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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第2章 フリーダム
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フリーダム09

 アリシアーナは謁見の間として使っていた部屋の奥にある私室に入ると、右手を見つめたままほっと甘いため息をついた。その手を優 しく握りしめた彼の手は大きくてとても力強かった。

「リョウと呼んでくださってもかまいませんよ」

 彼は気さくにそう言った。そんな人は初めてだった。いつもは自分から呼びかけを決めるのに、でも決して嫌な感じはなかった。とても親しげで……今までそういう風にしてくれた人はリチャードやフラー将軍ぐらいだ。そんな二人でも見えない線があるようで、そこから先には入ってこない。彼のように微笑みかけたりはしない。

 いつもそれが当然だから、彼のような人がいるなんて思いもしなかった。真っ向から見つめて、何にも臆することなくはっきりと自分の意見を言う人なんて……。


「姫様? 右手をどうかされたのですか?」

 子供の頃から仕えてくれている侍女頭の言葉にアリシアーナははっと我に返った。

「あの野蛮人に怪我をさせられたのですか?」

「野蛮人?」

 アリシアーナは憤りを隠せない女官長のミカエラ夫人の言葉に振り向いた。

「野蛮人って誰のことなの?」

「誰って、決まっているではありませんか。姫様の手を掴んだあの男ですよ。まったく汚らわしいったら。姫様は高貴なお方なんです。あのような血にまみれた男が気安く触れるとは。まったく自分の立場をわきまえていないというか……。声をかけていただくだけでもありがたいことだと言うことがまったくわかっていないんだから」

 アリシアーナは次々と吐き出される言葉に目を丸くした。侍女たちをとりまとめている彼女が、このような言葉をアリシアーナの前で使うのは珍しい。いつもはそういう侍女たちを諫めているのが彼女の役割なのに。それほど彼女にとってリョウの態度は許せないものだったのだろうか?

「姫様、ご気分が悪いのではありませんか? あんな男に触られて、気持ちが悪いのでは? もしそうでしたら、急いで侍医とリチャード卿をお呼びしますよ」

「とんでもない! その必要はないわ!」

 アリシアーナは思わず大きな声で断った。その声にミカエラ夫人だけではなく自分も驚いた。こんな強い言い方は今までしたことがない。


「姫様……」

 ミカエラ夫人が呆然としている。

「大きな声を出してごめんなさい。でも本当にだいじょうぶよ。だからリチャードは絶対に呼ばないで」

「本当に?」

 彼女は母親のような心配顔でのぞき込む。アリシアーナはうなずいた。

「でもさっきから右手を押さえているではありませんか?」

「これは……」

 アリシアーナは頬が熱くなるのを感じた。

「これは……何でもないのよ……」

 説明しようとしてもなんて言ったらいいのかわからず、アリシアーナは口ごもり結局手を離して、やり場のない手を背中に回した。

「リョウは決して野蛮人ではないわ。紳士でとても優しい方よ。握手をしたときだって強く握ろうと思えばできたのに、ただ優しく包むようにしていただけなの」

 頬が火照るのをアリシアーナは止められない。鏡を見れば赤くなっているの彼女にもわかっただろう。一方ミカエラ夫人は子供の頃からアリ シアーナの世話をしていただけある。その様子からアリシアーナの中で何が起きたのか理解した。


「男の人の手はみんなリョウのような感じなのかしら?」

 アリシアーナは着替えさせてもらいなから尋ねる。

「どんな感じだったんですか?」

「大きな手だったの。とても温かくてそして力強かったわ」

 ミカエラ夫人は視線を遠くに向けて、思い出すように微笑むと、

「わたしもそれほど男性を知っているわけではありませんが、亡くなった夫の手は大きかったですよ。王宮で庭師をしていましたから力強い感じがしました。リョウという彼も、兵士ならきっと常に銃を持っているのでしょう。力強くて当然です」

「いつも銃を持っているの? でもさっきは……」

「フラー将軍から聞いたことがあります。こういう艦の中では決められた者しか銃は持たないのだそうです。しかも姫様との謁見の時は武器を一切携帯しないのが決まりです。またリチャード卿やフラー将軍も謁見の時は銃を持つことができません。だからあの棒のようなものが必要なのだそうです」

 ミカエラ夫人はエネルギースティックを棒のようなものと表現した。

「リチャードは武器のない人間に襲いかかったのね」

「姫様を守ろうとしただけですよ」

 そう弁護した侍女頭だが、くすりと笑って

「それにしてもリチャード卿を倒した彼はすごかったですね。リチャード卿が剣を抜いたと思ったら、次の瞬間には床に押さえ込まれていたんですから」

「ええ、本当に。ああいうのは初めて見たわ」

「わたしもです――さあ、終わりましたよ」

 アリシアーナが脱いだ服を片手に持ち、自分の仕上げを確かめた。

 そこに取り次ぎの侍女が現れ、

「リチャード卿がお会いしたいとお見えになっておりますが、いかがいたしますか?」

 アリシアーナはミカエラ夫人と顔を見合わせ、

「こういうのを『噂をすれば影』と言うのですよ」

 とささやく。くすりと笑うアリシアーナ。

「リチャード卿を次の間にお通しして、すぐに伺いますからと告げてね」

 リチャード卿が取り次ぎの侍女を通して、面会を申し込むのは形式上のことだった。リチャードとの面会をアリシアーナが拒否したことは今まで一度もない。リチャードがいなければ外の情報はまったくといっていいほどアリシアーナには届かないのだ。それではまるでアルシオールの王宮にいたときの生活とほとんど変わらない。そうではないものを求めて父である国王に是非にとお願いして宇宙に出してもらっているのだ。


