第8話 勇者の求める勇者に相応しい生活
『勇者』とは何か?
神様直々に勇者と呼ばれてしまったソーマとしては、その命題から逃れることはできない。
『トラフロ』においては『かつて魔王を倒した英雄』を指す名称なのだが、そのような実績も持たず、似たような事例もない時と場所においては、称号として通用するはずもない。
一般的な用法に従うならば『勇気ある者』。
最初の一歩を踏み出した人物に用いられる言葉だが、日常的な会話においては、むしろ無謀な人間を揶揄する事例が多いのではないだろうか? 極端な話、蛮勇を奮うだけでも勇者と呼ばれるのだ。
名乗りとして扱うにも、人に呼ばれるのも、ソーマとしては非常に恥ずかしい呼び名だった。
……それはともかく。結論を言ってしまうと、勇者というだけでは食べてはいけない。
聖水教会では、まがりなりにも水神・アクアリーネゆかりの者という扱いを受けているが、それにあぐらをかいて居候生活をするのも外聞が悪かった。現状では評判が追いついていないとはいえ、のちのち『勇者』になるのであればなおさらである。
そんな事を考えたのも、先日の一件があったからだ……。
○
蘇生儀式を終えると、仮死状態にあった者は体力と魔力が全快した状態で目を覚ます。この時、容量が大きい者ほど回復に時間がかかってしまう。
非常に貧弱だったクラウスは、一日と待たずにあっさりと復活を遂げていた。
司祭とも協議した結果、ソーマは彼を無罪放免で解き放つことにした。なにぶん、ソーマが私的に死刑を執行してしまったという事実もあって、事を荒立てるのを避けたのだ。魔術師のジョルジュも同様である。
「この事は忘れんぞっ!」
という捨てゼリフを残して彼は館へ帰っていった。
ソーマに怯えた視線を向けていたのはご愛敬と言うべきか。
その日の夕方になって、ホンワード家から一人の使者が訪れた。今回の関係者としてソーマとアストレアも、司祭室での対面に同席することになった。
相手は、クラウスとカリアスの妹にあたるグロリアという女性だった。血筋によるものか、兄たちと同様に整った顔立ちをしていた。
赤毛が背中あたりまで緩いウェーブを描きながら流れている。
口元には微笑を浮かべ、ソーマに与えた第一印象は爽やかなものだった。
「今回は兄がご迷惑をおかけして申しわけありません」
第一声は謝罪からだ。この点では兄たちとまるで似ていない。
「俺の方がやり過ぎたくらいだから、謝罪されるとこっちが困るんだ。済んだこととして、水に流してくれれるのが一番ありがたいな」
ソーマの言葉に、グロリアは満足げに頷いた。
「ホンワード家も同じように考えています。どれだけ貴重な品であっても、盗み出そうと画策するなど外聞のいい話ではありません。今回の寄進には、迷惑をおかけした謝罪の分も含まれています」
彼女が持参した金貨が割り増しだったのはそういう事情によるものだった。
教会に負担をかけずに済んだのでソーマとしては非常にありがたい。
「これまでの行状を考えるなら、伯爵家を追放してもいいところなのですが、ソーマ様に懲らしめられたことで変わることを期待したいと思います」
にっこりとソーマに微笑みかけた。
「さすがは勇者様ですわ」
「ひとつ……聞いていいか?」
「なんなりと」
「勇者って呼び名はどこで聞いたんだ? 教会内でしか使われてないはずなんだけど」
「良くは覚えていませんが、……教会に到着してから小耳に挟んだのかも知れませんね」
彼女の笑みが崩れることはなかった。
教会内に別ルートの情報源を持っているのか、はたまた、クラウスの情報を全て入手しているいるのか、真相はわからない。
しかし、兄二人がいがみ合っているのなら、漁夫の利を狙うのが一番賢いやり方と言えるだろう。
陰ることのない彼女の笑みが、ソーマにはいささか腹黒く思えた。
○
地獄の沙汰も金次第という言葉もある。
