ヒューロン16
夕日が木立の色を変えているようだった。このあたりは日が沈めば真っ暗になってしまうに違いない。そうなると道を見失ってしまう。
「あいつは大丈夫かな」
リョウはまだ名残惜しそうにしていたハーヴィの方を振り返った。一人残してきてしまったことがいささか気になる。だが彼は子供ではないし、なにより自分よりもこのあたりのことには詳しいはずだ。
リョウは再び歩きだした。斜め後ろから吹いていた風が不意に方向を変えた。その瞬間、リョウはハッとした。風がなじみ深い臭いを運んできたのだ。古くさい油の臭い。部品がなくて有り合わせのもので修理している収容所の雪上車で使う油の臭いだ。彼らがこの近くにいるのだ。リョウはとっさには臭いがした方とは反対の木の陰に身を潜ませた。このあたりはまだグラントゥールが直接管理している区域のはずだ。それなのになぜ彼らがここにいる?
「目的は俺だな」
リョウはひとりごちた。彼らの侵入に気づいたとしても、館から人がくるまでには時間がかかる。その時間を何とかしなければならない。こんなところで捕まって再び収容所に連れて行かれるなど、まっぴらだ。リョウは体の奥底から、闘志が沸き上がってくるのを感じた。なんとしてでもこの場を切り抜けてみせる。
「囚人番号67859! それで隠れたつもりだろうが、無駄だぞ。あの忌々しい屋敷でずいぶんいい思いをしたと見えて、だいぶ呆けたようだな。おまえの体にはまだ発信器が付いているんだ。これ以上手間をかけさせずにとっとと出てこい」
この看守には覚えがある。囚人狩りには参加はしていなかったが、囚人たちを酷使して、セレイド鉱石の利益を上げている看守たちの中でも三本の指に入る男だ。気配は六つある。そのうち五つは近づいてきている。残りの一つは立ち止まって様子を見ているのだろう。倒すのなら、時間はかけられない。
リョウは両手をあげて木の陰から出た。予想通り、看守たちは六人いた。五人が銃を片手に近づいている。残りの一人は木に寄りかかるようにして五人の動きを見守っていた。彼はマーシアに撃ち殺された所長の側近の一人だ。どの顔も見知っている。彼らはすでに目的が達成されたかのような目をしている。丸腰の囚人に対し、彼らは銃を持っている。収容所でなら抵抗はしない。だが今は違う。リョウは彼らが十分近づくのを待った。そしてその瞬間、頭の後ろで組んでいた手を反撃に回した。正面の看守の顔を殴りつける。その看守は飛ばされ、動かなくなる。それを確認することもなく、回し蹴りで後ろの看守をなぎ倒した。視界に別の看守の銃口が入る。とっさにその男の懐に入り込み、銃を払い落とすと、投げ飛ばしていた。
「なにをしている撃ち殺せ!」
その看守はもう木に寄りかかってはいなかった。リョウの手際に驚きそして怯えてさえいるように見える。まだ立っている残りの看守たちは、その言葉に我に返って、銃を撃ち始めた。だが、リョウはそれを巧みによけながら、払い落とした銃を拾い上げ、低い姿勢から何発か放つ。その一つ一つが、残りの看守たちの銃を奪った。リョウはそのままの姿勢で指揮を執っていた男の元に駆け寄るとその胸元に銃を突きつけた。引き金を引けば心臓を撃ち抜く場所だ。一方男の手にはまだ銃が握られていたが、男はリョウに圧倒されて、構えることすらできない。この男は無抵抗の人間を痛めつけることにはたけているが、戦士としての技能という点では無能だった。仲間を傷つけかねないという理由から、彼は常に囚人狩りからははずされているのをリョウは知っていた。
「銃を捨てろ」
リョウが本気であることを見て取ると、男は銃を落とした。
「ここはグラントゥールの管理下にある場所だと知っているな」
男は了解しているというかのようにうなずく。
「おまえたちが無断で、侵入したことを知ればマーシアは激怒するだろう。彼女に気づかれないうちにこいつらを連れて失せろ。そして二度とこのあたりには近づくな。黙ってこのまま姿を消せば、このことはマーシアには報告しない。わかったか?」
男はがくがくと首を縦に動かした。そのときだった。男の目が一瞬リョウの背中の向こうにあるものを捕らえたかのように止まる。
「反逆者のくせにずいぶんと生意気な口をたたくものだな。囚人番号67859」
聞いたことのない男の声に、リョウは銃口をそのままにしたまま振り返った。
「ハーヴィ!」
リョウはその光景に愕然とした。帝国軍の服を着た男がハーヴィの頭に銃を突きつけている。
「あれは誰だ?」
リョウは自分が銃を突きつけている男に尋ねた。目は見慣れぬ男から少しも離してはいない。
「十日前に急遽赴任してきた新しい所長だ。貴様のせいで、俺は平の看守に格下げになった」
リョウはもう一度よくその新しい収容所の所長を確かめた。ヒューロンのような辺境星域の収容所の看守などという任務は、彼らにとっては落伍者であるという烙印を押されたも同然で二度と日の当たるところに出ることはない。そのためどこか投げやりなところがあるが、この男は違う。
「ハーヴィを解放しろ」
ハーヴィを人質に取っている男はニヤリと笑って、
「その間抜けを殺したければ好きにするがいい。看守とはいえ、こいつらは囚人たちよりも役に立たないからな。わたしの収容所には不要だ」
