フリーダム58
マーシアに自分の艦隊はない。
内外ともにフェルデヴァルト公爵の後継者としてみられているマーシアだが、今まで彼女自身は公式にその地位を受け入れたことはない。だから当然後継者として指揮すべき艦隊も部下も持ってはいないのだ。マーシアはフェルデヴァルト公爵が必要と判断したときに、艦隊を指揮する。そうでないときの多くの時間は、機動要塞司令官の乗る機動要塞を我が家としていた。
その機動要塞はアルテアの制宙権の及ぶ範囲のぎりぎり外側にあった。
そこにアルテアの方から一隻の宇宙艇がやってきて、要塞に飲み込まれる。
中では接舷作業が迅速に行われているが、それが完全に終わるのを待ちきれないかのように、宇宙艇のドアが開いた。接続したチューブを足音高く歩いてくるのは、五十代半ばの男だった。グラントゥールで支給される戦闘服を着た彼だが、エリックの要塞の作業員は、彼の胸元を見て一瞬戸惑うものの、すぐさま敬礼する。その胸元には彼の立場を示す記章が縫いつけられていたのだ。フェルデヴァルト家の紋章が獅子。アルテアの酒場の看板には、グラントゥールの別の公爵家の紋章である槍を掴む鷹。そして彼の記章に織り込まれているのは純白の羽を持ち飛翔する一角獣。この紋章はエルスバート家のものだ。記章の豪華さと様式は彼がその当主であることを示している。
だが作業員たちは一瞬その記章に目を留めたものの相手が何者かを認識し、一般的な敬意を払った後は、すぐに作業に戻った。彼らは、この手の大物が来ることには慣れていたのだ。何しろここにはマーシアがいる。彼女に会うために一兵士から彼のような立場のものまでやってくる。そんなことにいちいち驚いていたら、少なくともこの要塞では仕事が進まないのだ。そしてエルスバート公爵のほうも自分の来訪に特別な敬意を払えというようなことはいわない。そんな態度を示す人間は当主にはなれないのがグラントゥールなのだ。
「おい、君」
エルスバート公爵は作業中の男を呼び止めた。
「レディはどこにおられるかな?」
なぜ自分に声をかけるのだろうかと、訝しげな目でエルスバート公爵を見上げた男がニヤリとした。公爵自らやってきた理由を悟ったのだ。一作業員ではあるが、休憩室ではマーシアの今回の活躍が話題に上っていたのだ。当事者ではない彼らにとってマーシアの活躍はまるでドラマのように受け止められていた。だが当事者にしては楽しむどころではないだろう。エルスバート公爵はその当事者なのだ。
「レディなら、最上階の自室で、書類と格闘しているんじゃないでしょうか。半日前に連絡艇が到着していましたから」
エルスバート公爵はやや顔をひきつらせて、
「それは幸いだな。少しは大変な思いもしてもらわなければな。ありがとう、君」
エルスバート公爵は礼を言うときびすを返して最上階に向かっていったが、その作業員は彼が漏らした言葉を聞き逃さなかった。エルスバートはエレベーターに向かいながら
「まったくなんだって、彼女は俺の部下を翻弄するのではなく、書類の運び屋を撃ち落とさなかったんだ? そうしたらみんなに感謝されただろうにな」
と忌々しくつぶやく。その声を聞いた作業員は吹き出しそうになるのをこらえた。そして上層部の誰もが、書類を運んでくる連絡艇の到着を嫌っているのを知って、なおさらおかしかった。主義もやり方も違う上層部なのだが、彼らの数少ない共通点は誰もがグラントゥールの利益を考えていることと、そして完全に一致しているのは、書類仕事が大嫌いだということだった。
「いったいどういうつもりだ?」
部屋に入ったエルスバート公爵はいきなりマーシアに向かって怒鳴った。部下たちを震え上がらせる声だが、マーシアにはきかない。彼女はそれを待っていたかのように顔を上げた。
