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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第3章
122/142

マーシア18

謁見室にはすでに人々が揃っていた。壇上の椅子にはアルシオール王国の代表として正装用のドレスを着たアリシアーナが座っていた。その傍らにはリチャードが立っている。リョウはそこにいるはずの人物が一人欠けているのに気づいた。前回こういう形でアリシアーナと会った時は、彼女を挟んでリチャードの反対側に将軍のフラーがいたのだが、今日はそこには誰も立ってはいない。下でお付きの人たちの間にいるのだろうかと、視線を巡らせようとした時、アリシアーナが立ち上がった。

「マーシアさん、このような形で再会することになって大変残念です。でもわたくしはアルテアであなたに助けられたことを忘れてはいません。それに、ここにいるニコラスから、あなたはアルシオールにかなりの不信感を抱いているとか。アルシオールはあなたを捕虜としてではなくお客様としてお迎えいたします。ですからあなたの身は安全です。不安になることはありません」

「不安になる?」

 マーシアは思わずといった様子で聞き返した。

「安全だって?」

 吹き出したマーシアはついに大声で笑いだした。マーシアをここにいる者たちよりも理解していると自負しているリョウは、あおの笑いが計算の上だと感じていた。だがその目的はなんだ? 答えはすぐに現れた。

「笑うのはやめろ! アリシアーナ様の温情で客人として遇すると言っているのにも関わらず、人をバカにするような笑いで、アリシアーナ様の御心を傷つけるのなら、捕虜としての立場を忘れることのない待遇にすることもできるんだぞ。少しは態度を改めろ」

「リチャード、いいのよ。この方はこういう方なの。でもわたくしが助けれらたのはまぎれもない事実。わたくしはその時のお礼がしたいのよ」

「姫様……」

 アリシアーナを愛おしげに見下ろすリチャード。だがそれを揶揄するように、

「ずいぶんと気に入られているようだな、リチャード。お前の特技は、世間知らずのお姫様の心からの信頼を手に入れることらしい。それをもう少し知っていれば、あんな無様なことにはならなかったと思うよ」

 意味深な言葉にリチャードは、わずかに戸惑う。

「貴様は何者だ?」

「忘れられたとは心外だな……一度目はやむを得ないが、二度目はまだ五年もたっていないんじゃないかな? 五年でそれほど容姿が変わったとは思わないが……」

 言葉を切ったマーシアは自分の体を見下ろし、

「お前はあの時、ホテルの部屋でシャワーを浴びている私に、仲間と一緒に襲い掛かってきたではないか。湯煙で私の顔は見えなかったか? 殺す相手をしっかりと確認しないから殺し損ねるんだ」

 リョウははっとしてリチャードを見上げた。ヒューロンでその話を聞いたことがある。その暗殺者がリチャードだというのか? 青ざめたリチャードの口から思わぬ言葉が漏れる。

「おまえが、マルセリーナ様……」

 その瞬間、部屋のあちこちで息を飲む音がした。アリシアーナのお供の中でも比較的古株の者たちだ。そしてもう一人——アリシアーナが椅子から立ち上がった。

「お姉さま……あなたがマルセリーナお姉さまだったんですねっ!」

 ここにいる多くの人々が戸惑っている中、アリシアーナの声は純粋な喜びに満ちていた。

「お姉さま、ずっとお会いしたかったのです。お姉さまがアルシオールのために、人質として帝国に幽閉されていると知ってからずっと。お姉さまを解放したくて、お父様にお願いしてフラー将軍とともに、こうして反帝国運動をしているのです。もう何の心配もいりません。名前を偽ることもありません。わたくしがお姉さまをアルシオールの王女として処遇し、お守りいたします」

 その瞬間、マーシアが笑い出した。そして哀れむように壇上のアリシアーナを見た。だが口を開いたのはマーシアではなかった。

「姫さま。マルセリーナ王女への暗殺命令を抱いていたのは、ほかならぬあなたのお父上、アルシオール王国のラキスファン陛下です。その実行責任者がリチャード卿でした。彼はホテルでの暗殺の失敗の責任を取って処刑さるはずだったんです。姫さまが彼を護衛にと望んだゆえに、彼は命拾いをしたのです」

「フラー将軍、それは嘘です。リチャードがそのような卑劣なことをするはずがありません。何よりお父様が、自分の娘を殺そうとするはずはありません。第一理由がありません」

