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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第1章 ヒューロン
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ヒューロン22

「前に、エリックが俺のことを調べたと言っていたが、どうやったんだ?」

 リョウがそう切りだしたのは、ヒョーロンに赴任してきた新任所長が彼を拉致しようとした一件から、二週間ほどすぎたある夕食後の時だった。彼がマーシアに保護されてからすでに二ヶ月がたとうとしていた。

「調べられたのが気に入らないのか?」

 マーシアは食事の最後に出された黒い固まりをうさんくさげに見つめたまま訊く。

「そんなことはない。それは当然のことだ。むしろ調べない方がおかしい――それはチョコレートケーキと言うんだよ。エリックの料理人に頼んで作ってもらったんだ。毒は入れていないつもりだが」

 マーシアは視線をリョウに向けた。

「おまえはそんなことはしないさ。わたしを殺すならその銃を使えばいいんだからな」

 リョウは自分の腰にある銃を意識した。この部屋の中でマーシアは丸腰だ。

「そういう言い方はやめてくれ。俺はこの銃をおまえに向ける気はない」

 憮然とするリョウにマーシアが軽くほほえんだ。

「しかしなぜこれがわたしの前だけにあるんだ?」

 マーシアは手にしたフォークで黒いチョコレートケーキを指した。確かにリョウの前にあるのはコーヒーだけだ。

「味見はしたよ。だが俺には食べられないんだ。甘すぎてな」

「甘い?」

 リョウはうなずいた。

「きみはいつも食後には果物もろくに食べないだろう? それに女性はたいがいこういうものが好きなんだ。きみも女性なんだから、一度は楽しんでみるのもいいんじゃないかと思ったのさ」

 マーシアはフォークでケーキを切ると口の中に入れた。そのとたん、マーシアの瞳が大きく見開く。

「甘い……」

 うっとりとつぶやくマーシアの言葉にリョウはにっこりと笑った。

「味がわかるか?」

「ああ。子供の頃に感じた味だ。懐かしいな」

「よかった。砂糖やチョコレートを普通の十倍は入れたらしい。だが残念なことに俺には甘すぎて食べられない。甘いのは嫌いではないんだがな」

「わたしのために、作らせたのか?」

 リョウはうなずいた。

「よく料理人が文句を言わなかったな。まともな作り方ではないのだろう?」

「そうらしい。髪の毛が逆立つほど逆上していたからな」

「それをよく作らせたな」

「こいつのおかげさ」

 量はベルトに下げている銃に手を当てた。マーシアが目を丸くする。

「料理人に銃を向けたのか? そのために渡したんじゃないぞ」

「俺がそんなことをすると思っていたのか、心外だな」

 大仰な嘆き方にマーシアの目が冷ややかになる。

「銃をあからさまに見えるようにして、彼の後ろで腕を組んで立っていただけだ。彼はしばらく俺を睨みつけた後、これを作る気になってくれたらしい」

 リョウはにやりと笑った。それにつられて瞳が優しくなる。


「でもどうして急に?」

 マーシアは再びケーキを少しずつ口に運び始めた。

「マリダスの風習なんだ。マリダスの暦で花の月、赤の日に男は身近な女性に甘いケーキを贈るんだ」

「そんな風習があるのか……それでたまたまここにいるのはわたしだったというわけか?」

 リョウはうなずいた。朝、目が覚めて、日にちを意識したときに、このことがふと浮かんだのだ。マリダスでも帝国歴が使われているが、それとは別に慣習に基づく暦も使われている。初めの月は新しい年の第一番目の月だし、火の月は真夏の一番気温が上がる月のことだ。そして花の月は地に眠っていた花々が咲き出す季節のことだった。そして男たちはその赤の日に、一番大切にしている女性が好むケーキを贈るのが習慣となっていた。だからその日はどこのケーキ屋も男性の姿であふれていたものだ。

「マリダスでもこういうことをやっていたのか?」

「母が生きていたときはな。俺は十五になるとすぐに兵士になったから、母が死んだ後はそういうことはしていなかった」

 恋人がいなかったわけじゃない。そしてマリダスの風習を忘れてもいなかった。この日が近づくとケーキ屋の前で立ち止まることもあった。しかしマリダスの風習の意味を考えれば、そこまでしたいとは思わなかったのだ。男性がこの日にケーキを贈る相手が自分の身内以外の場合には、かなり深い意味があるのだ。リョウはそれをマーシアに教えるつもりはなかった。なにより今はまだ自分にはその資格はない。せめて対等な立場にならなければ……


「おまえはなぜ士官学校とか言うところに入らなかった?」

 マーシアの言葉にリョウは我に返る。

「帝国軍には兵士ではなく士官を養成するところがあると聞いている。その養成機関が士官学校というところなのだろう?」

「グラントゥールにはないのか」

「ないな。基本的にグラントゥール人は船で生まれて船の中で死んでいく。だから教育も船で行われるんだ。宇宙のことや航海術、戦闘関係は実地教育だ。あるいは親から子、もしくは年長者から年少者へと言う具合だな」

「まるで一族の家業のようだな」

 マーシアは破顔した。

「その通りだ。今でこそグラントゥールは国として一応体裁はついているが、元々は海賊なんだ。一族で海賊家業を生業にしていた。海賊は疎まれるからな。結局自分の中ですべて納めなければならない。だからこういう形になったんだ」

「だから、自由と独立をなによりも求めるのか?」

 マーシアはうなずいた。


「帝国が成立する以前のマリダスは、この銀河の中でも重要な拠点で、政治的にも発言力があった。だがその誇り故に、帝国に最後まで抵抗したんだ。結局マリダスは敗れ、帝国は銀河のすべてを手に入れた。帝国に逆らった代償は、第二級帝国臣民と言う身分と、それに伴い教育を受けられないと言う現実だ」

