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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第2章 フリーダム
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フリーダム16

 リョウはコーヒーがたっぷりはいったカップをソーサーに戻し、顔を上げてニコラスを見た。

「本気なのか?」

 ニコラスはうなずいた。

「よくリチャードが止めなかったな」

「止めようとしたらしい。だがアリシアーナ王女の意志は揺るがなかった。しかもフラー将軍が後押ししていては、さすがのリチャードも彼女に断念させることはできなかったらしい。こちらに連絡してきた彼の憮然とした顔はしばらく忘れられないな」

 ニコラスの顔に浮かんだのは暗い笑みだった。確かにリチャードとはそりが合わない。だが以前の彼なら、こんな笑い方はしない。もっと豪快に笑って「ざまぁみろ」と言い放ったはずだ。

 リョウはそんな彼の変化に戸惑いながらも、しかし同時に納得もしていた。三年の月日は人を変えるのには十分だ。おそらくニコラスの目から見れば、自分も以前の自分ではないのだろう。

「王女はこの艦が戦闘鑑であることを当然承知なのだろうな?」

「リチャードが口を酸っぱくしてこの艦に乗り込む危険を説明しただろう。それでも王女は意志を曲げなかったんだ。どうしても前線で戦っている俺たちと生活をともにしたいといってな。王女には実感がないんだろう。俺たちは戦っている。その上でかろうじて生き残っている。そのことの意味が彼女には頭でしかわかっていない」

 ニコラスはそういうとコーヒーに口を付けた。そして、

「一度体験すれば、いやでも理解するだろう。自分たちのやっていることの本当の意味をな。そうは思わないか?」

 確かにその通りだ。アリシアーナは何もわかっていない。生きるか死ぬかという戦いがどういうものか。フラー将軍が指揮している艦隊は王女を護衛するための艦隊で、何よりも彼女を守るのが任務だ。敵との交戦をあえて行うことはしない。


「遊び気分でこの艦に居座られても、俺たちの足手まといになるだけぞ」

 ニコラスは王女を受け入れる気のようだが、リョウは反対だった。この艦はいまもぎりぎりの体制で航海し戦っているのだ。人員ならいくらでも欲しいところだが、役に立たない人間ではかえって邪魔になる。しかも王女はただの人物ではない。後援者でもあるアルシオール王国の重要人物だ。いくらここの乗組員と同じ待遇を望んだとしても、警護は必要だ。少ない人員の中から、人手を割かなければならないのは決して好ましいことではない。

「フラー将軍どう考えているんだ?」

 リチャードは王女に近い存在だ。だからかえって、押し切られることもあるだろうが、大勢の兵士に責任を持つ立場の彼なら、冷静な判断を下すはずだ。

「彼女のためになることだと言って、彼が一番に賛成したらしい」

 しかもリチャードを説得したのも彼だという。リョウは驚いた。

「アルシオール王国にとって王女は王位継承者だろう?」

「次期女王だ。今のうちに少し世間を知るべきだと思っても不思議はない」

 初めて会ったときの王女の印象は、残酷なことは見せないように人の悪意は感じさせないように、真綿に包まれた人形のようにとても大切にされてきた女性というものだ。それでは今の時代を生き抜くのは難しいだろう。帝国が崩壊しても、またまだ存続しても宇宙は以前のような停滞の時代に戻ることはないのだ。帝国が滅びず自分たちが滅びたとしたら、そのときはそのときで粛清の嵐が吹き荒れることは間違いがない。それぞれの国の指導者たちは死力を尽くしてその嵐に立ち向かわなければならないだろう。もちろん反帝国勢力が勝利したとしても、一つの政治体制の終わりは大きな混乱をもたらす。箱入りのお姫様では対処しきれないのは確かだ。

「王女がこの艦に乗り込むことは決して悪いことばかりじゃない」

 ニコラスはそういってリョウの注意を引いた。

「王女が最前線に立ってみたいというのなら、特に俺たちの艦でなくてもいいはずだ。それを彼女はこの艦を指定してきたんだ。そしてフラー将軍もそのことに賛成している。それだけ俺たちは彼らに信頼されているということだろう。ほかの反帝国勢力からも一目おかれる可能性もある」

 リョウはその言葉には賛成できなかった。アルシオール王国からの信頼を得たからと言って、反帝国勢力がフリーダムを自分たちの仲間と認めることはない。アルシオール王国そのものが彼らから認められていないのだ。リョウは静かにコーヒーを飲んだ。そんな彼に、ニコラスは一瞬苛ついたような視線を向ける。

「それに王女は人質にもなる」


 リョウは手を止めて、ニコラスを見つめた。

「人質だって?」

「ああ、そうさ。王女がこの艦にいる限り、アルシオールの連中は俺たちを見捨てることはない。物資の補給を滞らせることもないだろうし、何より彼女が乗っている以上、危険で汚い仕事をさせることはないはずだ。そうは思わないか?」

