ヒューロン10
「こいつはすごいなぁ」
施設の監視をしているモニターを見ていた男は思わずつぶやいていた。
あちこちに設置されている監視カメラの映像が正面のスクリーンの集められている。その前にはいくつものパネルが据えられており、空いたスペースには、当直の者たちが飲んでいるのであろうコーヒーの入ったマグカップが置かれている。
四、五人も入ればいっぱいになるこのコントロールルームはヒューロンにおけるグラントゥールの施設と、その周りを管理している。研究者やセレイド鉱石の採掘作業に携わっている人間しかいないここの監視業務は、通常ならコンピュータに任されている。ただし今は、マーシアが滞在しているという事情もあり、二人の兵士が常時詰めていた。マーシアが留守にしている今も、エリックの部下たちは手持ちぶさたな状態をここで過ごしたり、またはグラントゥールの中でも充実している訓練室を利用して、マーシアが戻ってくるのを待っている。もっとも彼らの本当の希望は、マーシアが戻り次第、この惑星を離れてくれることなのだが……。しかしそうならないことは彼らにはわかっていた。
男はスクリーンの片隅に移っている特別訓練室のリョウ・ハヤセを見やった。彼の一体どこにマーシアの気を引くものがあるのだろう?
「ロンディ、差し入れだぜ」
突然、背後のドアが開き、野太い声が狭いコントロール室に響いた。二メートルを越す身長、骨太の体格は筋肉の鎧が覆われている。比較的体格がいいといわれているグラントゥール人の中でも、彼はずば抜けて大きい。ダレス・ハンスローム――彼はマーシアとともに宇宙に行くことができずに一番悔しがっていたのだ。
「ロンディはやめろっていっているだろう」
ロンドヴァルトは首だけを動かした。
「ロンドヴァルトエリザリールなんて、ややこしい名前を言えってか? 舌をかみそうになるからイヤだね。第一なんだってそんな長ったらしい名前にしたんだ? おまえ自身、ロンドヴァルトと略すだろうに」
「仕方がないんだ。父と母の家のせいだからね。わたしは両家の唯一の男子なんだ。おかげで父方の祖父と母方の祖父がそれぞれ選んだ名前を両方付けることになった。くじ引きで父の方のロンドヴァルトが先にきたけどな。そこまでたどり着くまでに大騒動だったらしい」
ダレスは大声で笑った。
「おまえの家らしいわな。古い歴史のある家と言うのは大変なことだ。おまえのところは両方の家が元々仲が悪かったんだろう?」
ロンドヴァルトはうなずいた。
「二人が一緒になるときは大変だったらしい。エリック卿のお父上がいなければ、わたしはこの世に存在していない」
「で、エリック卿の元で働いているというわけか」
「そういうこと。役得もあるしな。そうだろう?」
ロンドヴァルトの言外の意味を感じ取って、ダレスも大きくうなずいた。
「何しろエリック卿は常にレディのお側にいるからな。彼女の側にいれば退屈はしない。しかも戦っているときの彼女には、ぞくぞくさせられるんだ。確かおまえはエステリン星域の戦いはいなかったんだよなぁ」
ダレスが遠い目をして残念そうにつぶやく。エステリン星域の戦いの時、ロンドヴァルトは別の任務を受け、タレスとは別行動をとっていたのだ。だからマーシアが全面的に指揮を執ったというエステリン星域の戦いで彼女がどのように一癖もふた癖もあるグラントゥールの男たちを魅了したのかはわからない。だが、ダレスの顔を見ているとよほど強く印象づけられたのだとわかる。
「ところで差し入れを持ってきてくれたんだろう?」
「ああ。これだ」
ダレスはそういうと紙包みを差し出した。受け取ったロンドヴァルトの顔がほころぶ。
「ハンバーガーか……よくここの料理人が作る気になったな。彼はこういうメニューは低級だと思っていて絶対に作らないと思ったが」
「もちろん、彼はそう言ったさ。しかもエリック卿の料理人にすっかりあこがれちまっていて、最近は彼が作るようなものばかりだろう?」
ロンドヴァルトは、早速包みを開けた。
「だから俺はとても丁寧に頼んだんだよ。薄めのハンバーグとうまいパンさえあればいいとね。いつもより丁寧に頼んだらやっと作ってくれた」
「いつもより丁寧にね……」
ロンドヴァルトは彼が苦労して作らせたハンバーガーにかじりついた。この手軽だが、うまい食べ物のことを知ったのは、ダレスと知り合ってからだ。グラントゥールの名家出身の彼は、今までこういうものは食べたことがない。せいぜい高級な食材を使ったサンドウィッチだ。彼からこのハンバーガーの味を教わって以来、これがすっかり大好物になっていた。しかし手軽なはずのハンバーガーはどういうわけか、なかなか食べられない。というものグラントゥールの責任ある立場の人々は、兵士たちにも自分たちと同じような食事をさせることに生き甲斐すら見いだしていて、ほとんどの艦艇には、専任の料理人が乗り組んでいる。その彼らが兵士たちが慣れ親しんでいるような手軽な食べ物を出すことは滅多にない。もちろん、ここの料理人も同じだ。フルコースとはいかないまでも手の込んだ料理を作りたがるのだ。
「見物だったろうな」
「なにがだ?」
ハンバーガーにかじりつき、口をもぐもぐとさせながらダレスが聞き返す。
