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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第2章 フリーダム
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フリーダム25

 ショーウィンドウに使われているガラスは割れたときに人が怪我をしないように、空気に触れると角が丸くなる性質を持っていた。

 そのおかげで、ショーウィンドウに倒れ込んだときも、リョウは傷つくことはなかった。しかし兵士たちは容赦なくリョウを殴りつけてくる。狙っていた女性がいつの間にか消えていたのも、彼らの怒りの原因だ。その矛先はすべてリョウに向けられる。


 リョウは抵抗しなかった。まずジュリアとアリシアーナを守らなければなかった。抵抗することで一時的な勝利を収めることはできるだろうが、その後はかなりやっかいなことになる。だがただ殴られるだけならば、いずれ彼らも飽きるか疲れるかするだろうし、野次馬が集まり、警備兵たちも無視することはできなくなる。その後は駆け引きだ。惑星政府は帝国軍とはもめ事を起こしたくないのが本心だ。帝国軍の圧力に抗することができずに、リョウのみを悪者にすることも考えられる。だが一度も手出しをしていないとなると、さすがそれはできないだろう。

 思った通り、野次馬に気づいた警備兵たちが近づいてきた。野次馬を追い払おうとしながらも、野次馬たちはなかなか立ち去ろうとはしない。


「これはいったいどういうことなんですか?」

 警備兵たちの中でも年長の方が兵士たちに尋ねる。兵士たちは互いに顔を見合わせる。

「どういうことだと? 見ればわかるだろう? 出しゃばった男に少々お仕置きをしたんだ」

「出しゃばっただって……あんたたちが女性にちょっかいを出して、彼がそれをやめさせようとしただけじゃないか」

 野次馬の一人が叫んだ。

「そうだ、おとなしく引いてもらおうとしていたのに、いきなり殴ったんだ」

「黙れっ」

 兵士たちが取り囲む野次馬たちに怒鳴りつける。一度は警備兵に追い散らされた野次馬たちだったが、再び集まり彼らを囲み始めていた。しかもその目には帝国の兵士たちの横暴に対して憎しみがこもっていた。

 帝国の兵士たちの無法はこれが始めてではない。そのたびに彼らには苦い思いをさせられてきたのだ。だが女性たちを守るために、抵抗もせずに殴られているリョウの姿を見て、何かをせずにはいられなくなったのだ。たとえそれが現実的には何の役に立たなくても。

 兵士たちは周りの雰囲気に気づいた。視線を向ければおとなしく目をそらしていた彼らは変わった。リョウという一人の男をなぶっている間に、彼らの帝国への反感は表面に出ようとするほど増していったのだ。

 そのことに警備兵たちも気づいた。いつしか彼らは兵士たちに屈めがちだった背をピンと伸ばしていた。


 兵士たちも殴られていた男も一時の滞在者。だが警備兵たちは違う。彼らはここで暮らしているのだ。野次馬の中にはショッピングモールの従業員や、宇宙ステーションで働いている者たちの顔もある。彼らが怒りに満ちた目を兵士たちに向け、殴られている男に同情しているのを見て、いつものように兵士たちに対して卑屈になることはできなかった。

 年長の警備兵が、リョウを背に受ける形で兵士たちとの間に割って入る。

「何だ、貴様!」

 兵士たちの視線がその警備兵に向けられた。彼はゴクリと息を飲んだものの、勇気を奮い立たせるように顔を上げた。

「わたしたちはシドラス軌道エレベーターの警備を担当しているものです。惑星シドラスは皇帝陛下より第一級自治権を与えられています。いくら帝国軍とはいえ、陛下が認められた惑星国家での無法な振る舞いは、陛下の御不興を買うことになると思いますが」

