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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第2章 フリーダム
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フリーダム03

「この艦は元々帝国軍の艦だからな。おまえがいない間に大きく変えたところはない。おまえのことだから帝国軍の主だった艦の構造は頭にしっかり入っているはずだ。迷子になることはないと思う」

 医務室へ向かいながらニコラスはそう言った。辺りを見回しながら、リョウもうなずく。

「あの右手のドアの向こうは、射撃訓練室か?」

「ああ」

 ニコラスが応えた。

「しっかり覚えているじゃないか。射撃訓練は全員に毎日最低一時間は義務つけているんだ。もちろん戦闘中は別だがな。だがそれ以上訓練をしたければ自由に使ってかまわない」

 ニコラスは同情するような目でリョウを見ると、

「長いこと射撃から遠ざかっていたんだから、一日も早くおまえの射撃の勘を取り戻してくれ。今すぐ戦闘に役に立つ人間は喉が手が出るほど必要なんだ」

 リョウは思わずうつむいて苦笑を隠した。確かにヒューロンの収容所で暮らしていた間は銃に触れる機会すらなかった。だがマーシアに助けられたあの三ヶ月間で、彼は以前の勘を完全に取り戻していたのだ。その後再び収容所に戻ったが、そこを脱出したあと、ウィロードル商船団で清掃係の仕事をしながらも、空いた時間を自分の戦闘技術を高めるために使っていたのだ。

「心配はいらない。おまえが慣れるまで前線に出したりはしない」

 不安がっているように見えたのだろう。リョウが黙り込んでいるのを見て、そうニコラスは声をかけた。「いや、大丈夫だ」と口に中で言いかけたときだった。ドアが風を切るようにシュッと言う音を立てて開いた。立ち止まったニコラスを見て中から現れた男たちが一瞬、ぎくりと体を固まらせる。


「か、艦長。射撃の訓練ですか?」

 慌てて敬礼する男たちの一人が、そう聞いてきた。

「そうじゃない。おまえたちは順調か?」

 言葉をかけた一人が隣の男と顔を見合わせ、にやりと笑う。

「今度の射撃大会は俺たちが優勝する予定なんです。まあ見ていてください。前回のように艦長に恥はかかせませんよ。戦闘機隊の一員としての名誉にかけて、必ず優勝します」

 彼らはもう一度ニコラスに敬礼をすると二人の前を離れた。

「新入りなんだ。俺が少しシミュレーションにつきあったんだ。最近では艦長業務が忙しくて、連中を鍛えることがなかなかできなくてな」

 苦笑しながらニコラスは彼らを見送る。そんな彼を見ながら、変わっていないとリョウは思った。ニコラスは自分の部下たちに厳しくて有名な上官だったが、だが彼は決して冷酷な男ではないむしろ情に厚いのだ。下手に情けをかけることが彼らのためにならないと、自分で厳しい上官を演じているところがある。情に厚い男でなければ、処刑場に送られるリョウを救出しようとはしないだろう。それによって彼もまた反逆者となり、多くのものを失うのだから。


「ニコラス、何をしているんですか? 珍しいじゃないですか。こんな時間に訓練室に降りてくるなんて、いつもなら会議室でアルシオールの連中と密談しているんでしょう」

 驚いた口調が次第に揶揄するものに変わる。声の主はすぐにわかった。ルーク・ベントリー准尉だ。イクスファの戦いの時には航海士として、リョウとともにブリッジにいた。彼はまだ士官に成り立てで、上官に対して不躾な態度をとるような男ではなかった。だがニコラスを見るルークの目には敬意は感じられない。何か不満をため込んでいるようだ。一方、ルークに視線を移したニコラスも表情を消している。二人の間には微妙な緊張感がある。

 無言の対決。目をそらしたのはルークの方だった。彼はまだ、ニコラスと全面的に向き合うだけの覚悟はないらしい。

「彼は誰……」

 です。と言おうとしたルークの言葉は、見開かれた目に飲み込まれてしまった。

「まさか……」

 信じられないものを目にしているかのようなルークは、ニコラスに目を移した。本当なのか? 偽物ではないのか? と問いかけていた。ニコラスはルークの不安を打ち消すかのように大きくうなずいた。再びルークの目が大きく見開かれ、リョウに向けられる。


「俺は幽霊じゃないよ。ルーク」

 リョウは静かに彼を見返した。その声を聞いたとたんだ。ルークの両目からは大きな涙が盛り上がり、頬を伝う。それにはニコラスも驚いたような顔をした。ニコラスの表情に気づいたのか、ルークは慌てて手の甲で涙をぬぐう。そしてリョウに向かって姿勢を正し、敬礼をする。

「お帰りなさい、艦長。艦長がこの船の指揮を執られる日を長いことお待ちしておりました」

 その瞬間、横にいたニコラスの体がかすかにこわばった。ニコラスとルークの密かな反目はどうやらその辺に原因があるらしい。

「ルーク、俺はこの艦の指揮を執るつもりはない」

 息をのんだのはルークだけではなかった。思いがけないと言葉だと言いたげにニコラスもこちらを見ている。

「そんな馬鹿な! なぜです。この艦はあなたのものでしょう。あなたが命がけで奪い取り、しかも命がけで俺たちを逃がしてくれた。当然この艦はあなたのものだ。ニコラスはあなたの代理にしか過ぎない」

「ベントリー准尉!」

 言いつのろうとするルークを遮るように、リョウが静かだが、有無を言わせぬ力を持った口調で彼の名を呼んだ。激しく怒っているわけではない。少し声を張り上げたに過ぎないのに、ルークは体の自由を奪われたかのよう身動きが取れなくなった。


