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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第1章 ヒューロン
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ヒューロン26

 ニコラスたちの活動の実態を知ったリョウは、重い気分が残ったまま朝を迎えていた。気分を変えるために冷たい水で顔を洗うと、服を替えて通路に出る。夕食はマーシアの部屋で彼女ととるが、朝は食堂でとることにしていたのだ。

 食堂では料理人が作ったものが出される。下級兵士であろうと上級将校であろうと、同じものを食べているのだ。そういうところが帝国とは違う。帝国では階級ごとに食堂が決まっていて、食事の内容も違う。しかもすべて機械が作るのでたいしてうまいとはいえない。グラントゥールでは基本的にそれぞれの艦に料理人がいて、彼らが食事を作っているのだ。兵士や乗組員たちの福利厚生に、グラントゥールはかなり力を入れていた。


 リョウはトレイを手に兵士たちの列の後ろに並んだ。食堂の雰囲気がいつもとどこか違う。ゆっくりと周りを見渡すと、いつもならどこか退屈そうな彼らの顔が、今日は何かを期待しているように明るい。そして途切れ途切れに聞こえてくる会話もいつもの訓練の内容ではないようだ。

「連絡は遅かったんだって?」

 リョウはトレイに料理の入った器を乗せながら、聞くともなしに兵士たちの会話を聞いていた。どうやらリョウがマーシアの部屋を辞去した後に何か彼らを喜ばせるような連絡が入ったらしい。

「なにしろ二ヶ月以上もここに足止めされているからな。もう訓練ばかりじゃ飽きてくる。見目麗しい女はレディ・マーシアか、はたまた俺よりも強い上官か、だからな」

 一人の兵士の力ない声に仲間たちが笑った。

「だが出撃はいつになりそうなんだ?」

 出撃……目立たない隅の席に座ったリョウは、思わずスプーンを持つ手を止めた。

「もう少し時間はかかるだろうな。レディはすぐには戦闘をする方ではない。十分に作戦を練った上で行動を起こす」

「だが宇宙に出ることは間違いないんだから、訓練にもよりいっそう力が入るっていうものだろう?」

 別の兵士の同意を求める声に、話を聞いていた仲間たちが一斉に声を上げた。その後も彼らはいつになくにぎやかに食事をする。


 その喧噪の中、ただ一人グラントゥール人ではないリョウの気分は沈んでいた。マーシアとの別れの時が近づいている。いずれくるとはわかっていたが、それが現実になろうとしているのだ。自分はいったいどこに行けばいい? 再び囚人として収容所に戻るのか? だが希望を抱くことすら許されないあの暮らしはあまりにも過酷だ。


 そんなことを考えていたリョウのテーブルに、大きな手がドンと叩きつけられた。その勢いにスープの入った器が揺れて、トレイの中にスープがこぼれる。リョウはスプーンを止めて、その手を見つめた。節ばった手は明らかにかなりの訓練を積んだ兵士のものだ。袖口の模様は、彼が古参の下士官であることを表している。

「あんたも残念だな。かりそめとはいえ、自由を満喫していたのに、もうじきそれも終わるんだ」

 悪意がたっぷりとこもった言葉だが、リョウは無視して、再びスープを口に運んだ。彼らの当てこすりは今日が始めてではない。怪我が完治した後も、マーシアが彼をここに留めていることに不満を持っているのだ。特別扱いしていると感じているのだろう。特に彼が銃を常時携帯する権利を手に入れてからはあからさまになっている。彼らはマーシアたちにその思いをぶつけることはしない。だがその分、リョウが一人の時などに狙って子供じみた嫌みをささやく。苦情ならマーシアやエリックに直接言ったとしても、彼らはかまわないはずだ。グラントゥールでは、帝国のように上下間の風通しが悪いわけではない。兵士から上官の進言はよく受け入れられているし、ある意味、責任を持ってそうすることは強く望まれているのだ。しかしそれが個人的な感情に基づくものであれば、軽蔑されることになる。彼らはそれを自覚していた。リョウが銃を携帯していることに異を唱えるのは、自分たちの嫉妬なのだということを。しかも銃の携帯許可の権限は上級指揮官たちの専任事項で、あくまでも個人的なものだ。許可した人間がそのことで不利益を被った場合、それは許可した人間の責任でそれだけ判断が甘かったとされるだけの話なのだ。彼らにもそれはよくわかっている。だがそれでもリョウは目障りなのだろう。