「貴様!」

 別の兵士が警備兵に掴みかかろうとする。だがもう一人の兵士がその手を押し止める。警備兵の言葉は正論だった。もちろん下級兵士のこのような行動が皇帝まで届くことはないが、それでも上司たちにとって、またその上の上司たちにとってもそう言われれば反論できない。兵士たちがあからさまに無法なことをしても平然としていられるのは、それを受けた側が様々な思惑から毅然とした態度をとることをしてこなかったからだ。

「あなた方の所属部隊と上官の名前をお聞かせください」

「何だと!」

 兵士たちの顔色が変わる。

「このことを報告しなければいけません。当然あなた方の上官にもです」

「馬鹿なことをいうな。悪いのは向こうだ。俺たちは悪くない」

 見苦しい言い逃れだった。

「わたしは彼が一度もあなた方に抵抗していないことを確認しています。殴っていたのはあなた方だけです。帝国軍の兵士が数人がかりで一人の男を殴ったんですよ。そこのどこに彼に負わせる責任があるというのですか?」

 毅然とした警備兵の言い方にますます兵士たちは分が悪くなる。彼らは互いに視線を交わすと、ゆっくりと後退る。彼らにとっても、上官に報告されれば叱責は免れないと考えたのだろう。

「いいか、俺たちは悪くないからな」

 彼らの一人がそう言い捨てると、くるりと踵を返してその場を離れた。

「おい、待て!」

 警備兵はあわてて彼らを呼び止めるが止まる気配もない。

「おまえたち、彼らを拘束しろ」

 警備兵は部下にそう指示を出したが、部下たちは戸惑う。本当に彼らを拘束したら、大事になることを考えたのだ。

 警備兵がもう一度促しかけたそのとき、

「彼らを追いつめない方がいい」

 彼の部下の手を借りながら立ち上がったリョウはそう告げた。

「彼を追えば、反撃をされるぞ。そのときは君たちの進退に関わることになる。彼らにも意地があるからな」

 リョウが軽く頭を振るとガラス片がきらきらと落ちた。


「これが特殊ガラスでよかったよ。そうでなければもっとひどいことになっていただろう」

 一人ごちてリョウは改めて警備兵たちを見た。

「わたしはこの警備隊の班長をつとめているバーンズです。このたびは災難でしたね」

 リョウと兵士たちの間に入った警備兵が自ら名乗った。

「けがの方は大丈夫ですか?」

「大事にはいたっていないようだ」

「それはよかったです。はじめはなんてやっかいなことをしてくれると思ったんですが……」

 リョウは苦笑した。彼らにしてみれば確かにそうだろう。でもそうは言いつつも彼らの顔はどこがすっきりしている。

「ところで被害者であるあなたには申し訳ありませんが、氏名と身分証を確認させてください」

 リョウはうなずくと、名前を名乗った。そして胸のポケットから身分証を取り出した。

「惑星ハルシアート?」

 聞き慣れぬ名前にバーンズの目が変わった。

「これをチェックしろ」

 カードを受け取った部下は携帯端末に読み取らせる。カードの情報はすぐさま照会されて、端末に返ってくる。

「グラントゥール……」

 その部下は思わずつぶやいていた。

「なに?」

 バーンズが聞き返す。彼は信じられないものを見るかのように、リョウを見つめなおし、

「隊長、彼はグラントゥールの人間です。惑星ハルシアートはグラントゥールの筆頭公爵フェルデヴァルト公爵の直轄惑星です」

 バーンズはあわてて彼の端末を確認した。そして改めてリョウに向き直る。

「グラントゥール人なら、彼らを殴りつけたところで、罪に問われることはないのに、どうして……」


 グラントゥールが、帝国に対して治外法権的存在だと知ってはいたが、ここまで浸透しているとは思ってもいなかった。

 だがバーンズの戸惑いはよくわかる。グラントゥールに関係している惑星の身分証を持つリョウが、有無を言わせず兵士たちを殺したところで、帝国の法では彼が罪に問われることはないのだ。