「なにがだ?」
「なにが、だと? アルテア上空での追いかけっこのことだ。俺は前もって警告していたはずだぞ。それなのに、なぜそっちは従わないんだ。いったいなにを隠している?」
「なにも」
マーシアは短く答えると、次の書類に目を通し、署名する。
「なにも、だと?」
エルスバートはいきり立った。
「隠していることはなにもない。この答えが気に入らないのなら、この要塞や私の乗っていた宇宙艇を好きなだけ調べてみるんだな」
エルスバート公爵はしばらく忌々しげにマーシアを睨みつけると、深々と息を吐き出して、手近な椅子に腰を下ろした。
「おまえがアルテアでリョウ・ハヤセと会っていたのはこちらも知っているんだぞ。しかも二人で帝国軍の施設に潜入したあげく、捕虜を奪い、施設の一部を破壊しただろう。帝国軍から抗議がきた」
「ほう、で、どう答えたんだ?」
マーシアは顔を上げた。
「俺の仕事はアルテア上空の制圧で、惑星上で起こったことなど知らないと答えた」
「それで彼らは納得したか?」
「いや、二隻の宇宙艇を逃がしたことを責められた。一つはおまえだ。そしてもう一つは所属不明の宇宙艇だ。もっともこちらの方はおまえの追跡に追われていて、気がついたのはずいぶん遅かったがな」
苦虫をかみつぶしたときのような口調にマーシアは眉を上げた。
「おまえが腹を立てている本当の理由はそっちか。私が囮になって彼らを逃がしたとでもいいたいのか?」
「ああ。所属不明の宇宙艇にはリョウ・ハヤセが乗っていたはずだ。俺はそう推測しているが?」
「そうか? だが私には関係のないことだな。はっきりしているのは、その所属不明艇を捕捉し損なったのは私のせいではないということだ。私に気を取られて気がつかなかった方が悪いとは思わないか? 指示に従わなければ、私を撃ち落とせばいいことだ」
「確かにそうだな。それは俺の部下たちの失態だ」
エルスバート公爵は言葉を切ると、不意にニヤリと笑って、
「それにしても見事な操縦技術だったな。それにあの機体の運動性能は今までにないぐらいに良さそうだ」
「あれはまだ試作段階の宇宙艇だ。戦闘機並の運動性能を持たせていると技術部の連中は言っていたが、しかしまだ戦闘能力の方は満足できる水準ではない」
「ならば、俺にも開発に一枚かませてもらえそうだな?」
「一緒に開発したいのか?」
マーシアは意外そうにエルスバートを見る。
「共同開発となれば、利益は比率でしか得られないぞ」
「だが運動性能をそのまま利用できるし、なにより戦闘能力関係の開発はエルスバートのほうが優秀だ。お互い協力できるだろう」
「そちらが優秀だからと言われてしまえば、フェルデヴァルトの技術陣はへそを曲げるぞ。だが意見の交換を拒むような連中じゃない。彼らには話をしておく。都合のいいときにそっちの技術陣と話し合えとな」
エルスバートは満足そうにうなずくと、立ち上がった。彼の用事はどうやら終わったようだ。
「ただ愚痴りにきたのかと思ったが、本当の目的はこっちか……」
「まあな。だが腹を立てたのも事実だ。たった二隻のせいで、せっかくの封鎖作戦が効果がないと帝国の連中に思われたら、金が入らないからな」
「だが二隻以外は封鎖に成功している」
エルスバートはうなずいた。そしてそのついでに彼女の机の上に目を走らせた。
「そっちも大変そうだな。レオスは書類をすべて回しているんじゃないのか?」
「やはりおまえもそう思うか?」
マーシアはうんざりして書類を放り投げた。
「多分そうじゃないかと思ってはいたんだが……なぜ敵も味方も行政士官の乗った宇宙艇を攻撃してくれないんだろうな」
マーシアの珍しい愚痴に、エルスバートは笑った。
