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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第2章 フリーダム
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フリーダム06

「アルシオールの連絡艇、着艦作業終了しました」

 艦内環境を監視していたフリッツの報告にニコラスはうなずくと、

「エディ、リョウに俺の部屋まで来るように伝えてくれ」

 エディは振り返って復唱する。

「ルーク、後は頼むぞ」

「わかりました」

 航海オペレーターの席からルークが応える。神妙なその態度にエディが微笑む。

「一体、どうしたんです? 最近のあなたはまるであなたらしくないですよ」

 ニコラスが出て行ったあとドアが完全に閉まるのを見届けて、エディが揶揄する。

「本当です。あなたは今までニコラス艦長のことを呼び捨てにしていたのに、一体どうしたんです?」

 と尋ねたのは、赤毛のフリッツだ。彼はニコラスたちが最初に身を寄せたヨハン・シュルツ解放戦線の生き残りだ。

「いい加減にしろよ、おまえたち。俺は今までの態度を改めただけだ。何しろニコラスはこの艦の艦長なんだからな。それを認めただけだ」

 だがその口調は忌々しげだ。

「僕が思うに、あなたが艦長の存在を認めることになったのは、あの人のせいでしょう?」

「あの人?」

 フリッツがエディを見る。

「ほら、この間、紹介されただろう。リョウ……なんて言ったかな」

「リョウ・ハヤセ。リョウ・ハヤセ中佐だ。もっとも今は、中佐ではないがね」

 むっつりした口調で助け船を出したのは、機関部門の責任者のパーシヴァルだった。彼はルークたちよりも年配ではあるが、ルークと同じようにリョウの部下だった男だ。

「じゃあ、彼があのイクスファの英雄なんですか?」

 フリッツは思わず声を上げていた。青い瞳に突然あこがれの光が浮かぶ。

「全くフリッツはミーハーだな」

 エディが呆れたようににつぶやく。

「だって、あの『イクスファの英雄』なんだぞ。それが俺たちと同じ艦に乗っているんだ」

「おい、おまえたち。いい加減に仕事に戻れ」

 うんざりしたルークが声を上げる。

「エディ。おまえは艦長に、――いや、リョウ……さんに連絡があるんだろう」

 促されたエディは慌てて通信装置に向かう。

「まったく、『リョウさん』なんて、変な呼び方をしなくちゃいけないんだ? 俺にとって艦長は彼一人しかいないって言うのにな」

 ルークは彼らが仕事に戻ったのを見届けながら小声で愚痴る。だがパーシヴァルには聞こえていたらしい。彼の口元がかすかに笑った。


 リョウはニコラスの私室の前に立った。ドア横のインターフォンを鳴らし、ドアが開くまでの間、あたりをぐるりと見やる。士官室のあるフロアよりも艦長の部屋のあるフロアは内装も手が込んでいる。本物の木材で通路の壁は覆われ、まるで貴族の館のような雰囲気がある。この艦は元々帝国軍のものだ。帝国軍ではこのクラスの戦闘艦の艦長には、特権階級で軍務について二、三年、第一級臣民なら七、八年。第二級臣民なら三十年近く軍務に着いたものが就任する。第二級臣民でありながら、二十代の半ばで艦長になったリョウの存在は例外的だなのだ。そしてこの内装は特権階級のものが満足できるように作られていた。

 リョウもイクスファの戦いの前後にこのようなフロアに部屋を持っていた。だが下士官たちの暮らしを知っている彼にとって、あまり居心地のいいところではなかった。

「こんなところであいつは眠れているのかな」

 ニコラスもまた彼と同じように下士官上がりだ。


 不意にドアが開いた。

 部屋は広い。彼が入ったのは艦長が職務を行う執務室ではなく、彼の私室だ。寝室は隣にある。

「本当に何も変えていないんだな」

 入るなり、リョウはニコラスに言った。

「そんな暇も金もないんだ。だからあまり寝心地がいいとはいえないな。おまえが以前愚痴っていた理由がよくわかったよ」

 ニコラスは机の上に広がっている書類を片隅に寄せると、リョウを上から下まで確認する。髪がいつもより湿っているように見える。

「シャワーを浴びたのか? それで遅くなったのか?」

「射撃訓練をしていたんだ。早めにやめて汗を流していたところに、連絡が来たんだが。そんなに遅れてはいないはずだぞ」

 ニコラスが時計に目を走らせる。そして小さく息を吐いた。

「確かにそのようだな。すまない。少し緊張しているんだ。だがどうして早めに切り上げたんだ?」

「おまえが今日、アルシオールの艦隊とコンタクトをとると言っていたからさ。俺のことを彼らに隠す気じゃなければ、紹介するだろうとふんだんだ。それに格納庫を通ったら、整備員たちが点検に追われていたからな。きっと乗り込んでくると思ったんだよ。まさか汗臭い姿で現れる訳にも行かないだろう」