「調理室でのやりとりだよ。確かヒューロンの料理人の背は百六十を少し越えた男だろう」
「そうだろうな。俺を見上げるのに苦労していたようだからな」
ダレスは気にするようもなく、無心にハンバーガーをむさぼっている。誰よりもハンバーガーを食べたかったのは彼なのだろう。二メートルを超える男が、百六十センチそこそこの線の細そうな料理人にのしかかるように見下ろせば、料理人はひとたまりもない。食べているときは無邪気な顔をしているものの、戦闘ともなればすさまじい迫力で敵を威圧する男なのだ。ハンバーガーをきれいに食べ終えたロンドヴァルトはポケットからしみ一つないハンカチを取り出して、汚れた指をきれいに拭いながら、視線をスクリーンに戻した。
「彼は左でも銃を扱えるのか?」
「誰がどうしたって?」
ダレスはロンドヴァルトの言葉を受けて、立ち上がった。ハンバーガーを包んでいた紙は丸められ、ダストボックスに投げられた。それはダストボックスの縁に当たり、床に転がる。
「おい、ちゃんと後で拾うんだぞ。全く銃の腕はいいのに、ゴミに限ってははずすんだからな」
「すまん、すまん」
ダレスはゴミを拾いにいく。
「で、なにに感心してんだ?」
ロンドヴァルトの鯖に椅子を引きずり寄せたダレスは、そこにどっしりと腰を下ろす。
「おまえがハーヴィに特別訓練室の使用許可を出したんだろう?」
「覚えているよ。新入りの割には意外と熱心な奴だ。奴が今使っているのか?」
「そうじゃない。これを見ろよ」
ロンドヴァルトはスクリーンの一角に映っていた特別訓練室の様子を全画面表示に切り替えた。敵から身を隠しているリョウの姿が映る。
「これはあの居候じゃないか」
ダレスの口調が苦々しいものに変わった。
「すでに息が上がっているじゃないか。あの男が暇さえあれば体を鍛えていたのは知っているが、所詮は付け焼き刃だな。いったいレディはあんな軟弱な男のどこが気にいったんだ?」
だがロンドヴァルトは冷静だった。
「軟弱な男か……確かに一見そう見えるな。だがおまえだってあいつにはかなわないよ」
「なにっ!」
椅子がばたんと音を立てて倒れた。立ち上がったダレスの表情が悪鬼のごとく変わっていた。本気で怒ったのだ。
「いくらおまえとはいえ、俺よりあんな奴の方が上だと抜かすのは容赦できん」
「だが事実だ」
「貴様っ!」
ロンドヴァルトはいきり立ち襟元をつかみかかろうとするダレスの手をそっと押さえ続ける。
「おまえだって、特別訓練室でのシミュレーションはやったことがあるだろう? 俺の記憶では、Aランクで1時間19分34秒だったが、違うか?」
「その通りさ。だがこれでもかなりの上位だったんだぞ。グラントゥールの中では百人の中に入る」
「だがSランクでの記録は10分も持たなかった」
「残念だが、訓練室に出たとたん、二、三人を倒してやられちまったが、それがいったい何の関係があるんだ?」
「おまえが軟弱野郎とののしった奴がやっているのはSランクだ。しかもかれこれ二時間以上は生き延びている」
その瞬間、悪鬼のような表情がダレスから消えて目が大きく見開かれた。
「本当なのか?」
「ああ、自分の目で確かめろ」
ロンドヴァルトが体をずらして、手元に表示されている文字を彼にも見せる。ダレスは息をのみ改めてリョウが映っているスクリーンを見上げた。物陰で体を休めたリョウは再び攻勢に打ってでていた。
「二時間を越えているだって?」
ダレスは敵を打ち倒しながら前進するリョウを見つめながら尋ねる。
「正確には2時間38分だな」
「Sランクでそこまで行き着いたのは確か……」
「レオス・フェルデヴァルト公爵たち四公爵とネルシード伯爵。そしてレディだけだ。エリック卿も1時間53分でアウトだった」
「Sランクで二時間を超すことはかなり厚い壁だと言っていたが……。それをあいつが越えたのか?」
「ああ、そうだ」
「だがあいつは病み上がりだぞ。どんなインチキをしたんだ?」
「インチキじゃない。ここのコンピュータはそんなことを許すように設計されていない。彼の実力だ。集中力を持続させることも優れているが、あいつは頭がいい。体を休めながら効率的に敵を倒している。ただ銃をぶっ放しているわけじゃない」
「俺はそうしているとでも?」
ロンドヴァルトがダレスを見てほほえんだ。
「おまえはいつも力押しだよ。だから重戦車って言われるんだ」
二人はただ食い入るようにリョウの動きを追った。確かに彼の動きには押しつぶすような迫力はない。だがしなやかだ。
「いったいいつまで続くんだ?」
しびれを切らしたようにダレスが問う。
「ゴールはないと聞いている」
「ゴールはない?」
「ああ、コンピュータは疲れを知らないからな。彼が倒れたときが終わりだ。倒れない限り敵が現れ続ける」
「無限地獄のようなシミュレーションだな」
驚きとあきれたようなダレスの言葉にロンドヴァルトはうなずいた。
「だからこのソフトは使われないんだ。訓練用としては意味がないからな。だが、上の連中には必要なんだろう。彼らは常に自分の限界を超える必要があるらしい。よかったよ、わたしは責任のある立場でなくてさ」
ロンドヴァルトは本気でそうつぶやいていた。