「この艦でのきみの役割は何か?」

「役割……」

「そうだ。わたしはきみはこの艦で何をしているのか聞いているんだ」

「わたしは航海長をしております」

「では訊く。航海長の役割は何か?」

 ルークは戸惑ったようにリョウを見た。航海長の役目など、艦長として艦をまとめていたリョウなら当然知っていることだ。だがリョウは無言で答えを促す。

「航海長は艦を安全に目的地まで運航することであります」

「それだけか?」

 ルークにもようやくリョウが何を言わせようとしてるのかわかってきた。彼は覚悟を決めたように息を短く吸い込むと、

「いえ、それだけではありません。艦長を補佐するのも、航海長の役目であります」

「ではも一つ訊こう。この艦の艦長は誰か?」

「それは……」

 ルークがちらりとニコラスに目をやる。認めたくないという気持ちがリョウにははっきりと感じられた。

「惑星クレナシーを飛び立ってから今日まで、この艦を指揮し、乗組員の安全に気を配ってきたのは誰か?」

「それは……」

「わたしか?」

 リョウはたたみかけるように質問した。答えは一つしかない。リョウは今日までこの艦には乗っていなかったのだから。

「違います。今日までこの艦を指揮してこられたのは、レオニード中尉です」

「そうだ。わたしは今日までこの艦に何の貢献もしていない。そんなわたしにはこの艦を指揮する資格はない。これからも指揮官はレオニード中尉だ。わたしは彼の指揮下に入る。わかったか?」

 ルークは威儀を正し、改めてリョウに敬礼すると、

「わかりました。艦長……じゃない……中佐……」

 戸惑ったように口ごもる。

「俺はもう軍人じゃない。帝国軍の階級で呼ぶ必要もないだろう」

「ではなんて呼べばいいんです?」

 リョウの口調が砕けたことでルークもほっとしたように体から力が抜ける。

「リョウ・ハヤセ。それが俺の名前だ。名前で呼べばいい」

 ルークは少し困ったように

「それもまたなんだか呼びづらいです。あなたはずっとわたしの上官だったので」

「そのうち、慣れるよ」

 自信なさげにうなずいたルークだが、改めてニコラスに顔を向けたとき、その顔は射撃訓練室から出てきたときに彼に向けたものとは違っていた。


「おまえのおかげだな」

 ニコラスはルークの背中を見送りながらつぶやいた。

「ルークは確かに俺に従ってはいたが、不満だらけなのはわかっていたんだ」

「そういう軋轢はどこにでもあることだ。おまえだって何度も経験しているはずだろう。戦闘機隊の指揮官だったんだからな。古株と新入りとの間ではよく起こることさ」

「確かにそうだが……ブリッジは少々勝手が違ったからな」

「自信を持てよ。おまえは四年近くの間この艦をまとめていたんだぞ。十分な実績だ」

「イクスファの英雄であるおまえからそう言ってもらえると俺はうれしいよ」

 そうはにかむように笑んだニコラスは改めてリョウに向き合った。

「だが本当にいいのか? おまえがこの艦の指揮を執らず、俺の指揮下に入るというのは」

 リョウははっきりとうなずいた。

「この艦はすでにおまえのものだ。すれ違った兵士たちの顔を見ればよくわかる。おまえは指揮官として、彼らはきちんと掌握しているじゃないか。今更俺が出る必要はない。むしろそんなことをしたら指揮が混乱する。仮に俺が指揮を執ることになっても彼らを掌握しきるには少しばかり時間が必要になる。その間この艦はまともに動くことはできないだろう。俺がここに来たのは、この艦を混乱させるためじゃないんだ。指揮官はおまえだ。俺はおまえの元で、おまえとともに戦う。そのためにここに来たんだ」

 そう告げたリョウは

「これからはおまえを名前で呼ばない方がいいだろう。その方がルークたちにも示しになるだろうし」

「なんて呼ぶ気だ?」

「やはり、艦長だろうな。帝国軍の軍人ではないからかつての階級で呼ぶのは変だろうしな」

「やめてくれ、リョウ」

「何をだ?」

「俺を名前以外で呼ぶのを、だ。おまえに艦長と呼ばれると、なんだか落ち着かない。いつもの通りニコラスでいい」

「だがそれでは他の者たちに示しがつかないだろう」

「俺がいいといっているんだ。おまえ俺の指揮下に入ると言っただろう。だったら俺の命令に従ってくれ」

「おい、そこで権力を使うのか?」

「そのための艦長だ」

 子供のように強く出るニコラスにリョウは微笑んだ。

「おまえがそう言うなら、そうするよ」

「その方がいい。正直に言うと、おまえを使うことに俺も抵抗があるんだ。だから部下と言うより、アドバイザーとして力を貸してくれ。戦略的戦術的な観点から俺に助言を与えて欲しいんだ。俺は戦闘機隊としての戦い方は十分知り尽くしているが、艦を効率的に使う訓練は受けていない。それでも何とか死なずにすんだのは、運が良かっただけなんだ。頼む」

 素直に頭を下げたニコラスに、リョウは手をさしのべる。

「俺の持てる限りの力を尽くすよ、ニコラス。こちらこそ、よろしく頼む」

 二人の手がしっかりと握りあわされた。二人の友情という絆が強まった感じがした瞬間だった。


「通路の真ん中で男同士が何をしているのかしら?」

 不意にかけられた声に、リョウもニコラスも一斉に声の方を振り向いた。


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