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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第1章 ヒューロン
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ヒューロン42

 マーシアとエリック、そしてリョウを乗せた雪上車がいくつかの丘を越えると、突然視界が開けた。広い雪原に連絡艇が着陸している。すでに稼働状態にあるためか、放射されるエネルギーで雪原から白いもやが立ちのぼっている。

「あれがグラントゥールの連絡艇なのか? ずいぶん大きいな」

 リョウは窓から身を乗り出すように連絡艇を見上げた。

「あれは20人乗りなんだ。ほかに貨物も積み込めるようになっているからな。もう少し小さいタイプのもあるが、それでは何度も往復することになる。それはあまり経済的じゃないからね」

 エリックはそういうと、雪上車を止めた。彼らの五十メートルほど前には収容所からやってきた五人の看守たちが立っていた。リョウの引き渡しはここで行われるのだ。

 後部座席に座っていたリョウは、大きく息を吸い込んだ。そしておもむろにドアを開け、外に出た。それに続くようにエリックとマーシアも外に出る。

 それに併せて中央にたっていた看守の一人が近づいてきた。その看守はリョウもよく知っている男だった。制服の形からするとどうやら彼が新しい所長らしい。

「彼は昇進したらしいな」

 リョウは男から目を離さずマーシアに言った。

「あの顔には覚えがある。おまえと出会ったときに生かしておいた男だ。生きているといいことがあるといういい例だな」

「収容所の所長になることがいいことだとは思わないがな」

 マーシアがその言葉にふっと笑った。

 新任の所長が半分まできたところで、見えない壁があるかのように立ち止まった。用心しているらしい。

「囚人をようやく引き渡し気になったというのはどうやら本当らしいな」

 彼はそこから叫んだ。しかしマーシアは彼を完全に無視する。

「本当にありがとう、マーシア」

 リョウは所長を見据えたまま改めて礼を言う。

「俺は必ず宇宙にいく。宇宙でまた会おう。たとえ敵同士となったとしてもな」

 マーシアはちょっと驚いたような顔をすると、表情を和らげて付け足した。

「ただし生きてな」

「ああ、もちろんだ」

 リョウは肩越しにマーシアを見てほほえむと、再び正面に向き直り、そして歩きだした。


 所長はマーシアとエリックにリョウを奪い返そうとする意志がないことを見て取ると、後ろにいた看守たちに合図を送る。彼らはぱらぱらと駆けつけてあっと言う間にリョウの周りを取り囲んだ。

「両手を後ろに回せ」

「こいつをくわえるんだ」

 矢継ぎ早に命令する。抵抗しても無駄なことはわかっていた。もはや彼はマーシアの保護下にはないのだ。リョウはあっと言う間に、背中に回した手に枷がつけられ、口には彼らが拷問の際に耳障りな悲鳴を封じるための猿ぐつわをかまされていた。

「跪け」

 看守の一人がそういうと彼が行動に移す前に、膝の裏を蹴った。リョウはその衝撃に堅いコンクリートのような雪原に両膝をぶつけた。髪を掴まれ顔を上げさせられる。リョウの視線はマーシアを捉えた。マーシアは無表情だった。初めて会ったときのまま、グラントゥールの氷の女王と言われる仮面をしっかりとかぶっている。

「ずいぶんと冷たい女だな」

 看守の一人がリョウの耳元でささやく。リョウは顔を上げてマーシアをしっかり見つめた。自分は大丈夫だと言うつもりで。一瞬、マーシアがその視線に気づいたのかこちらを見た。相変わらず表情は、氷の女王のままだ。だがリョウはその黒い瞳がわかっているというように、優しく光ったのをしっかりと見た。

「確かに囚人を受け取った。心配はいらない。あんたがかわいがった男なら、俺たちもたっぷりとかわいがってやるからな」

 マーシアがにこりと笑う。その笑顔には見覚えがあった。彼女は今、とても戦闘的な気分なのだ。そして軽蔑する相手に対して引き金を引くときもその笑顔が浮かぶ。マーシアはリョウを拘束している看守たちの側に近寄った。銃に手はかけていないが、その気になれば彼らが銃を抜くよりも早くマーシアが銃の引き金を引くだろう。

「こ、こいつを取り戻そうというのか……」

「なぜ、わたしがそんなことをする必要がある?」

 所長たちはマーシアから醸し出される威圧的な雰囲気にすっかり飲まれ、思わず後ずさっていた。

「わたしはただ、おまえたちに確認しておきたいだけだ」

「確認?」

 所長は少し安心したらしい。だが決して油断してはいけないことをリョウはわかっていた。こういう言い方をするときは必ず大きな爆弾を落とすのだ。

「そう確認だ。まず一つはわたしはサイラート帝の別邸で、彼と差し向かいで話ができる存在だと言うこと。そして貴様には妻とそして年頃の娘が二人いると言うこと」

「なにが言いたいんだ」

 所長の顔は青ざめていた。その声も同様が隠しきれない。

「そして肝心なことはおまえたちがわたしの館を襲撃したということだ」

「あれはわたしたちがやったことではない。前任所長の仕業だ」

「だが彼らの存在をかくまっていた事実はある。このことを直接サイラート帝に告げれば、彼は怒り狂うだろうな。グラントゥールに宣戦布告する気か、と。そうなればおまえは処罰される。家族ともどもな」

 それは明らかな脅しだった。マーシアが匂わせているのは、サイラート帝の怒りを買えば、彼自身ではなく家族まで巻き込まれるということだ。彼らの脳裏に浮かんだのは、家族がヒューロンのような収容所に送られることだろう。そうなったとき、女性の運命は悲惨だ。

「この男を自由にしろとでも言うのか?」

 恐怖に駆られた所長はマーシアに食ってかかった。

「彼は反逆者なのだろう? なぜそうする必要がある? だが死んだ人間は役には立たないぞ。違うか?」

 マーシアは殺すなと告げているのだ。唇を噛んで悪態をこらえた彼に顔を近づけたマーシアはささやくように

「わたしの耳と目はおまえたちが思っている以上に遠くを聞くことができ、見ることができるんだ。それを肝に銘じておくんだな」

 マーシアはくるりと背を向けると、エリックの元に戻っていく。


 リョウにはわかっていた。マーシアが収容所で彼らに殺されないための手を打ったのだ。それもマーシア自身が毛嫌いしているだろう手法で、だ。彼女はサイラート帝の権威を借りてマーシアよりも力のない看守たちに脅しをかけたのだ。マーシアは決してこういうことはしない。だが今回だけはあえて例外としたのだ。俺は必ず生き残る。リョウはマーシアの背中にそう誓った。

「エリック、宇宙に帰るぞ」

 エリックはうなずくと、マーシアとともに雪上車に乗り込んだ。彼はリョウがマーシアの元を離れたときから、一度も彼を見なかった。それはグラントゥール人らしい態度だった。

 二人を乗せた雪上車が連絡艇の中に消えた。そしてしばらくして連絡艇は青い空に吸い込まれていった。リョウはそれを静かに見送る。

 マーシアたちが空に消えていくのをしっかりと自分の目で確かめた看守たちはリョウの髪をつかんだまま彼を立ち上がらせた。


 リョウの戦いはこれから始まるのだ。

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