物に目を向けている。もちろん妻や恋人を待っているのだろう。


 コーヒーを飲んでいたリョウの目に、アリシアーナがやっとの思いで店から出てくるのが見えた。出てきたのは彼女だけのようだ。その様子はぐったりとしていながらもどこか満足げにも見える。彼女はきょろきょろと辺りを見回し、ようやく向かい側にリョウの姿を認めるとほっとした表情を浮かべて道路を渡った。

「ジュリアは?」

「まだ中にいます」

 リョウは彼女のためにウェイターを呼び、オレンジジュースを注文する。アリシアーナはここにくる前にジュリアとともに高級ブティックに寄っていた。そしてそこでジュリアに見立てられた淡いパステルグリーンのワンピースを買い、その店で着替えていたのだ。

 それまで堅苦しいスーツを着せられていた感じの彼女が着替えると、道を行く若い女性と何ら変わらない。品のいい言葉とその仕草に少々目をつぶれば、どこにでもいる普通の女性だ。着替えさせたジュリアはそのことを考えたのだろう。ジュリアはアリシアーナに普通の体験をさせたいと思ったのだ。しかもいきなりバーゲン会場の洗礼とはジュリアらしい。買ったばかりの服も人に押されて少しばかりくたびれてしまったようだ。

「どうだった? 初めてのバーゲン会場は?」

 用意された水をごくごくとおいしそうに飲んだアリシアーナは

「楽しいですわ。それにあそこはとてもすごい迫力でした」

 と目を輝かせる。リョウは彼女の手元に気づいた。アリシアーナは細長い箱を持っている。

「それは?」

「ジュリアが見立ててくれたのです」

 箱の中に入っていたのはペンダントだった。細い鎖の先についているのは、淡い緑の光を放つ発光石だった。発光石は宝石でも貴石でもなく価値としては高くはない。そのため庶民でも気軽に身につけることのできるアクセサリーだ。

「きみによく似合いそうだ。つけてみないのか?」

「一人では無理です」

 残念そうにアリシアーナは答えた。リョウは箱からペンダントを取り出すと、

「こっちにおいで」

 とアリシアーナを促した。怪訝そうな顔をしながらも場所を移動するアリシアーナ。

 リョウが少し身を乗り出すようにして近づく。彼の匂いにアリシアーナは思わず胸が苦しくなるのを感じた。もう少しそばに近づきたい。そんな思いがわき起こる。だが首に触れる冷たさにはっと我に返った。

「よく似合うよ」

 リョウの言葉と同時に彼から離れていた温もりか遠ざかり、アリシアーナはうれしいと思いつつ少しばかり残念に思った。彼はただペンダントをかけてくれただけだったのだ。いったいなにを期待していたのだろう? そう思うと、アリシアーナはついおかしくて笑みを浮かべてしまった。

「どうかしたのか?」

 突然の笑みに戸惑うリョウ。

「いいえ、何でもありません――これ、ありがとうございます」

 アリシアーナが鎖の先の発光石を手にとって礼を言う。

「いや、大したことじゃないよ」

 だが言い終わるやいなや、それまでにこやかだったリョウの表情が一瞬かげった。

「どうかしたのですか?」

 リョウを見つめていたアリシアーナはその変化を見逃さなかった。リョウは顔を上げて

「何でもないよ」

 と明るく答えた。だが内心は違う。彼はあの瞬間、背筋に危険なものを感じたのだ。誰かが何らかの意図を持って見つめている気配だ。今は消えてしまったが、警戒を促すには十分なものだ。どうやら休暇はここで終わりかもしれない。


 ウェイターがようやく運んできたオレンジジュースを静かに飲んでいるアリシアーナは、彼が表面上いつもの笑みを浮かべていることにすっかり安心しきっていた。

 そこに手ぶらのジュリアがやってきた。

「なにも買っていないのか?」

 驚いている彼にジュリアはニヤリとする。

「バカね。わたしが買わない訳がないでしょう?」

 リョウはおそるおそる彼女が出てきた店を見る。後から店員が山のような荷物を抱えてやってくるのではないかとおそれたのだ。何しろこういうことは以前にも経験がある。彼女が買った物をニコラスと二人でよく運ばされたものだ。

