マーシア30
計器が発する音がやけに大きくブリッジに響いていた。
そこにいる者たちは一言も発せず正面のスクリーンを注視している。映っているのは、コントロール室のようだ。あちこちで火花が散り、またケーブルがぶら下がっている様子から、何らかの攻撃を受けたようだ。時折起こる爆発が画面を揺らす。その中に立っている壮年の男も額から血を流している。報告を終えた彼はすべきことを成し遂げたというかのように、安堵の表情を浮かべ敬礼するために右手をゆっくりと上げる。その間も爆発が起き、彼が揺れる。
艦長席に座っていたマーシアは立ち上がった。そして彼と同じように敬礼を返し、
「ご苦労だった。宇宙での再会を楽しみにしている」
エディを含めブリッジにいたグラントゥールのものたちは、スクリーンの彼に向かって最上級の敬礼で、敬意を示した。次の瞬間、映像がぶつりと切れる。
「グラントゥール防衛司令要塞からの通信が途絶しました」
通信オペレーターの淡々とした声が、ブリッジの静寂を破る。
マーシアの最後の言葉が、エディたちの敬礼が彼に届いたかどうかはわからない。最高速の超高速ワープ通信とはいえ、タイムラグは生じるのだ。
マーシアたちはしばし鎮魂の時に身を委ねた。そして、
「敵のグラントゥール防衛ライン到着までの所要時間を報告せよ」
「はい」
直ちに戦術オペレーターたちの動きがあわただしくなる。直後、通信オペレーターが振り返った。
「マイ・レディ、アルシオール王国からの通信です。直接の交信を求めています」
マーシアは通信オペレーターを見つめ返すと、
「いいだろう。連中の要求を聞いてやろう」
通信オペレーターはその言葉に頷き、コントロールパネルに向き直った。
リョウはブリッジの入り口近くで、その様子を見守っていた。スクリーンには壮年の男が映し出されている。
「お父様……」
斜め前に立っているアリシアーナの呟いた声はかすかに震えている。
アルシオール王国の国王ラキスファンは視線を動かし、アリシアーナの無事を確認すると、明らかに安堵した表情を浮かべた。マーシアが顎を少し上げたかのように、髪がかすかに動く。
「我が艦隊は、承知の通り、惑星グラントゥールに向かっている」
「惑星グラントゥールを攻撃するというのか?」
「そうだ。帝国内で傍若無人に振舞っているお前たちとはいえども、心の拠り所である惑星を失いたくないだろう。お前たちの考え一つで、私は惑星を攻撃するなと命令を出すことができるが、どうするかね」
「攻撃中止の条件はなんだ?」
「グラントゥール側がアルシオールに全面降伏すること。しかも無条件にだ。その上で、我が部隊の一つとなってもらう」
「そして、来るべき帝国との戦いにおいて、最前線で戦えと?」
マーシアの声にはなんの感情もない。
「その方がためになるだろう。グラントゥールを失わずに済むのだからな。もちろんグラントゥールは我が管理下に置くことになる。考えている時間はそうないぞ」
屈辱的な降伏を勧告されているというのに、不思議とブリッジには動揺はなかった。そして量にはその理由も、マーシアの返答もわかっていた。
「そんな条件をグラントゥールが受け入れると、考えるとはな」
マーシアは明らかな侮蔑を見せて告げた。
スクリーンの中でラキスファンの表情が動いた。
「たかが惑星一つではないか。それにどんな価値がある? 確かに惑星グラントゥールは我らの発祥の地と言ってもいい。大勢の民が住んでもいる。だが、彼らが人質になるとでも思うのか? 大地に生きようと、彼らもグラントゥールだ。宇宙に帰ることになろうとも、一人でもグラントゥールの志を持つものが存在すれば、我々は滅びることはない」
マーシアはそこで一度言葉を切ると、
「それに、帝国ですらその所在をはっきりと掴むことができなかった惑星グラントゥールの位置を、なぜ捉えることができたのか、その意味を考えても悪くはないだろう。最もアルシオールの諜報部隊が帝国のそれよりもはるかに優秀なら、今頃こんな判断はしていないと思うがな」
マーシアの蔑みにラキスファンは怒りを露わにした。
「お前の御託を聞く時間はない。答えを聞かせよ。これが最後だぞ」
マーシアはふっと笑った。
「いいだろう。グラントゥールの筆頭公爵フェルデヴァルト家の次期当主として、また全権委任をうkて者として、返答する。答えては否だ」
「後悔するぞ、マルセリーナ」
「それはどうかな。それに私の名前はマーシアだ。マルセリーナはもはや存在しない」
ラキスファンがじろりとマーシアを睨んだ直後、彼は消えた。
「お姉さま」
マーシアが指示を出そうとした寸前、アリシアーナが覚悟したように毅然とした口調で呼びかけた。部下たちに指示を出しかけていたマーシアは振り返る。
