ヒューロン04
聴診器はひんやりとしていた。胸をはだけさせたリョウはヴァートンの指示するままに息を吸って吐き出す。しばらく耳を澄ましていたヴァートンはおもむろに聴診器をしまう。
「よし、異常はない。いくら最新式の細胞再生装置を使ったとはいえ、あれだけの重篤な症状が三週間で完治するとは、きみの治癒能力は人並みはずれているな」
「傷の治りは早い方なんです」
そう笑ったリョウはヴァートンの聴診器に目を留めた。
「最新式の設備があるというのに、聴診器を使っているとは珍しいですね」
「ほう。これを知っているのか?」
「俺は、オルシーナ星域の惑星マリダス出身なんです。あそこには帝国で標準に使われている医療設備はありません。聴診器は大活躍しています。最近ようやくレーザー治療が認められたらしいですが・・・・・・。医療の水準は銀河連邦ができるよりも遙か昔にまで退行しています」
仕切りが取り払われ、リョウが寝ているベットからマーシアの姿が見える。彼女は執務机に大きな紙を広げようと格闘しているようだ。その彼女が手を止めてリョウを見た。
「信じられないな。今時そんな惑星があるなんて。それではまるで医療の石器時代じゃないか。帝国はなにをしているんだ?」
「帝国はわざとそうしているんだ」
答えたのは、使い古された治療鞄に聴診器を大切そうにしまったヴァートンだ。
「マリダスは、銀河連邦時代には中心的惑星の一つだったんだ。最後の最後まで帝国に抵抗したものの、最後には武力によって制圧された惑星国家だ。帝国ではグラントゥールが関係する惑星以外は、すべて帝国のものとされているのはおまえも知っているだろう。だがそれらは決して平等ではない。最初から帝国に協力した惑星国家は、そのすべての国民に第一級帝国臣民としての権利と自治権が与えられている。しかしマリダスのように最後まで抵抗した惑星国家の国民は、第二級帝国臣民としての地位と制限された自治権しか与えられないんだ。マリダスの自治政府はその国民によって選ばれるが、政府そのものが帝国の惑星管理局の下部組織として位置づけられている。自分たちが独自に政策を立てようにも、管理局がだめだといったらそれは実行できないんだ。その上帝国はその惑星で生まれ育った者たちに、あらゆる制限を課している。彼らはいくらお金があっても惑星管理局の許可なしには大気圏外に出ることは許されていないし、惑星自体の収入の半分以上は、帝国が持っていってしまう。輸入品にも非常に高い関税がかけられ、手に入れることはかなり難しい。帝国にとって、最後まで抵抗した惑星国家の人間は罪人であり、その財を収奪することで、抵抗する力を奪っているのだよ。しかも帝国に逆らえば、このような惨めな生活が待っているのだという脅しにもなる」
「驚きました。ずいぶんと詳しいんですね」
「博士は、惑星チェルーサの出身だ」
マーシアの言葉にリョウは納得する。惑星チェルーサもマリダスと同じように帝国に武力で制圧されたのだ。
「それほど制限が厳しいのに、よく帝国軍に入れたな」
「帝国軍だから入れたんだ。一兵士としての入隊だが、一度入隊すれば、帝国ではどこの出身であろうと公平に扱われる。第一級臣民であろうと一兵卒なら、同じ一兵卒として扱われる。あとは実力だけだ。それに勉強もできたし、なにより新入りの兵士なのに、マリダスで暮らしていた両親の二ヶ月分の給料よりも高い給料がでたんだ。おかげで両親に仕送りができた。そのときはうれしかったよ。もっとも一年もたたずに必要なくなったが・・・・・・」
リョウが少しばかり肩を落としたように見えた。彼に家族がいないことはここに保護した時点での調査ではっきりしている。彼の口からその人生の一端を聞かせられて、彼の家族が紙の文字の存在ではなくなったのを感じた。
「原因は何だったんだ?」
「二人とも悪性腫瘍だった。今時悪性腫瘍で死ぬなんて、信じられないだろう?」
そういってリョウは笑った。悲しい笑いだった。彼の言うとおり、悪性腫瘍は医療技術の発達によってほとんど克服された病である。だが検査を行わず、医療設備が不十分なところではやはり死亡率が上がってしまうのは当然だ。リョウの口振りだと、マリダスに生まれてさえいなければ、彼の両親は助かったのかもしれない。
「おまえが帝国の反逆者になったのはそれが原因か?」
「いや、そのときはまだ運命だと受け入れていた。学校では実務的な勉強のほかに学ぶものといったら、思想教育だからな。帝国に反抗した過去を償い帝国のために生きていくのがマリダスの人間が唯一選べる道だと。両親はその日を生きるのに精一杯で、ほかにも考え方があるのだとは思わなかったし。俺は俺でもう少し早く仕送りができていたら、両親は死ななかったのではないかと後悔していた。まだ子供だったんだ。そしてこうも思っていた――」
「帝国のために誠心誠意命がけで尽くせばいつか必ず状況が変わるのではないか」
ヴァートンがリョウの言葉を引き取った。
「私も一兵卒として帝国軍に入隊した。そこで再生治療を受けたのがきっかけで、この道に進むことになったのだが・・・・・・帝国が存在している限り、この固定された身分というのはどうにも変えられないようだ」
「俺が第二級帝国臣民としては、異例の出世をしたのは知っているか?」
マーシアはうなずいた。彼がその身分で中佐まで上り詰めたのは、出会った上官が公平な人物であったのと、なによりほかの誰よりも彼が帝国に貢献したからにほかならない。
その中でも極めつけは、イクスファ退却戦だ。帝国にとっては初めての組織だった抵抗勢力の反乱だった。しかし帝国軍の指揮官は、彼らの戦力と戦術を見誤り、おごった気持ちのまま制圧に向かったのだ。その結果、今までの抵抗勢力を制圧してきたのとは違い、帝国軍は完膚無きまでに敗北し、危うく全滅するところだったのだ。そうならなかったのは、リョウが残った艦隊をまとめあげ、追撃を振り切り、しかも深追いしてきた相手に打撃を与えて帰還したからだ。
この戦いはグラントゥールの上級指揮官の間では重要な研究材料となっている。
「だが、出る杭は打たれるのたとえもあってね。俺は犯してもいない罪を着せられ、投獄された。それに憤った親友たちが、護送車を襲って自由にしてくれたんだ。その中の一人が、反帝国運動の幹部で、俺はそこに身を投じることにしたんだ。このままではなにも変わらない。誰かが何かをしなければ、ずっとこのようなことが続く。だから俺は反逆者になったんだ」
揺るぎない信念を示すかのように、リョウはまっすぐマーシアを見つめた。