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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第3章
126/142

マーシア22

「記録は取っているか?」

「もちろんです。こんな見ものは、滅多にありませんからね」

「見ものだってっ!」

 フラーとその副官であるイーダの言葉に苛立った声をあげたのはニコラスだ。

「あの二人は命がけで戦っているんだぞ。本気で殺し合おうとしているんだぞ。しかも一人はあんたたちの上官だろう。それを止めもしないで、記録を取るだって?」

「おかしいかな? だがそれがグラントゥールだ。利用できるものなら、仲間の死体だって利用する。あの二人の戦いは今後の先頭に間違いなく役に立つ。こういう機会は滅多にないんだ。だから記録に取る。それにこれは彼女の私的な戦いだ。手を出すなと言ったのは彼女なのだから、我々は手を出さない」

「リョウが彼女を殺したら、どうするつもりなの? 報復のためにリョウを殺すの?」

 フラーはジュリアの方を見て、

「そんなことはしない。さっきも言ったようにこれは彼女の個人的な戦いだ。自分の立場や責務のことを考えた上で行動している。その結果敗死したら、それは彼女の責任だ。そういう修正のきかないミスを犯す人間はグラントゥールの上層部には不要だ。我々はリョウに感謝することになるだろう。彼女の能力を判断する機会を与えたと同時に排除もしてくれるのだからな」

「仲間なのに……」

 ジュリアもニコラスも彼らの考えに呆然とした。

「非情かね? だがそれが我々グラントゥールなんだ。彼女もそれを十分承知している。だからリョウは我々を嫌うんだ」

「嫌うだって? あんたたちとはかなり親しいようだが」

「それはあくまでも個人的にだ。彼はグラントゥールというものを嫌っているのだよ。我々がレディを必要としているのは、彼女を形作っているものの一部だけだ。レディもそのことは知っているが、リョウはそれが気に入らないんだ。レディを利用していると思っているからな。だがレディがそれに異を唱えないのだから、彼には何もできない。レディのことを思っても歯噛みするしかない。だから彼は嫌味を言うんだ。だが、そんな彼を見るのは新鮮な驚きだよ。何しろグラントゥールというだけで口が聞けなくなる連中やら、おべっかを使うものたちがいるからね――さて、勝負もそろそろ終わりだな」

 ニコラスたちはその声にリョウたちの戦いに意識を戻す。ほぼ同時に、

「今回はリョウにツキがなかったな」

 フラーがそう告げた瞬間だった。リョウがわずかに体勢を崩す。そこはリチャードが倒れた場所だった。床が彼の汗でわずかに濡れていたところに足を踏み入れてしまい、タイミングの悪いことに、体勢を崩した同じタイミングでマーシアが攻撃をかけてきたのだ。敵を倒すための容赦のない一撃は、ほんのわずかなミスが致命的なミスとなる。今がまさにその時だった。


 首筋に痛みが走り、血が流れるのを感じる。一瞬の不覚だった。だがこのままマーシアに殺されても悔いはない。向けれらたその瞳はまるで憑き物が落ちたかのようなに澄んだ色をしている。もう大丈夫だ。

「リチャードの代わりに殺すかい? 君に助けられた命だ。君が望むなら差しだそう」

 マーシアは目を細めた。

「お前がリチャードの代わりになるか」

 エネルギーソードの刀身が消えた。首への圧迫感が消え、リョウは体勢を整えると、刀身を消した。

「それにその命が私のものだというのなら、粗末に扱うな。いきり立っている私の邪魔をしようという無謀者はグラントゥールの中にもいないんだぞ」

「あいにく俺はグラントゥールの人間じゃない」

 ニヤリと笑ったリョウにマーシアはふんと鼻を鳴らした。だがすぐに表情を和らげ

「なかなかいい勝負だった。お前があそこでミスをせずに、あと30分も戦い続けていたら、敗れたのは私の方だ」

「それは、俺にとっては嬉しい褒め言葉だな」

 マーシアはじろりとリョウを見やる。

「別に褒めているわけじゃない。単なる事実だ」

 つれない言葉だが、リョウはその奥の感情をしっかり読み取って、ニヤリと見返す。マーシアがいまいましげにリョウを睨むと、プイと視線を外した。


 そして不意にマーシアから彼女自身の表情が消えた。次に現れたのは、次期当主レディ・アーシアの顔だった。彼女はフラーの部下たちに拘束されているリチャードに近づく。

「運が良かったな。リョウが止めに入らなければ、今頃お前は死んでいた。それは十分承知しているだろう? リョウに感謝するんだな。彼が命をかけて私を止めたんだ。だが二度目はないぞ。今度私に攻撃をかけたら、リョウが止めようが何が起ころうが、お前を確実に殺す」

