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ヴァルラート戦記  作者: 結月 薫
第2章 フリーダム
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フリーダム54

 絶え間なく水滴が落ちている。悪臭を感じなくなってきた代わりに、体が冷えてきている。アリシアーナは地上が恋しかった。そしてなにより、リョウのことが心配だった。たった二人で一人の人間を救出しようと言うのだ。アリシアーナでも噂だけは聞いたことがある。特務機関に目を付けられたら誰一人として無事にはすまないと言われていた。彼らは尋問に長けているだけでなくなく、破壊工作も行う。なにより戦闘能力も帝国軍の中でもレベルが高いという。そんな彼らにリョウはたった二人で立ち向かおうというのだ。

「大丈夫?」

 黙り込んでいるアリシアーナの顔をジュリアがのぞき込んだ。視線があってアリシアーナはあわてる。

「私は大丈夫です。でもリョウは……」

 口ごもったアリシアーナは思いきって

「私たちもリョウと一緒に行った方がよかったのではないでしょうか。ここには敵がくる様子もないですし……」

「私もそうは思うのだけど……」

 ジュリアも彼女の意見に賛成したい思いは強かった。だがはっきりそうすべきだとはいえない。

「行ってどうするんです? あなたはまだなぜリョウが二人だけで行った理由がわからないのですか?」

 エディの呆れたような言い方にアリシアーナが思わず彼を睨む。

「わかっているわ。私が足手まといになっているからよ。銃も使えない人間が、ただ守られているだけの人間が戦場にいるからだわ」

「それがわかっているのなら、あなたはおとなしくここで待っていればいいでしょう」

「でも、特務機関の兵士は帝国軍の中でも優秀なのよ。私は噂だけどそう聞いているわ。二人だけではとても危険なの。でもあなたたちがいれば……」

 アリシアーナが不意に口を閉ざした。エディの視線に凍り付いたかのようだ。

「なぜ今頃になって、それを言うんですか?」

「それは……今思い出したからです」

 アリシアーナは小声で答えた。エディはあからさまに息を吐いた。

「本当に理解していないんですね。リョウがなぜ私たちをあなたの側に置いていったのか」

 エディは幼子を諭すように

「私たちにとってあなたの存在はとても重要なんですよ。あなたがいてくれるからリチャード卿も私たちに援助してくれるんでしょう? だからあなたをしっかり守って彼らの元に帰ってもらわなければならない。だからリョウは危険を承知で僕とジュリアを残したんですよ」

「でもここには敵意ないわ。私一人で残ってもかまわない。それでリョウの危険が少しでも減るならそれでいいわ」

 アリシアーナのリョウへの思いは紛い物ではない。まだ恋愛と言うほどの物ではないかもしれないが、少なくともリョウのことを誰よりも大切に思っている。その思いがジュリアには痛いほど良くわかる。

「確かにここには敵意ないわ。でもあなたを残して私たちが彼の元にいく訳には行かないのよ。エディも言ったけど、リョウにはアーサーを助け出すことも重要だけど、あなたを無事にリチャード卿の元に返すことの方が重要なんだと思うわ。そのために彼女の依頼を受けたんだと思うわ。宇宙艇を手に入れなければ戻れないのだから」

「そもそもあなたが軽はずみに宇宙艇に潜り込まなければこういうことにはならなかったと思いませんか?」

 エディの言葉にジュリアは息を飲んだ。アリシアーナもはっとする。すべての根本はそこにあるのだとエディははっきりと告げたのだ。ジュリアもそのことを考えないことはなかった。彼女が乗り込んでさえいなければ、このアルテアに強行着陸をする必要はなかったのだ。そうすれば宇宙艇を失うこともなかった。

「確かに軽はずみと言われれば反論できません。でも、その方法を教えてくれたのはあなたではありませんか?」

 非難を受けて涙声になりそうなのをアリシアーナは必死でこらえていた。ジュリアは驚いてエディを見る。彼は平然と顔色一つ変えずに

「確かに教えたのは僕です。密かに乗り込む方法はないかと聞かれましたから」

 そう答えた彼はその顔に軽蔑の表情を露わにさせて

「まさか本当に実行するとは思いませんでしたけどね。あなたはアルシオール王国の王位継承者なんでしょう?」

「ええ、そうよ。だからどうだというの? 王位継承者なら、バカなことはしてはいけないと言うの?」

 やけになったかのようにアリシアーナか聞き返す。

「そんなことは当然ではありませんか。あなたが王位継承者だと自負しているのなら、それに伴う責任も感じているはずです。あなたの行動一つが大勢の人に影響があるんですよ。あなたはそれを自覚して行動したのですか? 少なくてもあなたが軽はずみに動いた結果のすべてを負ったのはあなたではなく、リョウのように思えます」

