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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第2章 フリーダム
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フリーダム05

「まずは服を脱いで」

 ニコラスを見送って、ジュリアの砦である医務室に入るなり、リョウは立ち止まった。

「いきなり脱がせるのか?」

 検査キットを用意していたジュリアは振り返って、にっこりと笑った。

「まずは全身の状態を見たいの。あなたは収容所帰りなんだし、どういう状況なのかまず外から確認する必要があるわ」

 そう言って再び棚から物を取り出す。

「男の体なんて医者をしていれば見慣れるものよ。すてきな肉体を見る機会も多いから結構役得でもあるの」

 ジュリアはそこまで言うと、再びリョウを見て今度は優しく微笑んだ。

「心配しないで、あなたにはそこまで期待していないわ。でもしばらく鍛えればニコラスのような体つきにはなるでしょうけど」

 半分は冗談だとわかってはいるが、

「まったく、引き出しに男のヌード写真集なんか持っていそうだな」

 思わず呆れたように応える。

「あら、持っていないわ。だって望めばそういう男たちをいつでも見ることができるし、触ることもできるわ。わたし、好きなのよね。男の人の筋肉って」

「ジュリア……」

 リョウは額に手を当てて、深くため息をついた。


「そんなことをあちこちで言っていないだろうな。俺やニコラスはきみがそういう男女間の感情で、そういうものを見ているんじゃないことは知っているが、他の連中はそうじゃないんだぞ」

「子供を叱るように言わなくてもいいじゃない。わたしはただ思ったことを正直に言っただけなのよ」

 ジュリアはむっとして言い返す。

「ニコラスはわかっているし、わたしもあなただからそう言ったの。他の人にそんなことを言ったら、わたしのイメージが台無しになってとしまうわ。これでも理知的でクールな女性医師としての立場があるのよ」

「それならいいが……」

 リョウは小さく息を吐くと、ジャケットを脱ぐ。そしてTシャツの裾に手をかけたものの、

「本当に俺の体を見る必要があるのか?」

 リョウは気が進まなかった。できることならこの体は見せたくない。その感情を感じ取ったのか、ジュリアの顔が有能な医師のものに変わる。

「リョウ?」

 気遣わしげな声で促されたリョウは、覚悟を決めてシャツを脱ぐ。


 次にリョウが見たのは、驚愕に目を見開いたジュリアだった。悲鳴を上げなかったのは医師としての職業訓練のたまものだろう。だが足下がふらつき、後ろによろめく。とっさにリョウが手を伸ばし、体を支える。ジュリアははっと我に返った。

「大丈夫か? だから言ったんだ、俺の体を見る必要があるのかってね」

 ジュリアがしっかり体を立て直すと、リョウはその手を離し、ベッドサイドに置かれていた検査用のガウンに手を伸ばす。

「待って、まだだめよ」

 ジュリアが声を上げた。リョウは伸ばしかけた手を止めて振り返る。

「まだ、ちゃんと確認していないのよ。怪我の状態をちゃんと知っておくのもわたしの仕事だわ。わかるでしょう」

 リョウはしばらくジュリアを見つめるとうなずき、体をよく見えるように改めて彼女の前に立った。

「さっきはごめんなさい。医師として失格だわ。あんな風に動揺するなんて」

 傷の一つ一つを目にとめながら、ジュリアは謝る。

「わかっていたことだ。気にしてはいない。この体の惨状は誰よりも俺が知っているからな。むしろよく悲鳴を上げなかったな」

「一応医者だもの――それにしてもひどいわね。傷ついていない場所はないわ。よくもこれだけ傷つけることができたものと、むしろ感心ししてしまうぐらい、徹底的だったのね」

 静かだがその声には怒りが込められていた。

「拷問と虐待は繰り返し行われたんだ」

「傷跡を見ればわかるわ。傷が治ればまた繰り返されたのね。傷跡の上に違う傷跡があるもの。背中を見せて」

 背には、十数本もの鞭のあとが盛り上がっていた。ヒューロンでの生活がリョウにとってどれほど過酷なものだったのが、ジュリアは今、初めて実感した。彼のこの傷を見れば、ジュリアが頭の中で考えていた収容所生活など、どれほど甘く優雅なものだったか。こんな傷を負えば、人は絶望で死を望んだっておかしくはない。それ以前にこの怪我が原因で死んでしまっていただろう。彼がここにこうしているのは奇跡なのだ。そう思った瞬間、ジュリアは彼の背中を抱きしめていた。両手を前に回ししっかりと彼を捕まえる。ジュリアの予期せぬ行動にリョウの体が一瞬強ばる。

「おい……」

 リョウは肩越しに振り返ってジュリアを見る。

「黙っていて。今は何も言わないで」

 背中に彼女の涙を感じる。リョウは正面に顔を戻すと目を閉じる。

 静かな時間なが流れる。


 不意にぬくもりが消えた。

「落ち着いたか?」

 あやすように優しく問いかけるリョウ。

「ええ」

 ジュリアは彼の体に手を当てるとくるりと振り向かせる。

「ごめんなさい。変なところを見せて。でも本当に生きていてくれて良かった……」

 ジュリアの目から再び涙が盛り上がる。

「わたしの涙腺って、まるで壊れてしまったみたいだわ」

 そう言って手の甲で涙を拭ったジュリアは、一つ大きく息を吸って、気分を切り替える。

「さあ、検査はまだ始まったばかりよ。さあ、下も脱いで」

「何?」

 リョウは驚いて彼女を見返す。

「ズボンまで脱がす気なのか?」

「そうよ」

 ジュリアはなぜそんなことを聞くのかわからないという風に振り返った。

「だって、あなた、足もちゃんとあるじゃない。だとしたらそこもチェックするのもわたしの仕事よ。他の人間に任せる気はないわ」

 ジュリアはそう言うと夢を見るように宙を見つめて、

「わたしね、昔からあなたの足の形が大好きだったのよ。かっこいい足をしているんだもの」

「ジュリア……」

 リョウは呆れたともうんざりともつかない表情を浮かべる。夢の中にいたジュリアはそのことに気づいて、少しだけ現実に戻ってくる。

「大丈夫よ。下着まで脱いでなんて言わないわ」

「当たり前だっ!」

 リョウは顔を真っ赤にして怒鳴り返した。


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