「俺も何度もそう思ったし、実際撃ち落としたくなったことも一度じゃない。だが連中は限りなく悪運が強い」
そういいながらエルスバート公爵はドアの前で立ち止まると、
「だが、書類の山を始末することも後継者のつとめだ、マーシア」
真剣なまなざしをマーシアは真正面から受け止めると、
「書類を片づけるのは面倒だが苦じゃない。だが後継者と自ら名乗るにはそれなりの覚悟が必要だ。私にはまだその資格はない」
エルスバート公爵の顔に笑みが浮かんだ。その目は一瞬遠くを見てから再びマーシアに向けられる。そして彼はゆっくりと告げた。
「誰もがそうだ。私もレオスも次期当主として君と同じように考えていた。だがいずれは決断するときがくる。それはわかるな」
マーシアは立ち上がって、エルスバートをまっすぐに見つめて静かにうなずいた。
フリーダムの格納庫前室の隅でリョウは、チューブのドアから現れた男を見た。ヒューロンからともに脱出したギルバートだ。彼もリョウを認めると、にこりと笑った。彼がヒューロンにいたのはそう長いことではない。収容所では最初の一週間で絶望するものが多い中、彼はなぜかいつも笑っていた。過酷な状況を少し離れたところから眺めることで自分の心を守ろうとするかのようだった。リョウが固い壁を作り、歯を食いしばることで収容所の生活に耐えていたのとは逆に、彼はその境遇を柔らかく受け流していたのだ。それはそれでかなりの精神力が必要だろう。
その彼がリョウに近づこうとしたそのとき、格納庫前室の扉が開いた。振り向くと、ジュリアに付き添われたシギリオン反帝国戦線のリーダー、アーサー・ランスティが現れた。
「ギルバート……」
アーサーの声は感極まっていた。そして彼は杖を突き右足を引きずりながらも急いでギルバートの元に歩み寄る。ギルバートもアーサーのその様子に驚いたように目を見張るが、すぐに彼の元に駆け寄り、思い切り彼を抱きしめる。
「生きていて本当によかった。顔を見るまでは安心できなかったんだ」
彼の泣きそうな声がリョウの耳にも届く。
「アーサーの足はあれ以上、良くはならないわ」
そばにやってきたジュリアが小声で告げた。
「彼らは知っているのか?」
ジュリアはうなずいた。
「でもやはり自分の目で見ないと実感しないわよね。私だってそう思うわ」
アーサーが次々と部下たちの抱擁を受けているのを見ていたジュリアは
「あなたが生きていると知ったのは突然だったけど、あらかじめ知らされていてもあなたに会うまで実感できなかったと思う」
感慨深げにつぶやくジュリアを、リョウは静かに見下ろす。
「リョウ」
アーサーの声にリョウは顔を上げた。部下たちとの再会がひと段落した彼が振り返って
「もう一度だけ訊く。俺たちの元にこないか? おまえの才能を眠らせておくのは惜しい。それに俺の元でなら、その働きに十分に報いることができる」
アーサーはフリーダムでの滞在中にこの艦における彼の立場を知ったようで、何度もそういう誘いを受けたのだ。だがリョウの答えは決まっていた。そして今度も彼は静かに拒否した。
「俺がこの戦いに参加している目的は、帝国の理不尽を何とかしたいと思っているからだ。この艦の力は微々たるものだが、しかしそれでもできることはある」
「だがそれでは名をあげることはできないぞ」
リョウはひたとアーサーを見つめた。
「俺は名誉がほしい訳じゃない。名もなき兵士の一人で十分だ」
その口調には少しばかり鋭いものがあった。名をあげるという言葉がリョウの逆鱗に触れたのだ。その感情を彼が押さえたのをジュリアもそしてギルバートもわかっていた。
「だから言っただろう」
割って入ったのは、アーサーの性格を知るギルバートだ。リョウとアーサーは似ているところが少なくない。二人に特に共通しているのは信念を曲げないと言うところだろう。
