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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第1章 ヒューロン
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ヒューロン37

 リョウは傍らにすっくと伸びる木を見上げた。枝振りはしっかりとしていて、ハーヴィのような細身の男なら、この枝の上に身を隠しながら、狙撃することもできる。リョウは射線をたどるように振り返った。リョウはスコープを取り出してかつて自分たちがいた場所を確認した。彼が乗っていた雪上バイクが冷たい残骸になっているのが小さく見える。

「それにしてもよくここから命中させたな」

 リョウは思わず感嘆の声を漏らした。

「グラントゥールの最新式の長距離ライフルだ。といってもこれはまだ試作段階のものだな」

 マーシアは、防寒スーツのポケットから、ハーヴィが持っていただろうライフルの一番重要な部品を取り出した。

「いつの間に手に入れたんだ?」

「おまえが目を離しているときだ。だが元々彼の腕は相当に良かったんだろう。そうでなければいくら最新式のライフルとはいえ、正確に命中させることは無理だな」

 リョウは彼に初めて会ったときのことを思い出した。リョウがグラントゥールの射撃訓練場で久々に腕ならしをしていたときにエリックに紹介されたのだ。そのときの命中率は高くはなかった。

「射撃訓練場ではわざと外していたんだな」

「直属の上司であるエリックも、おそらくハーヴィの本当の姿は知らなかったと思う」

 マーシアは再びライフルの部品をポケットに入れると、木の根元に近づいた。


「昨日はあまり降らなかったんだな」

 ぽつりと独り言をつぶやくマーシアの視線の先に、小さな花束が置かれていた。凍り付いた花は色を失っている。梢から落ちた小さな雪の固まりが花を破片に変えた。風がその破片を巻き上げていく。

「ここは墓か何かなのか?」

「なぜそう思う?」

 マーシアは振り返りもせずに聞き返す。

「襲撃される前も同じような花束を持っていただろう。あの襲撃でだめになってしまったが……」

「よくわかったな。小さいものだったのに」

 驚いて肩越しに振り返ったマーシアにリョウはスコープを掲げてみせる。

「こいつはとても性能がいい。グラントゥールのスコープなんだろう? エリックが話すところによれば、かなりの売れ行きらしいな」

「おまえにも宣伝したのか? あいつも商魂たくましいことだ。それの開発はローデンベルク家が行ったんだ。そいつが売れると、売り上げの一部が彼の懐に入る。すなわち軍資金になるということだ。宇宙を自由に行き来するには金がかかるんだ」

 そう言って軽くほほえんだマーシアは表情を変えて、凍り付いた花束のあった場所を見下ろした。


「ここには小さな子供が眠っているんだ」

「子供が? ヒューロンに子供が住んでいたのか?」

「本人の意志で住んでいたわけじゃない。忠誠を示すものとして帝国に預けられたんだ。そしてここがその幽閉場所となった」

「子供が暮らすにはいい環境とはとてもいえない場所だぞ」

 リョウの口から非難の言葉が出る。

「わたしもそう思う。だがサイラート帝はその子の父親を全く信用していなかったし、好意も持っていなかった。だからその子にいい感情を持つことはかなり難しいかったんだ」

「だからといって、なにもこんなところに閉じこめなくても……」

「あの子のために腹を立ててくれるのか?」

「当たり前だ。もっとも今頃怒っても彼女のためにはならないんだろけどな」

 マーシアはリョウの顔を静かに見つめると、ひざまずいた。

「彼女は喜んでいるよ。今まで誰も彼女のことをそんな風に思ってくれた人はいないから」

 その言葉に、一番親の愛情を必要としているときに引き離され、たった一人でこの冷たい惑星で微笑んでみせる。

「うまくいくかどうかはわかせないが、収容所ではよく看守たちがこういう葉を集めて火をつけて暖をとっているんだ。俺たちが凍えながら穴掘りをしている間にな」

「わたしは別に寒くはないぞ」

 わかっていると答えながらリョウは一枚一枚の葉を一定の向きにしてちょうど枝付きの部分を狙うようにして、銃口を向けた。威力を弱めた光弾はそのうちの一つに火をともした。リョウはそれを元にほかの葉にも火をつける。それはまるでろうそく炎のように揺らめいた。

「花はさっきだめになったからな。俺の故郷では亡き人を偲ぶとき、ろうそくをともすんだ。その炎には魂が宿るといわれているから。もちろん花も持っていくこともあるけどな」

 最後はまるで冗談のようにリョウがいうと、マーシアは静かにほほえんだ。敵に向かって嘲笑するような笑みを浮かべ激しく銃の引き金を引く彼女の仮面の奥にいる女性が今、姿を現していた。


 リョウは静かに祈りを捧げているマーシアの傍らにひざまずいて同じように目を閉じた。そして次に目を開けたとき、炎はまだ消えていなかった。

「ありがとう」

 礼をいいながらマーシアは立ち上がった。

「この子はいくつで死んだんだ?」

「十二歳だな」

「たったの十二で? この惑星では何の楽しみもなかっただろうに……」

「そうだな。だがその子にはどうでもいいことだったかもしれない。すでに心はその前から死んでいたから」

 リョウはマーシアに目を向けた。マーシアは祈りの炎を見つめたまま

「愛されていると思っていたのに、本当は愛されていなかったことを知ってしまったんだ。それだけが支えだったのに、唯一信じていたはずの人が実は自分を裏切るために存在していたのだと知って、生きる意味を見いだすことができなくなったまった。そしてあの子は死んだ」

 哀しい口調だった。リョウは感情のないマーシアの白い横顔を黙って見つめていた。

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