「なぜです? この身分証さえあれば、何でもできたのではありませんか?」

「確かに彼らを殴って反撃することもできた。だがそうなった場合、わたしが立ち去った後で、彼らも君たちも困ったことになっただろう。グラントゥールという存在は帝国の法律が及ばない。しかも皇帝と密接なつながりのあるフェルデヴァルト公爵と関わりがあるとわかれば、兵士たちには処罰が下される。そして君たちはこうなる前に兵士たちを取り押さえられなかったと、帝国軍から責められることになる」

 警備兵たちは顔を見合わせた。あり得ないことではない。

「それにグラントゥールということを表に出すと、なぜか事は大きくなってしまう。それはちょっと遠慮したかったんだ。とりあえず丸く収まったからいいのではないか?」

 バーンズは納得したことを示すように頷いた。殴られて痛い思いをしたのはリョウだけなのだ。我が物顔で無法を働こうとしていた兵士たちは去り、彼らの任務も無事終えることができる。

「何か手伝えることがありますか?」

 バーンズは服を払ってガラスの破片を落としているリョウに尋ねる。

「向こうに仲間がいるんだ。彼らと一緒にシドラスに降りるつもりでいるんだが、手続きを省いてもらえると助かる」

「お安いご用ですよ」

 バーンズはそう請け負った。リョウの身分証に問題はないが、アリシアーナたちの身分証を詳しく調べられない方が安全だ。もちろんグラントゥールであることを全面に出してしまえば、彼らはアリシアーナたちの身元を調べようとはしないだろうが、グラントゥール人でもないのにその特権を使うことにリョウはためらった。バーンズにはああは言ったが、彼が身分証を利用しなかったのは、そこが主な理由だった。この身分証はあくまでも最終手段としてのものにしたかった。


「おや、いきなり抱きつかれましたね」

 帝国軍の兵士とリョウたちの諍いを彼らは少し離れたところから眺めていた。初老の男の手にはコーヒーの入ったカップ、それより若い男の前には水が置かれている。事態がすべて片づいても彼らの視線は、リョウから離れなかった。抱きついた女性の横に立っているのは、それよりも一つ二つ年上の女性だ。

「あれがアリシアーナか……」

 初老の男は抱きついた方の女性に視線を止めた。

「困った顔をしているようだな」

「そのようですね」

 二人でリョウの困惑ぶりにニヤリと笑った。

「それにしてもあのリョウという男は、利口なんでしょうかね」

「利口ではあるまい。だが賢くはあるようだ」

「賢い……ですか?」

「賢いさ。どうやらハルシアートの身分証とこの一連の騒動で警備兵たちの信頼を得たらしい。警備兵たちはろくにチェックもせずに、アリシアーナたちをシドラスに降ろすぞ。彼女たちの身分証は偽造品だからな。念入りに調べられるとそれがわかってしまう」

「相変わらずアルシオールはケチくさいことをしますね」

「ラキスファンはそう言う男なんだ」

 と初老の男が答える。

「それにしても、なにもおそこまで殴らせなくてもいいとは思いませんか?」

 初老の男はコーヒーをすすると、

「娘に言わせれば、リョウという男はバカ者らしい」

「バカ者? 愚か者ではなく?」

「そうだ。それも大バカ者だそうだ」

「ほう、それは珍しい。よほど彼が気に入っているんですかね?」

「そうだろう」

「ではやはりあなたもシドラスに降りられるんですか?」

「まあな。わたしも直接確認しておくべきだろうからな」

 男はコップの水で喉を潤すと、軌道エレベーターのゲートの向かって歩いていく彼らを見つめて、

「彼女にばれないようにしないといけませんよ、もしばれたら、よけいなことをしたと怒られますからね」

「もちろん、わかっているよ。接触は最低限にするよ」

 疑いのこもった目で初老の男を彼は見下ろして、

「本当にわかっているといいのですが。あなたは時々やりすぎますて、レディ・マーシアを怒らせるではありませんか、レオス卿」


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