表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第2章 フリーダム
57/142

フリーダム11

 会議室のドアが閉まった瞬間、ジュリアが大きく息を吐き出した。

「ようやく終わったわね」

 強ばった体をほぐすように、ジュリアは軽く肩を回し、

「今まで、こんなに冷や汗をかいた『ご挨拶の時間』はなかったわよ」

 とリョウを睨んだ。

「一時はどうなるかと思ったわ。リチャードはああいうことにはすごく厳しいのよ。ニコラス、彼に何も言わなかったの?」

 ジュリアの矛先がニコラスに向かう。

「いや、彼が悪いんじゃない。彼はちゃんと注意したんだ。何度もね」

 リョウは大きく息を吐くと、

「俺が悪いんだよ。頭を下げるだけなのは理解していたんだが、いざとなるとどうしてもできなかったんだ。すまなかった」

 素直に頭を下げられてはジュリアも何も言い返すことができない。彼女は短くため息をつくと、

「でもあれだけですんで本当に良かったわ。リチャードには嫌われたでしょうけど、かえってアリシアーナ様には気に入られたようだし……。ねぇ、そう思わない? ニコラス」

 呼びかけられたニコラスははっと我に返ったような表情を浮かべた。どうやら心ここにあらずだったらしい。

「珍しわね、あなたがぼっとするなんて。どうかしたの?」

 ジュリアは心配そうにニコラスの顔をのぞき込む。

「大丈夫だよ。それにいつものようにはいかないだろう。何しろああいう事態になるとは思わなかったからな」

「すまん」

 リョウはニコラスに向き直った。

「だが、おまえらしいといえばおまえらしいよな。おまえにとってああいう挨拶は不本意だったんだろう。一方的に見下される感じがするからな。だがアリシアーナ様にとってあれが普通なんだ。俺たちがそんな風に考えているとはさっきまで思ってもいなかっただろう」

 ニコラスは改めてリョウを見、

「おまえがうらやましいよ」

「俺がうらやましいだって? おまえがか?」

「ああ、そうさ。おまえのああいう度胸がな」

「馬鹿なことをいうな。俺はそれだけ世渡りが下手なんだよ。そのせいで何度もとんでもない目に遭っているだろう」

 その言葉にニコラスはいろいろと思い当たって、

「確かにそうだな」

 と、にやりと笑った。


 コーヒーの香りが会議室に漂う。

「懐かしい香りだな」

 リョウはジュリアからカップを受け取るとつぶやいた。

「相変わらず、鼻がきくのね。これはあなたが気に入っていた銘柄なの」

「ジュリアはこれを今の今までずっととっておいたんだぜ。俺には安物のしか淹れてくれないんだ」

 ニコラスが大げさに嘆いてみせる。リョウが思わず吹き出す。こうしていると帝国軍人として惑星クレナシーの休暇中、ジュリアのもとを訪ねていた頃に戻るようだ。

「あのねぇ、ニコラス。リョウはここ数年まともなコーヒーなんて飲んでいないのよ。やっとわたしたちの元に戻ってきたんだから、その最初の一杯は彼のお気に入りじゃないとだめでしょう」

「確かにそうだが……」

 それでもまだ恨めしそうな口調に、ジュリアが「しつこいわよ」と一撃を食らわす。

 リョウはコーヒーを飲みながら二人の様子に目を細めた。ニコラスはこの三人しかいないからこそ、こういう姿を見せるのだ。こんな姿を彼の部下たちは知ることは決してないだろう。

 そんな穏やかな雰囲気が一変したのは、再び会議室のドアが開いた瞬間だった。そこにリチャードの姿を認めたとたん、ニコラスが艦長としての顔に変わる。

「コーヒーを飲みますか?」

 と、ジュリアが声をかけるが、

「必要ない。わたしは安物は飲まないんだ。口に合わないからな」

 ジュリアの心の扉がバタンと閉まるのをリョウは見た。ジュリアは笑顔を引っ込めて、彼のために用意しかけたコーヒーカップを元に戻す。「嫌みな奴」と唇が動くのを見る。リョウはニコラスの視線に気づいた。彼はいつものことだと言いたげだ。リョウはうなずいた。こんな事でリチャードと対決する気はない。

 リョウはリチャードが着席するのを待って、椅子に腰を下ろした。

 そして何の前置きもなく、作戦会議はすぐに始まった。


 ニコラスは端末に提示された情報に渋い顔を浮かべる。

「これをすべて俺たちだけで破壊せよ、というのか」

「たいした数ではあるまい。目標は無人警戒衛星だ。衛星といっても惑星の周りを回っているものではない」

 ニコラスが一瞬苛つき、目を上げる。無人警戒衛星というのは、星域の各所を監視するネットワークを構成しているものなのだ。要塞と呼ぶほどの機能はないが、監視エリアに侵入してきたものをそのエリアの司令部に報告すると同時に攻撃を加える。