 リョウがアリシアーナの行動の結果を負っているという言葉には、さすがに彼女は何も言えなかった。リョウが不利とも思える状態で戦わなければならないのも、彼女の行動が影響しているのだ。

「もういいわ。エディ。誰も未来を見通すことはできないのよ」

 その言葉にエディはジュリアを見た。何かを言おうとして口を開きかけた彼だが、言葉にすることはなかった。


 マーシアは壁により掛かって、脇の扉が開くのを待っていた。管制室を制圧したマーシアとリョウだが、すでに特務機関のデータはすべて消去されていた。そればかりではなく、いくつものダミーの情報が入れられており、それを一つ一つ潰していくには時間がかかりすぎる。アーサーを救出する時間はそう多くはない。特務機関の尋問は苛烈を極める。彼らの欲しい情報を喋ればアーサーは殺されるだろうし、喋らなくても命を落とすのは時間の問題になる。とにかく闇雲に宇宙港の中を探すことはできない。そこでリョウは殺さずにいた特務機関の兵士の一人を管制室の個室に連れ込んだのだ。

 ともに中に入ろうとしたマーシアをリョウは押しとどめた。

「ここに入るのは俺だけでいい」

「彼らは簡単には自白しないぞ。それだけの訓練を受けてきているんだ」

「わかっている。だが俺はそのやり方を知っている」

 マーシアの目が細められた。

「君には見て欲しくないんだ」

 マーシアはしばらく無言でいた。

「わかった、私は外で待っていよう」

 それから三十分ほどが過ぎただろうか、管制官の個室のドアが開いた。青ざめた顔でリョウが出てきた。

「東棟の地下にアーサーがいる」

 リョウは感情のない声でそう告げた。いつもの彼の明るさはない。

 マーシアは扉が閉まる寸前、机の陰で男がうめいているのを見た。

「リョウ!」

 マーシアは先に進もうとする彼を呼び止めた。振り返った彼の目は、ヒューロンの雪原で初めて会ったときと同じ色をしていた。絶望的な目。ここはヒューロンではない。あのときよりも遙かに状況はましだ。だが今の彼はあのときに戻っている。捕虜を尋問したことが彼を引き戻したのだ。いや、それよりも悪いのかもしれない。

 マーシアは思わず彼の手に触れた。訝しげなリョウ。

「どうしたんだ?」

「おまえ、さっき言ったな。私にどんな過去があろうとも、おまえの目の前にいる私がおまえにとっての私だと」

 リョウはますます困惑する。

「ならば私も言おう。おまえがどのような手段を使おうとも、おまえはおまえ以外の何者でもない。ヒューロンの看守や特務機関の兵士のようになれるはずがないんだ。おまえはあくまでもおまえだ。傷つき悩む以上おまえは卑劣な人間になれるはずはない」

「マーシア……」

「私がそう言うんだ。私を信じろ」

 リョウはこみ上げてくるものを必死でこらえた。彼女は理解してくれているのだ。自分がなにを感じたのか。やむ得なかったとはいえ、リョウは情報を得るために、ヒューロンの看守と同じ手段で彼に拷問を加えたのだ。そして彼の尊厳をはぎ取った。ヒューロンでリョウが味わった思いを、リョウによってあの男は受けたのだ。被害者であるはずのリョウが今度は加害者になったのだ。それが彼を深く傷つけた。自分もヒューロンの看守と同じで彼らのことをいえる立場ではないところに自分をおとしめたのだ。そう感じていた時に、マーシアの言葉だ。ここでのことをジュリアたちが知れば、間違いなく非難するだろう。だがマーシアだけは理解してくれている。それだけで十分だ。

「おまえはいつも自分を犠牲にする」

 マーシアは優しく指摘した。

「あの男の尋問は私がやってもよかったんだ。私だって拷問の仕方を知らないわけじゃない」

 だがリョウは自分の手を汚すことを選んだ。拷問はふつうの神経ならやる方もかなり傷つくのだ。そんな思いをマーシアにはさせたくないと思っていたのは、彼女にもはっきりとわかっていた。

「行こう、アーサーを助けないとな」

 リョウが静かにうなずいた。


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