表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第3章
119/142

マーシア15

 リョウは三番ドックの待機室から、フリーダムが係留されていく様子を見守っていた。チューブと呼ばれる連絡橋が伸びていく。その一本は、主だった士官たちが使う出入り口に向かっていた。


「18時間が限界だな。それ以上、ここに居座ると外の連中も黙ってはいない」

 すべての準備が終了するのを見届けると、マーシアは艦長席から立ち上がった。

「彼らも次の作戦のためにこの要塞を使用する必要がある。長々と居座ってもメリットはないし、これ以上彼らを挑発することもないだろう」

 独り言のように呟いたマーシアは思い出したようにニコラス見た。

「物資を搬入する間、クルーたちを交代で休ませたらどうだ? この要塞にはそういうも無敵のリフレッシュ施設がある。それに帝国の最新の要塞がどのようなものであるかを、お前たちが知るのも悪くはあるまい?」

 マーシアはそう言うと、ニコラスの脇を抜けて、ブリッジを出て行く。

 残されてニコラスは艦長としての業務を引き継いだが、権限が戻ってきたわけではない。緊急事態が発生すれば、艦長席に座るのは、マーシアだ。ニコラスはそれぞれの部署に指示を与えながら、艦長失格の烙印を押されたようで気分が悪かった。


 ジュリアはブリッジのドアを開けた。ブリッジは閑散としていた。数人の当直者が退屈そうに計器を見ている。係留中は戦闘部署にいるものは暇なのだ。忙しいのは補給担当だろう。戦闘中、席についていたオペレーターたちはすでに要塞に降りているはずだ。それなのにブリッジはまだ戦闘の緊張感が残っているようだった。当直とはいえ、彼らももう少しリラックスしてもいいはずなのだが……

 ジュリアの目は自然と艦長席に向けられた。そこには苦虫を噛み潰したような顔で宙を睨んでいるニコラスがいた。彼らに何か思うところがあるわけでないことは、ジュリアにはわかっているが、当直の者にしてみれば気にならないわけはない。

「みんな、怯えているわよ」

 ジュリアはからかうような口調で艦長席に近づく。思わず振り返ったニコラスはジュリアを睨む。

「あら、怖いこと」

 言葉とは裏腹に微笑みながら、ニコラスの手に触れる。少し冷たく感じるのは、彼が感情を押し殺していたせいだろう。心の内にある怒りを、誰かにぶちまけたいのをニコラスは必死で抑えているのだ。やむを得ないこととはいえ、マーシアとリョウのやり方は、プライドの高いニコラスの心を傷つけるには十分な仕打ちだった。

「あなたも休養の時間なんだから、ブリッジを出ましょう。休暇中のあなたがいつまでもブリッジに入ると、彼らが落ち着かないわ」

 ニコラスはじろりとブリッジを見下ろすと、成り行きを伺っていた当直オペレーターたちが慌てて顔を背けて、仕事に集中し始める。

「連中も子供じゃない。自分の仕事は俺がいなくてもきちんとできるだろうしな」 あえて聞こえるようにつぶやくとブリッジの外に出た。


 ジュリアはチューブを通りながら、ニコラスの横顔に目を向けた。その顔からは表情が消えている。チューブの先にはリョウがいるはずだった。つい先ほど、マーシアがチューブに入っていたのを見たのだ。ジュリアは必ずリョウは彼女に会うために、そこにいると確信していた。ニコラスもそう感じているのだろう。そのせいで彼は無言なのだ。会いたい、だが会いたくない。相反する感情が彼の中に渦巻いているのを感じる。それはジュリアも同じだった。

「敵情視察をするつもりでいたら? 帝国軍の要塞なんで滅多に見られないわよ」

 ジュリアはあえていつもの口調でニコラスに話しかけた。ニコラスの表情が動く。

「彼女と同じことを言うんだな」

「彼女って、マーシアのこと?」

「ああ、だがジュリアから言われた方が素直に受け入れらるよ」

 そう答えたニコラスは、口元に笑みを浮かべた。しかし三年前の彼なら、豪快に声を出して笑ってくれただろう。ジュリアがニコラスの割っている姿を思い出すのは、三年前の笑い方をする彼だった。だが最近はそんな姿は滅多に見られなくなていた。