「相変わらず、先を見通すのがうまいな。おまえの言うとおりだ。アルシオールのアリシアーナ王女におまえを紹介するつもりだ」

 リョウはうなずいた。


「どんな人物なんだ?」

「アリシアーナ王女か?」

「ああ」

「俺たちがお姫様と聞いて思い浮かべるとおりの女性だよ。気品があって優しい人だ。俺たちにとても親切にしてくれる」

「それなら、なぜ緊張しているんだ?」

 リョウは通路を歩きながら尋ねた。ニコラスがリョウを見つめる。

「おまえには何でもわかってしまうな」

「おまえの変化はわかるよ。長いつきあいだろう」

「確かに……」

 ニコラスは言葉を切ると、小さくため息をついて、

「彼女は本当にいい人なんだ。だが彼女の側近がな……」

「側近?」

「リチャードという男だ。俺はあいつが苦手でね。権威主義的な男というか……。ただあいつの王女への思いは本物だ。こちらから見ると過保護と思えるほどにな。それ故、王女自身は気にしなくとも、彼女の権威に少しでも傷がつくことを嫌がるんだ」


 リョウはニコラスに案内されるまま、エレベーターに乗った。そして貴賓室として使用しているこの艦の一番上等な部屋のあるフロアに向かう。そこは艦の中心部で、そのフロアだけは独立しているところだ。これも帝国軍仕様だ。艦長よりも身分の高い相手が搭乗した時のために用意されている部屋なのだ。艦の中心部にあるのは、攻撃を受けたときに被害少ない場所を選んでいるからで、このフロアからは直接格納庫の前室に入ることができる。敵の攻撃を受けた場合は、このフロアの客人は直ちに脱出できるのだ。当然、艦長よりも身分高い相手の滞在場所として用意されている以上、その内装も豪華だ。

 エレベーターが止まり、ニコラスの肩が強ばっている。

「彼らと会うたびに毎回そうなのか?」

「まあな。直接会うとわかるよ。王族という者がどういうものなのかな。嫌でも意識してしまうんだ。何しろ俺にはそんな知り合いは一人もいないし、それに俺はただの庶民なんだぜ」

 普通のエレベータなら自動で開くはずのドアが、このフロアに到着しても開かない。このフロアだけそういう設定ではないのだ。


「開けないのか? いきなり王女たちの居室に出るわけではないだろう」

 と促す。

「居室には出ないが……」

 そう口ごもったニコラスは、意を決したようにリョウを見て、

「俺たちは王女との謁見を許されるという立場になる。だから挨拶をするんじゃなくて挨拶をさせていただくんだ。そして彼女たちが滞在している間、このフロアーはアルシオール王国の宮廷と同じになる」

「それを言ったのはリチャードか?」

 ニコラスはうなずいた。

「アルシオールの宮廷はかなり序列と礼儀がうるさいらしい。俺たちにもそれが要求される。気に入らないだろうが、我慢してくれ。リチャードの機嫌を損ねると、補給物資を受け取れなくなってしまう」

「気に入らないことでも黙って頭を下げていろ、と?」

 リョウの口調が辛辣になった。

「一時のことだ。だから頼む」

 一時のこと……だがどうしても口の中を苦いものが満たしていくのを止められなかった。ヒューロン、収容所、そして看守……。リョウの脳裏にそんな言葉が浮かんでは消える。リョウはその瞬間、ヒューロンの白い女神の嘆き声を聞いた。体を思わず震わせる。


「おい、大丈夫か? 顔が青いぞ?」

 ニコラスがリョウの様子にようやく気がついた。はっと我に返った彼はヒューロンの幻から解き放たれた。

「すまん、大丈夫だ」

 ニコラスは安心したようほっとした表情を浮かべた。だがリョウの体の奥では、まだヒューロンの幻の残りが溶けずに残っているようで、ニコラスに見せた笑顔もどこかぎこちなく感じていた。

「ここから先はフリーダムじゃない。それを心しておいてくれ。挨拶はアルシオールの宮廷式に行うことになる。俺の真似をすればいい。俺は初めてアルシオールの連中と会ったときに、あのリチャードから徹底的にしごかれたから間違いはない」

 ニコラスはうんざりした顔で、

「挨拶一つで何時間も練習させられたんだ。情けなくて、惨めだった。だがこれもこの艦を動かしていくためには仕方がないんだ」

 ニコラスが言いたいのは、リチャードを怒らすなと言うことらしい。貴族との軋轢で、リョウが処刑されそうになったことが彼の脳裏にあるのだろう。理屈に合わない妥協はできない性格だと言うことをニコラスは見抜いている。

「おまえの苦労を無にしないように努力するよ」

 ニコラスは不安そうな様子を見せるが、これがリョウにとって最大限の譲歩だと知り、うなずいた。

 そしてドアを開く。


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