「リョウはヒューロンを脱出する機会がありながら、もう一度収容所に戻ってきたんだぞ。一度こうと決めたら簡単に変えるような男じゃない。彼のことはあきらめろ」
アーサーはしばらくリョウを見据えると、不意に息を吐き出して沈黙を破った。
「そうだな。確かに偏屈な男かもしれない。とりあえず今日は引こう。おまえを説得する時間がないからな。だが俺はあきらめないぞ。おまえを俺の部下にする、いつかはな」
冗談なのか本気なのかわからない言葉に、リョウは応じて言う。
「それだけは無理だな。俺は誰の部下になるつもりもない」
はっきりしたその口調に値アーサーは一瞬眉を上げると、ギルバートを見て、
「俺は艦に戻る。おまえは後で来い。少しなら時間はあるぞ」
ギルバートがうなずく。思わずリョウは杖の音を響かせてドアの向こうに消えようとするアーサーに、
「これからどうするんだ?」
と尋ねる。アーサーは立ち止まり振り返った。
「もちろん、裏切り者を掃討するさ。俺はシギリオンのリーダーなんだ」
酷薄な笑みを浮かべてアーサーはチューブの中に消える。彼の揺るぎない決意が格納庫前室の空気を凍らせた。
「少し変わった……かもな」
振り返ってアーサーの背を見送ったギルバートの目は衝撃を受けた跡があった。
「だが俺はそれでもあいつを支えていく」
ギルバートの決意もまた重いものだったが、格納庫前室の空気は和らぐ。
「君には二度も助けられたな。一度目は俺で、二度目はアーサーだ」
「俺はある女性のお膳立てに乗っただけだ。ヒューロンでもアルテアでも。彼女がいなければそのどちらも成功してはいないだろう」
ギルバートは懐かしい記憶を思い出すかのような目で宙を見つめると、静かに笑んで
「レディか……彼女は特別だ」
それがマーシアのことだとリョウは直感した。
「君は彼女を知っているのか?」
「直接には会ったことはない。だが彼女は有名だよ」
リョウは改めてギルバートを見る。
「君はグラントゥール人なのか?」
ギルバートはなぞめいた笑みを浮かべると
「俺はかつてグラントゥール人だった。だが今は違う。アーサーとともに戦おうと決意したとき、俺は自分の義務を放り出したんだ。その時点でグラントゥールである資格を失った。だが後悔はしていない」
ギルバートははっきりと言いきった。グラントゥールは仲間にはすごく情が厚い人たちだが、それ以外の人間に対しては非情なのだ。それを知りながらあえて彼らの保護から離れると言うことは、彼の思いはそれだけ強いと言うことだろう。信念のためにすべてを投げ打った彼もまたその本質はグラントゥール人なのだ。
「もう一度改めて、礼を言う。そしてリョウ、何かあれば俺たちを頼ってくれ。おまえの頼みなら、可能な限りかなえよう。おまえは俺たちの命の恩人だからな」
「大げさだな」
リョウは笑う。
「それが俺たちの本音さ。じゃあ、元気で」
「おまえもな」
二人は互いに手を差し出し強く握りしめた。そしてギルバートはアーサーの元に戻っていく。
しばらくしてシギリオンのマークをつけた宇宙艇がゆっくりと離れていく。リョウは最後までその場から彼らを見送った。
ヴァルラート歴484年3月18日、ヴァルラート帝国は惑星アルテアの自治権停止を正式に宣言し、アルテアを完全に帝国の支配下に置く。
ヴァルラート歴484年3月29日、シギリオン反帝国政府組織において前線に復帰したアーサー・ランスティの指揮で、帝国に寝返った者たちへの掃討作戦が始まる。
だが宇宙はまだ静かな時の中にいた。
第2章を最後までご覧いただきありがとうございました。
なお第3章の連載開始につきましては活動報告にてお知らせいたします。