 アリシアーナは珍しく怒りに顔を赤くして、フラーを睨みつけた。

「理由なら十分にあるだろう?」

 途中でマーシアが言葉を挟んだ。思わずフェラー将軍を睨みつけた勢いでマーシアに視線を移し、

「一体どんな理由があるというのですか?」

 アリシアーナの口調から穏やかさが消える。

「王位をめぐる争いだ。昔からよくあるやつだ。ラキスファンを自分が一番大切にしている者に玉座と王冠を譲りたいのさ。是が非でもな。そのためにはなんだってしている。先日も反対派を粛清していたぞ。あの調子で、人を殺していたら、行政府にはろくな者が残らないだろうにな」

「反対派を粛清……」

 アリシアーナにとっては考えたこともない事態なのだろう。

「それは何に対する反対なのですか?」

「決まっている。政策に反対しているんだ」

「お父様は自分の政策に反対する者をむやみに殺したりはしません」

 マーシアは眉を動かした。

「ほう、そうなのか? だがそれはお姫様が知らされていないだけだろう? お姫様は自分がどういう立場のいるのか理解しているのか? もし仮にマルセリーナがアルシオールに戻ったとしたら王位はどうなる?」

「王位?」

「そうだ。王位だ。玉座も王冠も一つしかないんだ。それをどうするつもりだ」

「どうするつもり……それは当然、」

 と言いかけてアリシアーナはハッとした。

「当然、自分が継ぐ、か?」

 マーシアが皮肉を込めた様子で言葉を続けた。

「お姫様は自分がどのような立場にいるのか全く理解していないようだな」

 アリシアーナはゴクリと喉を鳴らした。

「理解しています。わたくしの母は身分の低い側室です。それに対してお姉さまは王妃さまがお母上です。王位継承順位から言えば、わたくしの方が下になります。しかしわたくしもお姉さまと同じ国王たるお父様の、ラキスファン王の血を引いています」

「そうだな。だが問題は、継承順位なんかじゃない。ラキスファンと側室の子にはそれがたとえ男子でも王位継承権はないんだ。そもそもラキスファン自体が王家の血を引いていない。彼は先代の王のたった一人の王女と結婚することで、王位を手に入れたんだ。継承法には、アルシオール王家直系の男子継承者がいない場合は同じくアルシオール王家直系の最年長の王女の夫が王権を代行できるとあるんだ。それに基づいてラキスファンはアルシオールの王位についた。そして、継承法の一部を変えた。王女でも王位を継げると。だがその条文には些か問題があって、王位継承権は国王の直系に限るとなっているんだ。国王の直系なら、お姫様も入るだろう。だがラキスファンは正式には国王じゃない。あくまでも王権行使者の代理なんだ。すなわち先代アルシオール国王の孫であるマルセリーナが成人して、王国に帰還すれば、自動的に彼女が女王として王位に就くことになる。そうなればお姫様がラキスフファンの後を継ぐことはできない。その条文の不備に気づいたラキスファンは必死に暗殺しようとしたんだ。直系の継承者がいなくなれば、側室から産まれたお姫様を女王として立てることができるからな。だから反対しそうな人たちを粛清しているんだ」

「そんなことはありません。お父様は慈悲深い方です。それに、仮にお姉さまがアルシオールに帰還して王位についたとしても、すぐに政務など執れるはずはありません。お姉さまは長いことアルシオールを留守にしていたんですよ。アルシオールの現状をご存じないのです。国民にとって、お姉さまは見知らぬ人お同然です。明日からそういう人が女王ですと言ってもついては来ません。それ相応の待遇は致します。それは当然のことです。ですから……」

「だから自分が王位に就くか……」

 マーシアはうんざりとため息をつくと、再びリチャードの視線を向ける。

「様々な問題があるにもかかわらず、王位に就かせようと画策している割にはmよくもこれだけ世間知らずに育てたものだな。何も教えなければそれで済むと思っていたのか? それで政治ができるのか? なぜ、彼女に自分の立場を正確に教えてやらなかったんだ。そうすればこんな愚かしいことを言うこともなかっただろう。 綺麗なものだけしか見ないようでは、お前たちの望みを果たすことができても、先がないぞ」

