果たし状
「寒いな」
窓の外には瀬戸内海に浮かぶ島々が見える。
降水量が少なく晴天日数や日射量が多い比較的温暖な瀬戸内海式気候だと言っても12月になれば寒いものは寒い。
そして我が母校の尾乃町中央高校は山の上に建ち南向きとは言え風があればやはり寒い。
「鬼束はまた寒そうな顔をしてるな。窓際は日が当たるから温かいだろ」
「心が寒い」
「それじゃ、受け入れれば良いだろ」
「決闘を受け入れれば心が温まるのか?」
親友である犬山大がいつも通りの返しをしてきてため息を付く。
「決闘なんて大袈裟だろうが、ただの剣道の試合じゃないか」
「俺は争い事が嫌いなんだよ」
「へぇ~ 真剣で居合をしてるくせに。まぁ、鬼束が何で争い事が嫌いなのか判らない訳じゃないけれど試合ぐらい良いだろうが。それに剣道の方だって段持ちなんだろう」
「まぁ、精神鍛錬の意味を含めて子どもの頃からやらされていたからな」
俺が身を寄せている祖父の家は居合と剣術の道場を開いていて、幼い頃から剣道をやらされていて必然的に居合をやるようになっただけの事で。
犬山が言うところの争い事が嫌いな理由は前に両親の所為だと話したからだろう。
母親は国境無き医師団と言うやつで父親は戦場カメラマンとして母親と共に世界を渡り歩いていたらしい。
らしいと言うのは俺は祖父母に育てられたようなもので、幼い頃から両親は世界中を転々としていて両親と過ごした記憶は希薄だ。
そんな両親は内戦に巻き込まれて死んでしまった。
周りからは偉業やら名誉やら言われたが人間なんて死んでしまえばお終いで、子供心にそんな事を言う大人に嫌悪感を覚えたが幼さ故に反論できなかった。
「少しはやる気を出すかと思えば」
「何が言いたいんだよ」
「いや、自転車が空を飛んだりゴスロリ少女が転校して来たりだな」
「あほか、あんな騒ぎは御免だよ」
学校で起きた一連の騒動はいつの間にか治まり。平穏を取り戻してきたと言うのに何で騒ぎを起こしたんだか。
「犬山は中二病か」
「あのな、特殊能力があるとか二つ名を持っているとか考えた事も無いし異世界なんて信じてねえよ」
「そうだな。それじゃ俺は部活に行くから」
「鬼束こそ頭は並み以下だけど運動能力が人並み以上なのに料理研究会って可笑しいだろ」
犬山の言っている通り運動は得意だが争う事を嫌い料理研究会なる部活で勤しんでいる。
理由は単純明快で料理が好きだから。
12月と言う事もあってクリスマス料理の試作が今日行われる予定になっている。
イタリアならパネトーネ、ドイツのシュトレン、イギリスのクリスマスプディング。
フランスのブッシュドノエル、フィリピンのビゴーはお米のクリスマスケーキ。
お国が違えばケーキも違う。そして定番料理でも。
アメリカの七面鳥のロースト、イギリスのローストビーフ、フランスではラパンと言うウサギのロースト。
フィンランドでは幸運を呼ぶミルク粥、スウェーデンでは干した鱈を茹でて戻し塩バターなどで味付けしたルートフィスクと言う料理がクリスマスに食べられている。
今では色々なアレンジした料理があって一括りにクリスマス料理と言っても多種多様になっているので好き好きだろう。
「ユキーナは何をボーとしているの?」
「巨乳アイドルみたいな呼び名で呼ぶな、サル」
「さ、猿じゃない。猿渡渓、ケイたん」
「たんって、萌えキャラじゃあるまいし」
窓の外を眺めていた俺に声を掛けてきたのが幼馴染と言うか腐れ縁の猿渡 渓で。
見た目はスポーツ少女とでも言うべきか短い髪に冬なのに日焼けしているのがストーカーだ。
「す、ストーカーじゃない」
「ストーカーじゃなければ何なんだ? 子どもの頃から俺の後ばっかり追い掛けやがて。高校生になって渓が得意な運動部に入るのかと思えば料理研なんかに入りやがって」
「だって、大きくなるにつれて雪が構ってくれないんだもん」
「下の名前で呼ぶなって言ってるだろ」
ユキーナと言うのは雪と言う男らしからぬ名前かららしい。
幼馴染兼腐れ縁の猿渡 渓は親同士の仲が良く。
俺の両親が海外を飛び回っていたので兄妹の様に渓の両親に面倒を見てもらってきたと言う事もあって子どもの頃から俺の後を追い掛けていた。 小学生の頃も部活があったが俺が文化部に入れば必ず渓も入り。運動が得意なのに中学も高校も俺が入るクラブに入部してきた。
「良いじゃん、幼馴染なんだし。それに料理研だって女の子ばっかりだし男の子は料理が上手な女の子の方が好きでしょ」
「俺自身はそんな事は考えた事も無いけどな」
「そりゃ、料理に関して雪に敵う女の子なんてそうそう居ないけどさ。雪だって運動が得意なのに競うのが嫌いだからって文化部ばっかり。合気道だって試合がないからって言う理由で続けているんでしょ」
