ヒューロン15
エリックは不思議な思いで、通路を今にも走り出しそうな勢いで歩いているマーシアについていた。シャトルで到着した早々、彼女が向かったのはリョウの私室だが、そこに彼の姿はなかった。
「意外ときれいにしているんだな」
マーシアはベッドの片隅にきちんと畳まれた毛布を見て、ぽつりとつぶやくだけの余裕はあった。
「中佐まで上り詰めたと入っても、彼は元々下士官上がりの人間ですよ。貴族から軍隊に入った連中とは違って、この手のことは厳しく躾られているはずです。何しろ、何一つ自分ではできない貴族たちの面倒を見るのも彼ら下士官の仕事ですからね」
「だが帝国の下士官とはいっても、だらしがない人間は大勢いるが?」
マーシアは細い眉を上げてエリックを見やった。
「確かに。それはその隊の規律が乱れている証拠です。彼の場合はそういうことはないでしょうね。彼なら部下にもしっかりと教えているはずです。さあ、出ましょう。あまり長く自分の部屋をのぞかれていたと知ったら、彼も気を悪くするでしょうからね」
興味深げに部屋の中を見ていたマーシアはその言葉に促されて外に出た。
だがその余裕も、射撃訓練室に彼の姿がないとわかるまでだった。
「ほかに彼が行きそうな場所はわからないんですか?」
エリックは困惑しているマーシアをみた。
「ほかに行きそうな場所か……」
マーシアは一つ一つの部屋を思い描いた。リョウの私室。そして射撃訓練室。だがその二つともにいないとなると……細胞再生治療のために利用していた彼女のリビング兼執務室のあの部屋だ。だが当然そこにはいなかった。リョウが私室に移ってからも彼はよくあの部屋にやってきていた。食事時以外にも、ふらりと寄っては何気ない話をしていく。仕事の途中を邪魔される形になるというのに、それは決して不快ではなかった。一日のかなり時間を、彼と過ごしていることになる。自分が他人と長い時間、ともに過ごすなんて初めてだ。そう思ったマーシアはエリックをちらりと見やった。彼は護衛という任務の為もあり、マーシアの側にいることが多い。だが彼女が部屋に入って執務をしているときは、用のあるときにしか姿を見せない。しかしリョウは違う。用がなくても必ず顔を見せては時間を過ごしていくのだ。時折、いたずら心で書類の内容に意見を聞いたりするが、彼のアドバイスは的確だった。その意見を採り入れたこともある。
「食堂に行ってみましょうか」
マーシアはうなずいた。ちょうど夕食時だ。リョウはいつも食事を自分と一緒に食べていたのだ。いない間、彼が携帯栄養食で食事をすませたはずはない。そこになら必ずいるはずだ。
そう思ってマーシアはドアを開けた。中にいた研究者たちやエリックの部下たちが突然のマーシアの来訪にのどを詰まらせながら立ち上がる。だがそこにリョウはいない。内心がっかりしたことにマーシアは気づくと同時に、自分に腹立たしさを感じた。まるで小娘のようになぜ一人の男を探し回っているんだ? これではバカな女そのものではないか。
「ハーヴィはどこだ?」
エリックが部下たちに聞く。
「彼なら、居候のお守りですよ」
中の一人が答える。
「そういえば夕方から姿を見ていないな」
「彼なら、虹のカーテンのことを調べていましたよ」
そう答えたのは、エリックの部下ではなく、ヒューロンに住み着いている研究者の一人だ。
「虹のカーテン?」
意味が分からないエリックはマーシアを見た。
「ヒューロンの独特の現象だ。虹のように七つの光がそれぞれ幕のように白い大地に降り注ぐのさ。オーロラのようにな」
マーシアはその研究者に
「今日の確率はいったいどれくらいなんだ?」
「東の空に40パーセントの確率でしたよ」
「わかった」
マーシアは礼を言うと通路に出た。
「いったいどういうことですか?」
「ハーヴィがリョウを外に連れ出した可能性があるのさ。リョウは好奇心旺盛な男だ。あまり変なところに首を突っ込むほどバカではないがな。だがハーヴィが珍しいものを見せるといったら、ついていくだろう。ハーヴィならこのあたりの状況もよくわかっている」
「確かに徹底的に言い聞かせておきましたから、誤って管理区域の外に出るようなことはないでしょう。彼は若いながら優秀だし、信用できます」
「わたしも同感だ。とはいえ、少し気になるな。東の空に虹のカーテンが現れるのなら、あのあたりの地形は少々やっかいだ。コントロールルームへ行って確認しよう」
マーシアの足は今来た道と反対の方向に向かった。
