さざ波のように
「さざ波のように」
消えてしまいたい。そう思うときは、何回もあった。そもそも、私はいつだって不安定なのだ。
母も、そういう人だった。過去形なのは、彼女がとうの昔に亡くなったからだ。彼女の感情は大波小波といつだって揺れ動いていた。彼女のヒステリックを、私は朧気に覚えている。彼女が死んでしまったのは私が五歳の時だったから、本当に曖昧模糊として、頼りのない記憶なんだけど。
彼女の死因は自殺だった。そして、私は彼女の死体をみていない。いや、死体は誰も見ていない。彼女は、この海から、飛び降りて死んでしまったのだ。……私の、目の前で。
夏になると賑わいを見せるこの海は、今は怖いくらいに、静かで、淋しい。
秋生まれの私は、それなのにこの季節が嫌いだった。母も、秋が嫌いだった。
だからなのだろうか。母が死んだのは秋だった。皮肉にも今日、私の誕生日だった。父はそれを酷く気にしていた。言葉こそなかったものの、私が母を恨むのではないかと憂惧していた。
けれどもそれは単なる杞憂となって終わった。母と私は驚くほど似ていたのだ。母があのとき何を考えていたのか私には分かるし、多分母は私のことを愛していなかった訳でもないのだ。
いや、寧ろ愛していたからこそ彼女は私の目の前で死んだのではないか。私が、彼女ならそうする。
そしていま、彼女と同い年となった私はか彼女と同じ路を辿るのだろうか。
目の前に広がる海は、他人行儀で。
あのときの彼女と、今の私の決定的な違いは、あの時の私が、今の私にはいないということだ。さいごを見届ける存在が。私は母が好きだったが、私は母親にはなれなかった。
ふわりと沈み込む寸前、五歳の私の叫び声が、頭の奥に木霊した。
曖昧模糊って四字熟語が好きです。