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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第2章 フリーダム
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フリーダム20

 通路に出てしばらく歩いたリョウは静かに後をついてくるアリシアーナを振り返った。彼女の表情はさえない。リョウは歩く速度を落として彼女の横に並んだ。

「先ほどのことを気にしているのですか?」

 アリシアーナは顔を上げると、うなずいた。

「なにがそんなに気になるのです?」

「リチャードのことです。彼がどうしてジュリアの頼みを断ったのか、それがわからないのです。この艦に必要なことがあればすべてかなえるようにと、わたしは彼にそう告げていたのです。しかも医師の派遣は人の命に関わることです。それなのに……」

「アリシアーナ様。どの艦にとっても医師は非常に貴重な存在なんです。物資は製造すればいいでしょう。準備さえ整えば時間はそうかかりません。ですが人材の育成は時間がかかります。わたしたちは確かに医師を必要としています。でもリチャード卿たちにも医師は必要なのです」

「でもそれでは、どうしたらいいのでしょう。わたしはあなたたちにできる限りの便宜を図ると約束したのに……」

「リチャード卿にとってなによりも大切なのはあなたであり、アルシオール王国なのです。すでにわたしたちはたくさんの支援を受けています。医師の件は改めてリチャード卿に申し入れましょう。彼らにとっても、わたしたちの存在が必要なのでしょうからね。そのときにはアリシアーナ様の口添えをお願いします」

「ええ。そのときにはリチャードに必ずそうするように言います」

 役割を与えられたことにアリシアーナはうれしそうにほほえんだ。自分がフリーダムの、あえて言うなら、リョウの役に立つことがうれしいのだ。


「あの……」

 アリシアーナは遠慮がちにリョウをみて、

「わたしのことは、アリシアーナと呼んでいただけませんか?」

「えっ?」

 リョウは思わず声を上げた。

「呼び捨てにしろと言うのですか?」

 アリシアーナははにかみながらもはっきりとうなずいた。

「わたくしたちは志を同じくする仲間ではありませんか?」

「それはそうですが……」

 リョウは言い淀んだ。リョウたちは当然ながら、アルシオールを代表して交渉の窓口になっているリチャードも、互いが対等な仲間だとは思っていない。リチャードにとってフリーダムは汚れ仕事をさせるにはちょうどいい相手であり、フリーダムは物資を得るためにその汚れ仕事を断ることができない。そんな関係はとても対等とはいえない。そんな状態の中、リチャードにとって目の中に入れても痛くないアリシアーナをふつうに呼びかけることは、彼を怒らせることになろう。そうなれば物資の補給に影響がでるかもしれない。そんな思いがリョウの頭をよぎる。だが……。

「わかった、これからアリシアーナと呼ぼう」

 リョウは砕けた口調に、アリシアーナの顔が瞳を輝かせ、「はい」と返事をする。その言葉からも喜びが滲み出ていた。


 再び歩きだしたリョウは、アリシアーナを士官専用のフロアに案内した。通路を挟んでドアがずらりと並んでいる。ドアを開けて出てきた士官たちは、リョウの横に立ちアリシアーナを見て驚き、その直後にリョウに気づいて敬礼をする。

「どうしてみなさん、驚いた顔をするのかしら?」

 無邪気な様子でアリシアーナは疑問を口にする。リチャードに余りにも大切されてきたがために世間知らずに育ったのは否めない。普通の人と同じように扱ってほしいといった彼女の思いが少しばかりわかる気がする。アリシアーナは自分の周りよりも世界は広いことに気づいたのだ。そしてゆっくりとではあるが、彼女は自立しようとしている。リチャードはそのことを認めることができないのだろう。それが彼の苛立ちの一つなのだ。そんなことを考えながら、リョウは一つのドアの前に立ち止まり、暗証キーを打ち込んだ。

「ここが君の部屋だよ」

 入ったとたん、アリシアーナが言葉を失った。しばらくしてようやく

「ここがわたしの部屋?」

 と振り返った。リョウは静かにうなずいた。王女として生まれ育てられた彼女の戸惑いがわからないでもない。机とベッドがコンパクトにまとめられた部屋は実用一辺倒で、よけいな空間がない。荷物入れはベッドの上下と小さなクローゼットがあるだけだ。