「虹のカーテンってそんなに珍しいものなんですか?」
「子供の頃に、一度見ただけだ。40パーセントの確率となると、出ている可能性が高い。わたしも見に行くべきだったな。きれいなカーテンだよ。とても神秘的で」
だが言葉の割にはその口調は少々苦い。マーシアがコントロールルームのドアを開けた。狭い部屋の中が、なんだかあわただしい。
「どうしたんだ?」
声をかけられて、彼らはぎょっとしたように振り向いた。
「ああ、レディ」
次の瞬間、ほっとしたような空気が流れる。
「さっきからチェックしているんですが、あれを見てください」
マーシアたちは彼らが指さすスクリーンを見上げた。それは館を中心に、館の人間が確実に管理している部分の地図が映し出されている。このヒューロンそのものはマーシアの所有するもので、帝国は収容所付近しかその権力は及ばない。だが少ない人数で、惑星のすべてを管理することは不可能だ。だから彼らは館の周りだけ厳重な管理体制を敷いているのだ。警戒している相手は、収容所の看守たちだ。彼らは収容所で看守の任についているとはいえ、帝国軍の軍人だ。そしてこの惑星は最高級のセレイド鉱石の産地でもある。彼らが自分たちの任務を逸脱し、欲望に駆られて、より多くの利益を手に入れようとすれば、この館を襲うだろう。ここには収容所の看守たちの施設よりも充実している上に、採掘用の機械などは常に最新のものだ。囚人たちに掘らせるよりもここの機械を使った方が遙かに効率がいい。
「いったいいつからこういう状態なんだ?」
マーシアの声から感情が消えた。ただ事実を求めるような問いかけに、エリックは彼女が緊急事態だと判断したのだと悟る。
改めてスクリーンを見ると、いくつもの区画が映し出されていない。その部分の監視装置が働いておらず、誰かが侵入してきてもここではわからないということだ。
「三時の定時チェックの時には異常はありませんでした。こういう状況になったのは十分ほど前からです。今はプログラムの点検を行っているところです。ですが……」
彼らはエリックの部下だ。彼らの懸念は敵の侵入だろう。これだけ穴があいていれば、彼らがピリピリするのも無理はない。常に前線に立っている彼らにしてみれば警戒網に穴があいているということはいつ壊れるかわからない船に乗っているのと同じことなのだ。
「リョウの所在が知りたい。ハーヴィと連絡を取ってくれ」
「それが外部との通信にも妨害がかけられているんです」
マーシアはエリックを見た。
「直ちに警戒態勢をとる」
とエリック。
「第二態勢だ」
マーシアの言葉に彼はうなずいた。
「全域に第二態勢を発令せよ」
「了解しました。グラントゥール管轄下の施設に第二態勢を発令します」
そのとたん、警報が施設内に響いた。
「こちら、コントロールルーム。総員直ちに第二警戒態勢に入れ。繰り返す……」
食堂で料理人の出す料理をほおばっていた者も、リクレーション室でゲームに興じていた者も、警報の発令と同時にそれぞれの持ち場に走り出す。
「収容所の連中は攻めてくるつもりでしょうかね」
「それはあり得ないと思うが。可能性があるとしたら、リョウを奪還するつもりだろう。もっともそれにしては仕掛けが大きすぎるが……プログラムのチェックは後でいい。それより、帝国が使っている発信器の電波をとらえろ」
「しかし、通信系は……」
マーシアはエリックを見上げて、
「彼らの目的がリョウを捕らえることだとしたら、発信装置の周波数は妨害していないはずだ。あいつの体にはまだ発信器が埋め込まれているからな。それを地図に表すんだ」
兵士がパネルを操作すると、グラントゥールの警戒網が切れている部分に赤い光がともった。
「第二区域か……あそこはやっかいな地形だな。見通しが悪いところだ」
マーシアは決断していた。
「エリック、万が一のことを考えて、ほかの空白地帯に兵士たちを送り出して確認させろ。一部はここに残しておくんだ」
エリックは最後の言葉の意味するところを悟って不愉快そうに眉を寄せた。
「これは外側からの干渉じゃない。グラントゥールの警戒システムはそれほど柔なものではない。内部に敵がいる。もしあそこに看守たちがいたら、それは確実だぞ。それはすなわちおまえの部下の一人だということだ。不愉快でも現実は認めなければなるまい」
「わかっています。それであなたはどうするんですか?」
「わたしか?」
マーシアはスクリーンに点滅する赤い光点を見やり、
「彼を助けにいくさ。それがわたしの任務らしい」