 リョウは返事の代わりに、コーヒーを飲む。そうかもしれない。それはわかる。だがそのために王女を利用するというのが、棘のように心に突き刺さる。

『甘いな』

 不意にマーシアの声が聞こえた。彼が仲間たちのために囮になったことを知ったマーシの感想だ。あのときはその言葉に腹を立てたが、今はそれが事実だとわかっている。

「気に入らないか? こういう考え方は?」

「気に入らないと言うより、俺はそういう考え方を無意識に避ける傾向があるらしい。だがおまえがそう決定するなら、俺は従う」

 ニコラスは満足げにうなずいた。


「それにしてもおまえは変わったな?」

 リョウの言葉にニコラスが眉をひそめる。

「昔のおまえなら、こんなことは考えつかなかったんじゃないのか?」

 ニコラスは遠くを見るように、視線をはずすと、

「いつまでも昔のままではいられない。おまえだってそうじゃないか? あのころのおまえにこんなことを提案したら、おまえはすかさず却下したはずだ。だが今は俺の提案をのむんだろう?」

 三年の月日は二人の立場を変えた。上官と部下という関係から、アドバイザーと組織のリーダーに変わった。そしてニコラスはリーダーとして成長もしている。一方、このフリーダムにおけるリョウの立場は微妙なものだった。

「正直に言うとそういう計画は好きじゃない。だが、それは俺自身の問題であって、計画自体は有効だろう。おまえの考えているとおり、王女を俺たちが押さえている限り、アルシオールは高飛車にでることはない」

「彼らがこの件を言い出したときに真っ先にそのことを考えたんだ」

 リョウに認められたことにニコラスは気をよくしたようだ。

「そこでおまえに頼みたいことがある」

「なんだ?」

「王女の護衛をしてくれ」

「俺が護衛を?」

「そうだ。おまえが一番の適任なんだ。戦闘能力はこの艦の誰よりも優れているし、彼女がどういう存在なのかしっかりと認識している」

「それはこの艦にいるときも、なのか?」

 ニコラスはうなずいた。

「この艦に彼女の敵対者でも乗っているというのか?」

 乗組員の中には、アルシオールの高飛車な態度を嫌っているものも少なくない。だがそういうものたちでも、アルシオールの重要性を理解している。彼らに見捨てられたら、反帝国運動をするどころか、明日の食事にも困る事態になると。そんな状態なのに、王女を害そうとする人間がいるとは思えない。とはいえ、マーシアのように自分の側に仕えていた者から命を狙われるということもないとは言い切れない。

「ただ王女を守ってくれと言っているんじゃないんだ、リョウ。彼女は俺たちの生活をしてみたいと思っている。だが今まで普通の暮らしをしてきた人間じゃない。謁見したときのことを覚えているだろう。多くの人々に囲まれて何不自由なく過ごしてきたんだ。戦艦に乗っているとは言っても、戦いの音なんか聞いたこともないだろう。そんな彼女がいきなり最前線に飛び込んでくるんだ。戸惑うことの方が多いはずだ」

 ニコラスの言葉を黙って聞いていたリョウは、彼の真意を読みとった。ニコラスが口にしない言葉――それは……


「俺に護衛だけではなく、王女の世話係をしろというんだな? それは俺に戦闘からはずれろと言う意味なのか?」

「バカなことを言うな」

 だがリョウはコーヒーを飲んでいるニコラスの手が一瞬こわばったのを見逃さなかった。

「これからもおまえのアドバイスは必要だ。先日のように、的確な助言があればこそ、こちらの損害は軽微ですんだんだ。だからこそこの重要な役目を任せたいんだ。もちろん補佐にはジュリアをつける。彼女なら女性同士だから、おまえには言えないことも言えるだろうしな」

 リョウは視線をカップの中に落としたあと

「わかった。心してその任務を引き受けよう」

 ニコラスは安堵の表情を浮かべる。

「相手はお姫様だからな。大変だろうが頼む」

 深々と頭を下げた。

「ニコラス。おまえはこの艦の艦長だぞ。そう頭を下げるな。おまえは俺の上官として任務を命じたんだ」

 部下がそれを拒否するにはよほどの理由と覚悟がいる。ここは帝国ほど規律が厳しくはないが、だからといってなあなあとすませることはできない。その上であえてリョウは、ニコラスに自分の立場をはっきりとさせた。そのためにニコラスの部下だ、と告げたのだ。

 どことなくニコラスの顔から気張ったものが薄れた。と同時に自分にもそれなりの覚悟ができたようだ。自分がもはやこの艦の指揮を執ることはない。

 リョウはコーヒーの礼を言い、ニコラスの部屋を辞去した。

 ドアの閉まる音が、いつになく冷たく大きく彼の背中に聞こえた。リョウは一瞬、立ち止まり振り返りかけたが、思い直して階下にある自分の部屋に向かって歩きだした。


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