笑みを含んだ声で答える男の言葉は偽りではない。同じように人質を取りながらも優位に立ったのはこの男の方だった。
「銃を捨てるのはおまえの方だな、リョウ・ハヤセ」
リョウは新任の所長が一囚人の名前を知っていることに驚いて顔を上げた。
「不思議か? 俺はそうは思わないがな。帝国軍が少しばかり組織だった反乱軍に敗れたイクスファの戦いで、おまえが敗走する帝国軍を立て直し、見事な退却戦を指揮したことはすでに調べてある。その後に反逆者としてヒューロン送りになったこともな」
男は銃口をハーヴィの頭になおいっそう押しつける。ハーヴィの顔が恐怖で青ざめた。
「リョウ……」
決断しなければならなかった。今ここで銃を放せば、収容所に連れ戻され、死んだ方がましだと思うほどの制裁を受けるだろう。それに生き残れたとしても、再び帝国のためにセレイド鉱石の採掘をして一生を終えることになるのだ。だがその運命を受け入れなければ、今ここでハーヴィが殺される。あの男は間違いなくそうするだろう。
「わかった。銃を放す。だからハーヴィに危害を加えるな。彼はグラントゥールの人間だ」
「彼が何者かはおまえよりもよく知っているよ。グラントゥール人というのは厄介な存在だということもな。だが人質は有効に使わないとな。この男を放したとたん、暴れられたら困る。おまえがどこまで従順になれるか、確認しないとな。銃を取り上げろ」
男はリョウの人質となっていた看守に合図した。勝ち誇ったような笑みが浮かべた看守はリョウが持っている銃に手をかけた。リョウは抵抗せずにされるがままに銃を手放した。
「いい気味だな」
看守は顔を寄せてそうささやくと、唾を吐きかけた。顔を背けようとしたリョウだが、間に合わず、生ぬるい液体が頬を伝う。ぬぐい取りたくても、看守はすかさずリョウの腕を両方とも後ろにとって、彼の自由を奪った。次の瞬間、手首に冷たい金属が当たり、かちりと音を立てた。手錠をはめられたのだ。自由は失われた。彼は再び囚人として看守たちの手の中にすべてをゆだねるしかない状態になってしまったのだ。だが……。リョウはうなだれることはせずにむしろ顎をあげて、新任の所長を見据えた。多くのものを彼らに奪われようとしても、再び取り戻した誇りと自尊心だけは手放すつもりはなかった。そのためにより困難な道を歩くことになろうとしても、マーシアが救ってくれたものを彼女にかけて再び失うつもりはない。
「ずいぶんと反抗的な目だな」
男はまるでハーヴィの存在を忘れてしまったかのように彼を放すと、つかつかと近寄ってくる。そしていきなりリョウの顔を殴りつけた。力を加減していないその一発は強烈で、リョウは彼を後ろから支えている看守もろとも雪の大地に倒れた。
「なにをしている、立たせろ」
看守はあわてて立ち上がり、意識がもうろうとしているリョウを引きずり起こした。口の中に血の味が広がる。リョウは頭を振って、意識をはっきりさせると、再び彼を見据えた。決して気持ちでは負けるつもりはない。
「あの女が気に入ったのはこの目かな?」
男はリョウの顎をつかんだ。
「だからただの囚人をここまで歓待するのか? 自分のベッドで言いなりにさせるために? あの女どんなことを要求するんだ? 収容所に戻ったらたっぷりと聞かせてもらうぞ。あの女がベッドの中でどんな様子なのかな」
リョウはあの女が誰を意味するのか悟って、血の気が引いていくのを感じた。そして次の瞬間、激しい怒りが体の奥から沸き上がる。
「このゲス野郎!」
リョウは叫ぶと、後ろで手をつかんでいる男を支えにして、思い切り、足を降りあげ、男を蹴り倒していた。突然反撃に倒された男は一瞬、呆然とした顔をする。だがすぐに怒りに顔を赤らめながら、立ち上がる。
「マーシアを貴様と親しい娼婦たちと同列にするな! 彼女は高潔な人間だ。ただの一度も女であることを利用したことはない」
「それはどうかな?」
男はそういうとリョウの鳩尾に真正面から蹴りを入れた。リョウの呼吸が一瞬止まり、看守ごと後ろに倒される。その重みと衝撃で下敷きとなった看守は気を失ったようだ。リョウはあえぎながらも立ち上がろうとした。そのとき、男の足が再び体に当たる。リョウは何の抵抗もできないまま、何メートルも先に転がされた。男は近寄るとあきらめずに立ち上がろうとしているリョウの髪をつかみ、引きずり起こした。リョウは抵抗を試みようと、彼の顔に唾を吐きかける。とたんに男の鉄拳が炸裂し、リョウは雪の大地に転がった。それでもなお立ち上がろうとするリョウの顔を男は堅い靴底で踏みつける。
「ずいぶんとあきらめが悪いな。これもあの女のお仕込みのせいか? この短い間にどうやっておまえを躾けたのか聞かせてもらいたいものだな」
「黙れっ!」
リョウは叫んだが、逆に顔を雪の中に押し込まれる。
「あの女はな、グラントゥールの筆頭公爵レオス・フェルデヴァルトを虜にして、グラントゥールの力を手に入れたんだ。それがどういうことか、おまえにはわかるまい。かつて帝国軍の中佐であり、今は囚人であるおまえにはな」
それは憎悪に満ちた言葉だった。




