マーシア24
風を切る音ともに扉が閉まった。自分で決めたこととはいえ、寂しさがないと言えば嘘になる。
「感傷的だな」
リョウは苦笑する。その思いが自分の心にあったものから目を逸らさせていたのだ。もう振り向かないと決めたのだ。過去を完全に振り切ったマーシアのあの潔さが羨ましい。
そう思った瞬間、彼女もそう簡単に割り切れたことではないことに気づいた。だからこそ、儀式めいたことが必要なのだ。マーシアもまた自分と同じだと知って、なぜかほっとする。
リョウはブリッジに上がるつもりでエレベーターの前に立つと、すぐにドアが開き、中から懐かしい人物が現れた。グラントゥールの中でも五指に入る格闘家だったというダレス・ハンストロームの横にいたロンドヴァルトだ暴走しそうなダレスを唯一なだめることができるのが彼だった。
「ダレスは残念だったな」
リョウは彼との再戦の約束を思い出した。彼との戦いに勝利したのがきっかけで、グラントゥールのものたちに認められたのだ。
「レディからお聞きになったようですね」
リョウは頷き、どこで、と尋ねる。
「第二次ウーベ戦役での惑星エラト宙域で、彼は宇宙に還りました。
「宇宙に還った……?」
その言い方にリョウは不思議に思った。ロンドヴァルトは
「ああ……」
と短く声を出すと、
「すみません。グラントゥール独特の言い回しなんです。私たちは死ぬことを宇宙に還ると言うんです。人間の体のもとは全て宇宙にあります。そして宇宙船とともに爆死しようと、惑星上で死を迎えようと、いずれすべて原子となって宇宙に還る。私たちにとって死とはそういうことなんです。だから私たちは死を覚悟した時にこう言うんです。『宇宙でまた会おう』と」
『宇宙で生きて会おう』
ヒューロンでマーシアと別れるときに、リョウが言った言葉にマーシアは『生きて』と付け加えたの思い出した。そういう意味だったのかと納得したリョウは、
「グラントゥールの考え方はあまり好きではないが、その考え方は受け入れられる」
ロンドヴァルトがにこりと笑った。
「ところでどちらに行かれるんですか?」
「ブリッジだ。マーシアの様子を見てこようかと思ってね」
ロンドヴァルトの視線がベルトの銃に向けられた。彼は顔を上げると
「お伴しますよ。私はあなたの補佐官ですからね」
「俺の……なんだって? 俺の補佐官だっているのか? どうして?」
「何を驚いているんですか? あなたは惑星ハルシアートの領主代行なんですよ」
「なんだって⁉︎」
リョウは思わず目をむいた。ちょうどそこにエレベータがやってくる。
「乗るんでしょう?」
呆然としていたリョウは我に返って、ロンドヴァルトの後に続いた。
「一体どういうことなんだ? 俺が領主代行? 第一、君はエリックの部下じゃなかったのか?」
「今も彼の部下ですよ。ただし、ヒューロンのときとは階級が違いますけど」
「今はなんなんだ?」
「上級士官ですよ。ダレスがいなくなった後、あの部署にいてもつまらまくて、だからと言ってダレスの後を追うわけにもいかないですからね。そんなことをすれば、彼が怒りますからね。あなたとは違って、彼の怒りをまともに受けることは私には不可能です。そこで父の後を継ぐことにしたんです。その方が気がまぎれるので。忙しくしていたら余計なことを考えずに済むし、重要な決定に関わることもできます。何より命令を出す方なので気分がいい」
彼もまたグラントゥールの人間だ。リョウもニヤリとした。
「だが、俺が領主代行というのはどういうわけだ?」
「ハルシアートの身分証を持っているでしょう?」
リョウは頷いた。ヒューロンを脱出し、ウィロードル商船団のアランから受け取ったものだ。もちろん手を回してくれたのはマーシアだが。
「そこにはちゃんと領主代行とあるんですよ。もちろんすぐにはわからないようにしていますから、あなたが気が付かなかったのも無理はありませんけど。でもカードを端末に通すとその情報は表示されていたはずです」
「こいつを見せるだけで、あちこちすんなりと通過できたのは、グラントゥールというだけではなく、その身分のおかげか?」
ロンドヴァルトはにこりと笑った。
「もちろん、グラントゥールと関わりのある人間というだけであちこちの政府はトラブルを避ける傾向はありますが、それが領主代行となれば……」
「トラブルを避けるのは当然……か」
「グラントゥールの場合は単純な外交問題ではなくなりますからね」
帝国に属している惑星政府の対応の良さも、そのおかげというわけだ。
「だが、どうして俺が? それにヒューロンでマーシアを見て思ったんだが、君たちは役職が上がるにつれて書類仕事が増えていくだろう? 領主代行なら、当然書類が送られてくるはずだが?」
「さすがに鋭い。その通りです。ですがそれには条件がありまして、当然ながら、受け取る当人が敵地と思われる場所に滞在している場合は送られないんです。書類には重要のものもありますから。もっとも今まで敵地に滞在した上級士官の例は少ないですね」
「それでもあるのか?」
「ええ。上級士官が軍務などで敵地に潜入している場合や、滞在中に情勢が変わる場合などですが、レディのような件は初めてですね。行政士官たちもさすがにここにやってくることはできなかったので、レディはここにいたんですよ。あなたの場合も同じです。あなたがどういう立場かはっきりしなかったのもありますが、あなたがフリーダムにいるということで書類は届けられなかったのです。でもアルテアでは違っていたでしょう?」
リョウは思い出した。惑星アルテアでの作戦行動前、マーシアと再会した時、幾つものハルシアートの書類にサインをしたのだ。あれは領主代行としての仕事だったというわけだ。しかしなぜ領主代行なのかその理由がわからない。