「このままでは勝ち目はありません。惑星グラントゥールにも人は住んでいるのでしょう。お父様が向かわせたのは、アルシオールの精鋭艦隊です。その艦隊が恒星圏内に達しているのでしたら、フラー将軍の艦隊を向かわせても間に合いません。どうかここは降伏してください。決して私が悪いようにはしないようお父様にお願いしてみます」
アリシアーナが真剣にそう思っているのはリョウにも十分伝わってくる。だが、彼女は現実を知らない。素直ではあるが、物事を自分の見たいようにしか見ないのなら、マーシアの注意を引くことはできない。
「マーシア、どうするんだ?」
リョウはマーシアの横に並び、彼女の顔を見る。その表情はとても苦境に陥っているようには見えない。
「こうなった以上、徹底的に叩く。二度と立ち上がれないようにな」
マーシアは静かに宣言すると、
「第二防衛ラインの攻撃を停止させろ。敵艦隊は第三防衛ラインで殲滅させる」
エディが復唱し、直ちにマーシアの指示が伝えられていく。
前方のスクリーンには、タイムラグはあるものの、戦況の概要が映し出されている。
その様子を見ていたアリシアーナが次第に青ざめていくのをリョウは振り返って確かめる。
スクリーンには、マーシアが展開させた第三防衛ラインを目の前にして、数を減らしていくアルシオールの艦隊が映っていた。惑星グラントゥールへの攻撃を諦めて撤退を開始した彼らを、今度は今まで彼らの通貨を黙って許していた第二防衛ラインの攻撃システムが襲いかかった。前後を塞がれた彼らは唯一の攻撃の空白地帯を見つけて、その狭い回廊を進んでいく。だが回廊を抜けた瞬間、彼らはグラントゥールの艦隊に襲われた。そしてついに、最後の一隻、残った一つの光点がスクリーンから消滅した。
「みごとだな。アルシオール艦隊は、初めからグラントゥールのシナリオ通り動いていたかのような戦い方だった」
マーシアはリョウを振り返った。
「私は不意打ちは嫌いだ。そんなものは一度で十分だ」
その口調は苦い。マーシアはフェルデヴァルト家の次期当主としての責務を受け継ぐことになったアルシオールの攻撃を思い起こしていたに違いない。惑星破壊弾を使ったあの攻撃は彼女にとって本当に予測できなかったことなのだ。
「それにしてもあれを、アルシオールのために使うことになるとは」
マーシアは艦長席の肘掛に寄りかかった。
「本来の相手は帝国か?」
リョウはアルシアーナたちがはっと息を飲み込むのを視界の隅で捉えた。当のマーシアはにこりと笑って見返すだけだ。こういうときのマーシアは決して言質を与えない。
「ですが、使うと決めたのはあなたですよ、マイ・レディ」
「わかっている。無駄にするつもりはない。これを教訓にするかどうかは向こう次第だろう。この件を教訓として受け入れなかれば、自分自身がグラントゥールの力を思い知ることになるだろう」
「そのおつもりなら、徹底的にグラントゥールのやり方を見せる必要がありますね」
「その通りだ。エデュアルト卿」
マーシアはエディ同意すると、
「只今をもって、我がグラントゥールはヌメシスを発動する。目標はアルシオール王国」
マーシアの厳かな宣言に、
「イリス・システム起動します」
「起動確認」
ブリッジにいるグラントゥールの兵士たちが次々と復唱と報告を繰り返す。
そしてスクリーンには一人の女性が現れた。リョウには見覚えのある顔だ。イリス・システムという人工知能を視覚化した姿だ。設定をした人物ごとに設定が変わり個性が加わると聞いていたが、スクリーンに映っている彼女は無機質だ。
「ヌメシス・シーケンス発動準備完了しました。目標、アルシオール王国。攻撃レベルの設定をお願いします。なお現在参加可能部隊は、フェルデヴァルト公爵麾下の第一艦隊、レガシード公爵麾下の第二艦隊、ローデンベルク伯爵麾下の機動要塞艦隊、ネルスシード伯爵麾下の第五艦隊……」
イリスは次々と艦隊名を告げて行く。名前が挙げられないのは、彼女の行動に反対しているわけではないと、そばにいたロンドヴァルトが告げた。彼らは補給などの問題があり、第二次リストに入るのだという。どちらにしてもヌメシスを発動するということは、グラントゥールが戦闘態勢、それも全軍を挙げての最大の態勢をとることであり、帝国から受けた依頼はすべて保留となるということらしい。それによって作戦が滞ったとしても、帝国はグラントゥールに抗議できない契約になっているとの事だ。
すべて終了したのかイリスは再びマーシアを見つめると、
「発動命令を」
と促す。軽く頷いたマーシアは艦長席から立ち上がると、凛とした声で宣言した。
「グラントゥール筆頭公爵フェルデヴァルト家の次期当主レディ・マーシア・フェルデヴァルトの名において、ヌメシス・シーケンスを発動する」
その瞬間、五百年にもわたる繁栄を遂げたヴァルラート帝国の運命が大きく変わったことに気づいたものは、誰一人としていなかった。