「教育を受けられない?」

「ああ、マリダスでの義務教育は五歳から十歳までの五年間だけだ。読むことと書くこと、それと日常生活で必要な計算が主な教科だ」

「それは少ないない方なのか?」

「帝国にある辺境惑星でも、平均十二歳ぐらいは無料で教育を受けることができる。長いところでは十五歳だな。帝国の首都クラスになれば、進む方向に違いは出てくるだろうが、十八歳までは無料で教育を受けられる」

「その開きはずいぶんとあるな。義務教育を終えた後はどうするんだ?」

「マリダスではそのほとんどが働きに出る」

「まだ子供なのに?」

 マーシアが驚いた声を上げた。

「グラントゥールでも子供は働かせないぞ。少なくともあと二年はたたないとな」

 リョウはぷっと吹き出した。あと二年とマーシアが強調したのが彼にはおかしかった。十歳と十二歳、どちらも子供だが、グラントゥールではその二年の違いはかなり大きいらしい。

「なにがおかしいんだ?」

 マーシアはむっとした様子でこちらを睨む。

「すまん」

 リョウはあわてて謝る。マーシアはそれ以上は追求しようとはしなかった。どうやらリョウの過去に対する興味の方が勝っているようだ。

「働きに出るというのは、一種の学校のようなものさ。生きていくための術を学ぶんだ。農民なら農民の元で下働きをして作物の育て方を教わる。商人になるのなら商人の家に働きに行き、そこで商売を学ぶ。もちろん職人になりたいのなら、そういうところに弟子入りして技術を学ぶんだ」

「わたしたちと同じだな」

 ぽつんとつぶやいた言葉にリョウははっとした。確かにその通りだ。

「おまえはどうしていたんだ?」

「俺は運良くその上の学校に通えたんだ。両親が貯めていてくれた金と、学校が家から通えるところにあったから、とはいっても往復三時間はかかったが」

 リョウは思い返していた。夜が明けてすぐに家を出てバスを乗り継いで、学校に着き、そこで日が暮れるまで勉強したあと、また同じようにして帰る。食事をして課題をすませば寝るだけという生活だった。だがそれでも充実していた。

「中等学校は金がかかる上に、数が初等学校に比べればかなり少ないんだ。マリダスの首都でさえ、中等学校は三校しかない。他の都市なら、中規模の都市でようやく一つだけ置かれているんだ。しかも中等学校の設置は自治政府ではできないんだ。必ず帝国が設置し、運営も帝国が行っている。教師も帝国が送り込んでくる。これが帝国に抵抗した結果の一つだ。ほかの惑星は中等学校どころか高等学校、大学校も自分たちで自由に設置できるんだが。第二級政府であるマリダスにはその自由はない。高等学校は首都に一つしかないし、大学校に入りたければ、ほかの惑星に行かなければならない。だがそう簡単に惑星を移動することはできない。第二級臣民は惑星間で自由に移動することはできないからな。もしマリダスを出たければ一番いい方法は兵士になることだが、兵士になれば大学校に行くことなど不可能だ」

「おまえは大学校に行きたかったのか?」

 リョウはぴたりと動きを止めた。しばらくして再びコーヒーに口を付けた。

「そうだな。俺が第一級臣民で、それなりの金があれば行きたかったな。何かを学ぶのは好きだったし、互いの考えをぶつけ合い理解し合うのも嫌いじゃなかった。だが俺はマリダスの生まれで、両親はやっとの思いで俺を中等学校に行かせてくれたんだ。その両親も、中等学校の終わりには悪性腫瘍を患っていることがわかって、治療費を稼ぐために兵士になったんだ。」

 短い沈黙が二人を包んだ。

「士官学校に行けたらよかったのにな」

 リョウはうなずいた。兵士一年目の給料と士官学校生が受け取る給料を比べると士官学校生の方が高い。しかも卒業すると士官となって出世も早いのだ。士官学校の入学年齢はだいたい十五歳から十八歳までだ。それから三年間みっちりと学ぶことになる。

「ふつうは中等学校を出れば士官学校に行くことが可能だ。もちろん成績次第だが。だが第二級臣民は、高等学校を出る必要があるんだ。なぜなら中等学校で教える内容がほかの惑星の中等学校に比べると半分以下だからだ。マリダスでは高等学校に行く連中は親が金持ちなんだ。そうでなければ続かないような仕組みになっている。そしてそういう者たちはたいがい帝国の要人とつながっている。要人といっても、マリダスあたりの星域を管理する役人だろうけどな。学問ができなければ、帝国の下級役人になることもできないから、マリダスのほとんどの人々は貧しいままだ」


 マーシアはしばらく目の前に置かれているさらに目を落としていた。ケーキはきれいに食べられている。

「うまかったようだな」

 マーシアは顔をほころばせ、リョウを見た。

「味を感じたのは本当に久しぶりだ。だが、だからといってしょっちゅう食べるわけにはいかないだろうな」

 名残惜しげなマーシアに

「普通の作り方じゃないからな。いくら味がわからないからといっても体の方は普通の人間なんだ。砂糖を通常よりもたくさん作ったケーキをそういつも食べていたら、体の方が壊れてしまう。年に一度、一切れぐらいなら大丈夫かな」

「では来年の今日を楽しみにしていようか」

「約束はできないが、それでもいいか?」

 ちょっと驚いたような顔をしたマーシアは次に声を立てて笑った。

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