「君が手を汚す必要はない」

 フラーにエネルギーソードのスティックを返していたリョウがその言葉に振り返って、告げる。

「その時は俺が殺す」

 リョウはリチャードの前に立つと感情をなくした目を向け、

「間違えるなよ、リチャード。俺はお前を助けたんじゃない。正直に言うと、お前に腹を立てているんだ。マーシアをあそこまで追い詰めたことをな。いいか、今度同じようなことをしたら、俺はお前を容赦しない」

 リョウはひたとリチャードを見据えて、

「その時はヒューロンの看守のやり方でお前を殺す。連中はいたぶり殺すのを得意としていたからな。囚人だった俺はそのやり方を知っているんだ。お前に対してそれを使うことに抵抗はない」

 リョウから放たれるくらい感情にリチャードは息を呑んだ。リョウは目の端でありシアーンが後ずさったのをとらえた。

 リョウは内側から負の感情が吹き上がってこようとするのを感じた。リチャードへの脅しがきっかけとなって、収容所での記憶がまざまざと蘇ってくる。普段は心の奥にしまわれ、忘れていた記憶。それに伴い怒りや憤りがリョウの制御を失って暴走しそうだ。それを感じながらリョウは止める術が見つからない

 不意に肩を叩かれた。マーシアだ。

「大丈夫か?」

 問いかける声が小さいのは彼にだけ聞かせるためだ。ハッと我に返ったリョウは肩の力を抜いた。そして悪夢を振り払うように頭を振ると、

「大丈夫だ。少し脅しをかけすぎたようだな」

 リョウはアリシアーナたちが自分に向ける目が今までとは変わったことに気づいた。だが、今の彼には何の意味もない。自分に向けられるマーシアの目だけが変わらなければいいのだ。

「それでこれからどうするんだ?」

「するべきことをするだけだ。次期当主としてなすべきことをする。ただそれだけだ」

 マーシアはそう言うと、アルシオールの人々に目を向けた。怯えたような目でマーシアを見つめるのは、アリシアーナのお供の者たちだ。あの中にマーシアを知っている者はいるのだろうか? ヒューロンに来る前のマーシアを。まだマルセリーナと呼ばれていた頃の彼女を知っている者はいないのだろうか?

 マーシアの視線がリチャードに移る。そこには先ほどまであふれていた敵意はない。それでもリチャードは顎を上げて抵抗するようにマーシアを見返す。マーシアが唇の端に苦笑を浮かべた。だが、それだけだ。そしてその視線はアリシアーナをとらえた。アリシアーナがごくりと息を飲む。顔には血の気がなく、できることなら逃げ出したいという感じだ。それもそうだろう。彼女は王女として、綺麗な世界だけを見るように育てられたのだ。憎悪や怒りなどという負の感情を、今回のように面と向かって突きつけられたことなどなかったに違いない。だが王女としての矜持を守るためにも、マーシアの視線から逃げ出すわけにはいかなかった。二人は無言で見つめあった。マーシアは何かを伝えようとしているわけではないのだろう。気が済んだのか、先に動いたのはマーシアだった。彼女は目を閉じた。しばらくそうしていたのち、再び目を開けたマーシアはもはやアリシアーナたちを視界に入れることはなかった。くるりと背を向けると、出口に向かって歩き出す。

「ブリッジに上がる。ディヴィット卿、後始末は任せる。卿の好きなようにするといい」

「かしこまりました。マイ・レディ」

 フラーは大仰に一礼する。

 マーシアは振り返らなかった。リチャードも内なる者一人の自分も殺さずに、過去にケリをつけたのだ。マーシアは過去に振り回されることなく、自分のすべきことをするだろう。フェルデヴァルト公爵家の次期当主として、そしてグラントゥールの筆頭公爵全権委任を受けた者としての責務を果たすだろう。

 リョウは扉の向こうに消えて行くマーシアを見送った。彼にはまだ共に歩む資格がないのだ。

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