「あなたも同じなのですか?」

 リョウはうなずく。

「ここは士官クラスの部屋なんだ。兵士たちは階級によって四人部屋や二人部屋を使う。艦長だけはもっと広い部屋を使っているが、それは当然だろう」

「わたくしは士官としてこの船に乗り込んでいるということなのですね」

「そういうことだ――荷物は後で整理するといい。シャワーは部屋にはないからそちらを案内するよ。もっとも俺はその区画の中には入れないからな。わからないことがあれば、後でジュリアに聞いてくれ」

「はい」

 アリシアーナはくすりと笑った。

「グレイハウンドでもここと同じように、わたくしたちと兵士たちとは待遇が違うんですか?」

「おそらくそうだろう。艦のスペースは決まっているからね。ましてや戦闘艦ともなれば、武器や弾薬を詰め込まなければいけないし、当然食料もだ。それにいくら自動化が進んでも人間は必要だ。従って彼らが生活していく居住スペースもね」

「普通の戦闘艦では、これが当たり前なのですね?」

「それぞれの国によっていろいろな違いはあるだろうが、この艦は帝国の標準だ。帝国標準ということは、いくら反帝国組織といえどもこの艦と同じような仕様ということだろう。だいたい艦というのもは、そう大きく変わる必要がないんだ。よほどの技術革新があれば別だろうけどね。いくら機械文明が発達しようと、人間が寝て起きて食事をするということには代わりがないのと同じだよ」

「わたしはずいぶん贅沢だったんですね」

 アリシアーナが独り言のようにつぶやいた。

「そうではありませんか? グレイハウンドはこの艦よりも大きな艦ですけど、それでもわたしは一フロアを自分の部屋のように使っていたんです。寝室は部屋の中心にベッドをおいても十分すぎるほどの広さがありました。バスルームも広かったし、衣装の間や着替えの間、食堂には大きなテーブルがあって、そこでいつもリチャードたちと食事をしていました。厨房もグレイハウンドとは別でしたし、そのフロアにはわたし専用の娯楽室まであったのです。わたしの侍女たちやほかのものたちもそれぞれ十分な部屋をいただいていると聞いています。わたしたちが艦の限られた空間を贅沢に使っているということは、グレイハウンドの本来の住人である兵士たちがその分不自由を強いられていたということですね」

 リョウは彼女が素直にその事実を受け止めたことに感心した。一国の王女として大勢の人に守られて暮らしてきた彼女だが、特権階級にありがちな黒を白と言い張るような強情さはなかった。彼女はそういう階級に生まれついていながらも、自らの非を素直に認めるという美点を持っているのだ。彼女がこのままいろいろな経験を積んでいけば必ずいい君主になれるだろう。

「グレイハウンドがどういう割り振りをしているかわからないが、兵士たちは確かに窮屈だろうな。でもそれは艦隊を指揮しているフラー将軍の管轄だよ。君がいくら王女だからといって、彼にこうしてくれとは命令しない方がいい。彼には彼の考えがあるし、立場があるのだからね。俺がこう言えるのは、アルシオール王国の援助は受けているが、臣下ではないからだ。でもフラー将軍はそうではないだろう。だから彼とは立場が違うんだ。君は兵士たちにそういう思いをさせているのだということを忘れなければいい。そうすれば、君のことだ、自然と兵士たちに対する心遣いもわかってくると思う。兵士たちの方も君の思いを理解してくれるはずだ」

 リョウの言葉は落ち込みかけたアリシアーナを優しく励ましていた。

「このことは決して忘れません」

 そう誓うアリシアーナ。リョウは彼女が心の底からそう考えているの感じ取った。


「そろそろ食堂を案内するよ。ちょうど食事時間だしね。ただし味の方は期待しないでほしい。何しろ、中古のミールマシンを修理しながら使っているんだ。俺にいわせれば、携帯栄養食よりはましな味だ」