「ショッピングはまだ前半戦なのよ。荷物はお店の方で軌道エレベーターまで送ってくれるそうよ。もっともそこから先は……」

「俺が運ぶということか」

「もちろんそうよ。そのためについてきてもらったんだから」

 リョウはアリシアーナが飲み終わるのを見計らって立ち上がった。

「俺は君たちの護衛のつもりなんだが……」

「それもあなたの任務の一つだけど、こっちの方がわたしには重大なの」

 もちろんジュリアも重要なことは理解している。互いにからかいあっているのだ。


 ジュリアは二人を先ほどの店とは違ってワンランク上の雰囲気を持つ店に連れていった。もちろん先ほどバーゲンでにぎわっていた店も決して安くはないのだが、さすがにバーゲン期間は落ち着いた雰囲気も消えてしまう。だが彼女が入った一角は違った。

 先ほどよりも狭い通りの両側には落ち着いた雰囲気の店がずらりと並んでいる。

「わたしはね。こういう店ではとっておきの物を買うことにしているの。そのためにお金も貯めておいたの。買えないにしても勉強になるしね」

「本当に熱心だな」

 と皮肉混じりにつぶやくリョウ。

「だから、第二級帝国臣民でありながらも、医者になることができたのよ」

「第二級臣民なのですか?」

 と振り返ったのはアリシアーナだ。

「そう。リョウと同じマリダスの出身なの。もっともわたしは運が良くて、十二の時に母が惑星クレナシィに移住することができたから、医師の資格を取ることが出来のだけど」

「あのままマリダスにいたら、いくら優秀でも医師にはなれなかっただろうな」

「でもどうして?」

 アリシアーナには惑星国家には第一級と第二級という区別があることは知っていてもその実体はわからないのだろう。惑星マリダスは第二級惑星の中でも最低に位置づけられた惑星なのだ。


 リョウは再び背中に視線を感じた。それはさっきよりももっとはっきりしている。

 リョウは慎重に周りを探った。歩いている人たちは皆、店の中に入ったり、ショーウインドーをのぞいたりと、不審な様子はない。だが嫌な感じは消えていかない。

「ジュリア」

 リョウはさりげなくショーウインドーのスーツに目を奪われているジュリアの横にさりげなく立った。

「買うつもりはないわよ。いくら何でも桁が違いすぎるもの」

 すかさず予防線を張るジュリアだが、リョウはそれにかまわず、

「誰かに見られている」

 とささやいた。傍目からみれば、品定めをしているように見えるだろう。ジュリアは何事もなかったかのように、

「誰なの?」

「わからない。だが初めてじゃない。さっきもあのカフェで一瞬だったが視線を感じた。俺たちに見とれているようなものじゃない」

「戻るべきかしら?」

 ジュリアは隣のショーウィンドーに飾られているいろいろなデザインの帽子を見入っているアリシアーナに視線を向けた。初めてのショッピングを楽しんでいるアリシアーナ。途中で切り上げることになれば、がっかりするだろう。しかも再びこういう機会が巡ってくるとは限らないのだ。一般の人のような自由な行動が許されることは少ない。


 一人の男性が店の中に入ろうとして、足を止めた。彼はドアのそばで熱心に帽子を見ているアリシアーナに興味を持ったのか、声をかけた。

「帽子が好きなのかい?」と。

 顔を上げたアリシアーナは人を疑うことの知らない様子で「はい」と答える。

 その瞬間だった。

 リョウとジュリアの背後にいきなり誰かが迫った。

「抵抗はしない方がいい」

 穏やかだが、その口調は絶対的優位に立っている者の口調だ。

「あなたたちが抵抗すると、お姫様の安全は保障できなくなる」

 男の言葉にジュリアがはっとして、アリシアーナを見た。その視線に気づいたのか、店に入ろうとして彼女に声をかけた男が、こちらに体を向けて上着を開いた。肩掛け式のホルスターには銃が収まっていた。


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