「おい、ちゃんと聞こえているんだろうな!」

 男は再びテーブルをたたいて怒鳴った。あたりがしんと静まり返る。誰もがリョウとその男のやりとりを見つめていた。

 リョウはスプーンをおいて、顔を上げた。男は巨漢といってもいい。その体格はリョウの二倍近くはありそうだ。そんな男が憎々しげに自分を見下ろしている。

「ダレス」

 巨漢の男の後ろに立つ品のいい青年が困ったように声をかける。ロンドヴァルトだった。食堂の兵士たちは固唾をのんでこの成り行きを見守っている。何しろリョウが銃の携帯許可を得たときに誰よりも憤慨していたのが、ダレスなのを誰もが知っていた。ダレスは誰よりもマーシアに心酔している。それなのに三ヶ月近く前までは息も絶え絶えだった囚人が、そして今もマーシアの保護がなければこうして自由に息することすらできないはずの男が、誰よりも信頼されているという証を腰につけているのだ。

「俺は貴様なんか認めないからな。いくらシミュレーションの結果がけた外れによくても、貴様がレディの前で銃をもつ権利なんてぜったいに認めない。いったいどうやって銃を手に入れた?」

 ダレスは身を乗り出すようにしてリョウに顔を近づけて、にやつきながら

「レディの足下にひれ伏して、お涙ちょうだいの話でもしたか? それともベッドに忍んだのか?」

「ダレス!」

 後ろにいたロンドヴァルトだけではなく、食堂中の兵士たちが息を飲んだ。だが彼はリョウをおとしめることに夢中で自分がなにを言ったのか気づいていない。収容所の新任の所長たちと同じようにダレスはリョウに体を売っていると蔑んだのだ。だがダレスだけは気づいていなかった。それがもっと別の意味を持っていることに。

 その瞬間、リョウの中でスイッチが入った。冷ややかにダレスを見やったリョウは、ふっと彼を挑発するように口端に笑みを浮かべた。もはやマーシアの横で穏やかにほほえむ男ではない。


「貴様っ!」

 ダレスはカッとして、リョウに掴みかかる。だがその手は宙を泳ぎ、次の瞬間、リョウの右手に掴まれていた。ダレスが信じられないものを見るかのようにリョウを見下ろした。腕を抜こうと何度も引っ張るがリョウの手はびくともしない。何度やってもリョウから自由になることはできないと知ったダレスは呆然とした。

「俺を侮辱したいのなら、いくらでもすればいい。だがマーシアを侮辱することは容赦できない。たとえおまえがエリックの部下であろうとな」

「俺がいつ、レディを侮辱した」

 ダレスは握られた手首の痛さに顔をゆがめながら叫んだ。

「その頭にはパンくずでも詰まっているようだな。おまえはマーシアを侮辱したんだぞ。マーシアがたかが男一人に振り回されてるような女だとな」

「馬鹿な。俺はそんなことを言っていないっ!」

 ダレスは顔を真っ赤にして否定する。

「だがそう聞こえたんだよ。ダレス」

 リョウはダレスの後ろから現れた青年を見た。彼が先ほどから興奮しているダレスを鎮めようとしていたのはわかっていた。

「きみは?」

「わたしはロンドヴァルトエリザリール・ファロン・ストーです。彼はダレス・ハンストローム。わたしたちはエリック卿の部下です」

「ずいぶんと長い名前だな」

「仕方がありません。いずれわたしは伯爵位を継ぐ身なので」

「将来上級指揮官になると言うことだな?」

「はい。ですが今は修行中の身です」

 ロンドヴァルトはそう答えると、

「わたしは彼の友人です。友人のためにあえて言わせていただきます。彼には本当にレディを侮辱するつもりはなかったのです。ああ言う言い方をしたら、どういうことになるかということに少しばかり配慮が足りなかったというのは確かですが」

