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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第1章 ヒューロン
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ヒューロン20

「いったいどうしたんです?」

 エリックは部屋に入るなりこの妙な沈黙に気がついた。

「リョウがわたしが女で、自分が男であることを気にしているんだ。別に対したことはないと思うんだが。夜も遅くに女が一人きりしかいない部屋に男が長居をしていると、生殖活動をしているのではないかと思われるそうだ。それがわたしにとっては不名誉なことらしい」

「生殖活動ですって!」

 エリックの声が裏返り、目を見開いた。そして視線がマーシアからリョウへと移る。


「俺が言ったんじゃない」

 リョウはすかさず否定した。

「でしょうね……」

 エリックは頷いた。

「生殖活動のなにが変なんだ? 男と女がそういうことをしなければ、おまえだって生まれていないだろう?」

「それは確かにそうですけど……」

 エリックはすっかり困惑していた。どうやらエリックはまともな感性を持っているらしい。

「リョウがあまりにこだわるから、生殖活動をしたいのかと聞いたんだ」

「えっ! 訊いたんですか?」

「いけないことか?」

「いや。別にいけなくはありませんが……で、彼はなんと答えたんです?」

 戸惑っていたエリックの目に面白がるような光が浮かんだ。


「こたえられるわけはないだろうっ!」

 リョウは怒鳴った。

「いったいグラントゥールではどういう教育をしているんだ。ほかのことではすばらしい能力を見せているのに、この手のことは、マーシアの頭からはすっぽりと抜け落ちている。ただ落ちているだけじゃない。変に覚えているんだ。しかも生殖活動だなんて……まるで生物の観察みたいじゃないか!」

「生物……教育……」

 エリックはハッとしてマーシアをみた。

「あなたが使っていた教育プログラムは、マルガレーテ博士のシリーズですか?」

「十年以上も前の話だろう? 覚えていないな。あのころはいろいろな教育プログラムを受けていたから。確かその奥の棚にまだあるはずだが……」

 その言葉を聞くなり、エリックは一番部屋の隅にある扉を開けた。

「やっぱり、そうだ」

 彼は一通り見ると、リョウたちの元に戻ってきた。


「すまない、リョウ。マーシアのその手の感性がとんでもなく鈍いのは、教育プログラムの欠陥だ。マルガレーテ博士というのは、グラントゥールの教育学者の一人でかなり優秀なプログラムを作るのだが、男女間のことに限ってはとてつもなく鈍感で融通が利かなくて、感性など全くないんだ。フェルデヴァルト公爵には、これを使うのはやめた方がいいと父が警告していたはずだったんだが……」

「わたしの感性が鈍いと、おまえたちは侮辱しているのか?」

 険悪な言葉に二人はぎょっとしてマーシアをみた。

「侮辱しているわけじゃない」

「侮辱なんてとんでもない」

 二人は声をそろえて、否定する。

「だが、きみがその手のことに関しては恐ろしく無知で鈍感だということは自覚してもいいと思う」

 エリックはぎょっとしてリョウを見下ろした。

「マーシアに喧嘩を売っているのか?」

 小声でささやくエリックに、

「まさか。だが鈍感なのは事実だ」

 と同じく小声でこたえる。

「鈍感で悪かったな」

 マーシアが口を挟んだ。むっとしているが怒っている様子はない。

「わたしの鈍感さが教育プログラムの欠陥だというのなら、それを補う必要があるな。不完全なのは好きじゃない。その欠陥を補うためにおまえがその手のことをいろいろと教えてくれるんだろう?」

「お、俺が?」

 リョウは思わず問い返していた。こんな展開になるとは予想もしていない。

「ほかに誰がいる? エリックか? こいつだって、マルガレーテ博士の教育プログラムを受けた口だぞ」

 リョウがエリックを見ると彼はうなずいた。

「わたしは後で自分で修正しましたが……」

 と応じる。

「じぁあ、きまりだな」

「勝手に決めるな」

 リョウはうめいた。


「でもきみにとって迷惑な話ではないだろう? もっとも今すぐ教える必要はないけどね。彼女のことで困っていたのはきみだ。わたしたちは彼女が鈍感であろうと特に気にしない。個人的な行為が鈍感であっても、レディとしての職務さえ鈍感でなければいいんだ。それに彼女の部屋にきみが夜通しいたとしても、グラントゥールの者は、きみとマーシアの間に男女の関係が生じたなどと思わないよ。マーシアを押し倒して自分のものにしようとしても、それが不可能なことをわたしたちは知っているし、もしそういう関係になったとしたらそれは彼女の意志だということだから、口を挟む理由はない。まあ、きみの存在が気に入らない連中はいろいろと言うだろうが、真実を知っているのは当事者だけだからね。それだけで十分だろう。他人がどう言おうとそれは関係がない」