「護身用だけどな」
盛大に頬を膨らませ無言の抗議をしている。
渓からしてみれば剣道と居合の有段者で体格の良い俺が護身用なんて言葉を使うのが気に入らないのだろう。
部活も無事に終わり制服の上にダッフルコートを着て自宅の道場に向かう。
こんな事を言えば爺さんに激怒され、どんな目に遭うか判らないが町の小さな道場でちびっ子相手に教室を開いている。
剣道を教えるのだがその前にきちんと武道として人として大切な礼に始まり礼に終わる事を重んじ。
それなりに厳しく指導する事もある為に怖がられたり有難く思われたりすることもある。
潰れずに細々とだが続いていると言う事は有難く思われている方が勝っているのだろう。
普段は道場で爺さんの手伝いをするのだが今日は別件で用事があるので着替えて出掛ける準備をする。
まぁ、別件の用事も爺さんの代理で行くのだから手伝いの様な物だ。
それに普段着と言っても制服のズボンを黒のジーンズに穿き替えただけで代わり映えはしない。
「爺さん、行ってくるわ」
「おっ。奉納の打ち合わせか雪も立派になったの」
「あのな、爺さんが腰を痛めたなんて言って回るから代役に祭り上げられたんだろうが」
「そうかの? 物忘れが」
都合が悪くなるとボケた振りをするのが年寄りと言うか爺さんの特権で、未だに爺さんに剣に関しては勝てる気がしない。
それ故にツッコミもせずに流すと爺さんがシュンとしてしまったが自業自得と言うやつだ。
「おお、思い出した。これをついでに届けてくれ」
「そっちかよ!」
爺さんが差し出したのは刃の部分に布が巻かれた牛刀だった。
刃が30センチを超えていそうな牛刀で、爺さんが研ぎを頼まれた物だろう。
時々爺さんはご近所から包丁などの研ぎを頼まれる事があり、研いだ物を届けてくれと言う事なのだろう。
直ぐに坂の上だと言う事が理解できる。道場より下なら爺さんが自分で届けるだろう。
「で、どこの家なんだよ」
「最上さんのとこだ」
「何だ、打ち合わせの時に渡せば良いのか」
「頼んだぞ」
荷物を渡すのを頼んだのか、それとも代理を頼んだのか微妙だ。
最上さんはこれから向かう神社の神職さんで……考えるのをよそう。
銃刀法つまり銃砲刀剣類所持等取締法によれば刃体の長さが6センチ以上の物の携帯を禁止されている。
しかし刀は別で登録証さえあれば未成年でも所持が許され、刀が入れてある牛革製の黒いキャリーバッグに入れて持ち運べば問題ないだろう。
少し遠回りになるが自転車で行くことにした。
自転車を止めて打ち合わせの神社に向かう為に石段を上がると石鳥居の向こうに社が見えてきた。
境内の中は僅かに街灯があるだけで薄暗い。
年明けなら大勢の人が初詣に来ているので賑わっているが猫の目が光っているだけだ。
お守りや破魔矢におみくじなどを新年に売っていた社務所の前を通り過ぎ裏手に回ると社務所の玄関だけが明るくなっている。
「すいません。鬼束ですが。奉納の打ち合わせに来ました」
「入って、入って。寒かったでしょう」
引き戸を開けて声を掛けると直ぐに返事が返ってきて足元にはかなりの靴が並んでいた。
コートを脱いで靴を揃えて座敷に入ると大勢の氏子や関係者が既に集まっていて爺さんの代理待ちだったらし。
直ぐ打ち合わせに入り『あーでもない。こーでもない』と話が始まる。
節分祭の奉納居合は毎年行われている事なので打ち合わせの必要があるか俺には分からないが、打ち合わせも毎年同じ様に行われているのだろう。
四方祓いの儀と演舞が行われ、演舞についての質問に答えるくらいしかやることがない。
それでもしばらくすると収まるところに収まったようだ。
すると直ぐに酒が振舞われ宴会が始まってしまい退席するタイミングを失ってしまう。
爺さんなら酒盛りに参加するのだろうけれど流石に未成に酒は勧められないが会話が弾むわけでもない。
毎年、奉納に招いてもらっているのでそそくさと帰る訳にもいかず大人しく時間が過ぎるのを待つしかなさそうだ。
何もしないで時間を潰すのは並大抵のものではないけれど俺自身は嫌じゃなく、こんな時間すら幸せに感じてしまう。
周りは酒を飲み盛り上がり酒好きの神職の最上さんも赤ら顔で気分上々になっている。
こんな状態で研ぎ澄まされた包丁なんて渡すべきじゃないだろう。
明日にでも学校の帰りにでも立ち寄ればいいだろうなどと考えているとお開きになったようだ。
身を縮み込ませながら道場に帰り風呂に入って体を温めて布団に潜り込む。
「やばい。寝坊した」
目を覚ますと時計があり得ない時間を示していた。