「だがこれだけの数を攻撃すれば、こちらにもかなりのダメージを受けることになる。一度や二度の攻撃ならまだしも、この計画では最終的にこの星域の半数の無人警戒衛星を破壊することになる。攻撃がわかれば帝国も手を打ってくる。そのことを考えれば……」

「おまえたちでは手が余るか? たかがコンピュータ制御の機械ごときに?」

 蔑むような口調にニコラスがぐいっと顔を上げた。

「そんなことはいっていない」

「だったらわたしの作戦を実行すればいい。それとも断るか? そうなればアルシオール王国との縁もこれまでになるが、どうする?」

 ニコラスが反論できずに唇をかんだ。勝ち誇ったような笑みがリチャードの顔に浮かぶ。謁見の間で、リョウに負けた腹いせをしているようにも見える。

「目的はなんだ?」

 リョウがようやく口を開いた。

「目的だと?」

「アルシオールがこれらの警戒衛星を排除する理由だ。その理由がわかればもう少し効率よく目的を達成することができるはずだ」

「効率よく目的を達成するだと?」

 リョウはうなずいた。

「この作戦計画をそのまま実行するにはあまりにもリスクがありすぎる。この通りに戦えば、戦えば戦うほど、帝国軍を引きつけることになる。我々としてはそのリスクを少しでも減らしたい」

「この計画は不完全だといいたいのか!」

「この計画書ではそれを判断することすらできない、といっているんだ。せめてもう少し情報が欲しい」

 リチャードはじろりとリョウを睨むと、口元に嫌みのこもった笑みを浮かべる。

「おまえはかつて帝国軍の軍人だったそうだな」

 リョウは黙って彼を見た。

「その様子だとずいぶんと嫌われただろうな」

 そうつぶやいたリチャードは不意にニコラスに向き直り、

「わたしたちが必要としているのは、わたしの計画を速やかに実行する兵士だ。わたしの代わりに作戦を考える参謀じゃない。ニコラス、この艦の指揮官はおまえのはずだ。返答を聞こう、この計画を実行する気はあるのか?」

 それは完全に優位に立つ物の横柄な言い方だった。だが断ることができるほど、フリーダムの基盤は強くはない。この間はアルシオールの援助なしには行動できない。リョウは一瞬向けられたニコラスの視線を捕らえた。ニコラスは深く息を吐き出すと、顔を上げた。

「もちろん計画は実行する。心配はいらない。我々はアルシオールの期待に必ず応えるだろう」

 その時初めてリチャードの顔に満足げな笑みが浮かんだ。そしてその目は、「どうだ」といわんばかりにリョウに向けられた。リョウは何事もなかったかのようにその視線を受け止めるが、それがやはりリチャードの癇に障ったらしい。彼はきっとリョウを睨むと、視線を外し無視する。

「では後は任せる。吉報を待っているぞ」

 そう言葉をかけてリチャードは会議室を出る。ドアが閉まると同時に、ニコラスは深く息を吐き出し、リョウを見た。


「おまえはアルシオールに喧嘩を売るつもりなのか? どのみち俺たちに選択の自由はないんだ。それは帝国軍でも同じだっただろう。それがどれほど無意味な作戦でも俺たちは従わされていた。違うか?」

「確かにそうだが、今の俺たちは帝国軍じゃないんだぞ。それに俺はそれほど過大な要求をした覚えはない。彼らは実際の戦いを知らないと言っていい。だから作戦を立てるところは俺たちに任せて欲しいんだ。その方が効率がいいし、犠牲も少ない。この計画ではただ消耗するだけだ。物資は補給すればいいだろうが、人はそうはいかないんだぞ」

「そんなことはわかっている。俺だって間抜けじゃないからな。だが彼らと袂を分かつような真似はしたくないんだ。彼らの方が俺たちよりも優位に立っているのは事実だし、俺たちは彼らの援助がなければ、艦を動かすことすらできないんだ。言われたまま戦うしかない。おまえには補給の苦労はわからないだろう。粗悪品のセレイド鉱石を手に入れることすらできず、それどころか食料すらも底をつきかけているような苦しい思いはな!」

 ニコラスは吐き出すようにいった。リョウは応えられない。確かに彼には艦を動かす上での苦労はしていない。だが飢えという意味でなら、ヒューロンで味わっている。生きるか死ぬかという思いも、絶望しかない日々も彼は経験していた。だがあえて彼はそのことを口にしなかった。比べたところでどうしようもないことだ。

「ニコラス、リョウだってあなたのことはわかっているわ」

 二人の間に割って入ったのはジュリアだった。

「リョウもあなたがこの艦の指揮官だということは認めているのよ。あなたが決定したのなら、彼は従うわ。そうでしょう、リョウ?」

 リョウはうなずいた。その様子を見てニコラスの腹立ちも収まったようだ。

「とにかくこれだけはわかってくれ。今の状態では、彼らの力なしには俺たちは何もできないんだ。だから彼を怒らせるような真似はしないでくれ」

 リョウはその言葉に目を閉じる。そして心の中にわだかまる思いを封じ込めると、

「わかった、ニコラス」

 リョウは再び目を開けて静かに応えた。 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