マーシア32
リョウは脅威がなくなったのを確かめてから銃をしまう。目の前にはやつれて様子のリチャードが兵士たちに拘束されていた。銃を突きつけられ、後ろ手に手錠をかけられる。彼はアリシアーナの言う通り、この艦から自分だけ逃げるために、監禁されていた部屋を脱出したのではなかった。無謀にも武器も持たずにブリッジに飛び込んできたのは、アリシアーナのことが心配だったのだ。ただそれだけのために、彼は自分の命をかけた。
リョウにはわかってしまった。
リチャードはリョウがマーシアを思うのと同じほど強くアリシアーナを思っているのだ。もしマーシアが、今のアリシアーナと同じ立場にいたなら、自分も間違いなく同じことをしただろう。
「お姉さま、どうかリチャードを許してください。彼は私のことが心配で脱走してしまったのです。どうか私に免じて許してください」
「私に免じて?」
マーシアは冷たく聞き返した。
「あなたに一体どんな力があると言うんだ? お姫様、今のあなたはただの捕虜でしかない。アルシオールがグラントゥールに戦いを挑んでいる今、あなたはいつ殺されてもおかしくはないんだ。生かしておかなければならない理由はないからな」
「アリシアーナ様に手を出すな!」
リチャードは自分をつかんで入る兵士の手を振り払うと、アリシアーナをその背にかばう。
「俺は確かに暗殺者だった。何度も命を狙っt。だがそのことにアリシアーナ様は何も関与していないし、何よりご存知なかったことだ。恨みを晴らしたければ、俺を殺せ」
リチャードは覚悟の決まった目で、グイッとマーシアは見据えた。
「ずいぶん勇ましいことだな。だが今更お前を殺したところで何も変わりはしない。そんな価値すらお前にはないんだ」
マーシアは冷ややかに告げると、不意に何かを思いついたかのように、口元を緩ませる。
「拘束を解いてやれ。お姫様には子守が必要なようだ」
リョウはハッとマーシアを見た。
「レディ、一体何を考えているんですか?この男は……」
「暗殺者だ。昔も、そして今もな。だがこれは温情じゃない。今度私に銃口を向けたら、その代償はお姫様の命で支払ってもらうことになるぞ。その上で、グラントゥールの次期当主の命を狙ったことになるのだから、アルシオール王国はこの宇宙から消滅することになる。それでもよければ、私を殺せばよかろう」
リチャードを囲んでいた兵士たちの顔に戸惑いが浮かんだ。
「まったく、あなたという人はとんでもない賭けをするんですね」
いささかうんざりした口調でエディはつぶやくと、兵士たちに頷いてみせた。
手錠を外され、痛む手首をさすりながらリチャードは、今度は冷静に状況を見る。ブリッジで銃を持っているのは、エディとリョウの二人だけのようだ。だが二人とも銃の扱いには慣れている。むしろエキスパートだ。マーシアの命を狙うリスクは高すぎて、実行できないが、アリシアーナ様をこの状況から救い出すことはできる。
「やめておけ」
リョウはあえてリチャードの脇に立ち、ささやいた。
「ここにいた方が君たちは安全だ。グラントゥール人は、マーシアが君たちの存在を容認しているから、感情を抑え、君たちを無視しているんだ。マーシアの保護がなくなれば、彼らは君たちの存在を許さないぞ。アルシオールはそれだけのことをしたんだ。彼らの逆鱗に触れることをな」
「何をしたと言うんだ?」
訝しげなその目は、彼が何も知らなかったことを意味していた。
「アルシオールは彼らの故郷である惑星グラントゥールを破壊しようとしたんだ。すでに多くのものが犠牲になっている。彼らは自分たちを侮るものを決して許さない。マーシアの元から逃げ出せば、、彼らのにとってちょうどいい攻撃対象になるぞ。すでにアルシオールに対して、グラントゥールは攻撃態勢に入っているんだ」
「攻撃態勢……それでは、あれは!?」
リョウはリチャードの視線を追って、スクリーンを見た。そこには色々な施設が映し出されている。
「あれはアルシオールの紋章だわ。あそこは行政府の建物よ」
見覚えのある建物にアリシアーナが声をあげた。
マーシアはそんな彼らの様子を気にとめることもなく、感情のこもらない声で、
「ランクAで攻撃を発動」
「ランクA?」
納得のいかない口調で聞き返したのは、エディだ。
「甘いのではありませんか?」
「甘い? この私が?」
マーシアは面白がっているように聞き返す。だがその微妙な口調は決してそうではないことが、リョウにはわかった。マーシアを正面から見ているエディには、なおのこと彼女の意図がすぐにわかったのだろう。彼はハッとして姿勢を正すと謝罪するかのように、軽く頭を下げてから、スクリーンに向き直った。