今回は教会からも不要と言われていたし、実際には伯爵家から支払われたので問題とはならなかったが、一歩間違えば、金がないという理由でソーマは殺人犯となっていたのだ。
『トラフロ』ではアイテムのやりとりは普通に行われるが、お金の支払いは電子マネーのようにシステム画面上で決済される。アイテム扱いするには管理が難しいことや、数え間違いなどでトラブルになるのを防ぐためだろう。
所持金をここへ持ち込めていないのだから、ソーマが金の心配をするのも当然である。
「仕事を探そうと思ってるんだけど、冒険者ギルドはどこにあるんだ?」
教会の中庭で尋ねてみると、アストレアは至極真剣な表情で尋ねてきた。
「……冒険者ギルドとは何だ?」
「それすら無いのか……」
ソーマとしては落胆せざるを得ない。
「職人や商人のギルドならあるが、冒険者の組織というのは初耳だな。冒険のために必要な情報を集めるためのギルドなのか?」
『トラフロ』でお金を稼ぐ手段と言えば、冒険者ギルドで依頼を引き受けるというのが常套手段だ。
NPCから依頼される、要人警護や遺跡探索や魔物退治等。
他の冒険者からも、アイテムの入手依頼やスキルの指導依頼という仕事もある。
依頼主と冒険者の間に立ち、仲介を行う窓口となるのが冒険者ギルドという組織……であるはずだった。
「そもそも、仕事を探すのと冒険者にはどういう関連性があるんだ?」
実にごもっともな問いが発せられた。
冒険者というのは、文字通り『危険を冒す者』を指している。
あまり生産性の高い存在ではなく、人によっては道楽者という意味でこの言葉を使いかねない。この時代、『冒険をする』などという行動が仕事に直結するのは旅行作家ぐらいで、スリルを求めた金持ちが『冒険を楽しむ』のが一般的な感覚だ。
可能性としては、交易圏を広げるために未踏の地へ分け入るのも、冒険者の範疇に含まれるかも知れない。
改めて、ゲームのお約束に染まってることをソーマは自覚した。
「冒険者というのは、……何でも屋だな。魔物を狩って素材を入手したり、誰かを警護したりと、誰かの代わりに戦うのが仕事になる」
「猟師や傭兵だな。お前のところではそれを冒険者と呼んでいたのか?」
「そんなとこだ。俺には他の仕事はできそうもないし、戦いに向いているからそれを活かしたいんだ」
教会にも仕事はあるが、宗教関連の作業を除くと、雑用ばかりなのだ。これではさすがに宝の持ち腐れだろう。
「……どこも、個人的なつながりで仕事を請け負っているからな。この教会でも伯爵からの要望で警備に手を貸すこともある。素材を持ち込むつもりなら、商人ギルドや職人ギルドに行ってみるのが早いだろう」
○
ソーマが訪れたのは職人ギルド会館だ。間に商人を絡めると手数料が取られそうなので、直接職人側と接触してみようと考えたのだ。
『トラフロ』でソーマが世話になったのは、武器や防具や消耗品の店ぐらいだったが、職人ギルドには業種別に小ギルドが存在しており、小さな物なら紙や本、大きい物なら家の建設まで扱っているらしい。
当然のようにソーマは、武器・防具の区画へ向かい、掲示板に張り出されている買い取りリストを眺めた。
表を埋めているのは、彼に見覚えのある文字や単語の数々。
以前にも言及したが、この世界で使用される言語は日本語だ。ファンタジーの世界設定にはそぐわないだろうが、『トラフロ』内でも日本語で統一されていたためソーマに違和感はない。
長さや重さなどの度量衡もほぼ同じだが、例外は金の単位である。
『トラフロ』ではお金の単位はCと表されていたが、これはこの世界で言う銅貨一枚を指すようだ。
銅貨百枚で銀貨一枚、銀貨百枚で金貨一枚と、百倍ごとに貨幣が変わる。古代文明の名残とのことで、これはどの国でも共通の仕様となっていた。
最少単位が銅貨一枚なので、例えばジャガイモ三個というように品物の数や量で調整することになる。ちなみに、ジャガイモやニンジンなど一般的な食材も、日本と共通した種類が流通していた。