 いつの頃からかニコラスの中から、快活さが消えていた。それに気づいたのは、リョウがこの間に来てしばらくした頃だ。一見離れ離れになっていた月日がなかったかのように見えた二人だが、やはりその関係は変化していたのだ。


 チューブのドアが開いた途端、マーシアの屈託のない笑い声にジュリアは足を止めた。ニコラスも驚いた顔で二人を見ている。いつも社にかめている彼女が、あんな声で笑うことが出来るとは思いもしなかったのだ。

「いきなりあれでは驚くだろう。こっちは必死で叫んでいるというのに、鞭を片手に現れたんだ。一体何を考えていたんだ?」

「あれは組み込んだ人間の趣味だ。そっちの方ではかなり有名な女性だったらしい。組み込み方も洗練されているから、あのタイプのイリスは、結構いるぞ。それとも裸の女性が現れて欲しかったのか? そっちも有名なタイプだが」

「冗談じゃない。それとはヒューロンであった。だがあれはあれで困るんだぞ。彼女たちはいつも突然姿をあらわすからな」

 リョウの顔がほんのり赤くなったように見えた。何か覚えがあるのだろう。そんなリョウを見てマーシアが再び声を上げて笑う。

 足を止めていたニコラスの目が見開いた。知り合って日の浅いマーシアは当然だが、帝国軍に入隊して以来の友人であったリョウが、あんな風に顔を赤らめたりする姿は、彼は今まで見たことがなかった。

「あれは誰なんだ……」

 呆然としたつぶやきがニコラスの口から漏れた。かすかなその声に、マーシアが振り向き、リョウが顔を上げた。二人の間から醸し出されていた優しい茎がたちまち消えていく。

「イリスの元に行ってくる。お前のせいで休暇が台無しになりそうだぞ」

「悪かった。だが、死にたくはなかったんだ」

「それは私も同じだ。行政士官たちが私の居場所に気づく前にここを離れるつもりだが……」

 マーシアは思わせぶりに言葉を切ると、ニコラスの視線を捉え、

「フリーダムが私の支配下にあるから、グラントゥールの権利を主張できるということを忘れるな。そして私がフリーダムに留まっているのは彼がいるからだ。リョウがいなければ、私が留まる理由もない。私がいなければフリーダムはグランウールではない」

「マーシア、脅迫するな」

 リョウの咎める口調にマーシアは振り返って、

「彼らはお前をここに置き去りにすることもできるんだぞ。そして第四艦隊がお前を捕らえる。収容所を脱走したお前は重犯罪者だ。死刑になる前に、お前の救出作戦を実行する羽目になる」

「その時こそ、俺を見捨てろ」

「お前は馬鹿か? そんなことをしたら、お前がヒューロンを脱出した時の経費と時間が無駄になる。その上、下から突き上げを食らうのは、私たち上層部なんだぞ。なぜ、見捨てた。見捨てるぐらいなら、最初から殺しておけとな」

「要するに、一度拾った命なら責任を持って面倒を見ろということか」

「そうだ。そもそもお前が彼らの間で有名なのが悪い」

「それは俺のあずかり知らぬことだと思うが?」

 マーシアは一瞬考えてから

「まあ、彼らがお前を勝手に仲間扱いしてるの確かだな」

 そして再び、マーシアはニコラスを見る。

「一応感謝はしている。死なずに済んだのはリョウたちの決断のおかげだとな。少なくともこの宙域から脱出するまでは指揮権は君のものだ、マーシア。そのあと、指揮権を変換してくれる予定ならな」

 最後の皮肉にマーシアはふっと笑うと、納得したのか軽く頷き、体を返して、ドアの向こうに消えた。


 そこに残されたのは、リョウとニコラスそしてジュリアの三人だけだった。

 三年前のあの日まで、彼らは肩を並べて夢を語り合い、笑い合っていた。

 だが、三人きりだというのに、誰一人歩み寄ろうとはしなかった。リョウと自分たちの間にできたこの空間はもはや埋め難いように、ジュリアには思える。

 三年前のあの日――帝国軍から艦を奪取したものの、リョウを置き去りにしてしまったあの時から、三人の道は一つではなくなってしまったことをまさに象徴している空間だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