「グラントゥール筆頭公爵フェルデヴァルト毛次期当主マーシア。フェルデヴァルトの首席補佐官エデュアルト・ハーライル・レガシードがランクAの攻撃命令を確認した。ヌメシス・シーケンスをランクAにて実行せよ」
「実行します」
『イリス・システム』の無機質な声がそう告げると、スクリーンに映っていた施設の映像が一部を除いてグレーに変わった。
「一体何が起きたの?」
アリシアーナは不安そうにいくつものアルシオールの施設を映し出しているスクリーンを見る。
「攻撃命令を出したにしても、アルシオールの近くにはグラントゥールの艦隊はないはずだ。それにアルシオールから離れているこの艦から攻撃命令を出したところで意味はない」
そう言い切ったリチャードだが、その目には疑念が残っていた。彼にもわかっているのだろう。マーシアは実行すると言えばそれは必ず行われるのだと。
もはやマーシアもエディもリチャードたちに意識する向けてはいなかった。ただ淡々と、己の業務を進めている。
リョウは振り返ってロンドヴァルトを見る。
「あなたもご存じでしょう。レディは決して実現できないことを口にすることはない、と」
「ではあのスクリーンに映っている施設は、攻撃対象のリストではなく実際に攻撃を受けているということだな」
ロンドヴァルトは頷くと、
「何も物理的な攻撃だけではないんですよ、リチャード卿。あれらの施設はすでに機能を停止しています。もちろん幾つかは物理的にも破壊されていますが」
「サイバー攻撃か……」
「リチャード卿、我々グラントゥールが、最も得意とする攻撃が『トロイの木馬』です」
「いいのか? 作戦の基本構想は最高機密だろう」
「心配はいりません、リョウ。たとえ基本戦略を知ったとして、彼らに対処することは無理でしょう。施設や機械装置を一つ一つ小さな部品に至るまでチェックすることが可能だと思いますか? 兵士の一人一人、職員の一人一人、民衆の一人一人をチェックするのは無理でしょう。それが我々の本当の戦い方です。艦隊戦や白兵戦は派手ではありますが、ただそれだけのことです」
ロンドヴァルトはあっさりと言い切った。謀略や破壊工作こそがグラントゥールの本当の戦いということらしい。だからこそ、彼らは情報を何よりも大切にするのだ。
「後方に重力場発生。その数、十、いえ、二十です」
ニコラスやリチャードがざわついた。ある一定の空間にこれだけの重力場が発生するということは、艦隊がワープアウトしてくるということだ。すなわちそれが敵ならば、ただちに迎撃態勢に入らなければならないのだ。
だがワープアウトしてきたそれはずんぐりとした楕円形の巨大な物体だった。一見すれば、小惑星のようにも見えるが明らかに人工物だ。
「あれがグラントゥールの機動要塞か……」
「知っていたのか?」
それまであまり口を開いていなかったニコラスがリョウを見る。
「ヒューロンでグラントゥールのことを調べていた時にな。だが実際この目で見たのは初めてだ」
「ではあれはグラントゥールの秘密兵器というわけか?」
「そんな大層なものであはありません。グラントゥールが艦隊行動をとるときは必ず後方に控えていて、戦闘後の補修や補給を行うんです。だから私たちはすぐに次の行動が取れるんです」
スクリーンは要塞の映像から、一人の男を映し出した。
「エリックか……」
リョウの脳裏に、ヒューロンでの彼とのことが思い浮かぶ。射撃室でのやりとり、確か皇帝サイラートとマーシアの関係を教えてくれたのも彼だった。そして彼は常にマーシアの側にいた。
彼は穏やかに微笑みながら、
「休暇は十分楽しみましたか?」
「途中までは堪能していたよ」
「それはよかった。行政士官の連中が、あなたの書類まで私の執務室に置いていくので困っていたんです。あれはきっと私への抗議だったのでしょう。書類に潰されるのが嫌なら、とっととレディを連れ戻せというね。その気になればあなたがすぐこの要塞に戻ることができるのを彼らは知っていたんでしょう。何しろ張り付いていましたからね」
リョウはその言葉にハッとした。エリックは常にフリーダムの後ろに潜んでいたということだ。それは当然マーシアが捕虜としてフリーダムにいた時もだ。
「わかった。サボった分はなんとかする」
「約束ですよ。では入港シーケンスを送らせます」
再びブリッジは慌ただしくなっていく。
リョウは、ニコラスたちと同じようにスクリーンを見つめた。それはまさにグラントゥールの巨大な要塞に、自分たちが飲み込まれていくようだった。