その当たりのことは、アストレアに同行してもらい街中で直接確認している。
極端な話、存在する全ての動植物が現代日本とは異なる事態だってあり得たのに、同じ種類で同じ名前となると、ソーマでなくとも都合が良すぎると感じる事だろう。
「ちょっといい? あのリストに載ってるより高い品は扱ってないのか? 銀貨で10枚以上のやつ……」
呼び止めた職員にソーマが問いかけた。
「いえ、あの表は頻繁に使用する品を抜粋しただけなので、加工に使える素材の多くが取り扱い対象になります。先日は、ケルベロスの牙やサラマンダーの鱗なんかも買い取りました」
どちらも火属性と相性のいい素材だ。
「そういう希少素材の依頼を受けるには、どうすればいいんだ?」
「依頼と言うのでしたら……、実際に何度か納品してもらい、その実力と成果を確認した上で、ギルドの認可を受けてからとなります。通常は認可を受けた狩人に確保を依頼すると同時に、狩りの失敗に備えて、掲示板でも特別買取の告知が行われます。それを見た人達が独自に品物を持ち込み、査定で品質に問題がないと判断されれば、購入という形になります」
「そのやり方だと、物が集まりすぎないか? 期限は告知できても、必要な数が集まったことはどうやって知らせるんだ?」
「やはり、余ることも多くなりますが、事前に伝達する手段もありませんしね。そのかわり、無駄足というのもあんまりですから、少し値引きはしますがこちらで買い取りも行います」
「値引き? 告知した値段じゃ買ってくれないってこと?」
「相場というものがありますからね。こちらが必要数を確保した後では、余剰品となってしまいますし。猟師達も余計な荷物を持ち運ぶよりはいいと思いますよ」
「でも、単価が高い品なら次の為に保管しておくくらい、損にはならないだろ?」
「いえ……、集まりすぎても倉庫がふさがるわけですし、いつ使うかわからない品をいつまでも保管するのは難しいんです」
「職人ギルドでダメなら、職人の元へ直接持っていくというのは?」
「人によっては買い取ることもあるでしょうけど、必要数はギルドよりも確実に少ないですし、持てあますんじゃないでしょうか? 職人が個人で動かせる資金は少ないですし、さらに買いたたかれる可能性もありますよ。ギルドならば登録している職人が大勢いるので、欲しがっている人を見つけるのも簡単ですし、代金の支払いは後にするよう融通もできます」
「ふーん……」
話の印象から判断する限り、職人ギルド側の買い手市場という感じだった。
職人側が素材を求め、冒険者がアイテムを持ち込む。品物が多ければ値切られる。
冒険者側が個として対応していては、この力関係が改善されることはなさそうだ。
あえて言及するまでもないが、人間なら誰だって自分が一番大切だ。自分が得られる利益を、対価もなく誰かに分け与えるということはまずない。
実力のある猟師は自分なりのコネを持っていて、それなりの顧客をつかみ、それなりの報酬を得ているのだろう。
一握りの者が贅沢できている分、その他大勢にしわ寄せが行く。
組織というのは制約も課せられる反面、平凡な人間が寄り集まることで、より大きな相手と対等に交渉できる。人は、集団として行動することが何よりの武器なのだ。
職人ギルドや商人ギルド、さらには国だって発足した理由はそんなものだろう。
ソーマ自身が欲するように、冒険者ギルドの潜在的は需要はあるはずだった。
未来において、冒険者ギルドが存在することも考えると、組織が立ちあがることも歴史上の必然とソーマは考えている。
本来ならば、ソーマはこの地において飛び抜けた実力を持っており、聖水教会でも敬意を持って遇されているため、恵まれた側の人間と言えた。
しかし、小市民として育った経験が、どこにも属していないという状況への不安を抱かせている。
彼が、冒険者ギルドを欲するのは、収入源の確保やその必要性を考慮したからではなく、単に自分が安心感を得るという理由にあったのかもしれない。