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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第1章 ヒューロン
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ヒューロン18

 いったいどこに……このぼろぼろに傷ついた体の、今まで激しい感情を見せたことのない彼の一体どこに、そんな気迫があったのか、エリックは唖然としてリョウを見た。自分たちの部下もが自分と同様に驚いているのを感じる。ハーヴィでさえ、ハッと顔を上げて呆然とリョウを見ていた。ただマーシアだけは銃口をハーヴィの頭に向けたまま微動だにしていない。

「銃を下ろすんだ」

 高ぶったところは一つもない口調だが、それはけっして有無を言わせぬ命令だった。指揮官に必要なのは信念と気概だ。この男にはその才能がある。だからこそイクスファの戦いで司令部を失い敗走しかけた軍を見事にまとめ上げることができた。帝国軍は彼ゆえに醜態をさらさずにすんだのだ。


『イクスファの英雄』


 帝国の反逆者になる前まで彼はそう呼ばれていた。あながち間違いではない、とエリックは改めてリョウを見直した。


「この男の失敗でおまえは収容所に連れ戻されそうになったのを忘れたのか。たまたまわたしが早く戻ったから、そうはならなかっただけだぞ。それをわかっているのか!」

「俺は銃を下ろせと言ったんだ。聞こえなかったのか!」

 リョウはマーシアの言葉を無視しただけではない。自分が上位であることを示したのだ。誰もが息をのんだ。彼女と親子のように親しいサイラート帝ですら、彼はマーシアに命令を下すことはできない。フェルデヴァルト公爵も立場上マーシアよりも上位にいるが、彼は命令は下さない。二人の間にあるのは親愛とそして厳然たるグラントゥールの掟だけだ。


「わたしに命令するのか!」


 マーシアは今までにエリックが一度も見たことがないほど激怒している。冷たい雰囲気が一気に熱く燃え上がるのがわかる。彼女から吹き出す力に、エリックたちは思わず後ずさりたい気分におそわれた。それを押しとどめるのは彼がマーシアの側近であることとそしてなにより、ローデンベルク伯爵家の当主であるというプライドだ。しかしリョウはその怒りの嵐をまるで何事もなく受け流している。彼は自分の立場を本当に理解しているのだろうかと思った。マーシアの気まぐれで彼は収容所の地獄から救われている。マーシアに保護されて、ここで自由で安全な日々を送っているのだ。だがマーシアが一言、彼の保護は終わりだと言ったら、彼のこの生活は終わりを告げ、ここでの暮らしの代償を払わせるかのように、再び過酷な日々が彼を待っている。すべては彼女の心一つだ。それがわかっているのにも関わらず、リョウはマーシアと正面からぶつかろうというのか……


「任務に失敗するたびにきみはその人間を殺すのか?」

 それは諭すような口調だった。それがよけいマーシアの癇に障ったのだろう。マーシアが我を忘れたかのようにリョウの方に向き直ると彼を睨みつける。彼女が銃口をリョウに向けたくてしょうがない様子は明らかだ。だがマーシアは愚かではない。グラントゥールでは愚か者は人々の上に立つことはできない。

「わたしは殺人狂じゃない」

「それならなおのこと銃をしまえ。処罰するのに銃は必要ない」

 マーシアは延々とリョウを睨みつける。リョウも、視線だけで人を殺しそうな勢いにもひるますマーシアは見つめ返した。二人の間に火花が散っているのがわかる。しかもリョウはマーシアが銃をしまうと信じている。


 エリックはマーシアを見た。マーシアが命令に従うのか?


