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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第1章 ヒューロン
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ヒューロン05

 リョウは収容所の所長に撃ち抜かれた左足をかばうようにして、本館から延びる通路を歩いていた。通路は強化ガラスで覆われ、ヒューロンの大地をそのまま歩いているかのようだ。

 細胞再生治療の後遺症もなく、経過も良好なリョウは、二日前から本館に一室を与えられ、そこに移っていた。マーシアの部屋のように広くはないが、帝国軍での暮らしを経験しているリョウにとっては贅沢とも思える部屋だった。ベッドはゆったりとしているし、机やソファーまであり、その上、体をストレッチするスペースまである。


「ヒューロンだけの特別な設備じゃないんだ。士官クラスになると、宇宙でもこれぐらいのスペースは使っているよ」

 部屋の広さに唖然としているリョウに、エリックが当然のことのように告げた。部屋のクローゼットを開けたリョウは再び言葉を失う。クローゼットいっぱいにいろいろなデザインの服が押し込められている。

「これはまたずいぶんと張り切ったらしい」

 横からのぞき込んだエリックも呆れる。

「いったい誰が……?」

「マーシアだよ。どれを用意したらいいか悩んだ末にこれだけになったんだろうな」

 その言葉には笑みが含まれていた。

「でも、どうやって……?」

 ヒューロンで生産できるものと言えばセレイド鉱石しかない。囚人の衣服は、 初めに与えられた一着だけだ。あとは死んだ囚人から手に入れるしかない。それなのにここでは、誰も手を通していないらしい服がクローゼットに詰め込まれている。リョウはそのうちの一つ、革のジャケットを手にとって羽織った。まるであつらえたように体に合っている。

「さすがにここの施設でも本物の革製品は作れなかったらしい」

 エリックは彼が羽織っているジャケットに触るとつぶやいた。

「ここで作ったのか?」

「別棟に工場と呼んでいる生産施設があるんだ。そこではハンカチ一枚から実験用の装置まで作っている。ここにある服も、マーシアがコンピュータに指示したものだ。後は工場の方で、糸から作って布にして裁断し、縫製する。それで出来上がりさ。人手は全くかかっていない。ここに住んでいる人間なら、好きなときに好きな服を作ることができる。材料は頻繁に送られてくるしな。もっともここに住んでいる連中は、研究の虫といってもいいほどの変わり者ぞろいだからあまり服装には頓着しないんだ。それにたくさんの服を作ったところで着ていくところなどない。工場は開店休業状態で材料はたまり放題だった。たまには動かさないと機械が機嫌を悪くするから、ちょうどよかったんだ」


 ジャケットをクローゼットにしまったリョウは改めて部屋の中を見渡した。そして

「グラントゥール人というのは、生活の質にかなりこだわっているようだが、食事は別なのか?」

 エリックが首をかしげた。

「マーシアのことさ。俺の見ている限りでは、彼女が口にしているのは、戦闘食の携帯栄養食だけだ。あんなまずいものが食事の代わりになるのか?」

 エリックは軽く笑った。

「きみにはちゃんと食事が出ていたと思うが?」

「ポリッジとか呼ばれる病人食がね。収容所の食事を思えばごちそうにすら感じられるが、しかしマーシアは……」

「きみの場合は、胃の中が空っぽだった上に、まともな食事をしていなかったせいで胃の機能がかなり落ちていたんだ。そこにいきなり固形物を入れる訳にはいかなかったのさ。だがマーシアは……」

 エリックは大きく息を吐き出した。

「彼女はフェルデヴァルト公爵そっくりでね。本人たちはあまり食べ物にこだわらないんだよ。携帯栄養食なら、戦闘指揮を執りながら食べられる。すなわち面倒な書類を少しでも早く片づけるためには、食べながら目を通すのが一番ということさ。合理的な考え方をする人たちなんだ」

「だが携帯栄養食は……」

 リョウは思わず収容所で毎朝食べなければならないあの携帯栄養食の味を思い出した。あのような状況でなければ、決して口にはしたくない代物だ。

「グラントゥールの携帯栄養食は下手な料理人が作る料理よりうまいと評判なんだが、知らなかったか?」

「そんな話は聞いたこともない」

 エリックは少し驚いたように目を見開くと

「もう少し売り込みするようにいっておいた方がいいな」

 とつぶやく。

「とはいえ、マーシアにもちゃんと食事をとってもらう必要はあるな。彼女は時々自分の健康に無頓着になるし、食事はただ単に生きていくためのエネルギー補給の手段ではなく、人生を楽しむ大切なものだということを理解してもらうには、ちょうどいい機会かもしれない」

 彼はリョウに意味ありげな笑みを見せた。そして

「きみがマーシアと一緒に食事ができるようにわたしが手配しよう。うちの料理人は彼女のために料理を作りたくてしようがないんだが、マーシアがあの状態では腕の奮いようがないと、愚痴られてばかりだったんだ。うん、我ながら名案だな。頼むよ」

「ちょっと待ってくれ。どういうことなんだ? 俺にはさっぱりわからないんだが……」

「何も難しくないだろう。きみはヒューロンにいる間、マーシアの部屋で彼女と一緒に食事をするんだ」

「ここにだって食堂のようなものはあるんだろう?」

「もちろんあるさ。だがきみにとっては居心地のいいところではないよ。わたしたちはよそ者にはかなり排他的なんだ。今はグラントゥール人として完全に受けいられているあのヴァートン博士だが、最初はかなり溶け込むのに苦労したらしい。わたしたちは彼の技術が欲しかったのであって、彼自身が欲しかったわけではないからね。それにきみはわたしの部下たちからかなり敵意を買っているしね」

 思いがけない言葉だった。

「敵意を受ける理由はないはずだ。俺はまだ何もしていない。第一俺が会ったグラントゥール人といえば、マーシアときみと博士の三人だけだ。ほかの人たちには会ってもいないのに、どうして敵意を受けなくちゃいけないんだ?」

 エリックはにやりと笑った。

「その理由なら簡単だ。きみがマーシアを独占しているからだよ」

「はぁ?」

「二十四時間、ほとんどマーシアと過ごしているだろう。嫉妬されて当然だよ」

「ちょっと待ってくれ。俺の意志でそうしているわけじゃない」

「本当の問題はきみじゃない。マーシアがきみに興味を持っているという事実なんだ。彼女は嵐が収まったらすぐに宇宙に戻るはずだった。第一きみを助けたからといって、彼女がここに残る必要はない。看病をする人手が必要なら、宇宙から呼び寄せればいいんだ。でも彼女は次の任務をキャンセルしてまでここに残っている。それがきみへの反発の理由なんだ」

 マーシアが自分のために、あえてここにいる。リョウはその言葉に立ち尽くした。


「俺はただの囚人なのに、なぜそこまで……」

「それはマーシアに直接聞くのがいいだろう。もっとも彼女自身、そのことを自覚しているとは思えないけどね。今までマーシアはこんなに長くこの星に滞在したことはない。だが今は少なくとも、きみが回復するまでつきあってもいいと思っている。だからきみも彼女のために食事につきあいたまえ」

「結局、話はそこに行く訳か……」

 リョウは彼の強引な論理に小さくため息をついた。彼はどうしても自分とマーシアを一緒のテーブルに着かせたいらしい。

「わかった。彼女がいいと言えば一緒させてもらおう」

「もちろんマーシアは嫌だとは言わない。いや、わたしが言わせないよ」

 エリックは穏やかな顔に満面の笑みを浮かべた。しかし、どうも何かを企んでいるようにリョウには思えた。


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