 自分たちさえ真実を知ってさえいれば、第三者がどう言おうと平然としていられるその強さがグラントゥール人を傲慢に見せているのだ。


「ところでわたしを呼んだのはどうしてですか?」

 エリックはマーシアに向き直った。マーシアもようやく本来の職務を思い出した顔で彼を見上げ、一枚の書類を取り出した。

「これにおまえのサインが必要なんだ」

「銃の携帯許可書?」

 エリックはその名前の欄に目を留めた。そしてベッド脇に腰を下ろしているリョウを振り返った。リョウも彼の驚いた視線に気づいた。


「きみが望んだのか?」

「なんのことだ?」

 蚊帳の外におかれているリョウにはさっぱりわからない。

「マーシアはきみに常時銃を携帯してもいいと言う許可を出そうとしているんだ。これにわたしがサインすれば、きみはマーシアの側であろうと銃を持っていても咎められることはない」

 リョウにはその言葉の意味を即座に理解した。リョウはグラントゥールの人間ではない。彼女に保護されている囚人で、マーシアはこの館にいる中では一番重要人物だ。その彼女の側で銃を携帯できるということは、それだけ彼女の信用を得ているということになるだろう。だが、マーシアは銃口が自分には決して向けられないと思っているのだろうか。


「もし、俺が与えられた銃をマーシアに向けて、人質としたらどうするんだ、エリック?」

「もちろん、そのまま行かせるよ。もっともマーシアを人質に取ることが可能だったとしての話だけどな」

「ハーヴィの時には人質となるよりは死を選ぶことを望んだのにか!」

 リョウの語気が激しくなった。

「マーシアはきみたちにとって重要な存在だが、ハーヴィは違うからか!」

「それは違う」

「なにが違うんだ!」

 立ち上がっていきり立っているリョウと、しごく冷静に彼の怒りを受け止めているエリックを、マーシアは静かに見つめた。グラントゥール人ではないリョウの反応はマーシアにとって、とても新鮮だった。グラントゥール人なら、その矜持ゆえに誰かに媚びるようなことはしない。リョウはグラントゥール人でないにも関わらず、誰にも媚びない。そればかりか、マーシアに諫言したり、また重要でもない話なのに、彼はなぜか赤面しながらも真剣に説明してくれる。そして今もその無能さゆえに自分を危機に陥れた男のために彼は腹を立てていた。あの男……マーシアは顔を思い浮かべた。そして「名前くらい覚えていろ」とリョウが言ったことを思い出す。そう、あの男はハーヴィと言ったんだ。


「ハーヴィの任務はきみの護衛だった。それを全うできなかったばかりが、人質となってきみを引き渡す羽目になった。もし彼が人質でなかったのなら、きみは十分に戦えただろう。その結果敗れて死ぬことになったとしても、それは力不足と言うことだ。わたしたちの責任ではない」

 彼は言葉を切ると、

「ハーヴィが人質になった件と、マーシアが人質になる件は決して同じではないんだ。マーシアを人質にして、きみが自由とそのために宇宙船が欲しいというのなら、わたしたちは素直に渡すだろう。宇宙船一隻なら大して経済的損失にはならないからね。それでマーシアを解放するならそれでいいし、仮に彼女を連れていってもかまわない」

「救出活動はしないのか?」

 リョウは彼の冷静さに一石投じたくなった。エリックはぱたりと口を閉ざす。まるでそのことは考えていなかったとでも言うかのようだ。

「まあ、彼女がそれを望めば救出はすることになるだろうが……」

「要するに、マーシアが人質になることなど想定していないと言うことか?」

「そういうこと。第一いくらきみでも無理だと思う。彼女に自分の意志に反する何かをさせようとするのはね。仮定の話として続きを言えば、『マーシアを助けたかったら、グラントゥールし反帝国側につけ』と言う要求をきみが出したとしたら、わたしたちは無視する。また反帝国勢力がマーシアを人質としたまま、グラントゥールに何らかの被害を与えた場合は、マーシアごと攻撃の対象となるんだ」

「要するに、グラントゥールに被害を与えた時点で、マーシアは切り捨てられるというわけか」

「その通り」

「要は優先順位の問題というわけだな」

 エリックはうなずいた。

「ハーヴィにとって、きみを敵の手に渡さないと言うことはなによりも優先すべきことだった。しかし彼にはそれができなかった。だがきみの言うとおり、その彼を選んだのはわたしたちだから、彼の処分は護衛任務の解任と減給ですませた。本来なら、あの時点で処刑されても当然なんだけどね。今、彼は一般兵士の任務に戻っているよ」

 リョウはほっと胸をなで下ろした。たとえそれがグラントゥールの常識であろうと、彼にとってはあまりにも過酷な処分に思えたのだ。


「ところでおまえは銃を手に入れたら、それをわたしに向けるつもりなのか?」

 リョウはハッとしてマーシアをみた。マーシアは恐れている風でも後悔している風でもなく、むしろ面白がっているかのように訊く。

「マーシア、その気のある奴がそういう質問をされて『はいそうです』と、こたえると思うか?」

 リョウは少々あきれ気味に問い返した。

「じゃあ、おまえにはその気があると言うんだな?」

「あのな……」

 マーシアの何かもめ事を期待しているような目とぶつかって、リョウは深くため息をついた。

「俺はそれほど恩知らずではないつもりだ。ましてや信頼してくれた人間を裏切るような真似はしない」

「だがもし、おまえがわたしを撃たなければならない事態が生じたらどうする? おまえは反帝国の活動をしたということで反逆罪に問われて、収容所に収容されていたんだぞ。そしてわたしがいるグラントゥールはサイラート帝を支援している。こういう状況でなければ、おまえとわたしは敵対していて、互いに殺しあっていたかもしれないんだ。違うか?」