 ロンドヴァルトは苦笑しながら、ちらりとダレスに視線を投げた。ダレスは巨大に体を小さくしながらもまだ納得いかない様子だ。

「申し訳ありませんが、彼の手を離していただけますか? ダレスは戦士としてかなり優秀なんです。手首が使いものにならなくなったら大きな損失になります」

 リョウは二人の顔を交互に見比べると、うなずき手をゆるめた。ダレスはすぐに手首を引き寄せ、何度も動かしてみせる。

「ですが、わたしたちとしてもあなたを容認できない理由はおわかりいただけると思います」

「銃だな?」

 ロンドヴァルトがうなずくよりも早く

「当たり前だろう? おまえはレディのために何をした。彼女に守られているだけの存在じゃないか。それなのになぜエリック卿と同じように銃を持てるんだ? だから俺は……」

 その先の言葉はリョウにも予想できた。しかし彼が言葉を発する直前、ロンドヴァルトに睨まれて言葉が口の中で消えた。二人はなかなかいいコンビのようだ。リョウは再びいつものに自分に戻っていた。

「すみません。単純すぎるほど単純な奴で、しかもレディに心酔しきっているんです。彼女のためなら火の中であろうと水の中であろうと飛び込むのに躊躇はしないほどに」

「当たり前だ。レディのためなら、俺はどんなことだってできる」

 ダレスは昂然と胸を張った。彼の誠意は間違いなく確かなものだろう。だが、それ故彼は銃を与えられることはないのだ。銃を持つと言うことはマーシアの信頼の証であるが、同時にその銃をマーシアに向ける覚悟も必要とされる。彼には向かない。

「レディがわたしたちに銃を渡さないのは、信頼していないことではないと信じています。だからこそ、あなたが銃を持っていることが納得できないのです」

 まさにロンドヴァルトの言うことは正しい。リョウは確かにマーシアのために何かしたことはない。いつも彼女に守られているばかりだ。彼らは不審を抱いているのだ。彼らを納得させることができなければ、それはいずれマーシアの指導力への疑問となっていく。

「どうすればきみたちは納得する? 俺がマーシアのそばで銃を持っていても不思議ではない、と」

 意外な申し出だったらしく、ダレスとロンドヴァルトは互いの顔を見やった。不意にダレスがにやりとする。

「だったら、決闘……」

 で決めよう、といいかけるのをロンドヴァルトが鋭い視線で制する。

「それはだめだ」

「なぜ? 決闘ならこいつを確実に殺すことができる」

 ロンドヴァルトはあきれたようにダレスを見上げた。

「いいか、彼は決闘の条件には当てはまらない。まずグラントゥール人じゃない。それに彼を倒した後、おまえは彼の何を引き受けるんだ?」

「それは……」

「引き受けるものがわからず、覚悟もないものが決闘をすることは許されない。そんな状態での決闘は決闘とは言わない。それはただ単なる人殺しだ」

 厳しい口調に巨漢のダレスが身を縮めている。ロンドヴァルトはリョウに向き直ると、

「グラントゥールの実戦形式の試合ではいかがでしょうか? 全く無傷というわけにはいきませんが、それが一番あなたの力を見ることができます」

「俺はどちらでもかまわない。決闘でもな」

「あなたのことを配慮して決闘をさせないわけではありません。決闘はわたしたちにとって神聖なものなのです。では午後一番に、特別訓練室でお待ちしています。相手はダレスでよろしいですか?」

「もちろん。だがこの後もいろいろと絡んでこられると煩わしいからな。俺に不満のある奴を揃えておいてもかまわない」

 ロンドヴァルトは驚いたように目を見開くと、皮肉っぽく

「ずいぶんと自信があるんですね」

 リョウは肩をすくめた。

「百人がいっぺんにかかってこられても、勝ち抜くほどの自信はない。だが可能な限り力を尽くす。それが俺の実力だからな」

「わかりました。ならば志願者を募ってきます」


 リョウとダレスがグラントゥール式の実戦試合をすると言う話は、瞬く間にマーシアの館にいるエリックの将兵たちの間に広まった。誰もが食堂でのリョウとダレスの一件を話し、そしてそれには誰でも参加できると知って興奮していた。何事もなく落ち着いているのは、元々この館で研究にいそしんでいる者たちぐらいだ。

 そして自室でその話をエリックから聞いたマーシアは予想される戦況図から目を離して、エリックににこりと笑って見せた。

「どちらが勝つかだって? もちろんリョウに決まっている。そうでなければ銃を持つ資格はないんだからな」

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