 マーシアの指摘に、言葉を飲み込んだリチャードだが、あえて胸を張ると、

「一体何か言いたいのですか? 今まで名前を隠し、別の人間のように振舞っていたあなたに、アリシアーナ様のことを非難する資格はない!」

 激しい感情のこもった声には、アリシアーナを見下されて怒りがあふれていた。だが、周りの兵士たちが一瞬体を強張らせていた怒声にも、マーシアは口元に冷めた笑みを浮かべるだけだった。それがリチャードをますます苛立たせる。

「名前を隠したつもりはない。アルシオール王国の第一王女マルセリーナ・アルシオーネは惑星ヒューロンでお前が王女を裏切ったときにこの宇宙から消えた」

「ではそこにいるのは誰だ⁉︎ 今こうして話しているのは、何者だというのだ!」

 リチャードの苛立ちは頂点を迎えていた。

 マーシアの顔から人を小馬鹿にする表情が消える。威儀を正したマーシアは静かに告げた。

「私はグラントゥール筆頭公爵フェルデヴァルト家の次期当主、レディ・マーシア・フェルデヴァルトだ」

 その瞬間、リチャードの目が大きく見開く。だが驚きを露わにしているのは、リチャードだけではなかった。驚愕といってもいいリチャードに戸惑う人々。その中でリョウだけが彼と同じ反応を示した。何か重大なことを知ったかのような驚きが二人に共通していた。

「リョウ、これは一体なんなんだ?」

 この異様な雰囲気にニコラスは思わず小声で問う。ハッと我に返ったリョウは、マーシアがそう名乗った意味を理解しつつあった。具体的なことはわからなくても、大きな変化が起きたのだ。

「マーシアは……」

 ニコラスに説明しようとしたリョウだが、マーシアの言葉はまだ終わってはいなかった。

「一時間ほど前に、アルシオール王国の宇宙軍が、ラキスファンの命令を受けて、グラントゥール管理下にある、惑星パレシアに惑星破壊弾を撃ち込んだ」

 周りに悲鳴が上がった。惑星破壊弾とはその名の通り、惑星の核に作用して惑星を内側から破壊するエネルギー弾だ。当初は宇宙航路の整備や惑星改造のために使われていたのだが、それが戦争で使われるようになり、その破壊力と犠牲の大きさを考えて、帝国では対戦争への使用を禁止しているのだ。そして特別な管理がされている。もちろん反帝国勢力ももし持っていたとしても、それを使うことはないと思われる。使えばその時点で彼らの正義は失われ、全てからの敵とみなされるのだ。

「アルシオールはこう抗弁する予定らしいな。『惑星破壊弾は誤って発射されたもので、自爆装置がどういうわけか間に合わなかった』と」

 マーシアはそう言うと、リチャードを見据えた。

「グラントゥールも舐められたものだ」

 リチャ−ドがごくりと息を飲む。彼にはそれがどれほど重大かわかっているようだ。だが、その隣の人物は……

「それは事故ということではありませんか、お姉さま。確かにパレシアの皆さまには大変気の毒なことですが……」

「気の毒だと……」

 マーシアは今にも激発しそうな怒りを必死に抑えているようだ。リョウはそんなマーシアを始めてみる。

「開発途上とはいえ、パレシアには五十万人以上の人間が住んでいたんだぞ。脱出はその一割もできなかった。惑星破壊弾はそれらの人々を一気に消し去ったんだ。気の毒で済むような問題か‼︎」

 マーシアの怒声は空気を震わせた。誰もが何も言えずにいた。驚き、戸惑い、そして困惑と混乱。だがその中でただひとり、フラーだけが静かに、冷徹ともいえる目でマーシアを見つめている。マーシアは一つ大きく息を吸うと、その視線に気づいたのか、一瞬、視線を向けると、いつものマーシアに戻って、壇上の二人に目を向ける。

「パレシアが宇宙に帰った瞬間、グラングゥール筆頭公爵のレオス卿は、私に全権を委任する決断を下した。そして私も次期当主としてそれを受け入れた」

 マーシアはそこで言葉を切った後、朗々とした声で宣言した。

「私の言葉はグラントゥールの言葉であり、私の意志はグラントゥールの意思だ。すなわち私がグラントゥールだ。そして私はアルシオールに宣戦布告する。我が敵はアルシオール、ただ一つ」

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