慌てて脱ぎ捨ててあった黒いジーンズを穿いてしまったが私服でも問題がない高校で良かったとこの時ほど思ったことはない。
いつものデイパックと爺さんに頼まれた牛刀が入っている刀用のキャリーバッグを掴んで階段を駆け下りる。
「雪や。道場を壊す気か」
「古いんだから建て直せよ」
「ふ、古いとな。歴史がある言わんか。馬鹿者が」
爺さんが手にしているトーストと牛乳を奪い取って流し込むように朝食を済ませ道場を飛び出した。
朝はバタバタしたが平穏な時間が流れていく。
いつもの様に授業が進み。他愛のない会話が休み時間に流れる。
昼飯を食べ終わり休憩時間になると相も変わらず犬山が話しかけてきた。
「おっ、今日はお友達と登校か」
「あのな、俺はサッカーアニメの主人公か。それに刀が友達って変態だろう」
「まぁ、刃物が友達なんて言う奴と付き合うのは真っ平ゴメンだけどな。でも、鬼束の刀は曰く付きなんだろ」
「爺さんが言っている事だから怪しいけどな」
窓際の俺の席の後ろにはキャリアに入っている刀が立てかけてある。
興味本位に触られるのを避ける為に滅多に学校に持ってくることはないが今日は仕方がない。
犬山の言う曰く付きというのは爺さん与太話で。
酒呑童子を退治した鬼切や髭切と呼ばれた刀を打ち直した物だなんて言っていたので調べると現存していた。
その事を爺さんに聞くと平安時代に鬼退治をした刀が現代まで受け継がれて残っている方が眉唾だと切り返されてしまった。
まぁ、調べるなんて事をしないまでも鬼退治をした刀だと言われただけで疑わしい。
鬼なんて伝説上の生き物で戦争を繰り返す人間のほうが遥かに残虐で極悪だ。
午後の授業も平穏に終わり帰り支度をする。
「今日、部活は無いのか?」
「今日はフリーだけど帰りに用事があるからな」
「そうか、それじゃ先に帰るぞ」
「ああ」
犬山が先に教室から出ていくのを見送る。
どうせ帰るのなら校門まで一緒に帰っても良さそうなものだが薄情と言うのか。
昇降口の下駄箱を開けると封筒が入っていた。
淡い花柄の封筒で話だけは聞いたことがあるイベントかと思ったが手に取ると綺麗な字で丁寧に『果たし状』と書かれている。
ゴミとして校内でポイ捨てする訳にもいかずバックに放り込み校門に向かい歩き出す。
あと一歩で校門という時に後ろから平穏な一日が忘却の彼方に光速で吹き飛ばしていく声で残りの一歩を踏み出した。
「鬼束 雪! 逃げるのか?」
「よ、鬼束。すまん」
「雪、ごめんね」
バス停に向かう道には犬山が反対側の新尾乃町駅方面に向かう遠回りになる道には幼馴染の渓が待ち伏せをしていた。
申し訳なさそうな顔をしているという事は断りきれずに仕方なくという事か。
渋々、振り返ると小柄で指定の制服を着てメガネをかけた知的な生徒会長の雉岡花先輩が、横にはスレンダーな体に剣道着を纏い長い黒髪を靡かせた桃里陽先輩が仁王立ちしていた。
いい加減見飽きた風景だが今日は犬山と渓を巻き込んでいる。
強い決意の現れなのだろうがそんな重い物を俺は受け止める気なんて毛頭ない。
「生徒会長自ら決闘を容認するんですか?」
「鬼束 雪君は根本的に間違っていることを言っているのに気づいているのかしら。決闘は容認しないれど手合わせくらいなら容認しない訳にいかないでしょ」
「果たし状は決闘状と言うことで間違いないですよね。桃里先輩」
俺が言わんとする意味が分かる桃里先輩の大きな瞳が陰り、色が変わるくらい唇を噛み締めている。
女の子にそんな顔をさせた事について犬山と渓には後日責められるだろう。
でも俺の主義を貫き通させてもらう。
犬山と対峙する訳にも行かず、ましては野暮用があるので遠回りする訳にも行かない。
選ぶ道はただ一つで尾乃町ダウンヒルなんて呼ばれている急勾配で細い道に向かい走り出すと犬山が駆け出してきた。
「鬼束、いい加減に相手くらいしてやれ。ニブチンが」
「後で届けてくれ」
捕まる訳にいかず犬山に向かってデイパックを投げると犬山が慌ててキャッチした。
「雪、ダメ!」
「鬼束、無茶だ!」
渓と犬山の声が聞こえるが勢いは止まらい、ではなく止められなかった。
駆け下りると言うより落ちているという表現が正しいかもしれない。
どこでこの勢いを殺すかなんてことを考えていると尾乃町にたくさん生息している野良猫が飛び出し目の前で止まった。
確か本能で向かってくるものを凝視するとか。
猫までの距離はほんの僅かで既に俺の左足は固まっている猫を確実に捉えている。
「くそ!」
咄嗟に右腕を目一杯伸ばして坂に取り付けてある手摺りを掴む。
体が反転したが勢いを殺しきれず手摺りから右手がすっぽ抜け後ろ向きのまま弾き出され。
思わず刀用のキャアリバッグを抱え込むようにして衝撃に備える。