「ミールマシンというのはなんですか?」

 アリシアーナには聞き慣れない言葉だったのだろう。そしてリョウは彼女が使っていたグレイハウンドのフロアには厨房があると言っていたのを思い出した。厨房があるということはそこに料理人がいると言うことだ。

「自動調理器のことだよ。この艦には料理人はいないからね。当番がメニューを決めて材料をセットすれば後は機械がやってくれるんだ。材料と言っても人造肉の元とかなんだろうけどな。だから味は保証できない。後で紹介するが、ブリッジにいるエディなんかはとても人間が食べるものじゃないと言うよ」

「あなたもそう思っていらっしゃるのですか?」

「そこまでは思わないが、まずいことだけは確かだな。だがヒューロンでの食事を思い浮かべれば、それでもごちそうだよ。あまりにもまずいものが出た時は、収容所での食事を思い返しているんだ」

「収容所の食事ですか……ヒューロンの収容所は帝国の中でも過酷なところだと聞きましたが、どんな生活をなさっていたのですか?」

 アリシアーナにしてみれば無邪気な問いかけの一つにすぎなかった。だがその無邪気さが、リョウの心の奥底にある怒りの扉を開けた。

「知ってどうしようというのですか?」

 感情を抑えた声にアリシアーナが思わず足を止める。その驚いた表情に、リョウははっと我に返った。

「すまない。君を怖がらせるつもりじゃなかったんだ。ただヒューロンのことは話したくない。あまり楽しい思い出ではないんだ」

 その静かな口調に、それは彼にの中ではとても深い傷となっていて、まだ癒えていないのだとアリシアーナは悟った。



「ごめんなさい。とても不躾なことを訊いたみたいですね」

 素直に謝罪するアリシアーナにリョウは再び優しい視線を向けた。

「君が悪いわけじゃない。たたせ俺がまだ話せる状態ではないんだ。なにも知らない君に説明するには、まだ俺には生々しすぎるからね。要は俺自身の問題なんだ。すまない」

 アリシアーナは気にしないでくださいと首を振る。


 アリシアーナと歩きながら、リョウはマーシアのことが浮かんだ。マーシアと別れる数日前にマーシアが囮になって彼女の暗殺計画を潰したあのとき、マーシアは問いかける彼ににべもなく『知る必要はない』と言った。それまで一度も彼を拒絶したことのない彼女がはっきりと拒絶したのだ。そのときのショックを今もはっきりと覚えている。

 今思えば、あれはマーシアのまだ癒えぬ深い傷口に手を突っ込んだのと同じだったのだろう。暗殺未遂とアルシオールの関与。マーシアにとってアルシオールとの関係はいったいどういうものなのか?

「アリシアーナ」

 リョウは思わずアルシオールの王女である彼女を呼び止めた。

「君は……」

 君はマーシアを知っているかい? そう訊こうとした瞬間、彼は自分がマーシアに言った言葉を思い出す。マーシアが話すまで待つと言った言葉を……。そう、自分はマーシアにそう約束したのだ。彼女が話す気になるまで待つと。

「どうかしたのですか?」

「いや、何でもない。何でもないんだ」

 立ち止まって不思議そうにリョウを見上げているアリシアーナにそういったリョウは、すぐ前のドアが食堂のものであることに気がついた。

「ここが食堂だ。まずは食事をしよう」

「はい」

 アリシアーナがうれしそうにうなずいた瞬間だった。

 いきなり警戒警報が鳴り響いた。それまで穏やかだった照明が突然警戒レベルを表すものに変わる。食堂のドアが開き、中にいた兵士たちが飛び出してくる。

 あちこちからもくつろいでいた士官たちが、ある者は制服代わりのジャケットに手を通しながら、またある者はパンを飲み込みながら一目散に所定の場所に走っていく。それはまるでマラソンのスタート直後のように人の塊が押し寄せてくるようだ。

 リョウはとっさにアリシアーナをかばう。

「いったいなにが起きたのですか?」

 リョウの体の中で、アリシアーナは不安げな声で訊く。

「帝国軍に見つかったんだろう」

「帝国軍に?」

 リョウは腕の中の彼女を見下ろして、

「俺たちは反逆者なんだ。そんな俺たちにこの銀河で安全な場所はないんだよ」


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