「確かにそうだ」

 リョウは目をそらしたい事実を直視した。本来マーシアは敵側にたつ人間なのだ。

「だが、今は違う」

 彼は苦しい胸の内をその口調ににじませている。

「今の俺には何の力もない。第一きみに保護されている身で、反帝国ののろしなど上げられはしない……」

 一度言葉を切ってリョウはマーシアに強い視線を向けて、

「もしそのときがきたら、俺はきみに銃を返す。そして改めて自分の手で得た銃できみと向き合うだろう」

「そうか……」

 静かにつぶやいたマーシアはなぜほほえんでいた。そして改めてエリックを見る。

「いいでしょう。あなたがその覚悟なら、わたしに異論はありません」

 エリックはそういうと、マーシアが差し出した書類にペンを走らせた。

「これできみは、銃を常時携帯できる。マーシアの側にいるときでもね。わたしが武器庫に案内するよ。グラントゥール製の最高の銃が一通りそろっているんだ」

 エリックに促され、リョウは歩きだしたが、マーシアの前に来て足を止めた。


「ほんとにいいのか?」

 リョウは改めてマーシアに尋ねる。

「収容所の連中はまだおまえを狙っているんだぞ。おまえを殺し損ねたことで、ますます意固地になっている。護衛をつけてもおまえの足手まといになるなら、護衛はつけずに銃を持った方がいいに決まっている。おまえほどの腕なら、自分の身は楽に守れるはずだ」

「マーシア……」

 リョウは彼女の気持ちがうれしかった。保護されているとはいえ、敵対する立場の自分のみを自分で守るためにマーシアはあえて銃を渡そうとしてくれているのだ。

「立場上、おまえはグラントゥールの客分扱いだからな。とりあえずグラントゥールの管轄区域にいる限り、収容所の看守を撃ち殺したところで咎め立てるものはいない。まあ、ヒューロンのどこでグラントゥール人以外の人間を撃ち殺しても、あえて咎めようとするものはいないだろうけどな。だがグラントゥール人はおまえが銃を持ったときから、おまえに挑戦してくるだろう。それだけは覚悟しておくといい」

「挑戦? 決闘でも申し込むというのか、彼らが?」

 リョウは自分がマーシアやエリックそしてハーヴィなどのごく限られて人間以外には完全に無視されていることを実感していた。

「それに近い」

「俺はそれを避けた方がいいのか?」

「それは得策ではないな」

 そうこたえたのはエリックだった。

「グラントゥール人にとって常時銃を携帯できるというのは特権なんだ。優れた判断力と冷徹な沈着さを持っている証であり、同時に上級指揮官の信頼を得ているということだ。わたしの部下にはわたしが許可して銃を携帯できる者がいるが、その者はマーシアと同席している場では銃を持つことはできない。マーシアが彼に銃の許可を出していないからね。立場上、わたしより彼女の方が上なのでそういうことになる。だから銃を携帯したままマーシアの側にいることができるのは、わたしの部下たちにとっては特別なことなんだ。しかもきみはグラントゥール人ではない」

 エリックははっきりと言った。

「グラントゥール人ですらなく、しかもマーシアがいなければその立場すら保証されないきみがマーシアの絶大なる信頼を得ているということは、部下たちにとっては納得のいかないことだろう。部下たちはきみの実力を知ろうとする。きみが本当にその資格があるのかどうか。自分たちを統率する指揮官のそばで銃を持つにふさわしい相手かどうかをね」

「彼らに試されるということか?」

 エリックはうなずいた。

「試されるのはおまえだけじゃない」

 リョウはマーシアをみた。

「俺の態度一つできみも試されるんだな」

「おまえに銃を与えたのが正しいのかどうかを彼らは判断することになる」

 リョウが彼らの挑戦を避けたり、もしくは無様な負け方をすればその分、銃の携帯を許可したマーシアの判断力が疑われるということだ。

「責任重大だな」

「それはおまえが気にすることじゃない。判断したのはわたしだからわたしが責任をとればいいことだ。おまえはまず自分の身を守れ。いつもわたしが駆けつけられるとは限らないんだからな」

 リョウはマーシアが手当してくれた跡を意識した。

「わかった。ありがとう」

 リョウは真剣な思いで彼女に感謝を伝えた。マーシアがハッと顔を上げた。そして少し赤面したかのような顔を隠すようにそっぽを向くと、

「とっとと銃をもらってこい!」

 とせき立てた。

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