 ぴんと張りつめた緊張を破ったのはマーシアだった。彼女はまるで根負けしたかのように、深々と息を吐き出すと、リョウの言うとおりに銃をしまった。しかしながらまだ抵抗するかのように顎をあげると、彼を睨む。

「おまえは今ここにこうして無事でいられるから、そんな情け深いことが言えるんだぞ。それをわかっているんだろうな。この男の失態のせいで、収容所に連れ戻されていたら、他人を気遣うことなどできなかっただろう」

「十分承知している。だが今回の件は彼だけが悪い訳じゃない」

「なに?」

「まず一人で帰ると言い出したのは俺だと言うことだ。そして人質になった件は、やむを得なかったことだと思っている。確かに人質がいなければ、俺は自力で何とかできたかもしれないが、それはあくまでも仮定の話だ。それにハーヴィを犠牲にすることは俺にはできない」


 マーシアはなにを思ったのかしばらくリョウを見つめて

「そうだな、おまえは決して非情に徹しきれない。おまえはそういう男だ。だがグラントゥール人であるこの男は、人質に取られた時点で任務を遂行するために最良のことをすべきだったんだ」

「それはその時点で自ら命を絶てというのか?」

 問い返す言葉には明らかな嫌悪がこもっていた。リョウはグラントゥール人の本質を知らない。グラントゥール人であるためにはどれほどの非情さを持っていなければならないのかを。

「それ以外によりよい方法があればそれを行えばいい。だが死んだ人間は人質にはならない。違うか?」

 リョウの顔が苦しげに歪む。


 彼は正直だから、彼女の言葉を否定できないのだ。感情ではそんなことは認める気はなくても、事実人質が死んだらその人質には価値がなくなる。あの場でハーヴィが抵抗なりして、彼に逃げる時間を与えていれば、ハーヴィは任務を全うしたといえる。たとえそのことで命を失うことになったとしてもだ。グラントゥール人なら、なにを重要視するかは即座に判断が付きそうなものだ。宇宙に出る以上、任務の優先順位をつけること、どういう理由があるにしろ一度受けた任務は全うすることが求められている。ハーヴィはそれを十分承知しているはずなのに……。なぜこんな失態を犯したのか? まだ若いからか? だがエリックは若さなど関係ないことを承知していた。エリックの視線はマーシアの後ろでうなだれているハーヴィに向いた。その瞬間、エリックはその位置関係にハッとした。リョウと向き合っているマーシアの背中は無防備だ。しかも彼女の意識の大半はリョウに向けられている。


「確かにきみの言うとおり、死んだ人質に価値はないだろう。だからといって、俺はそういう考え方は好きじゃない。たった一度のミスで人質にならないために死ぬなんてな。第一彼を俺の護衛役に選んだのはきみとエリックだろう? こういう事態になった責任をとらせるのなら、きみたちも同罪のはずだ。命令を出すものはその任務に適した人選をすべきだ」

「この男は、能力不足だったというのか?」

 マーシアは皮肉っぽくリョウを見やった。

「この男じゃない。彼にはハーヴィという名前がある」

 思いもかけない指摘にマーシアはきょとんとしてしまった。

「名前……」

「そうだ。自分の部下の名前だろう。そんなことも覚えていないのに、なぜ彼の能力を把握できるんだ?」

 今度はマーシアの能力を疑うようなリョウの言葉に、マーシアがかっとしかけた。だが燃え上がりかけた彼女の感情の炎は何かに気づいたかのように不意に静まる。何かを考えているような表情が一瞬、マーシアの顔に浮かぶのをエリックは見逃さなかった。

 リョウは知らないことだが、マーシアに直接の部下はいない。必要なときはすべてエリックが部下を貸しているのだ。彼女が直接の部下を持つことができるのは、フェルデヴァルト公爵家を継いだそのときからだ。だからハーヴィをリョウの護衛にしたときも、人選をしたのはエリックで、マーシアはその経歴を確認してただ承認しただけだ。


「ハーヴィの処罰が死に値するというのは、選んだ側の責任をも彼に押しつけていることなるんじゃないのか? ハーヴィにはハーヴィだけの責任をとらせればいい」

「生かせておけと?」

 リョウはうなずいた。

「死んだら、失敗を学ぶ機会もなくなる」

 緊張が解けたのかリョウの口調にちょっとおどけたような空気が混じる。マーシアがふっと顔を和ませて、

「わかった」

 その瞬間、すべて終わった。マーシアは再びハーヴィの方に振り返ると、彼を見下ろし

「リョウに感謝するんだな。おまえは今度のことを教訓にしろ。二度と同じ過ちは犯すな。そのときは容赦しない」

 マーシアはそう告げると、雪上車に乗り込んだ。

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