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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第1章 ヒューロン
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ヒューロン45

 リョウは二ヶ月ぶりにアランの私室の前に立っていた。あのときは収容所の汚れた服を着たままだった。二ヶ月後の今は誰かが着古した作業服姿だ。しかも談話室の床掃除の最中に呼びつけられて着替える暇もなかった。談話室では、時折パーティが催される。昨夜がそうだ。それもかなり盛大に騒いだらしく、あちこちに吐き戻しの後があり、リョウはそれをモップと雑巾を使ってきれいにしているところだったのだ。臭いがこびりついているようで、リョウは顔をしかめたまま、部屋の中にはいる。

 そのとたん、アランが顔をしかめた。やはり臭うのは気のせいではないらしい。


「この臭いはなんだ?」

「談話室を清掃中だったんだ。昨日の夜中に部下たちにどんちゃん騒ぎを許しただろう。その結果、どうなったか知っているのか?」

 肩をすくめるアランをリョウは睨みつけた。

「一度、騒ぎの後の談話室をのぞいてみるといい。酒を飲み過ぎてあちこちで吐いた後があるんだぞ。それを掃除する俺が吐きそうになる」

「だが、おまえはそれで食い扶持を稼いでいるんだろう?」

 リョウはじろりとアランを睨んだ。収容所を脱出して、エリックから教えてもらった連絡艇で惑星ヒューロンの引力圏外を抜けてワープした彼は、アランの船に救助された。だが彼には仲間たちの元に戻りたくてもその行方もわからず、また金を持っていなかったため、彼の船で下働きをすることになったのだ。半ば強制的だった。アランは金が払う気がなければ、すぐにでも宇宙に放り出すと言っていたのだ。だがそんなことをされては生きてはいけない。リョウは仕方なく、彼に頭を下げて雇ってもらったのだ。

「しかし、なぜあんなにまで騒ぐのを許しておくんだ?」

 それは純粋な疑問だった。リョウもかつて指揮官だったから人を統率する大変さはわかる。そして長い間、さして広いというわけではない艦内に閉じこめられる部下たちのストレスを発散させるためにも、適当に息抜きをさせる必要があるのは経験上知っている。だが泥酔するほど飲ませることはない。そんなことをした部下はすぐに彼が処罰した。ここではルールが違うらしい。いくら武装しているとはいえ、民間の商船団ゆえに規律には厳しくないのだろう。

「この船には力の有り余っている連中が多いからな。定期的にわざと暴れさせているんだよ。それに女を口説きたくともこの船の女は強いからね。はいはいということを聞いてくるわけじゃない。まあ、結局酒が一番と言うことだな。翌日は完全休日になるから、それで羽目を外しやすくしているんだ」

「休暇中に、非常召集がかかったらどうするんだ?」

「別に、どうもしないよ。非常召集がかかって出てこなければ、処罰される。たいがい自分の限度をわきまえているし、飲み過ぎたと思った奴それなりに手当をする。それができない奴は俺の船では長生きと出世はできない」


 リョウはアランをじっと見つめた。

「どうかしたか?」

「いや、あんたを見ているとある人たちを思い出すんだ。考え方が彼らとそっくりだ」

「一体誰だ?」

「グラントゥール人だよ。彼らは何というか、はっきりしているんだ。少なくとも表向きは情に流されない。泥酔してもいいが責任はしっかり果たせと言い方を、連中ならするだろう。あんたはグラントゥール人なのか?」

「グラントゥール人ねぇ……グラントゥール人でなくてもこういうことは言うだろうよ。俺たちは子供じゃないんだからな。泥酔したければすればいいし、いざという時にきちんと対処できる自信がないのなら、それなりに飲めばいいんだ」

「だったら床に吐く前に酒をやめるように考えてくれればいいのものを」

 アランは笑った。

「そんなことをしたらおまえの仕事がなくなるだろう」

 リョウはじろりとアランをみた。

「俺をからかうために呼びつけたのなら、俺は戻るぞ。まだ掃除を終えていないからな」

 アランは椅子の中で姿勢を正し、

「いや、もうその必要はない。俺はおまえを解放してやることにした」

「解放?」

「ああ、要するにクビだ。ここでおまえには船を下りてもらう」

 突然の自由にリョウは少々戸惑った。彼が一生リョウをした働きとして働かせることもできたのだ。彼は救助されたとはいえ、彼は脱走した犯罪者なのだ。ましてや彼の身分も経歴も抹消されている。幽霊同然の存在だ。

 アランは引き出しから二枚のカードを取り出した。一枚は身分証だ。名前と生年月日が正確に記されている。違うのは出身惑星の欄だけだ。出身惑星はマリダスではなく、惑星ハルシアートとなっている。

「これは正規の身分証だ。おまえは惑星ハルシアート出身と言うことになっている」

「ハルシアート……聞いたことないな」

「帝国の人間もないと思うぞ。その惑星はグラントゥールの惑星なんだ。彼らが自分たちが居住するためにわざわざ不毛の惑星を、改造したんだ。だからこの身分証があれば、おまえは脱獄囚として追われることはない。たいていの惑星にも自由に出入りできる。しかも何かやっても役人は何もできない。身分証はグラントゥールのものだからな」