 アリシアーナがリチャードと会うのは、謁見の間のような公的な部屋ではない。プライベートの部屋の一つである居室だ。ここに入ることができるのは、身の回りを世話する侍女たちの他は、リチャードとフラー将軍だけだった。たとえこの艦隊の上級士官とでも、ここに入ることはできない。

 アリシアーナが居室のいつもの椅子に腰を下ろすと、すぐに『次の間』と言われている部屋に通じるドアが開く。

「姫様、ご機嫌はいかがですか?」

「気分はとてもいいわ。でもどうしてそんなことを聞くの?」

 アリシアーナはリチャードの顔から、謁見の間での出来事を気にしているのがわかる。

「握手をされたからと言って、わたしの気分が悪くなるとみんな思っているみたいね。でも嫌な気分はしなかったわ。あれが普通の挨拶なのでしょう?」

「普通というか……」

 リチャードは言いにくそうな顔でアリシアーナを見る。

「嘘をついてもだめよ、リチャード」

 ミカエラ夫人の次にアリシアーナはリチャードと過ごしてきた。彼がアリシアーナの側近として仕えるようになったのは、彼女がまだ十三か、四の時。それから彼は側近と言うよりも兄のような存在でもあった。

 リチャードは軽く息を吐き出すと、

「確かに一般ではそうするのが当たり前です。ですが、姫様は彼らとは違います。いずれ父上の跡を継いでアルシオール王国の女王として、また帝国が滅んだ暁には皇帝に変わる統治者としての立場があります。そのことを十分自覚してください」

 それは何かあるたびにリチャードが口にする台詞だった。アリシアーナは姿勢を正すと、

「わかっています、リチャード卿。ここでの生活もその一環なのだと言うことも。でも彼らの気持ちを知る必要もあるのではありませんか? 民の心を知らないものが一国を統治することは難しいでしょう」

 リチャードは真面目な口調で告げるアリシアーナをじっと見つめたあと、その謹厳な顔に笑みを浮かべた。堅苦しさが消えて、青年らしい顔になる。

「まったく困ったお姫様だ」

 アリシアーナは滅多に見せない彼の笑みに、うれしくなった。

「わざわざお小言を言いに来たのではないのでしょう?」

 とリチャードの顔をのぞき込むようにアリシアーナは言う。そんな仕草にも彼の笑みは消えない。

「ええ。姫様の様子を知りたかっただけです。あの男の態度にショックを受けていないのか少し心配だったので。でもまぁ、何事もないようなので安心しました」

「初めは少し驚いたけど、大丈夫。それよりこれからどうするの?」

「彼らには次の攻撃目標と作戦の説明をします。それが終わればわたしたちは再び宇宙を旅します。何か彼らに特別に伝えることはありますか? もしなければ、いつもの通り……」

「作戦の成功を祈っている、とあなたが代わりに伝えてくれるの?」

 アリシアーナは横から言葉を挟んだ。それがいつもの挨拶だった。それ以上彼女は何も言わなかった。だがどうやら今回は違うらしい 。アリシアーナは必死で言葉を探しているようだった。

「だめね。何も思いつかないわ。命をかけて戦っているあの人たちに何か励みになるような言葉を、と思うのだけど……」

「姫様がそこまで気を遣う必要はありません。彼らは姫様が時折訪ねてくれるだけで、特別に気にかけてくれているのだと言うことは十分理解しているでしょうから」

「そうかしら……」

 アリシアーナにはそんな自信はなかった。いやリョウと出会う前になら、その通りだと思っていただろう。だがリョウのあの毅然とした態度を思い出すと、彼女がこうして訪れることで、特別な感謝を感じるようなことはないように思える。

「あの……リチャード」

 一通り報告を終えたリチャードが彼らに会いに行くために立ち上がると、アリシアーナは少し遠慮がちに

「リョウにあまり厳しくしないでね」

 と頼んだ。リチャードは眉をひそめる。

「リョウに、ですか?」

「あなたはあまり彼のことが好きではないみたいだから……」

 小声でつぶやくアリシアーナにリチャードは少し笑って

「心配はいりません。わたしはこれでも一応軍人です。公私混同するようなことはしません」

 その言葉を聞いて、アリシアーナはほっとした表情を浮かべた。


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