「フリーダムのクルーたちは、かろうじて衣食住の保証はあっても、給料というものはほんの僅かだと聞いていますよ。よくそれで文句が出なかったですね」
ロンドヴァルトは急にそう聞いてきた。
「文句がなかったわけじゃない。だが、誰もがフリーダムの実態を知っていたし、彼らには帝国を潰したいという思いがあった。それが気に入らない連中は皆、艦を降りている」
だがそれ以上に彼らには他に行く場所がなかったのだ。フリーダムが彼らにとってすべてだったのだ。
「私たちはフリーダムと違って、一時的な集まりではありません。グラントゥールは常に存在し続ける。もちろん帝国の要請で戦えばその報酬は入ってきますが、それ以外の戦いでは自分たちの持ち出しです。自由と独立を守るためにはそちらの費用の方が莫大なんです。兵士たちにもきちんと生活できる報酬は必要ですからね。だから上級士官ともなれば爵位を持ち、惑星を管理して、そこから収入を得たり、また交易によって収益を得る。そしてその利益を部下たちの給料やらいろいろなものの費用に充てるんです。グラントゥールはそうやって組織を維持しているんです。知っていますか? 上級士官は戦士と過労死がほぼ同数なんですよ。むしろ過労死の方が上回っているぐらいです」
「大変なんだな」
リョウは思わず同情する。
フリーダムに最初から乗っていなかったリョウは、資金繰りの苦労はわからない。だが帝国軍で将校として暮らしていたことがある彼には想像できた。帝国でも資金を管理している財務省から、必要な予算を確保するのは並大抵ではなかった。
グラントゥールはその収入源も自分たちで確保し管理しているというわけだ。
「だが俺はグラントゥール人になるつもりもないし、上級将校でもないぞ。それなのに領主代行?」
「初めはあなたに地位を与えることで、帝国が余計な口出しをしないためのものでした。しかしこのような状況になった今は、領主代行はあなたの報酬を捻出するための手段です」
「報酬をくれるのか?」
「当たり前です。ただあなたの場合は特殊なので、行政士官たちがしばらく悩んだんです。あなたはその点でも名を馳せたんですよ。みんな驚いていましたから、行政士官たちを悩ませた男は誰だって。彼らが頭をかかえることは滅多にないんです。問題はあなたがグラントゥール人になることを拒否したことなんです。グラントゥール人ではないのなら、レディから給料を払うのはおかしいことになります」
「それのどこがおかしいんだ? フリーダムにも様々な惑星出身者がいるし、もちろん帝国軍もそうだ。他の抵抗組織もそうだろう」
「でもグラントゥールは違うんです。グラントゥールにはグラントゥール人しかいません」
ロンドヴァルトの言葉で、リョウはグラントゥールの特殊性を思い出した。グラントゥール人というのは民族名でも惑星の名を冠した出身者ということでもないのだ。グラントゥール人となろうとしたものがグラントゥール人なのだ。帝国出身者であろうと、どこかの辺境惑星出身者であろうと、グラントゥール人として生きると決意し、その掟に従うものを言うのだ。そんな彼らは、そうではないものを自分の内に入れることはない。彼らはそういう意味では排他的だ。そして彼らに受け入れられているリョウはそういう意味では特殊な存在なのだ。
「グラントゥール人でないものに給料は払えないということか?」
ロンドヴァルトは頷いた。
「もしグラントゥール人でないものが、君たちのほしい技術を持っていたらどうするんだ?」
リョウは思わず聞いてみた。
「そんな人間はいません」
そうきっぱりとロンドヴァルトはまさにグラントゥール人だった。だが彼は続けてこうもいう。
「もし仮にそんな人間がいたら、臨時に雇うこともあるかもしれません。ですがあくまでも一時的です。しかしあなたは違うでしょう。グラントゥール人にはならないというあなたは、レディのそばにいるのは一時的なことなんですか?」
リョウは首を振った。
「マーシアが嫌だと言っても、俺はついて回るつもりだ」
ロンドヴァルトは声を上げて笑う。
「レディが本気で嫌だといえば、あなたの命はありませんよ。でもその言葉を聞いて安心しました。レディにはあなたのような人が必要です。でもあなたはどこにも所属していない。だから行政士官たちは、名目だけだったあなたの身分に実態を与えたというわけです。ハルシアートの領主代行はグラントゥールからの依頼だと思ってください。そうすれば、私たちはあなたに依頼料を支払うことができます。依頼なら、あなたはグラントゥール人にならずに済みますし、私たちはリョウ・ハヤセという優秀な人材を手に入れることができます」
「雇うことはしないが、契約は結べるというわけか」
「はい。その通りです。ただしあなたに拒否権はありませんよ」
「わかっている。それで、それが俺の分か?」
リョウは改めてロンドヴァルトが持っている書類ケースを見た。そのケースにはフェルデヴァルト家の紋章が入っている。ロンドヴァルトはニヤリと笑って、
「ずいぶんたまっていますよ。本来なら領主代行ですから、もっと少ないのですけど、あなたとは連絡が取れませんでしたから」
リョウはうんざりしてロンドヴァルトを見ると、当てつけるように深々と息を吐いた。
「俺でさえこういう状態だということは、マーシアはもっと大変だということか……」
「今の彼女は、実質グラントゥールの筆頭公爵ですからね。過労死の比率は筆頭公爵が一番なんです」
ロンドヴァルトが明るく言い切った時、エレベータのドアが開いた。