 リョウは新たな身分証を眺め、そしてアランに顔を向けた。彼はあることに気づいた。


「これを手配したのはあんたじゃないな」

「ああ。それとこれもおまえのだ」

 渡されたものはキャッシュカードだ。使用できる金額をみてリョウは驚いた。帝国軍時代の彼の最高年俸の十倍もの金額が入っている。

「俺を哀れんで金を恵んでやろうと慈悲心でも起こしたのか?」

 リョウの口調は急に険しくなった。アランの目が少し驚いたようにちょっと見開いた。その変化にリョウは気がつかず、キャッシュカードを手にしたまま自分のものにしようとはしない。

「哀れまれるのイヤか?」

「当たり前だ。ましてや俺は物乞いじゃない。いわれのない金を受け取るつもりはない」

「いわれのない金じゃない。それはおまえが受け取るべき正当な金だ」

「どういう意味だ?」

 アランは軽く息をを吐き出してからリョウを見上げた。

「実を言うとな。俺がおまえがワープアウトした地点にいたのは偶然じゃないんだ。マーシアが俺に依頼したんだ。あの星域を通過する商船すべてにあの地点でしばらく待機させろってな。そのための金ももらっている」

 彼の口から懐かしい名を聞いてリョウは呆然とした。

「マーシアを知っているのか?」

「彼女はうちの商船団のお得意さんだからな」

「マーシアが……じゃあ、この金も彼女が……」

 くれたのか、といいかけて彼は自分でそれを否定した。マーシアはこういうやり方はしない。

「これはおまえの運賃だよ。マーシアはもしヒューロンからの連絡艇を救助したら、その人間の好きなところにつれてやってくれとそう言ったんだ。そのための運賃だ。俺はおまえを清掃係として雇ったし、おまえがどこに行きたいかという意向も聞かなかった。だからこれはおまえのだ」

 リョウは手の中のキャッシュカードをしばらく眺めた。マーシアがそこまで手配していてくれたとは思わなかった。最後の最後まで彼女の世話になってばかりだ。リョウはカードを彼につきだした。

「そういう理由なら、これはマーシアに返すべきだ」

 アランは受け取らず、

「マーシアは一度契約して支払った金はないものと考えるんだ。だから彼女は受け取らない。そして俺も契約を完了していない金を受け取ることはできない。この金は宙に浮いてしまう。だからこれはおまえのものだよ。清掃作業の賃金だと思えばいい」

「下働きで確かにこき使われたが、これではもらいすぎになる」

「それにジェブから聞いたが、おまえたちは俺のところの出来の悪い乗組員に射撃を教えてくれたそうだな。その礼だ」

「それにしても多いぞ」

「いい加減、妥協しろ。金はいくらあってもいいんだ。そいつに振り回されなければな。金がなければ自由すら制限されるぞ」

 それは警告のように聞こえた。そしてその言葉が呼び起こしたのは、ニコラスたちのことだ。彼らは資金がないがゆえに後援者に命じられるままに汚れ仕事に手を染めるしかなかった。


「わかった。これはもらっておく」

 リョウはそれをポケットにしまった。そして息を吐いて、

「これでますますマーシアには借りができたな。一生かかっても返せない」

 と肩をすくめる。

「返してもらおうと思うような人じゃない、違うか?」

 リョウはマーシアの顔を思い浮かべてうなずいた。彼女は恩を着せることはしない。

「マーシアに会うことはあるのか?」

「これから何度もある。お得意さんだと言っただろう」

「じゃあ、伝言を頼みたい」

「伝言? 命を救ってくれてありがとうとでも言うのか?」

 リョウは首を振った。

「それも言うべきなんだろうが、だがそれよりも彼女に伝えてほしい言葉がある」

「なんだ?」

「信じてくれてありがとう、と。そう伝えてほしいんだ。俺が必ずヒューロンを脱出できると信じてくれて、うれしかったと」

 アランにとって彼の言葉は意外だったらしい。彼ははっきり驚いた顔をすると、次の瞬間、表情を和らげて立ち上がった。そして手を差し出す。

「わかった。必ず伝える」

 リョウは彼の手を握った。

「気をつけていけよ。その前にまずシャワーを浴びるべきだな。出るときは格納庫からにしてくれ」

「わかった。そうするよ」

 握手を交わしたリョウが部屋を出ようとしたそのとき、アランはリョウを呼び止め、

「格納庫で起こることは俺の感謝の気持ちだと思ってくれ」

「そういう言い方もグラントゥール人のようだぞ。どういう意味だ?」

「連絡艇にはおまえだけじゃなかったろう」

「彼はギルバートと言うんだ。収容所に送り込まれたばかりの男だが、脱出するときに力になってくれたんだ。だから一緒につれてきた。だがあんたは彼をそうそうに船から降ろしたな。俺は残したくせに」

「仕方がないだろう。俺にとっておまえは赤の他人だ。だがギルバートは違う。あいつは俺にとってかけがえのない親友なんだ。反帝国運動に身を投じた後も連絡を取っていたんだが、一年ほど前から行方がわからなくなったんだ。ずっと探していたところをおまえが連れてきてくれた。感謝しているよ」

「それは知らなかったな」

「あいつ自身が俺たちの間ではタブーになってしまったんだ。だから表向き俺はなにもいえないんだ。だがそれはあくまで表向きだが」

「感謝なら、後払いでなくてもよかったんだが……」

 不服そうなリョウの声にアランは大声で笑った。

「後悔はさせない。じゃあな。気をつけて行け」

 リョウはうなずくと、外に出た。

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